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厠倶楽部  作者: 厠 達三
21/120

狂言回し ニノ段

 猿阿弥の書いた演目はこれまでにない勧善懲悪活劇もの、題して「暴れん坊お殿様」 さるお殿様のご落胤が庶民に身をやつして悪者を成敗するという分かりやすいもの。この内容にはさすがに一座の者も苦笑を禁じ得ない。登場人物の名前はデフォルメされてはいたものの、どう見てもこれは吉宗公の噂をパロったものであるのは誰が見ても明らかだった。


 実際、吉宗公は若い時分に腕っ節で鳴らしつつ、遊び好きでもつとに有名。流した浮名も数知れず、藩主になってからも女中に手を付けたというような噂が立つほどの壮健ぶりだったらしい。

 また吉宗公が将軍職に就いた頃、旗本の養子縁組が盛んに行われていたことも重なって、吉宗公のご落胤のもみ消し工作ではないかという噂がまことしやかに囁かれてもいた。

 真偽はともかく、ご落胤はそれなりに将来を優遇される。半助とて自身の父親が吉宗公であれば今頃は旗本の跡継ぎにでも収まっておったのに、と、無駄な想像をしてしまうことも一度や二度ではない。


 しかしこれは分かりやすくはあるものの、舞台としてはどうにも扱いにくい。役者の腕の見せ所でもある情感の盛り上がりも見せ場も乏しい。山場といえば悪を成敗する剣劇シーン程度。子供だましと言われてしまえばそれまでである。しかし猿阿弥は自信たっぷりに言う。

「いやいや、今の時代はこれくらい分かりやすい方がいいんですよ。不景気で鬱憤のたまってる庶民はお涙頂戴の世話物より、悪いやつを叩いてスカッとしたいんでさ。これは上方でも江戸でも一緒。見てきたあたしが言うんですから間違いありません。それが証拠に江戸では忠臣蔵が定番じゃあありませんか」


 その理屈は座長の赤名に限らず、一座の大半の者にも分かる。天一坊一座の規模では忠臣蔵のような大掛かりな演目はできぬ。劇団の規模に見合った演目を書くのも脚本書きの腕である。その点で言えば猿阿弥は確かな腕を持っているとは言える。猿阿弥はさらに畳み掛ける。

「それに今までずっと同じ演目で客の入りもよくなかったんでしょ? この一座の役者も勧進もあたしの見たところそうまずいわけじゃない。いや、お世辞でも何でもなく、京や江戸の一門と比べても遜色がない。これはもう演目がありきたりだからとしか言いようがない」


 ここまであからさまに持ち上げられては一座としても異は唱えにくい。まして猿阿弥の主張は的を射ている。なにか新しいことをやらねばという意識は皆の心中にあった。猿阿弥はさらに続ける。


「あとここが重要なんですけどね、あたしがこの演目を書いたのにはもうひとつ狙いがありまして、この一座の花型は半助さんってのが味噌なんですよ。聞けば半助さんのお母上は和歌山城に奉公してたというじゃありませんか。その半助さんがこのお殿様のご落胤を演じる。すると客は半助さんに吉宗公のご落胤を投影するって寸法です」


 その狙いも分からなくはない。興行は話題性も重要になる。事実はともかく役者にそのようなサイドストーリーを持たせて客を呼ぶ手法は手垢が付くほど行われている。多少、お上に注意はされるかも知れないが、舞台の設定ならそう目ざとく指摘されるほどのことでもない。


 結局、猿阿弥の熱意と演目の目新しさ、規模が小さく稽古も容易ということもあり、この演目が披露される運びとなった。


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