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火付け番、沙羅

 注目を浴びた妖魔は、若い女だった。一見人間の娘と何ら変わりない姿をしている彼女は、黒い胡服に包まれた華奢な両肩をびくりと震わせると、二十歳になるかならないかの麗しい白面を引きつらせた。


「いえ、あたし――わたくしは……」

「拒否権ない言うたやろ。お前はもう、ワシの術にかかっとる」

 

 牛魔王は無慈悲な視線を『火付け番』に浴びせると、左の胸元を見るよう、自分の左側の襟を開いて指示した。

 『火付け番』の娘は、胸元にかかっていた艶やかな黒髪を後ろへ払いのけると、慌てて左側の襟をぐいと開いて自分の胸元を確認した。そして、絶句する。


杀悟空(悟空を殺すべし)

吃三藏(三蔵を喰うべし)


 乳白色の牙の飾りを一つ垂らした首飾りの、ちょうど真下。筆で書かれたような黒い文字が二列になって、白い胸元に浮かび上がっていた。

 『火付け番』は真っ青になり、言葉にならない悲鳴を上げた。


 牛魔王は喉を鳴らして悪質に笑う。


「三つ目の術じゃ。これでお前は、ワシの課題から逃れられん」


『火付け番』は立ち上がると、つんのめりながら仲間の間をぬって、牛魔王の前に進み出た。


「おおお恐れながら、わぁ(わたくし)がおらねば館中の火の気がなくなります! (かまど)は煤を被ったまま、飯を炊かれる事もなく――」

「火打ち石があるやろが」


 ごもっとも。


 必至に訴えたが反論の余地もない返答を頂戴し、『火つけ番』は黙りこんだ。


「ええか沙羅(しゃら)。お前を雇ったのはな、お前のオヤジさんをうっかり喰うてしもた贖罪と、ただの時短じゃ。火ぃなんざ、手間かけたらなんぼでも起こせるわい」


 つまりは、用無しの能無し。

 身も蓋もない採用理由を暴露された沙羅は、拳を握って反論した。


「そんな! 『お前は目の保養になるから傍に置いてやる』とも、仰ったではございませんか!」


 沙羅の訴えに、牛魔王は反論しなかった。それどころか、大きく頷いて肯定した。


「確かに言うた。確かにお前は可愛らしい。せやけどな……」


 腕を組んで何度も頷き、言葉をたっぷり溜めた牛魔王は、カッと両目を見開いた。


羅刹女(らせつじょ)に比べたら、屁じゃ!」


 羅刹女、とは牛魔王の正妻である。

 その場の空気が、一気に白けた。

 何故なら羅刹女と牛魔王は、既に別れていたからである。理由ははじめに、牛魔王の浮気。そして、牛魔王が仏界へ連行された事により、夫婦関係が続けられなくなった事情による。要は、見限られたのだった。

 

「正妻様がお好きなら、妾なんぞ作らなければよかったものを」


「そんで結局逃げられちまったしな。女好きのスケベ牛」


「なんか言うたか」


「「本日も素晴らしい男っぷりでございます!」」

   

 先程の妖魔二人と牛魔王が、同じやり取りをした。


 二度目の土下座をした仲間を呆れ顔で眺めていた沙羅だったが、やがて牛魔王に向き直ると、可憐な相貌を引き締め、仁王構えをとった。


「私には、病気の母と幼い妹がおります! 異界になど行くわけにはまいりません!」


「ほぉ。ええ度胸じゃ」


 戦う意志を見せた女妖怪を前に、牛魔王は胸の前でボキボキと指を鳴らす。


「やめとけ沙羅!」「殺されちまうぞ!」


 仲間の身を案じた手下達が、無謀な争いをやめさせようと立ち上がって手を伸ばす。しかし、沙羅と主の真ん中へ踊り出てくる事はしなかった。


「殺しゃぁせんわ。大事なだーいじな駒やさかいの」


 牛魔王はどす黒い笑みに牛面を歪ませると、沙羅と対峙しながらゆっくりと足を横へ運んだ。

 

 低い声で不気味に歌いながら、沙羅の後方へと移動してゆく。


「火を吹く可愛いワンちゃんがぁ~♪  大王様に言いましたぁ♪ ワタシを家来にしたならばぁ♪ きっと損はさっせまっせん~♪ 火を吹く可愛いワンコちゃん~♪ い~まが働き時だっせ~♪」


 沙羅は冷や汗を流しながら、構えを崩すことなく、牛魔王の正面をキープし続けた。やがて、牛魔王と沙羅の位置が逆転する。


「た、確かに。そのように申し上げ、ました……が……」


 異界への扉を背中に、沙羅は牛魔王の即興歌に回答した。


 悪質な笑みを深めた牛魔王は、構える事もなく右脚を振り上げた。


「ほんだら、はよう行ってこんかい! 穀潰(ごくつぶ)し!」

 

 怒声と共に、前蹴りを放つ。

 単純な蹴りであるにも関わらず、沙羅は避けられず、まともに受けた。それほどに、蹴りが速かったからである。

 

 腹を蹴られた沙羅は悲鳴を上げる事すらできず、異界へ通じる扉へと吸い込まれ、消えた。


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