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厠倶楽部  作者: 厠 達三
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チャームの呪い

 教室に一人居残っていた御座敷うづきに声をかけたのは担任教師の式宮だった。

「どうしたんです? ホームルームもずっとうわの空でしたね。さしあたって恋の悩みといったところですか?」


 いきなり図星を指されたうづきは驚いた。図星を指されたのにも驚いたが、目立たない、浮いたところもない式宮がそんなことを口にしたのも驚きだった。


「やだ、先生、なんで分かっちゃうんですか?」

「ははは。簡単ですよ。年頃の学生の悩みといえば進路1割、友人関係3割、6割が恋愛です。見たとこ御座敷さんは友人関係のトラブルもなさそうだし、恋の悩みかなと」


 式宮は言いながら穏やかに笑った。30ちかい男性教員にしては珍しく生徒にも敬語を使い、地味で少し頼りない体格に不健康な肌の色をした、影の薄い担任教師としか思っていなかった式宮に御座敷は意外な一面を見た気がした。


「かわいい担当の悩みとなると見過ごせませんねえ。話だけでも聞いて差し上げましょうか」

 式宮が御座敷の前の机の椅子を回して座る。


「ええ? い、いいですよ! 先生に恋バナなんて、どう考えてもまずいでしょ!」

「構いませんよ。ぶっちゃけると受け持つクラスの成績が落ちると私の評価も下がるので。職員室のカーストなんてそんなつまんないもんなんです。ささ、遠慮無く青春の悩みを吐き出しなさい。それで気分が晴れれば御座敷さんの成績も上がる。クラスの成績も底上げされて私も助かる。お互い様じゃないですか」


 屈託のない式宮の口調につい、うづきも信じていいような気になった。

「じゃあ……先生、このこと誰にも言ったりしません?」

「もちろん。受け持ちの不協和音起こして誰が得しますか? 少なくとも私にはデメリットしかありませんねえ」


 デメリットという言葉に妙な信頼を憶えた。利害関係なら感情抜きで信用できる。

「恋、とかじゃないんですよ。隣のクラスの美山くんが気になるっていうか……どんな人なのか知りたいんです。どんな女子が好きなのかとか、付き合ってる子がいるんだろうかとか」

「ああ、それは早い話が恋ですね。年頃の学生なら避けては通れない道です」

「だ、だから、そんなんじゃなくって、ちょっと気になるって程度ですよ!」

「そう否定してもしょうがないでしょ。恋は恋なんだから。現実をまず認識しましょう。ふむ。確かに美山くんはそこそこイケメンだし、そこそこ勉強もスポーツもできて性格もそこそこよくてそこそこ人気者ですねえ」

「先生の言いたいことは分かりますよ。学生の本分は勉強だろ、恋なんかに現を抜かしてる暇ないだろ、とかなんとか言うんでしょ。どうせ」

「まあ世間一般的にはそうでしょうねえ。でも私個人の意見は違いまして、年頃の若者が恋をするのは自然なことで、それを無理に押さえつけるのは却って能率が落ちるなというのが持論です。教員の立場では言ってはいけないことなんでしょうけど」


 うづきはまた驚いた。今までありきたりな教師でしかないと思っていた式宮が意外とくだけた性格だったことに。意外と饒舌だったことに。急にそんな一面を見せたことにも。


「だったら学生は自由に恋愛した方が本人の将来にもいい影響与えるんじゃないかとは思ってるんですよ。そういう研究結果があるわけでもないので私の憶測に過ぎないのですが。しかし恋愛に悩む時間の浪費が異性と付き合うことによって解消されるならその時間を有意義に使える可能性もあるわけです。恋愛に現を抜かして勉学がおろそかになる事例もあるにはあるんでしょうけど、それもきちんと将来を見据えた人生設計を教師が示唆すればよいことであって、生徒にも明確な目標が設定できます。その目標設定こそが教師の最も重要な職務ではないかとも考えるのです。その目標に向かって恋愛する生徒同士も協力……」

