狂言回し ~終幕~ 四ノ段
巡業は予想を上回る好評を博した。ゆく先々では一座の到来を今か今かと待ち構え、舞台は連日大盛況。面白いほどカネが落ちてくる。自分たちのような田舎の一座が江戸に乗り込んでは恥をかいて終わるだけではないのかという不安もとうに消し飛んでいた。半助に至ってはもう自分が江戸の花型役者になる将来は約束されたものと思っていた。
が、いよいよ江戸へと乗り込んだ時にそれは起こった。一座は突如奉行所にひっ捕らえられ、詮議を受けることとなった。その理由が、一座が将軍のご落胤を騙り不逞浪士を集め城下の治安を乱すというものだった。考えられないほどおかしな話である。
最初は誰もが事態を楽観していた。そんなバカな真似をして得られるメリットなど何もない。一座の役者がご落胤などと信じる者などいるはずもない。ましてやそんな不逞の輩が正式な手続きを取って江戸の城下に入り込んでくること自体おかしい。
こんな誤解はすぐに解けると皆が高をくくっていた。が、不思議なことに奉行所はこの一件を厳しく追求した。裁きに当たった稲生下野守の詮議は特に厳しく、まるでクーデター計画が本当にあるのではないかと思うほど執拗に追求。頼みの綱の紀州藩は知らぬ存ぜぬを決め込み、興行に協力してくれる手はずだった江戸の歌舞伎座もなぜか口を噤んだ。
苛烈な取り調べは半年以上にも及び、年が明けた享保14年、天一坊一座は江戸に孤立無援となり、主だった者はことごとく死罪にされた。半助も訳も分からぬうちに失意の中、首を斬られた。
「以上が、天一坊事件の始末にございます」
稲生下野守が言いながら三宝に載せた報告書を差し出す。
「ご苦労。して、其の方が使った隠密は、なんと言ったかな」
「ああ、名も無き男にございます。一座では猿阿弥と名乗っていたとか。本名までは私も知りませぬ。なにしろ隠密ですので」
「いや、名はよい。此度は比類なき働きをしたようだが、秘密が漏洩することはあるまいな?」
「それは心配いりませぬ。多少、噂好きの町人の口の端に上ることもありましょうが、自身の仕事を漏らすようなことはありますまい。忍はそれが生業ゆえ」
「そうか。もう、下がってよい」
稲生正武が平伏して退室する。
人の口に戸は建てられぬ。とはいえ、企みが漏れたところで構いはしない。いや、むしろある程度は漏れた方が都合がよい。生贄となった天一坊一座には気の毒ではあるが、我が身の不幸を嘆いてもらうより仕方がない。田舎の人気一座で満足しておればよいものを、いらぬ欲をかいて江戸まで上ってきた己の浅慮よ、と。
江戸城下の歌舞伎座では忠臣蔵に着想を得た演目が相変わらず流行っている。幕府の権威はすでに地に墜ちている。世継ぎの家重は病弱で決断力もない。これで吉宗公に何かあれば紀州でお家騒動が起きても不思議はない。薩摩や長州の不穏分子と結託しないとも限らない。が、今回の沙汰で少なくとも旗本の子息に収まっているご落胤たちが妙な行動に出る懸念はある程度は払拭された。劇団の者でさえ死罪にするのだから、本当に事を起こした場合、どうなるかはいかに愚かな人間でも想像くらいはできるであろう。
この一連の謀略の絵図を書いた越前守はひとつ、肩の荷を降ろした気分だった。
なお、この天一坊事件も後世、歌舞伎の演目のひとつとなり、これを裁いたとされる大岡政談もまた人気演目のひとつとなったのは皮肉と言うより他はない。




