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厠倶楽部  作者: 厠 達三
79/120

3 平岩

「よろしくお願いしゃーっす」

 挨拶して入るがジムには誰もいない。最低限の設備はあるものの、活用されているとは言い難い。奥野が籍を置く健康ボクシングジムもまた、全国に幾つあるのか分からない、寂れたボクシングジムのひとつだった。手荷物の入ったバッグをロッカーにしまい、ストレッチから始める。

 ストレッチも終了し、縄跳びを始めた頃にジムの会長でもあり、奥野の伯父でもある平岩健康が入ってきた。かつては五輪代表に選ばれ、プロに転向してからは日本ランカーにもなった。が、タイトルには恵まれず、指導者としても花開いているとは言い難い。還暦を過ぎてなお矍鑠とはしているが、やはりどこかうら寂しい影が差している。


「どうもっす。勝手にやらせてもらってます!」

 奥野が縄跳びをしながら挨拶する。身内でも所属選手としての礼は忘れない。

「おう、いいぞ。そのまま勝手にやってくれ」

 平岩もいつものことなので慣れたものである。もはやベテランと言っていい年齢に達した甥に対して手取り足取り指導するようなこともない。むしろ本人の自主性に任せるというのが平岩の指導方針なのだ。


 次いで奥野がパンチングボールを叩く。いつもと変わらぬメニューを淡々とこなす。そんな奥野の背中を眺めつつ、平岩は自責の念を覚えずにはいられない。

 身内の贔屓目かもしれないが、逸材と思える若者をトップ選手に育てられなかった。天性の才能には光るものがある。近代ボクシングの生命線と言えるディフェンスのテクニックは一流。試合勘もメンタルも申し分ない。強力なパンチを放つ体幹も備わっている。そしてなにより性格が真面目なのがいい。これほどの原石を磨けなかったとは、と、平岩はつい自身を責めてしまう。


「じゃ、走り込み、行ってきます」

 パーカーを着てランニングに出る奥野を平岩が見送る。


 プロの格闘家として奥野は真面目すぎた。それが奥野の未来を閉ざしもした。トレーナーとして、そこを上手く導いてやれなかった後悔にいつも平岩は苛まれる。

 最近は奥野も随分フランクになり、ボクシングを題材にした動画投稿をやりたいと言い出した時にはいい成長の機会になると思って応援もしたし協会にも許可を得るため掛け合った。しかし全てが遅かった。

 平岩は毎日のように、心の中で奥野に謝罪をしていた。


 一方、河川敷をランニングしていた奥野ではあったが街の中心部にある大きな橋に差し掛かった所で橋の下の日陰に潜って腰を下ろす。サボるのは良くないと思いつつ、昨夜投稿した動画の反応が気になっていた。長船はもう見てくれただろうか。メールは送ったものの返信がいまだにない。なぜかあの人のよさそうな若き武術の達人に惹かれて仕方がない。もしかすると動画にコメントを入れてくれてるかもしれない、そう思うとランニングの合間に少しだけ確認したいという誘惑に抗えなかった。


 改めて自分の動画を見るとやはり凄い。動画の編集中にも何度も見入ってしまったが、長船の技の数々が奥野の好奇心を刺激して止まない。多少手を抜いていたとはいえ、奥野の本気のパンチを長船は容易く見切り、躱し、いなし、どうやってるのか映像を見ても分からないが、体格にも優る奥野を僅かな動きでコロコロ転がす。ここまで見事にやられると降参するしかない。もちろん最初から負ける予定ではあったが、たとえ本気でも同じ結果になっていたと思える。


 古流武術や中国拳法の強さというのは半ば信仰のようなもので、近代格闘技には通用しないというのが定説であるし、奥野も同様だった。心のどこかで見下してもいた。

 だが、今回動画投稿という形でそれに触れる機会を得、その片鱗を体験できた格闘家など希少ではないだろうか。なにより、古流武術が非常に実戦的であったのが何故か嬉しかった。長船の人柄にも好感を抱いたというのもあるかもしれない。


 が、そんな奥野の高揚とは逆に視聴数は数えるほど。もとより少ないが今回は更にひどい。これが世間一般の認識なのだとも思うがやはりやりきれない。

 その僅かな視聴数の中のコメントも、いつにも増して辛辣だった。


『ボクシングの面汚し』

『もう引退すれば?』

『どうせヤラセでしょ』

『この武術家も胡散臭い』



挿絵(By みてみん)

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