王子と貴公子
前話に続き、暴力、流血表現があります。
「ユーリ待っていろ。すぐ始末をつける」
怒りに染まるリドワールは、まるでユーリの知らない人間かのようだ。抜き身の刃に壮絶な凍気を纏わせ、淡々と命を奪う言葉を紡ぐ。
リドワールが一瞥するだけで、その他の男達は震えあがった。そして本能的に逃げ出そうとし、路地を大通りへ向かって走り出した。だが数歩もしないうちに、男達は走ることが出来なくなり、地面に倒れた。
リドワールは動いていない。が、男達は足と腕の腱を切られ、まともに立ち上がることが出来なくなっていた。誰かが男達の動きを封じた。だが、その太刀筋など、ユーリには少しも見えなかった。
「逃がすか」
声の主はレオンだった。軽薄な話し方など知らないかのような冷ややかな言葉に、彼もまた深い怒りに身を焦がしていることを知る。
「俺の部下をやったのはお前か?」
腕を失った男に、レオンが剣を振って血糊を落としながら歩み寄る。ロランの手を砕いたのが誰か、ロランの倒れた位置から容易に推察できたようだ。男はもはや声を発することもできず、言葉にならない喘鳴のような呼気を吐き出すだけだった。
「言え、何をするつもりだった」
「ぎゃああぁ!」
レオンの言葉の後に男の絶叫が再び響いた。レオンは自分の剣を跪いた男の腿に突き刺し、軽く刃を捻ったのだ。おまけにリドワールは、またしても血が出ないように、レオンの剣に冷気を纏わせている。二人とも整った顔だけに、その冷たい表情はどこか人形めいて恐ろしかった。
これがこの国では珍しくもない光景だと知ってはいたが、荒ぶる二人の姿にユーリの心が痛んだ。自分が迂闊でさえなかったら、この二人が人を傷付ける必要は無かったのだ、と。
「ま、待って。お願い、レオンさんもリドワール様も待って!」
並んで男を拷問している二人の前に出て、身体をぶつけるようにして二人を男から遠ざけた。もうこんなことはやめてほしいと、切実に思った。腕を縛られたユーリは、二人の間に入って、額で二人の二の腕辺りをグリグリと押して留めるしかなかった。
ふと動きの止まった二人を見上げると、先ほどの恐ろしいほどの怒気が一瞬のうちに吹き飛んで、二人とも同じような表情をしていた。
「可愛いな……ぐふ」
ぼそりとレオンが何事かを呟いたが、すぐにリドワールの肘鉄が脇腹に入り、ユーリには何を言ったのか聞こえなかった。それでも二人が止まってくれたことに安堵する。
だがすぐに、ユーリを上から下まで見ると、先ほどの怒気がまた復活した。ユーリは、自分の姿が酷いものだとようやく気付いた。掴まれて乱れた結っていない髪と、魔道具を取り上げられた時に広げられた襟元に、二人の視線が集中する。
「「殺す」」
見事なシンクロを見せる。
「待って、待ってって言ったでしょ!」
すでに恐怖で意識を失っている片腕の男へ向けて、再び凶行に走ろうとする二人を、今度は背中で寄りかかるように押し留めた。
「本当に大丈夫ですから!お二人が思っているようなことはほとんど無かったですから!」
「「……ほとんど?」」
あ、と自分の失言を悟る。ガシッと両方から肩を掴まれ、恐る恐る後ろにいる二人を交互に振り仰いだ。
「「殺す」」
転がって気絶している男達に対する殺意が拡大した。ユーリが蔦で巻いた男達を含め、誰も意識のある人間はいない。それは男達にとって幸いなことであった。
「ホントに、やめてくださいって!そんなことより、早くロランさんの手当てをしないと!」
そこでようやく二人が大人しくなった。
もしかして、ロランさんのこと忘れていたんじゃ。
うつ伏せで気を失っているロランの背中が、心なしか寂し気に見える。ユーリはふと邪推するが、二人は無表情になってユーリの視線をやり過ごした。
少し懐疑的なジトッとした目で二人を見るが、ハッとなって後ろ手でリドワールの服の裾を引っ張った。
「リドワール様、お願いです。この縄を解いてください」
リドワールの目を仰ぎ見ながら言った途端、リドワールはレオンとは逆方向の横を向いて片手で目を覆い、頬をいっぱいに膨らませて、それはそれは長い息を吐いた。恐らく一分くらいは吐いていたような気がする。
「偉い。今のはよく耐えた」
謎の褒め言葉を放つレオンに、リドワールは目を覆ったまま残る手で拳を握って見せた。ガッツポーズをしているように見える。いつの間にか二人の仲が良くなっているのは気のせいか。
