捕まった悟空たち
その青年は女人国の女達に、このように話して聞かせたという。
世界線を一つ跨げば、双子のような別の世が広がり、そこにはやはり、双子の如き別の三蔵法師が存在する、と。
どうだ国ごと移動させてやるから、別の世界へ行って、女王の為にその世界の三蔵法師を探し出してはみないか、と。
「ワシらは一縷の望みをかけて、そのお方の力を借りる事にしたのじゃ。全ては女王様のため! 女王様に想いを遂げて頂き、かつてのウハウハな生活を取り戻すために――」
老女の語調に勢いが増した所で、「ちょいと待った!」と悟空が割って入る。
「その若造ってのはどんな奴だい!? 仏か? 仙人か? 妖魔か? ちょっとやそっとの妖力や仙力の持ち主じゃあ、国一個異界に送りだすなんて出来ねえぞ!」
机に飛び乗って前に身を乗り出すと、老女を詰問する。
「まさか牛魔王ではあるまいな」
唸る悟浄が最悪の可能性を示唆したが、沙羅が大きく首を横に振って、それを否定した。
「お館様の人型は中年オヤジだから、絶対に違う。そもそも、妖力を使いはたした今は二足歩行の形態をとるのがやっとなの。二間(三メートル六十)ある牛人間よ」
「そのような恐ろしいバケモノではなかったぞ。ワシもちらりと見たが、むしろどことなく有難い雰囲気が漂う男前じゃった。髪型は少々妙ちくりんではあったがの」
老女は両手で拳を作ると、左右の側頭部と後頭部のあたりに一つずつ拳を置いて青年の髪型を表現した。
青年は合計、三つの突起が頭にあるという事である。
「頭に三つの玉……? そんな奴がいたかなあ……」
悟空は机に乗ったまま、腕組をして考え始めた。
「とにかくワシらはこのようにして、こちらの世界に参上したわけであるが、いざ来てみれば景色はまるで違うし人はおらん。目の前にはおそらく子母河であろうという流れはあったものの、効能の程はよう分らんでのう。困っていた所におぬしらがやってきたというわけじゃ」
「それでまんまと実験体にされたわけね」
河の水をかぶ飲みした被検者を、沙羅が呆れ顔で振り返った。八戒は戸を掴んで痛みに耐えながら、「神も仏もない……」と罰あたりなことをぬかす。
「ちなみに、落胎泉は?」
悟浄が訊ねた。
「三千里(千五百㎞)は先にあった泉じゃぞ。流石に一緒には連れて来れんかったじゃろうて」
しかし念の為に落胎泉の水はあらかじめいくらか汲んで、国が保管しているはずだと老女は付け加えた。
「女王様か摂政様に頼めば、分けてもらえるはずじゃよ」
この言葉を聞いて、悟空らは失望したように肩を落とす。
「オイラ達が行って頼んだ所で、くれんのはお縄か刀くれえだぜ」
自分達が罪を犯したという認識はあるらしく、悟空は人差し指で首をかっ斬る仕草で『処刑』を表現した。
「そんな事言わないでよ兄貴ぃ!」
がばりと起き上がった八戒が、どたどたと悟空に駆け寄り、かじりつく。
「何とかしてよぉ! このままじゃ俺、どっからも子豚ひり出せなくて死んじゃうよぉ! お腹かっさばくの嫌だよぉ!」
体をわななかせ、おいおいと泣く。
沙羅と悟浄は、揃って首を傾げた。
「確かに八戒には、子宮も産道も無いもんね。赤ん坊は今、お腹のどこにいるの?」
「前回は下痢で堕胎が完了した故……腸の中ではないか?」
「え、じゃあ肛門から子豚を出すって事? いったぁ~……」
沙羅が己の尻の下に手を当てて、思いきり顔をしかめた。
肛門、と聞いて血の気を引かせた八戒は、両目をぐりんと上へ返したかと思うと、ふう、と気を失ってゆく。
ゆっくりと後ろへ倒れる巨体。そのてっぺんにある豚頭を悟空はむんずと掴むと、「しっかりしろ豚ぁ!」と頭突きをかました。
結果、八戒はぐしゃりと垂直に崩れ落ちたが、意識を繋ぎとめることには成功する。
悟空は机の上ですっくと立ち上がると、額を押さえて目を白黒させている八戒を見下ろした。
「堕胎になろうが出産になろうが、オイラが何とかしてやる! だいたい鏡見てみろお前……涙も鼻水も涎も、みんっなダダ漏れでブーブーブーブー……もう、ひでえ顔だよ!? 情けな過ぎて見てらんねえっての!」
優しいのか人権侵害なのか判断に困る物言いである。
しかし、普段から悟空の毒舌と鉄拳を受け慣れている八戒は、これを善意と受け止め大いに喜んだ。よっこいしょと身を起こし、悟空にすり寄る。