「ちょ、ちょっと、ちょっと、先生! 話が全然飛んでるよ! 私、そこまで考えてないから! 美山くんが気になってるってだけの話だから!」

「ああ、ごめんなさい。私一人で考えを巡らせてましたね。私の悪い癖なんです。でも御座敷さん、ずいぶんフランクな口調になりましたねえ」

 式宮が笑みを向けた。

「え? あ……そういえばそうかも。なんだか先生の意外な一面見ちゃって、なんか友達みたいに喋っちゃった。ごめんなさい……」

「いいんですよ。私はそもそもタテ社会が苦手でね。目上、目下で対応を変える人間が鼻持ちならないんです。友達みたいに接してもらった方が私としては気がラクです」


「そういえば、先生って私達にも敬語使ってますよね? バカにしてる子も結構多いですよ?」

「それも知ってます。でも仕方ありません。これがデフォルトですから。いいじゃないですか。社会通念に反してないのならどんな口調だって。命令調は聞くのも喋るのも嫌なんです」

「もしかして、先生ってすごくいいとこのお坊ちゃん?」

「ふふふ、想像にお任せします。私の話はいいでしょう。それよりいまは御座敷さんの恋のお悩みですね。さて、どうやれば美山くんを落とせるのか」

 式宮が顎に手を当て考え込む。


「ストーップ! だからそんなんじゃないってば! 私は美山くんのことが知りたいだけで、付き合いたいとか、恋愛とかそんなんじゃないから!」


「でも気になるってことは最終的にそうなりたいってことですよ? 知ってどうするんです? 後でもつけるんですか? 違うでしょ。美山くんと一緒に登下校したり休日デートしたりみんなに付き合ってるアピールしたりしたいんじゃありません?」

「う……付き合ってるアピールはないけど……登下校は、一緒にしたい……かも」

「だからそれを世間一般では付き合ってるって言うんですよ。まずは現実を認識しましょう。御座敷さんの悩みの正体は美山くんと付き合いたい。では付き合うためにはどうするか。目標が明確になれば簡単でしょ? 成否は御座敷さん次第。うまくいけばそれでよし。ダメなら次の恋を見つければいい。余った時間は勉強に振ればいい。行動もせずにあれこれ思い悩むより効率的で建設的でしょ」

「先生って大人ですねえ。学生はそう簡単に割り切れません。恋する女のコは特に」


 いつの間にか式宮との会話が楽しくなってきたうづきだった。


「恋愛なんてのは効率と戦略ですよ。思い煩って文学作品でもものするのなら悩み抜くのも有意義とは思いますけどそんなもんは先人がすでに掘り尽くしてます。なら我々一般人は現実の恋愛に向き合った方が前向きというものです。それをこじらせて御座敷さんはリスカでもしますか? 一生独身? おばあちゃんになっても美山くんの写真を後生大事に持っておく?」

「それはヤだ。できれば普通に恋愛して結婚してお母さんになりたい」

「そうでしょう? たいていの人間はその目標に向かって仕方なく勉強や部活を頑張るんです。それもできない落ちこぼれが下手な小説書いたり絵を描いたり居酒屋政談でご高説ぶって妙な理屈こねくり回して自分は世間とは違うぜと強がってるだけなんです。そんなことしなくても普通に恋愛できて普通に家庭築いて普通な人生送れる人の方がずっと偉いんですよ」