不意にリドワールがユーリの体を自分の方へ向け、ふわりと覆いかぶさるように背中に腕を回した。リドワールの胸に頬を預ける形で、まるで抱き締められているかのようだ。
「リ、リドワール様?」
「静かに。今、縄を外す」
耳元で囁かれてユーリはびっくりしたが、ユーリが願ったことなので、リドワールの言う通りに黙った。すぐにリドワールの手が縄に触れる感触がする。そして、微かな魔力を感じると、はらりと縄が落ちた。後ろ手のままではダメだったのだろうか、という疑問を飲み込んで。
両手が自由になると、今度はその手が取られて、赤く擦りむけたようになった手首が、リドワールの目の前まで持ち上げられた。
「可哀想に。痛かっただろう」
そう言って、ユーリを見つめながらその手首を口元に近付けた。傷に薄くリドワールの吐息が掛かる。
ユーリはそれを懐かしく思った。小さい頃に園長先生がやってくれた、痛い所にふーふーと息を掛けてくれるおまじない。この国にもあったのか、と少しくすぐったく思った。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
朗らかに言って、唇が触れる寸前に、リドワールの手から自分の手を抜き取ると、ロランの元へ向かった。
「何て言うか、……元気出して?リドワール様」
「……死ね」
背後で、笑い含みでレオンが何事か言ったのに対し、リドワールがまた何事かを返していたが、ユーリはロランに意識が向かっていて聞いていなかった。
ロランを仰向けにして、ユーリは地面に跪くと、自分の膝にその頭を乗せた。そして、その踏み砕かれた右手をそっと手に取る。
「……ユーリ」
いつの間にか背後に来ていたリドワールの心配そうな声を聞く。ユーリが魔法で傷を癒そうとしていることを、レオンに知られてもいいのかと問いかけているようだった。
またユーリは振り返ると、リドワールに力強く頷いて見せた。
「今、治します。ロランさん」
意識の無いロランにそう語り掛ける。正視するのも辛い傷を両手で覆って、ユーリはロランの回復を願った。少しでも痛みが和らぎますように、と。
ふと、今までの治癒とは違う感覚に気付く。魔力の流れがこれまでと格段に違っていた。思わぬ速度で、手の中の不快な感触が元の形に整っていくのを感じる。違和感が無くなったところで、恐る恐る手の覆いを外してみると、文官らしい細く繊細な手に戻っていた。
「……治癒魔法」
レオンの驚いたような声が聞こえた。その声に反応するように、ロランが意識を取り戻す。
「良かった。ロランさん」
「あれ?ユーリ、どうしたのですか?泣いていますね」
下から仰ぎ見られながら、言われて初めてユーリは涙が零れていることに気付いた。それをロランが右手を持ち上げて拭おうとして、自分の手が治っていることに気付いた。
「……これは、あなたが?」
信じられないといった表情でロランが言うのを、ユーリは無言で頷くと、ほろ苦く笑って肯定した。
すると、ロランが両手で顔を覆って、情けない声を出した。
「ああ、もうやめてください。これでも私は愛する妻子がいるのです」
「……?」
「とう!」
何故突如非難されるのか分からないユーリが首を傾げていると、急にレオンがロランの体を転がしてユーリから遠ざけた。結構勢いよく転がった。
「気持ちは分からないでもないが、お前は駄目だ」
無表情に見下ろしながら、レオンはロランに命じる。
「分かっておりますよ」
転がったままで、ロランも苦笑しながら応じた。
男性陣で何かを分かち合っているようだが、話に付いていけないユーリは、それでも和やかになった雰囲気に安堵してホッと息をついた。
落ち着いてみて気付いたが、レオンの顔色が良くない。さっきから動きが微妙に緩慢になり、よく見たら額には薄っすらと汗を掻いていた。
そういえば、レオンは何で立ったり普通に歩いたりしているのだろう。
「レオンさん。そう言えば足はどうしたんですか?」
ユーリが言って初めて思い出したのか、ロランが盛大に顔を顰めた。
「まさか、身体強化を使ったのですか?」
初めて聞く単語だが、ロランの様子からするに良くない事なのだろう。その証拠にレオンは目を逸らして白を切るつもりでいる。
「身体強化って何ですか?」
ユーリが尋ねると、レオンは手を振ってユーリの問いを遠ざけようとした。
「いいのいいの、ユーリにはあんまり関係ないことだから」
「こいつは、格好をつけるために、怪我が悪化する術を使って私についてきた」
