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玄奘、さらわれる

 最初に動いたのは、獣人だった。


「悟空覚悟! きええええっ!」


 いかつい体に似合わぬ甲高い奇声を発した熊男が、猿に向かって飛びかかった。続いて、牛と虎も同じように剣を振りかぶって突進する。


「行くぞ! 八戒、悟浄!」


 鉄棒をぶん回した猿が、黒豚と青黒い僧に威勢よく声をかけた。二人は「おう!」と雄々しく応じると、各々エモノを手に、前へ躍り出た。


 獣人と奇人達の打ち合いが始まる。


 玄奘は初め、彼らの頭を被り物かと疑った。しかし、彼らの眼球の動き、滑らかな顔面筋の動きそして牙が並ぶ口腔を見れば、まがいものでない事が分かった。

 その上、獣人も奇人も実に俊敏だった。彼らは明らかに、戦い慣れていた。


―― 巻き込まれてはならない。今の内に逃げなければ。


「慧琳、道整! こっちへ」


 玄奘は構えていた錫杖を下ろすと、二人を引っ張り西側へと走った。

 

「うおっ! こっち来んな!」


 獣人達が狙っていると思える玄奘が近づいてくると、盗賊達は同じく玄奘を襲おうとしていたにも関わらず、剣を向けて追い返そうとして来た。

 へっぴり腰の盗賊達は、すっかりびびっている様子である。


 ただ脅しているだけの剣先だと判断した玄奘は、躊躇い無く、慧琳と道整を盗賊達の中に押し込んだ。

 玄奘の目論見通り、盗賊達は戸惑いながらも、自分達に向かって突っ込んできた少年僧二人を受け止めた。


「来んなって言っただろうが!」


「怖いなら逃げたらどうです」


 盗賊達を背に錫杖を構えなおした玄奘は、自分に刀を突きつけてきた盗賊の男にそう言った。

 少なからずプライドを刺激された盗賊の男は、真っ赤になって唾を飛ばす。


「馬鹿言え! 手ぶらで逃げれっか!」

「戦利品よりも命を大事にしてください」

 

 玄奘が言い返したその時、八戒によって弾かれた虎男の剣が飛んできた。

 玄奘はそれを弾き返そうと錫杖を握る手に力を込める。その時、黒い影が剣と玄奘の間に飛び込んだ。


 鋭い金属音が響き、玄奘向かって飛んできた剣は軌道を変えると、近くの松の枝に刺さった。

 黒い影が、剣をはじき返したのである。


 剣を弾き返した影は、沙羅と呼ばれていた娘だった。

 見るからに重量のある大剣を、短剣一本で跳ね返した娘の驚くべき剛力ぶりに、玄奘は目を瞬いた。


「あなたは、一体――」


 逃げるよりも礼を言うよりも、得体のしれない娘への興味が勝り、玄奘は娘が何者かを聞こうとする。しかし、玄奘が問いかけを終えるより先に、沙羅が動いた。

 沙羅は、最も近くに居た慧琳の腕を掴むと素早く引き寄せて拘束し、彼の細い喉元に短剣の切っ先を突きつけた。


「小坊主の命が惜しければ、一緒においで。三蔵」

 

 玄奘に向かって妖しげな微笑みをたたえた沙羅は、鈴を転がすような可愛らしい声で脅してきた。


 慧琳は、恐ろしさのあまり声が出せない様子であった。涙を流しながら、ガタガタと震えている。

 道整は、慧琳と玄奘を交互に見ながらおろおろとしている。


「ははは早く行け!」

 

 盗賊の一人が、玄奘を沙羅に向かって押し出した。


「従えば、慧琳を開放して下さるんですね?」

 

 玄奘が確認すると、沙羅はあでやかに微笑んで頷いた。

 玄奘は、どこへ行けばいいのか聞いた。すると沙羅は、その前に錫杖と背中の荷物を下ろせと指示してきた。

 玄奘は言われるままに、錫杖を道整に渡し、行李を地面に下ろす。


「いいわ」

 