「先生、また話がすっ飛んでるよ。そりゃ普通の恋愛はしたいけど、美山くんと……その、付き合うっていうのは、一筋縄じゃいかないと思う……」

「おや、どうしてそう思うんです? 告白すれば案外すんなりいくかもしれませんよ? 挑戦もせずに決めつけるのはどうかと思いますけどねえ」


「そりゃそうだろうけど、私と美山くんの接点なんか殆どないし、ツテもないし、お、落とすとかって全然現実的じゃないし」


 うづきが視線を逸らせて唇を尖らせながら否定的な考えを述べる。が、式宮は笑みを浮かべて軽く一蹴した。


「そんなのは御座敷さんの思い込みですよ。恋愛なんてのは実はとても簡単なんです」

「なんです? 難関大学受験マンガかドラマの真似ですか?」

「ああ、失敬。なんだかそんなノリでしたね。でも恋愛なんて大学合格よりずっと簡単ですよ。ちょっと考えれば分かるでしょ?」

「ま、まあ、大学ほどは難しくないかも……でも努力じゃどうにもなんないですよ。なんたって恋愛の競争倍率は1人だけだし」

「まあ、1人じゃない場合もたまにありますけどね……それは論外だろうから措くとして、確率は赤門よりずっと易しいですよ。言ってみれば早い者勝ちみたいなとこがあります。思い悩んでる間にみすみす獲物を横取りされるリスクを高めてるだけって気付きませんか? こうしてる間に美山くんに誰か告白して、美山くんも特に今付き合ってる彼女もいないから軽い気持ちでオーケーして、そのまま結婚までいくとは考えられません? そのチャンスは御座敷さんにも充分あったにも関わらず」


「せ、先生! じゃあ、どうすればいいんですか!?」


「やっと自分の気持に素直になれたようですね。それが明確になれば自ずと解決できます。早い話が恋愛の成否は既成事実化です」

「き、既成事実って! それ、先生が言っちゃいけないことでしょ!」

「ああ、ごめんなさい。年頃の女の子と会話してるのを失念してました。いや、既成事実っていうのはそういう物理的なことではなく、あくまでも御座敷さんの心持ち次第、要は付き合えるというイメージ力の話なんです。付き合えるかな? 付き合えないかな? なんて悩んでるより、私は美山くんと付き合える! って思い込んだ方が成功の確率が段違いなのは分かりますね?」


「それは分かるけど、でも結局は美山くん次第なんじゃ……」

「そこが違うんですよ。恋愛は奪いに行く方がずっと有利で簡単確実なんです。来もしないシチュエーションを待つよりずっとね」

「でも、奪いに行くって言っても、どうやって……いきなり告っても引かれるんじゃ」

「別に告れとは言ってませんよ。チャームの呪いを使うのです」

「は? チャームの呪い? なにそれ? オカルトとか黒魔術みたいなの? いきなり話がアヤしくなってきたんですけど」

「まあ名前はかなり怪しいですけどね。でもれっきとした心理テクです。こういうのは大仰な名前の方が効果が高いんですよ」

「で? その呪いってのは具体的にどういう? 丑の刻参りとか、難しいのはゴメンですよ?」

「御座敷さんの心持ちって言ったでしょ。簡単ですよ。毎日ノートに1ページか2ページ、美山くんと知り合いになりたい、友達になりたい、一緒に登下校したいとびっしり書き綴ればいいだけです」

「なあんだ。昔からある小学生向けのおまじないじゃないですか。期待して損した」

「おまじない。確かにそうかもしれませんね。御座敷さんの意識を変えるおまじないと言うべきでしょうか。でも、これをやるだけで御座敷さんに意識の変化は必ず起こります。ダメで元々、騙されたと思ってやってご覧なさい」

「はいはい。早速今夜から試してみますよ。効果あるとも思えないけど」

「10ページくらい書くのが理想的ですけどそこまでは言いません。勉強がおろそかになっても私が困りますし。1、2ページで充分でしょう。ある程度進んだら自然と美山くんと会話できるようになりますよ」


 話半分に聞いていたうづきだったがつい、式宮の言葉に耳を傾けてしまう。


「それが済んだら次のステップ。その頃にはノート1冊書き上がってるはずなので、それを声に出して読み上げるんです」

「え〜、そんな恥ずかしいことするの? 先生、本気で言ってる?」

「本気ですよ。ただ、そんなことはどこ周りではなかなかできませんねえ。でも大丈夫。そこまで行ったら恋愛成就はもう目の前ですから。放課後、この教室でおやりなさい。私も付き合います」


「ま、まあ先生がそう言ってくれるなら。どうせそこまで行けるわけないだろうし」

「では、決まりですね。善は急げ、早速今夜から実行しましょう。勉強も忘れずにね。あ、そうそう。ノートに書く内容は友達になりたい程度にとどめておきましょう。いきなり恋人なんて書いても成功しませんから。恋は焦らず確実に、ね」