レオンの言葉にリドワールが重ねるように告げ口して、レオンの足を払うと、変な声を上げて地面にレオンが転がった。そしてそのブーツを乱暴に脱がせたので、再びレオンが変な声を上げた。そしてそこには、レオンが声を上げるだけの酷い怪我があった。
「……何でこんなになるまで。すぐに治します」
ユーリはレオンの側に膝を突くと、腫れあがってあらぬ方向に曲がっている足首に障らぬように、そっと足を持ち上げて自分の膝の上に置いた。そして、両手で患部を包み込んで、ロランと同じく治癒を願った。
またロランと同じように力が流れ、目に見えて腫れと変色した皮膚が元に戻り、折れていた骨が付くのを感じる。やはり異常と思えるほど治癒の速度が速かった。リドワールは、それをジッと見ていて、微かに眉を顰めていた。やはりユーリと同じく違和感を感じているようだ。
「凄まじい治癒魔法だな」
ポツリとレオンが言うが、ユーリは腹に据えかねることをレオンにぶつけた。
「たまたま、わたしが治せた怪我だから良かったようなものの、下手をしたら歩けなくなっていたんですよ。なんでこんな無茶をしたんですか」
完全に腫れも引き、痛みが無くなった頃に、渋々といった風にレオンが言った。
「……カッコ悪いだろ」
「?」
「だから、そこの貴公子があんたに何かあったかもしれないって言うから、一緒にいるロランにも何かあったかもしれないのに、足が痛かったからって理由で宿に引きこもっているのはカッコ悪いだろ」
一息にレオンが言い訳する。口ごもるのは、照れているのだろうか。レオンはユーリよりずっと年上のはずだが、何となく可愛らしく感じた。
「そんなことはないですよ。他人の為に自分の辛さに蓋を出来る人が、どうして格好悪い事がありますか。ただ、自分を大切にしてくれなかったら、助けられた方も同じように辛いです。だから、無理をしては駄目なんです」
治った足をポンポンと撫でるように叩きながらそう言うと、レオンがガッとユーリの手を握った。
「国に連れて帰る」
「は?」
「てい!」
突然意味の分からないことを言い始めたレオンにユーリは首を捻るが、その繋がれた手はリドワールのチョップでユーリから外された。
「ちょっと、痛いんだけど、ヘタレ貴公子」
「お前は妄言を吐きすぎだ、軽薄王子」
ユーリに伸ばそうとするレオンの手をリドワールが押さえるように遮る。そういえば、レオンが貴公子と呼ぶということは、リドワールの身分がバレているのでは、とユーリは気付く。自分も略称ではなく呼んでいたが、どうやらそのあたりは大丈夫のようだ。というか、王子とは何だろうか、とユーリは首を傾げる。
リドワールの妨害にもめげずにレオンがユーリに声を掛けた。
「ねえねえ、ユーリ。俺、どこか変わってない?俺を見てどう思う?」
ユーリとの間にいるリドワールをよけながら、レオンがユーリに顔を見せつつ尋ねる。怪訝に思いながらも、ユーリは確かにどこか違うと思い、レオンをじっと見つめた。
やがてレオンを見るユーリの目がゆっくりと見開かれて、恥じるように頬を染めて目を逸らした。それをレオンはさもありなん、と得意げに見やる。
「あの、レオンさんは、ロランさんよりお年を召していると思っていましたが、リドワール様と同じくらいの方なんですね。申し訳ありませんでした」
レオンの手が急に力を無くして膝に落ちた。と同時に、くっ、とリドワールが堪らず噴き出した。
「……言いたいことがあるならはっきり言え」
「悪かった。元気出せ、王子様」
「……泣かすぞ」
二人ともまた剣呑な雰囲気になり、また力比べのような押し合いが始まり、取っ組み合いの喧嘩になりそうな様相になった。
ユーリは最初呆れていたが、一向に終わりそうにないいがみ合いに、本日二度目の雷を落とした。
「いい加減にしなさい!喧嘩するより前に、まずは衛兵に知らせるのが先でしょ!」
「いだだだ」
「す、すまなかった」
二人とも、国に讃えられる程の容姿を持つが、ユーリはその頬を容赦なく引っ張った。
それを見てロランは、ユーリだけは怒らせないようにしたいと、切に思った。
アスティ以外にも不真面目な人間が増えてしまった……。
という訳で、多少不真面目になりつつ、少しずつ出てきた「魔女」についても、もう少し掘り下げていきたいと思います。
ブクマ、評価ありがとうございます。
また少し間が空くと思いますが、また閲覧よろしくお願いします。