一緒にいよう 2
第1章の最終話です。
全員を見送った後、行くあてのない優莉は、再び団長室に呼ばれた。
そこにはアイゲル、ルースの他、アレン夫妻だけしかいなかった。
優莉は口にはしなかったが、不安で胸がいっぱいだったのだ。このまま素性の知れない自分は、この砦から放り出されるのではないか、と。自分に出来ることは家事をするくらいしかないが、ここに置いてもらえるのなら何でもやるつもりだった。
でも一番は、レティアと別れたくなかった。迷惑を掛けてしまうが、レティアとアレンの傍は、とても呼吸がしやすいのだ。そこまでを望むのは、高望みが過ぎる。優莉は、せめてこの近くでひっそりと暮らせたらと願う。
それをいつ切り出そうか迷っているうちに、アイゲルが重く口を開いた。
「皆を見送ってくれたそうだな。礼を言うよ」
誰に頼まれたわけでもないが、優莉は自分が出来ることを見つけて動いただけだ。見送りも自分がやりたかったからやったのだ。それに礼を言われるのは、少し心苦しかった。
はにかんで、「いいえ」と言った優莉を、アイゲルは優しく見やる。
「ところで、君のこれからだが」
いよいよその話題となり、優莉は身を固くした。それを見て、アイゲルが小さく笑いを含んだように息をつく。
「君ならば、引き取り手が列をなすだろうが、私から一つ提案したい」
アイゲルの言ったことはまだ良く分からない単語があったが、その口調は優莉を悪いようにしないように思えて、素直に頷いた。
「そこにいるアレンとレティア殿の所へ行く気はないか?」
優莉は、自分の耳に入って来た言葉を疑った。自分の願望がそのまま聞こえてきたからだ。
瞬時に反応が出来ずただアイゲルを見つめてしまったが、困ったようにアイゲルが咳払いすると、レティアが歩み寄って来た。
「ユーリ。あなたさえ良ければ、私たちと一緒に暮らしてみない?」
そっと手を取られ、優莉は呆然とレティアを見つめる。
「これはアイゲル様に頼まれたとか、同情したとかそういうことではないの。私からアイゲル様にお願いしたのよ」
まだ、その言葉が信じられず、優莉はただレティアを見つめた。
「ユーリは、もう帰れないほど遠い異国から連れてこられて、とても辛い思いをしたかもしれないけど、私たちはそのおかげでユーリと出会うことができた。私はそのことを神に感謝している」
レティアの女性にしてはしっかりとした手が、優莉の柔らかな黒髪をゆっくりと撫でた。
「私たちの子供になって」
その言葉が優莉の心の奥まで染み渡った。そう思った途端、両目から涙が溢れて止まらなくなった。止めようとするが、次から次へと零れ落ちる涙を乱暴に拭ってレティアを見つめた。ここに来る前は、両親の死を悼む以外、思い出せないくらい遠い昔にしか自分のために泣いた記憶はなかったのに、随分と涙もろくなってしまった。
「わたしは、父も母も、知らずに育ちました。その後、わたしを引き取ってくれた両親もわたしを置いて死んでしまいました。わたしを好きになってくれた人にも会えなくなってしまった。わたしはまた置いていかれてしまうんじゃないかって……」
温もりを与えられて、また奪われるのは嫌だ。その気持ちをレティアは欠けることなく理解しているようだった。一瞬レティアは、息を飲むような表情をしたが、アレンと顔を見合わせるとすぐに笑顔になった。
「私たちの命ある限り、あなたを一人にはしないわ」
「ユーリの信じるものに誓うよ」
アレンが傍に寄って、そう言ってくれた。
微笑んだレティアとアレンの顔は、涙で歪んで見えなくなった。でも、そこには優しい顔があることを知っている。
「一緒に行きたいです」
優莉は、レティアの温かさに縋るように抱き付いた。レティアも優莉の小さな体を抱きしめる。
皆が、出会ってからの時間や血が家族の条件ではないことを知っていた。
優莉は差し伸べられた手を迷わず掴んだのだ。
その光景を見て、もらい泣きをしたアイゲルにルースがハンカチを差し出すと、盛大に鼻をかまれてしまい、感動の雰囲気がぶち壊しになったが、それすらも明るい笑いとなった。
旅立つ親子三人の姿に、見送る砦の人間が声を掛ける。
「アレンの家は遠くない。いつでも遊びにおいで」
近隣の安全を守る騎士が、そんなことを言っていいのかな、と優莉は思ったが、ここへはまた来たいと心から思った。
「はい。皆さん、ありがとうございました」
優莉の屈託のない笑みは、花が咲き綻んだかのような印象を与えた。はあ、というため息があちらこちらから聞こえる。それをアレンとレティアは苦笑して聞こえないふりをした。砦の歩哨や窓などの至る所から手を振られ、それに優莉は律儀に応えて手を振り返す。