「うん、分かった。効果ないだろうけど、なんか前向きになってきた。いろいろありがとうね、先生」


…… …… …… ……


「先生! あのおまじない、効果あったよ! 私、いつの間にか美山くんと軽く挨拶交わせるようになってた! 美山くんも私のこと憶えてくれたよ!」


「言ったでしょ。恋愛なんて本人の心持ち次第。無理と思えば無理だし上手くいくと確信してれば上手くいくもんなんです。何事もトレーニングですよ」

「うん! 私、この調子でがんばるよ!」

「勉強も頑張ってくださいね」


…… …… …… ……


「先生。おまじないのノート、もう1冊できたよ。私も美山くんとお友達くらいにはなれたと思うし、次のステップに行きたいんだけど」

「分かりました。御座敷さんも勉強真面目に頑張ってるようだし、さっそく今日の放課後からトレーニングに入りましょう」


 放課後、ふたりきりの教室で御座敷がノートを手に教壇に立つ。

「う〜……ホントにこんな恥ずかしいこと声に出して言うの?」

「ええ。それが恥ずかしくなくなれば美山くんを落とすのはもう目の前です。ファイト」

「えーい! 私は美山くんと友達になりたい! 私は美山くんと仲良くなりたい! 美山くんと一緒に登下校したーい!」


「ぜえぜえ、あー、恥ずかしかったあ〜」

「よく頑張りましたね。しかし恥ずかしい間はダメですねえ。なに、あと少しの努力ですよ。一緒に頑張りましょう。あと勉強も忘れないでくださいね」


「うん。先生にも遅くまで付き合せちゃってごめんね」


…… …… …… ……


「式宮先生、いま、お一人ですか?」

「おや、御座敷さん。どうしたんですか? 放課後に一人で。美山くんと付き合いはじめたんじゃなかったのですか? 一緒に帰らないんですか? それとも忘れ物?」


「えへへ……美山くんとは、別れちゃった」

「え? どうして。おまじないの効果はあったはずですよ? 美山くんが御座敷さんを振るとは思えないけどなあ」

「ううん。私の方から美山くん振ったの。なんていうか、思ってたのと違ったっていうか」


「いざ付き合ってみたら、思い描いてた理想とはかけ離れていたと」

「うん。なんか、付き合いだしたら急に俺様になって自慢したがるし、体求めてくるし、話す内容とか、考えとか、薄っぺらくて子供っぽいなっていうか」


「学生なんだからそれも当然のような気もしますけどね。でもそこが許容できなかったと」

「うん。なんかね、私、気付いたんだ。私はもっと私の本質を好きになってくれる人を求めてたんだって。一緒に帰ったり体の繋がりとかじゃなくって、心っていうか、私を本当に理解してくれる知的で大人な男性が好きなんだなって」


「そうですか。では、御座敷さんが少し大人になったということで、この恋は美しく終わったわけですね。じゃあ、これからは大人の恋のために勉学にでも打ち込みますか」

「うん、そうする。今のうちからしっかり勉強して、大人な男性と釣り合う私になる。先生は私のつまんない悩みを真面目に聞いてくれたよね。それをきちんと解決してくれて、私のトレーニングにも根気よく付き合ってくれて、私の勉強の心配までしてくれてた。私の将来のことまで」

「私は受け持つクラスの成績を心配しただけですよ。結果的に御座敷さんの相談に乗った形になっただけです」

「うん、そうなんだろうね。先生は、大人だからそうしたんだよね。じゃあ、その大人な先生は可愛い生徒が一人、夜遅く下校するのを黙って見ていますか?」

「それはいけませんね。事件にでも巻き込まれたら私の責任が大いに問われる。では、担任として自宅まで責任を持ってお送りしますよ。うづき姫」

「校舎を出たら、男と女だからね……な〜んてね」


 2人は教室を後にした。教卓にしまわれた式宮のノートにはびっしりとこう書き込まれていた。

『私は御座敷うづきと付き合いたい』『私は御座敷うづきと関係を持ちたい』『私は御座敷うづきをヤリ捨てたい』と。


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