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金襴の袈裟

ブックマークと★、それからイイネや、感想、ありがとうございます!

頑張ります!

どうかこれからもお付き合いください。

「大乗論、巻上。本性無自性章。すべての存在の本性は(くう)である。全ての存在は永遠不変なものではなく常に変化し、消滅する。心もまた空である――」


 陽もまだ昇っていない夜明け前。玄奘は朝の説法を説いていた。蓮の花を象った香炉から木香の煙が細く立ちのぼり、蝋燭の灯りにぼんやりと照らされた伽藍堂の中に、薄い香りの膜を張っている。

 お堂に集まった大勢の僧侶たちは、高座に座って(ばい)(木魚などの鳴り物を叩く棒)を握る青年僧侶の講話を合掌で拝聴している。


 憧れの眼差しで食い入るように玄奘を見つめる者。無の境地の一歩手前のような無表情で、ただひたすら講和に耳を傾ける者。眠そうに、ゆっくりとした瞬きをくり返す者。皆同様に頭を剃りあげ法衣に身を包んだ僧侶とはいえ、反応は様々であった。

 中には小声で隣同士、無駄口をたたく若い僧もいた。


「これはまた立派な袈裟(けさ)ですなぁ」


「旅の途中とはいえ、玄奘様ほどの方となると、お持ち物の一つをとっても違うのでしょう」


 素直な感嘆と、少しばかりの嫉妬心からもたらされる揶揄(やゆ)

 それは説法を説く玄奘の耳にも届いていた。視線を上げて歳若い僧に目をやると、目が合った二人は慌てて姿勢を正し、表情を引き締めた。


 嫉妬も揶揄も、仏の道に生きる者には避けるべき感情である。しかし、僧侶も所詮は人間。負の感情に流されかける事もあって当然である。


 玄奘も同じであった。

 口では求法(ぐほう)の為ならば命も惜しまないと公言しておきながら、予想以上に厳しい旅路に何度もくじけかけている。これからの旅路を想い恐怖しては、観音経をひたすら唱えて平静を取り戻し、気持ちを奮い立たせる。それの繰り返しであった。


―― 道半ばなのだ。彼らも、私も。


 玄奘は彼らと己を励ますつもりで、口元に小さな笑みを浮かべた。




 説法を終え、(さい)(食事)の前に一人の時間ができた玄奘は、涅槃大仏(ねはんだいぶつ)像(横になって寝ている大仏)の前に来た。玄奘が世話になっている大仏寺にある涅槃大仏像は、同じように横になった玄奘が五人は必要なほどに巨大である。


 仏像を眺めるふりをしながら、玄奘は胸元に話しかけた。


「大丈夫ですか悟空。苦しくはありませんか?」


 すると、胸元から返答があった。


「へいきへいき。それよりも、しっかり俺をアピールしといて下さいよ。黒風怪(こくふうかい)をおびき出さなきゃいけませんからね」


 返事をしたのは玄奘が纏っている袈裟だった。黄糸の刺繍が惜しみなく施された、金襴(きんらん)の袈裟である。


「身につけているだけで十分人目を引いています」


 先程の歳若い僧侶二人を思い出しながら、玄奘は袈裟に化けた悟空にこたえた。


 悟空は幸い、七十二通り全ての妖術を失ったわけではなかった。幾つかの妖術は使う事ができ、その中に変化の術もあったのである。


 悟空は甘州に到着する前に、袈裟泥棒を捕獲するための策戦を立てた。

 玄奘が、これでもかというくらい豪華な袈裟を身につけ寺に滞在し、袈裟泥棒をおびき寄せるというものである。

 白骨夫人の退治に続き、またしても囮役を頼まれた玄奘だったが、これも乗りかかった船だと承諾した。袈裟泥棒に妖魔の疑いがある以上、放っておく事も出来なかった。

 

「しかし、ここに来てもう三日だ。三人は大丈夫だろうか」


 沙羅と悟浄と八戒は、街で袈裟泥棒の情報を集めているはずだが、何故か音沙汰が無いのである。


 悟浄と八戒の姿は目立ちすぎるため、悟浄は妖術で肌の色を人間に寄せ、八戒も本性である黒豚に姿を戻した。

『この世界は妖術が効きにくい』とぼやいていた二人だったが、その後ボロは出ていないだろうかと玄奘は不安だった。なにせ、妖術を得意とする悟空ですら、うっかりすると時折、袈裟から尻尾を出してしまう始末なのである。

 悟空が尻尾を出す度に、玄奘はそれを襟巻と称して首に巻いてみたり、ハタキと称して柱の埃をはらったりと、素早い対応を迫られた。

 ちなみに玉龍はというと、寺の厩舎で毎日食っちゃ寝している。


「ふわぁ……大丈夫ですって」


 悟空が欠伸交じりの能天気な声で、玄奘を元気付ける。


「もしかしたら、泥棒の隠れ家くらい見つけてるかもしれませんよ。こっちだって、そろそろ泥棒が現れてもおかしくない頃合いなんです。油断しないでくださいよ」


「それは分っていますが……」


 玄奘が歯切れの悪い応答をしたその時、大仏寺の小坊主が玄奘を呼びに来た。馬蹄寺ばていじの住職から、講話の依頼があったという。


「岩窟にお堂を造った珍しい寺でございます。一見の価値はありますよ」


 小坊主はにこにこと笑いながら、玄奘に承諾を勧めた。


「これはもしかしたら、来たんじゃありませんかね。おっしょさん」


 悟空が声を弾ませた。


 突然、誰とも知らない声を聞いた小坊主が、「はい?」と不思議そうに辺りを見回す。

 玄奘は咳払いで小坊主の注意をひくと、笑顔をつくろい合掌した。


「喜んで伺います」「今すぐに!」


 玄奘の声色を真似た悟空が、小坊主を急かした。

 



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