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黄風大王との戦い

 あれほどに騒々しかった寺の境内(けいだい)が、妖群が元の世界に帰った事で嘘のように静かになった。妖魔たちが残して行った刀や槍、弓矢などが、騒動の足跡となってそこら中に散らばっている。


 口笛のような音を立てて、風が吹き始めた。不自然な流れ方だった。寺の敷地内をぐるぐると回っているのである。木々や草木の揺れる(さま)で、それが分る。まるで目に見えない大蛇が今まさにとぐろを巻こうと、木々や草木の上を這っているようだった。


 風は徐々に勢いを増す。

 砂埃(すなぼこり)が上がり、落ちている武器がずりずりと引きずられはじめた。

 八戒が、衣を必至に合わせながら、「あいやあ、(すそ)がはだけちゃう~」と声を裏返らせた。


「さっそく吹かしてきやがったな」


 顎を上げた悟空が鼻を上下させ、風の匂いを嗅いだ。


「イタチ臭ぇ。毛まで混じってやがるぜ」


 そう言うと、小さなくしゃみを一つした。

 

「怪風が来ますぞ師父! 目を守らねば」


「目を閉じちゃ駄目よ! 煙の動きをしっかり見なさい!」


 沙悟浄が発した警告を、沙羅が(さえぎ)った。

 袈裟を燃やしている煙の動きで黄風大王(こうふうだいおう)の位置を特定するのだという。


 黄風大王が使う『三昧神風(さんまいしんぷう)』という怪風を起こす妖術は、吹かす前に一旦風を集める事を、沙羅は術を受けて知った。故に、ここで怪風を起こせば煙が引っ張られ、自ずと黄風大王の居場所が知れるのだ、と。


 成程。袈裟を集めたのはこういう理由だったのか。玄奘は納得した。

 けして、黒風怪(こくふうかい)の号泣を誘う為ではなかったらしい。


 風向きが変わった。渦巻く強風に散らされていた煙が、一本の筋となり、やがて一つの方向へ引き延ばされる。煙の先は、小さな仏堂を指し示していた。


「悟空、壊せ!」「はい喜んで!」


 沙羅が古びた六角堂(ろっかくどう)を指差し、如意棒(にょいぼう)をふりかぶった悟空が跳躍する。


 暴れん坊がおみまいした渾身の一撃。六角堂は、こっぱみじんになった。

 そこから現れたのは仏像ではなく、頭をおさえてしゃがみ込んでいる一人の老人だった。長い髭をたくわえ黄色い衣を羽織り、道士(どうし)のような姿をしている。


「見つけたぜ黄風大王(こうふうだいおう)!」


「あいやぁ見つかってしまった!」


「『見つかってしまった』じゃねえだろ! 菩薩(ぼさつ)からの慈悲を無駄にして何やっとんじゃ!」

 

「やかましい! ワシにも事情があるのだわい!」


 二人は面識があるらしい。悟空と口論した黄風大王は、ぷっとフグのように頬を膨らませた。


「おっとそうはいくか!」


 悟空が老いた横面(よこつら)に張り手をかました。振りかぶってはいなかったので、手加減はしたのだろうが、頬袋(ほほぶくろ)を割られた黄風大王は、「ぶっ」と口から破裂音を出すと、瓦礫(かれき)の上に倒れ込んだ。

 しばかれた頬を手で(かば)い、キッと悟空を睨みつける。


「痛いではないか乱暴者め!」


「やかましい! 今、風吹かそうとしただろうが!」 


 言い合っている様子は、もはや子供同士の喧嘩にしか見えなかった。


 玄奘は、八戒と悟浄をちらりと見た。妙に静かだったからである。なるほど、二人はこれでもかというほど冷めきった目で、老人と猿の喧嘩を眺めていた。完全にやる気を失くしている顔だった。


虎先鋒(こせんぽう)! 虎先鋒はいずこ!?」


 迷子になった子供が母親を呼ぶように、黄風大王(こうふうだいおう)が仲間らしき者の名を叫んだ。悟空は面倒くさげにボリボリと頭を掻く。


「ボケてんじゃねえよ。虎なら八戒のまぐわ受けて死んだじゃねえか」


牛魔王(ぎゅうまおう)の妖術で生き返ったのじゃ阿呆!」


 黄風大王が唾を飛ばす。


 牛魔王は今この瞬間も精力的に、あちらの世界の闘いで命を落とした妖魔や、(ほとけ)に連行された妖魔を地上に蘇らせ、次々とこの世界へ送りこんでいるのだと、黄風大王は説明した。


 虎先鋒(こせんぽう)はあちらの世界で三蔵をさらい、黄風大王(こうふうだいおう)の酒の(さかな)にしようとした。そこで悟空や八戒を相手に戦い、八戒のまぐわでざくりとやられ、絶命したのである。

 それがまた生き返ったのだと言うが――――


「しっかしなぁ。お前の妖群なら今さっき、まとめて送り返しちまったぞ」


 その中に虎先鋒(こせんぽう)もいたのではないか、という悟空に、黄風大王は「そんなわけあるかい!」と声を荒げた。




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