自殺者の死に戻り 終章
前の人生で経験した通り、世界的パンデミックが発生。もちろん俺はその事態に備えていたので会社はほぼノーダメ。さすがやり手社長と従業員が驚いているが俺の気は全く晴れない。俺が自殺したタイムリミットがもう目の前、つまり数分後まで迫っている。あと数分で俺が前の人生で自殺した時刻になる。
俺は郊外に買ったセーフハウスにて1人、その時がくるのをビクビク怯えながら待っている。
この2年間、俺は出来うる限りのことをやった。俺がいなくなっても会社が存続できるよう手配した。遺言書も作成して相続で妻子が辛い思いをしないよう極力配慮した。死に際して考えうる後始末は全てやっておいた。でもやっぱり死にたくはない。もっと生きていたい。妻とこの先もずっと一緒にいたいし、子供にももっと愛情を注ぎたい。でも、前の人生で俺が自殺した事実は変えようがない。できるのはタイムリミットに何も起きないことを祈るのみ。何事もなく今日を終えて、今の俺の足掻きが笑い話になることを願うほかない。もし神様がいるならもっと俺に人生を続けさせてくれと懇願することだろう。いや、誰だって死にたくはない。
誰しも死にたくはないけど、死を回避できる人間なんていやしない。俺が特別なのは前の人生で自殺したものの、今こうして人生をやり直していることか。それとも俺だけが特別なんかじゃなくって、誰しも死んだあと、人生をやり直してるのか? じゃあこの世界は、宇宙は、人の数だけ存在するってことか? いや、そんなこといくら考えたって分かるわけないんだが。
俺にできるのは俺が自殺したあの日、あの時、この人生で何事も起きないことを祈るのみ。ここ2年間、健康に留意してきたが命に関わるような疾患はない。死ぬとしたら病気の線はない。
だとすれば事故か犯罪か。そうなると最期の時とはいえ妻子の傍にいるわけにはいかない。妻にはパンデミックに関して1人で考えたい、と、もっともらしい理屈をつけてセーフハウスへとやってきた。1人ならばどんな事故や災害でも妻子に累が及ぶことはないだろう。
それでも怖い。俺が手に持っている時計は残酷に時を刻む。刻一刻、確実に俺が自殺した時刻へと近付いている。正確な時間は分からないが、もう間もなくのはずだ。今日一日を何事もなく乗りきれれば、またいつもと同じ日常が続くはずなんだ。早く帰りたい。帰って妻子を抱きしめたい。そしてこのセーフハウスを別荘とか言って笑い話にしたい。もし神様がいるなら助けてくれ。
頭から毛布をかぶり、部屋の隅に座り、ガタガタ震える手で抱えた時計を凝視する。そんな状態のままもう何10分が経過しただろうか。いくら何でももう自殺の時刻は過ぎたんじゃないか? もう日が傾く頃合いのはず。俺が自殺したのは昼下がりの午後、夕方ではなかった気がする。じゃあ、俺は助かったのか? このやり直し人生を続けてもいいってことか?
そう、安堵した瞬間だった。
突如、眼前に地面が猛スピードで迫ってきた。
ああ、そういうことか。俺は人生をやり直してなんかいなかった。あれは全て、俺の脳が死の間際、一瞬のうちに見せた幻だったのか。もしかするとあれは、ありえたかもしれない俺のもうひとつの人生だったのかもしれない。でも、悲しいかな現実はこっちだった。
何かの本で読んだ。全ての命は宇宙にも等しい、と。その命を自ら断つなんて大罪だ。そんな大罪人が人生をやり直す資格も、幸せになる権利も与えられるわけがない。
いや、待て。その本はどこで読んだ? 俺がやり直した人生で読んだんじゃなかったか? じゃあ、その本も俺の脳が生み出した幻?
ああ、もう地面と激突する。何も分からない。何も考えられない。ただひとつ言えることは、自殺なんかするんじゃなかった。
〜了〜




