ディスりの心理
はい、終了後の解説でございます。最初の掌編は都市伝説風恋愛ノベルとでも言いましょうか。しかしこんなストーリー、似た話がナンボでもありそうですな。あったら多分どっかで自分がそれ読んでるんでしょう。もしあったら大目に見てやって下さい。
2作目は……これはもう誰と誰のことか丸分かりですなあ。有名な話を引用して申し訳ありません。そもそも作者自身が薄いやつなので。しかもなろうでは近世の話はNGって規約にあったみたいな記憶が。
でも名前は出してないからフィクションですと言い逃れできなくもないけど、ここまであからさまだとそれも通用しない気もする。自分は規約真面目に読んでないからってことでお目こぼししていただくのを祈るしかありませんねえ。
BANされたら引退すりゃいいだけです。そもそもこんな底辺の作品が多少規約に抵触したところでBAN対象になるとも思ってませんけどね。こちらも似た話はナンボでもありそうです。そっちの方が問題な気もします。読んでる小説が少ないのがいけないのです。だったら書くなやって話なんですけどね……
それはさておき、
アハモに乗り換えてここ数カ月、ネットの海を泳いでみると色々な意見を持ってる人がいるなと感心しました。
たとえばクソゲー。誰がプレイしてもネガな感想しかしないようなクソいゲームでも人によってはメチャクチャ思い入れがあったり、誰も気付けないような細かい部分に注目してたり、時に制作のプロファイリングまで試みてたりもします。それで盲信してるのかというとそうでもない。駄作は駄作と認めた上で、なおその作品への愛を語ってたりもします。その根拠がどこにあるのかは分かりません。多分その人にしか読み取れない何かがあるのでしょう。一般人には見えないだけで。
クソゲーを例に出したのは分かりやすかっただけです。他のサブカル作品でも、サブカルに限らず他の何にでも。
負け続ける競馬馬だったり、ダメ判定受けた車だったり、フリーOSだったり。誰もがダメと言うものでも、何かひとつ、いいところを見つける人は必ずいます。
そういう意見を見たり読んだりするのが実に楽しい。自分にはない視点や深い考察があって学ぶべきところがたくさんあります。真のユーザーというのはこういう人達を言うんだろうなあ〜と、兜を脱ぎたくなります。
その一方、自分はどうだったか。ろくすっぽ見もせず、薄いディスりをしてこなかったか。誰にでもできる拙いディスりをするその他大勢になってはいなかったか。いや、なってた。その自覚はあります。
誰でもできる安いディスりをやって高みに立って、自分は特別と思い込んでた記憶が確かにあります。それは文章という動かぬ証拠として残ってます。今読み返せばすぐ分かります。
残ってるいじょう、その文章に潜む欺瞞を見抜く人は必ずいるはずです。指摘されないのは読んだ人が寛容なだけであって。
人を不快にさせる文章は誰にでも書ける。でも、読んだ人を感心させる、感動させる文章なんてものは誰にでも書けるものではない。
書けないからこそ、自分は安いディスりで高みに立ってた事実に、今さらながら気付かされたのです。