「娘が出来た途端に、悪い虫を追い払いたい気分になるのは複雑だ」
「あら、あなたの目に適う男性はいないの?」
「王子殿下が望まれてもやらん」
アレンが、さっそく親バカぶりを発揮していることなど気付かずに、優莉は挨拶で手を振るのに忙しかった。全部の人間に挨拶をしていたら優莉の手がもげてしまうので、アレンは優莉が気付かぬようにそっと視界から騎士どもを隠す。あちらこちらから嘆きが聞こえるのを無視して、自分の馬の前へ優莉を座らせると、マントで優莉を包んで一瞥もせずに馬を進めた。それを見て、レティアがクスクスと笑う。
去っていく後ろ姿を団長室の窓からアイゲルとルースが見下ろす。
「嵐のようだったな」
「ええ。あの娘をこの砦で雇え、という兵士や騎士の嘆願をはねのけるのにこれほど苦労するとは」
ルースの普段は見せない辟易と言いたげな様子に、アイゲルは苦笑を漏らす。歳が一六歳と聞いてもっと幼いと思っていた面々は驚いたが、この国では結婚していてもおかしくない年齢であり、そんな優莉をこんな男だらけの場所に置いておくなど、飢えた猟犬の中に極上の野兎を置いておくようなものだ。とても安心していられない。
だが、あの少女は、別の意味でも安心というか、野放しにすることが出来ない要素を持っていた。
あの色彩に魔力の片鱗を持ち、異国から攫われてきたという。同時に黒竜の出現も疑われるのであれば、もしかするとあの少女は、黒竜を媒介とした邪神召喚の生贄にされるために攫われて来たのではないか、と。
その懸念が正しければ、国どころかこの大陸全土を巻き込んだ惨劇になる。
本人はいたって善良であるが、望むと望まざると関わりなく、人類の脅威となる可能性もあった。だから、監視とまではいかずとも、それなりに保護が必要であった。
その点については、アレンとレティア夫妻は最適と言える。
優莉が自らの身を守れるように、あらゆるものと戦える術を教えることが出来るからだ。
二人とも、元は国に冠する高名な騎士であり、剣技はもちろんのこと魔法にも造詣が深い。更に言うなれば、その心根も高潔で、ある事情がなければ国が手放さないほどの人物だった。
ある事情というのは、レティアの病だ。
今日明日を論じるものではないが、確実に病魔はレティアを蝕んでいた。
その多大なる功績から、夫婦は環境の良い辺境に下がることを許され、今はいつ訪れるか分からない最期の時を静かに迎えているところだった。
そのレティアが、優莉を引き取ることを申し出たのだ。自分たちは子をもうけることは出来なかったが、最高の子を得ることが出来たと。
出立の前日に、そのこと全てを優莉に話したという。優莉はすべてを承知したうえでレティアと共にいることを選んだ。
そして、優莉が負うであろう危険も含めて全てを理解し、三人は家族となったのだ。
「ルースよ。私は思うのだ」
アイゲルは、決心を尋ねた時の少女の言葉が忘れられなかった。
もしかすると、苛酷な運命をたどる可能性があることに、恐れは無いかと問うた。すると少女は、可憐に微笑んで言った。
人の心が勝手に憎しみや恐怖を生むから辛いだけで、本当は世界は優しい、と。
優莉は、だから今自分にできることを精一杯するだけで、後悔はしても恐れは抱きたくないと言うのだ。
年甲斐もなく心が高揚するのを感じた。人生を重ねた自分がそう思うのだから、その場にいた者はもっと深い感慨を受けただろう。
アイゲルは、「聖女」という単語を思い起こした。この国の言い伝えにある聖女は、優莉と同じく黒髪黒目をしていたという。人々を癒し、また勇気を授け、この国を魔族の脅威から救ったと言われている。
その聖女も、きっとこのように人の心を動かす人物だったのだろう。この者になら命を捧げていいと思わせる人間は確かにいるのだ。
そこに居合わせた人間は、優莉に何事かが起きれば、その身を捧げることを厭わないほどの深い敬愛を一人の少女に抱いた。
だから思う。
このまだ稚い少女に、世界が本当に優しくあるように、と。
生きづらい世の中になっても、それは世界が変わった訳じゃなくて、我々人間が変わってしまっただけなんですよね。その中でいかに楽しく生きられるかは、やっぱり人の心の在り様だと思います。
本業の残業つらーい、と思うのも作者が心弱いせいです。
楽しいと思えば楽しいのです!
気を取り直して。
次からは、もう一人の主役が出てまいります。
こちらもいろいろと苦労の絶えぬ御仁です。
閲覧ありがとうございました。




