いつか咲く君に SIDE B 〜エピローグ〜
地元の商店街の一角にある、ちょっとお洒落で古風な喫茶店。店内は大した飾り気もないのに昭和レトロなムードが漂い、ここだけが社会から隔絶された空間のような気になる。このムードが気に入って俺と野瀬さんはしばしば落ち合い、この店で互いの近況報告、ついでに機甲兵器バンダムという国民的ロボットアニメについて野瀬さんから延々話を聞かされるのが恒例になっている。ま、根気よく付き合ってる俺もまんざらではないんだが。
そんなありふれた日常に過ぎないのだが、今日は少しばかり勝手が違う。俺はこの店に一人居座り、かれこれ1時間近く待ち合わせた人物を待っている。正直言って落ち着かない。なんでこんなことになったのかもよく分からない。一服して落ち着きたいが店内禁煙なのでそれもできない。コーヒー1杯で心を落ち着けるのにも限度がある。
新しい雑誌で小さなイラストの仕事をこなすようになってからはや2年が経った。その間、俺と野瀬さんは月に1、2度、ここでの歓談を楽しみにしていたのだが、野瀬さんもいよいよ次の就職が決まり、新しく創刊される雑誌の編集部に入れることになった。それはまあめでたい。
で、野瀬さんはその雑誌のイラストレーターの一人に俺を指名してくれた。それもまあめでたい。ちょっと大きな仕事でプレッシャーもあるが、2年間、厳しい環境で揉まれてきたので自信もそこそこ付いた。それもまあまあめでたいとは言える。
んで、野瀬さんと俺の祝賀会を2人でやろうと相成った。それもまあいいだろう。が、野瀬さんはその席にあろうことかうっちゃり八兵衛、いや、今は出戻り八兵衛か。まあ、その八兵衛を招待すると言い出した。は? なんで? どういう経緯で? もちろん俺は疑問を呈したが野瀬さんは会った時のお楽しみとか言ってもったいぶること甚だしい。気持ちは分かるが。
いや、俺とて八兵衛を招待するのはやぶさかではない。あいつには色々助けてもらった。とはいえ、俺の仕事する雑誌に投稿してただけなのだが。それでも雑誌の大事な安定購読者様だ。あいつの投稿作品は俺も楽しみだったし、いい刺激にもなった。煮詰まった時はインスピレーション与えてくれたりもした。俺もあいつに会って聞きたいことの1つや2つはある。が、いざ会うとなると何を話せばいいのかサッパリ分からん。そもそもあいつは何のために俺に会いに来るのか。
いや、なんとなくだが分かる気がする。社会人としてまず謝罪から入るのが常識だろう。お前の絵、パクりました。ごめんなさい。いや、こんな態度では相手をつけ上がらせるな。いや〜、お前の絵をちょっと拝借しちゃったよ〜、慰謝料とか無粋なことは言わないよな? ……ダメだ……相手の神経逆撫でするだけだ。
あるいは俺がサクラやってたことを難詰するつもりではあるまいか? アンタ、プロとして恥ずかしくないのか、てな具合だ。うん、プロとしてやってきた恥ずかしいことはナンボでもあるぞ。ありすぎて何言われても思い当たる自信は結構ある。
いま思い出したがそもそも俺は人間嫌いだった。野瀬さんみたいなできた大人とはまあ会話できるが、人見知りは激しいし、素性のよく分からん奴とはまともに会話できた試しがない。
いかん。あれこれ想定してたらだんだん怖くなってきた。緊張しすぎてコーヒーカップ持つ手がカタカタ震える。だいたい野瀬さんはいつの間に八兵衛とコンタクト取ってたんだ? 読者の個人情報を私的に使うのは違法じゃないか? いや、八兵衛にしたって遠く離れた地方からわざわざ俺に会いに来て何が楽しいんだ?
野瀬さんのお祝いはしたいし、八兵衛にも興味ないわけじゃない。でも、俺とあいつはなんか似てる気がする。だったら実際会ったりしたらお互い嫌な気にしかならないんじゃないか? 俺も俺みたいな奴と同席したら嫌な気にしかならないと思う。うん、やっぱりあいつとは会わん方がいいな。2人には悪いけどもう帰ろう。俺には向いてない。さっさと会計済ませて店を出よう。で、今日はスマホの電源切ってカプセルホテルで一泊しようそうしよう。
俺がそう決心し、伝票持って席を立つのとほぼ同時、店のドアの開く鐘の音がした。しまった! タッチの差で遅かった。ドアから入ってきたのは野瀬さん。その後に続いてドアを潜ったのは……齢は俺と同じくらいだが、俺とは似つかぬ、やたら体格のいいがっちりした男。あれが八兵衛なのは想像に難くない。その八兵衛らしき男は店内を見回し、俺の顔は知らないはずなのに、俺と目が合うと人懐っこい笑みを浮かべた。その瞬間、俺のさっきまでの不安はすべて霧散した。




