狂言回し 三ノ段
天一坊一座の新たな演目「暴れん坊お殿様」は猿阿弥が言ったとおり当たった。初日こそまばらな客入りだったが、目新しい演目が口コミで話題が広がるのにそう時間はかからなかった。一座の舞台は回を重ねるほど盛況になっていった。
猿阿弥の書いたこの演目が優秀だったのは、少し手を加えるだけでいくつものバリエーションができる。これにより客は日によって違うストーリーを楽しむことができる。それが開演まで明かされないので射幸心を煽る。更に分かりやすい内容のため時間もかからず回転率も高い。その分値段も低く設定でき、芝居好きな城下の庶民はこぞって銭を落とした。
この人気には主演を張る半助のサイドストーリーも一役買った。役者が将軍様のご落胤などと信じる者などもちろんいない。が、美男の半助がご落胤を演じるだけで艶がある。それがクライマックスでは悪人相手に大立ち回りをするのだから女衆は放っておかない。
似顔絵や銘入りの小道具も飛ぶように売れ、一座はたちまち持ち直した。ちなみにこの関連グッズの販売も猿阿弥のアイデアである。江戸ではこうして勧進元と提携しているとの事だった。
心配していたお上からの注意もささやかなものだった。なにしろ取り締まる役人も舞台を楽しんでいた。経済政策で一向に成果を上げられぬ幕府を、演目に登場する悪代官に誰もが仮託していた。
一座の売上は回復どころか以前以上になったが、役者の半助はどうにも物足りない。この演目では役者の腕前の披露のしようがない。目新しさ、分かりやすさ、話題性のみで盛り上がっているきらいがある。この盛り上がり自体、どこかお芝居じみているような気がした。しかしそんな贅沢が言えるのも人気があるからこそであり、それ自体は否定はできない。少し前では考えられない客の入りだったのだから。
そんな盛況となり一座は各地で引っ張りだこ。紀州全域を回り、評判が評判を呼び岐阜や甲州にまで招かれ、興行の売上は田舎の一座には不釣り合いなほどのものになった。座長の赤名は猿阿弥を正式な脚本書きとして抱えようと打診した。が、
「興行は水物。いっときはよくても悪くなるのもあっという間です。あたしだってこんなに当たるとは思ってませんでした。今後のためにも稼げる時にしっかり稼いでおきましょう。景気のいい時ほど慎重に、ですよ」
などと泣かせることを言って固辞した。さすがにそれでは済まないので報酬くらいは包んだが、仕事の成果としては微々たるものだった。
翌享保13年。各地で評判になると一座の気持ちも大きくなり、赤名は一大プロジェクトをぶちあげた。それは東海道を上りながら巡業し、江戸で仕上げの興行を打つというものだった。これには江戸の歌舞伎座も協力してくれるらしく、凝った仕掛けの使える劇場まで貸してくれるという。夢のような話だが、これにも猿阿弥が一枚噛んでいるらしい。江戸の歌舞伎座とも繋がりがあるという猿阿弥が差配していると考えれば合点もいく。失敗のリスクもなくはないが、今までの実績を考えればさほど心配する必要もないと思える。それよりも江戸の城下で興行を打つというのは役者たちには抗い難い魅力がある。
特に半助の興奮は大きく、田舎役者に過ぎない自分が江戸の舞台に立つというのは天下を取るようなものである。あわよくばそのまま江戸の一門に迎えられるという下心もなくもない。
なにより、吉宗公のお膝元で自分がそのご落胤を演じるというのは皮肉も効いていて小気味いい。なにやら吉宗公にささやかな復讐でもするような痛快さがある。
半助はじめ一座に反対の声はほとんどなく、旗揚げ以来の一大巡業が挙行されることと相成った。