 慧琳を解放した沙羅は、二ふりの短剣を腰の鞘に仕舞うと、玄奘に歩み寄った。

 ほんの少し手を伸ばせば届くくらいの距離で立ち止まった沙羅は、上目使いに玄奘を見ると、両の口角をきゅっと上げた。可愛らしくありながらも、妖艶な微笑みだった。


「では失礼」


 歌うように言ったと思ったら、沙羅が玄奘に抱きついた。

 驚いているうちに玄奘は、華奢な肩にひょいと担ぎあげられてしまう。

 玄奘は細身ではあるが大柄の男である。それをこの娘は、藁束のように軽々と持ち上げたのだ。その馬鹿力に度肝を抜かれたのは、担がれた本人だけではなく、盗賊と少年僧も同様だった。


「嘘だろぉ!?」


 盗賊の一人が絶叫した。

 その絶叫を聞いた熊頭の男が、目をひんむいて「あーっ!」と叫んだ。熊男と闘っていた猿もつられて振り返り、「ぎゃー! おっしょさーん!」と悲鳴を上げる。


「沙羅、貴様! ぬけがけするなと言っただろうがー!」

「こん嘘つきがー!」


 牛と虎の頭をした男二人も、口々に沙羅をなじった。


 ―― やはりこの四人は、仲間だったか。


 細い肩がみぞおちにくい込んでくる不快感に堪えながら、玄奘は自分を抱えている剛腕の娘が獣人達を裏切ろうとしているのだと確信した。しかし、裏切るのは自分を助ける為ではない事も、理解していた。

 この娘が何をするもりなのかはまだ予測すらできないが、自分にとって都合の悪い事であるのは確かである。

 しかし今は、慧琳と道整を無事、涼州に帰す為にも、従わねばならない。


 沙羅は「あはは」と爽快な笑い声を上げると、


「早い者勝ちよ! ばーか!」


 目の前の全ての人間をバカにするように、あっかんべと小さな舌を出した。


 そして玄奘は、沙羅が深く息を吸い、一度空気を飲みこんだのを見た。

 何をしているのだろうと不思議に思った次の瞬間、沙羅はその小さな口から、炎を吹き出した。大道芸人が道端でやっているような、可愛らしいものではない。そこが乾燥した草原であれば、一気に三十三尺(十メートル)は灰にしてしまえるほどの大火である。


()ー!」

「あちーっ!」

「焼き豚になっちゃうよーっ!」

「毛が焼ける!」

 

 炎にのまれた獣人奇人が、ばたばたと暴れながら、悲鳴を上げている。

 目の前の惨状に、少年僧二人が腰を抜かした。


「立ちなさい二人とも! 早く逃げるんです!」


 束の間の旅路を共にした二人に、玄奘は叫んだ。こんな所で死なせてしまっては、自分を信じて二人を預けてくれた慧威法師(えいほうし)に申し訳が立たない。


 降りようと身をよじっても、沙羅の腕は玄奘の背中や腰をがっちり固定していた。玄奘は、唯一自由な両手を振り回し、一刻も早くこの場を去るよう少年僧二人に促した。

 その時、一瞬、身体がふわりと浮いた気がした。沙羅がしゃがんだのである。しかし玄奘がそれに気付いた時、目線は一気に上がり、地面は遠のいていた。

 沙羅が玄奘を抱えたまま、跳び上がったのである。林よりも高く。


「三蔵の肉、もーらいーっ」


 絶句している玄奘の耳に、ご機嫌に笑う娘の声が聞こえた。


「玄奘様ー!」


「おっしょさーん! 必ず助けに行きますからねー! 食べられちゃ駄目ですよー!」


 道整や猿のものらしき呼び声は聞こえたものの、既にその姿は確認できないくらい遠のいていた。

 どこに連れて行かれるか見当もつかないまま、玄奘は眼下に目を凝らした。

 林の向こうに、沙羅が吐いた炎の先っぽが見えた。



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