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厠倶楽部  作者: 厠 達三
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狂言回し (全四段)

朝の時代劇を見てて適当に思いついただけです。深く考えないで下さい。


参考書籍  殺された天一坊  浜尾四郎 氏著 


 享保12年、紀州の小さな劇団、天一坊一座は存続の危機に瀕していた。元禄バブルも今や昔になりにけり、享保の改革による財政引き締めによる収益の悪化。加えて上方歌舞伎の勃興と、江戸では大掛かりな舞台装置を使った歌舞伎が話題となり、田舎芝居のマンネリ化する演目にカネを落とす庶民もめっきり減った。


 このままでは次の興行も打てぬ、と、座長の赤名膳蔵は皆の前で言った。もちろん、納得できる一座の者など一人もいない。特に最近、主役にも抜擢され始めた役者の半助には受け入れられるわけもなし。長い下積みを経て上の役者が年齢を理由に退き、やっと自分にお鉢が回ってきたと思った矢先にこの話である。


 母親は和歌山城の奉公に上がったほどの美貌の持ち主で、なるほど息子の半助もその美貌を受け継いだ美男子であった。若い頃から気風もよく、女衆の注目の的となれば役者を志すのも無理もなく、ゆくゆくは江戸に上って歌舞伎役者になりたいという野心もないではない。

 しかしその和歌山城から立身し、今や天下の将軍様、吉宗公の御政道で一座の存続が危ぶまれるとは何たる皮肉か。


 ちなみに半助の父は分かっていない。奉公先の和歌山城でお手つきとなり、職は解雇されたものの藩からは充分過ぎる手当を頂いていたので生活に困ったことはない。よくある女中の人情話ではある。しかしその母を14の頃に亡くした半助としては恨みのひとつも持ちたくなる。紀州を踏み台として将軍にまで昇り詰めた吉宗公にはなんとも言い難い嫉妬心も湧く。江戸に上って舞台に立ちたいという野心の根源もそこにあると言えなくもない。


 巷では家康公以来の名君との誉れ高い八代将軍ではあらせられるものの、その実、足下の不況、汚職、果ては飢饉に政情不安といった内患をごまかすためのプロパガンダであるのは公然の秘密である。特に経済対策とされる倹約令は庶民にはことのほか評判が悪い。そんな事情もあり、地方の商売、娯楽があおりを食うのは日本全国どこでも見られる光景であり、天一坊一座とてその例外ではない。なにゆえ自身の夢が吉宗公ごときに邪魔されねばならぬのか、半助は憤懣やるかたない。


 将軍職に就いた時こそ庶民の人気は高かったものの今ではすっかり凋落し、幕府に向ける人々の目は厳しい。

 吉宗公の掲げる質素倹約は経済政策として失敗ではないのか、そう訝る庶民は少なくない。江戸では目安箱なるものが設置され、庶民の声をすくい上げているなどという美談もあるが、お笑い草としか言いようがない。目安箱など室町以前からあった人気取り政策のひとつに過ぎぬ。懐古趣味の域を出ておらず、また、都合のいい政策はその目安箱の案を元にした、などと言えば反発は少ないし責任も回避できる。そうした小細工に過ぎないのは誰が考えても明らかなのである。そんな誰が考えても明らかな小細工に縋らざるを得ないのが今の幕府の窮状を端的に示している。


 それを裏付けるかのように天一坊一座の舞台はガラガラ。これなら舞台などやらない方がよいと言えるほどの閑古鳥だった。定番ともいえる妹背山婦女庭訓、吉野川の段、半助も悲劇の久我之助を熱演したものの、景気が悪くては見てくれる客もいない。これはいよいよもって一座の解散も避け難し、と、皆が覚悟を決めかけていた。


 そんなある日、ふらりと一座を訪ねたる者あり。演目を書くので雇ってほしいとのこと。その猿阿弥なる男、江戸の歌舞伎座に顔が利き、上方でも何本か演目を書いたことがあると言う。もちろんそんな売り込みには何の保証もない。しかし不況の中、好き好んで地方の劇団に売り込むのも奇特な話ではある。聞けばその猿阿弥が言うところ、各地で地方の一座が潰れゆく様を目の当たりにし、なんとか自分の力で食い止めたいとのことだった。その熱意は分からなくもない。

 座長の赤名は駄目で元々とその売り込みを受けることにした。近松の太平記は言うに及ばず、お江戸の世相を演目にするのは禁止されており、それを上手くごまかすのが脚本の手腕である。史実を架空に織り込み、客にそれとなく分からせるのがよい演目とされ人気も高い。ただし、そんな演目が書ける者は限られており、よほど大きな劇団ならお抱えの脚本書きに書かせて自前で演目が用意できるが地方の一座はそうはゆかぬ。都市部で人気の演目を焼き直すのが通例である。

 もちろん小さな一座に脚本書きを抱える余裕などない。しかし猿阿弥はそれでよいと言った。寝泊まりと飯さえあれば報酬などいらぬ、自分の演目が舞台で演じられればそれでよいのだと。そういう者は役者にも少なくないので特段珍しい話でもない。


 かくして天一坊一座の__あと何回できるか分からないが__覚悟の興行は猿阿弥の書く演目でいくことに決まった。


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