5 武道
長船が出演してくれた動画の視聴数も伸びなくなった頃、次の動画を上げるべく奥野は近場の町道場にオファーをかけたがもう目ぼしい所はない。組手での負けを条件に依頼をかけても素性もよく分からない者からのオファーをまともに取り合う道場の方が珍しい。異種格闘技対決とはまた別の企画を考える必要があると奥野が悩みながらロードワークをしていると、不意に声をかけられた。
「奥野さんではありませんか?」
ジャージ姿のためすぐには分からなかったが、声の主は長船だった。奥野は手足を動かしながらその場に留まり挨拶を交わす。
「長船さんじゃないですか! こんな所で会うなんて奇遇ですねえ」
「いやあ、奇遇ってほどのものではないですよ。奥野さんが所属するジムの位置から、ロードワークするならこの堤防かと思いましてね。数日散歩してたんです」
2人は堤防に腰を下ろした。
「遅ればせながら動画見ました。いや、しかし自分が映ってる動画って、なんだか恥ずかしいものですね」
長船は笑いながら言った。なんでもその報告のためだけに奥野との再会を期待して堤防を散歩していたらしい。
「そんなことしなくてもジムを直接訪ねてくれれば良かったのに」
「いや〜、プロの所属するジムなんて、畏れ多くて気軽に訪ねられませんよ。それよりこの堤防で奥野さん捕まえた方が気が楽かなって。ここは景色もいいし、散歩にはピッタリですし」
長船も武道家であるからには日々のトレーニングには余念がないと見えた。
「ところで奥野さん、次の動画を上げるご予定は?」
「う〜ん、それがですねえ、なかなかいい返事をくれるとこがないんっすよ。そんなもんで、いまは別の企画を思案中なんです」
「そうですか。いや、よく分かります。奥野さんもいろんな人と闘ってますねえ。柔道、空手、レスリング、総合。いや、とても興味深く拝見しました」
「あ、過去のやつまで見てくれたんですか。ははは……負けてばっかっしょ?」
「それは……私の時と同様、そういう取り決めだったからでしょう? ウェイトも違いますし、相手のルールでやってますし」
そこまで理解して気遣ってくれる長船に対し、奥野はやや申し訳ない気持ちを覚えた。
「えっと……今更言うのも何だけど、なんか、すんません。俺の動画に出てくれたばっかりに。コメントも、見たでしょ? 長船さんに迷惑かけちゃって」
コメントには辛辣な意見と共に長船に対するヘイトとも取れるものもいくつかあった。削除しようかとも思ったが、ネガな意見を消す行為を奥野は良しとしない。が、長船は意にも介していない風だった。
「気にしないで下さい。古流は色眼鏡で見られがちですからね。もう慣れてます。たぶん私の実力不足なのでしょう」
そう言って穏やかに笑う長船の横顔は本当に気にしていないように見える。本当の武術の達人とはこういうものかもしれない、と奥野は思う。
「そういえば、奥野さんはなぜボクシングを志したんですか?」
やがて話はボクシング談義に移る。伯父がジムを経営していること、父が子供の頃に他界したこと、学生の頃は少し荒れていたことなど、あまり話したくないことも、何故か長船の前ではペラペラ喋ってしまう奥野がいた。
「……で、まあ、そんな感じで、なんつーか、映画のロッキーに憧れて、気がついたら一作目のロッキーと同じくらいの年齢になっちゃってて……」
「ああ、ロッキーですか。かっこいいですよね。私もビデオで何度も見た口です」
「え? 長船さんもですか? なんか意外だなあ。武道家の人も映画とか見るんだ」
「いや、そりゃ見ますよ。古流やってるからって、江戸時代の人間じゃないんですから。でも、さすがにプロボクサーにまでなる覚悟はないですねえ。私なんてたまたま家が道場やってたってだけで仕方なしにやってるようなものですから」
それから2人で格闘技の娯楽作品の話に花を咲かせた。動機はどうあれ、格闘を志す者はこうでなくてはいけない、と奥野は思うのだった。
長船と別れ、ロードワークを終えてジムの玄関を潜ると平岩が興奮気味に声をかけてきた。
「おう、健斗! 久々の指名だ。15戦6勝3KOのアウトスタイル。引退間近のベテランだ。どうする?」
どうするも何も平岩の様子から受ける気満々なのは見て取れる。なら奥野としても固辞する理由はない。しかも久々の試合。自分のような戦績もパッとしない選手を指名してくれるとはありがたい。挑戦を快諾し、試合決定の流れとなった。