「やっぱり兄貴は頼りがいがあるね。この子の爸爸になってくれる?」
「ううん。ぜってぇ嫌だ」
無慈悲な即答であった。八戒は無言で涙を流す。
そこに老女の、「三蔵殿に頼んでもらえばよかろう」という提案がポンと飛びこんできた。
「女人国の城下町は、ちょうど玉門関のあたりじゃよ。あの方はどこにいなさる?」
老女は悟空に、三蔵の所在を訊ねる。
知らねえ、と悟空は答えた。
「おっしょさんは、玉門関は通らねえ。石槃陀って奴が、この河を通る抜け道を案内するはずなんだ」
悟空は、釈迦如来から授けられた旅の工程表に、玄奘の弟子となった石槃陀が、葫芦河を横切り出国する最短の抜け道を教えると書かれていた旨を話した。
通行手形を持たない玄奘が関所を通る事は不可能。故に、近道も抜け道も知らない悟空らは、下手に玄奘と石槃陀との旅に介入するわけにはいかなかったのである。
「遅かれ早かれ、おっしょさんはこの河を渡る。何日後かは分らねえが」
それを聞いた老女は、「ほほう」と両目を大きく開き、口をすぼめた。
「なるほど、それは好都合じゃわい」
丸椅子から立ち上がると、先程まで八戒を介抱していた中年女達を招き寄せる。そして老女は中年女達に、襟元から畳んだ紙を一枚ずつ出して開かせた。
「ホレ、これ見てみ」
と、机の上に、開けた紙を並べさせる。
紙は全部で五枚。三蔵法師、孫悟空、沙悟浄、猪八戒、玉龍の人相絵が描かれてある。
否。手配書、と呼ぶべきか。
「女人国のおなごなら、全員持っておるぞ」
老女がにんまりと笑った。
事態を悟った悟空らは、慌ただしく椅子から立ち上がる。
「こ、こぉれは、嫌な予感がするぞお!」
悟浄が立てかけてあった降妖宝杖に手をのばす。
「嫌な予感しかしねえじゃねえか」
悟空も如意棒を背中から抜き取った。
「予感じゃなくて確信でしょうが」
沙羅が腰背部の短刀に触れる。
「あああああ痛いいいい!」
八戒は変わらず悶絶している。
店の外で、玉龍の嘶きが聞こえた。
どうやら店の者が送った伝令が、女人国の警備隊を連れて来たようである。
「ちくしょう、もうお迎えが来やがったか!」
悟空が机上から飛び出そうとしたその時。
「逃がさんぞい! あ、そーれ!」
老女の掛け声で、中年女たちが悟空らに向けて一斉に網を投げた。
投網のようなそれは、見事四人に覆いかぶさり、動きを封じる。
「魚じゃねえっての! こんなもん! あれ? あれれ!?」
悟空が如意棒で網を跳ねのけようとするも、網は蜘蛛の巣の如くぴたりと貼りついて離れない。
「なんだこれは! ふんぬー!」
悟浄も腕力で網を引きちぎろうと頑張るが、顔が真っ赤になるほど踏ん張っても繊維の一本たりとも傷つかない。
網に張り付いている赤い長方形の紙を見つけた沙羅が、「あ、何このお札!」と声を上げた。投網には、幾つもの赤札が貼られていたのである。
そこには金色の筆文字で、『善財童子急急如律令』と書かれてあった。
善財童子、という名前を目にした悟空が、「あー!」と絶叫する。
「そうか、あの男女ぁ! やってくれたなこんちくしょー!」
「なんと! 罠を仕掛けたのは紅孩児であったか!」
悟浄も同様に、目を丸くして叫んだ。
「え! 誰よ紅孩児って!?」
あちらの世界で三蔵一行に加わっていない沙羅は、紅孩児を知らない。
紅孩児。
かつて悟空が一戦交えた魔王。その正体は、牛魔王と羅刹女の息子である。
三蔵法師を攫い食そうとしたが、悟空ら三弟子の妨害に遭い、挙句に観音菩薩から仕置きを受けて仏門へ下った。その後は善財童子と名を改め、観音菩薩の弟子として修業に励んでいる。
はずなのだが――。
「いかん! 師父ー! こっちに来てはなりませぬー! 孕んだ上に純潔を奪われ、終いに喰われてしまいますぞー!」
悟浄が必死の形相で、東に向かって声を張り上げる。
一聞すると、玄奘の身に起こるであろう危機の順番が若干妙であるが、今回の状況では正解と言えよう。
だがしかし、警告したい相手に届かない事にはどうしようもなかった。
赤い渓谷にひっそりと佇む居酒屋は、いつの間にか、鎧を身にまとった勇ましい女戦士達にぐるりと囲まれていた。
すみません、今、別の小説を賞に向けて執筆中で、また少し本作、間があくかもしれません。
続きが書け次第、投稿させて頂きます。
お読み頂いている皆様には、ご迷惑をおかけいたします。大変申し訳ありません。




