温かい場所 1
優莉が目を覚ましたのは、揺れる馬車の上だった。
慌てて身を起こそうとするが、酷い頭痛に呻いてしまう。それを優しい手がそっと元に押し戻した。後頭部に柔らかい感触がする。
眩暈の残る目を開けて辺りを見ると、目の前に見たことのない女性の顔があった。三〇代だと思うが、金の巻き毛が似合う綺麗な女性で、どうやらその人が膝枕をしてくれているようだ。
「目が覚めたのね。良かった」
目を瞬かせると、優しく髪を撫でてくれた。
「あ、……っ」
喋ろうとすると、口の端がズキリと痛んだ。恐らく殴られた時に口を切ったのだろう。女の人はその傷口もそっと撫でてくれた。
「……ここは?」
傷に障らないようゆっくりと話すと、女の人はそっと身体を起こしてくれた。
「今は、騎士団の馬車にいるの。あなたが外に合図を送ってくれていたんでしょう?」
騎士団なるものが良く分からなかったが、とりあえず自分たちは助かったらしい。周りを見回すと、見覚えのある女性たちが全員揃っていた。皆憔悴しているが、どうにか無事らしい。自分の服は簡素なシャツとズボンになっており、誰かが着替えさせてくれたようだった。
見知らぬ女性が言うには、優莉が送っていたハンカチはしっかりと麓の集落に届き、不審に思った村人が騎士団に相談に走ったらしい。
自分のしたことが無駄ではなかったことを知って、優莉は胸が熱くなった。
「それに、あなたが来てから、盗賊たちがあまり無体を働かなくなったって、あなたより前に捕まっていた人が言っていたわ」
きょとんとしていると、まだ元気のある女性たちが教えてくれた。
優莉が来てからは、盗賊団の食事が驚くほど美味しくなったというのだ。それに籠って不快な空気だったアジトが清潔になり、盗賊たちのストレスが軽減されて女性に当たることが減ったという。確かに、毎日のように酒盛りをしていたが、日を追うごとに酒盛りに没頭して、女性の泣き声が少なくなったような気はしていた。
そのうち、優莉が手当てをしてあげたことがある茶髪の女性が言った。
「それに、あんたが掃除の邪魔だと言って、部屋から男たちを追い出すものだから、仕方なく外で剣を振って時間を潰してたんだとか。それで疲れて夜は寝てしまうみたいなの。規則正しい生活をする盗賊なんて聞いたことないわ」
「……へえ」
自分のしたこととはいえ、そんな効果を生むとは思わなかった。確かにご飯が美味しくなったと言って、食事時に人数が増えて作る量がどんどん増えていったことは確かだし、部屋を掃除するというと渋々ながら言うことを聞いてくれるようになったのも事実だ。
クスクスと笑う女性たちを見て、少しでも笑える心境になったことを嬉しく思う。
「だから、あんたは私たちの命の恩人なの」
真剣な眼差しを皆から向けられて、優莉は赤面する。また別の、皆より少し年上だけど、気風のいい感じのお姉さんが言う。
「最初はあんたのこと、皆男の子だと思っていて、皆のちょっとした安らぎになっていたんだよ」
「最初は?」
「同じ女だもの。すぐに女の子だって分かって、でも皆であんたのことは秘密にしようって」
殴られても蹴られても決して弱音を吐かず、女性たちを気遣って身を粉にして働き、自らを惜しまない優莉を見て、女たちはせめて自分たちと同じ目に遭わないようにと、優莉を見守ってくれていたようだ。自分たちだって辛い思いをしているのに、優莉のことを思ってくれるその強さに、優莉は思わず涙を流した。自分の辛さなど如何ほどの事か、と。
その涙に誘われるように、女性たちもそっと涙を流す。それはその身に起きた不幸を嘆くだけではない、確かな強さと優しさを秘めた涙だった。
見知らぬ女性が、そっと優莉を抱きしめてくれた。
優莉の体調が落ち着く頃に、騎士団の砦という所に着いた。
堅牢な石造りで、初めて見るその建築物に、優莉は圧倒された。
お上りさんのように口を開けて門を通過すると、中庭的な所に下され、そこからは歩いて砦内を進んでいった。
途中大きな部屋に通されて、そこで女性たちは同郷ごとに分けられて個別に事情を聴きとられるようだった。
そこからは何故か優莉だけ別の部屋に連れていかれることになった。
一際立派な扉が現れ、先導してくれた騎士さんが扉を開けてくれたので、お礼に頭を深く下げる。それを見て騎士さんは驚いたような表情をしたけれど、すぐに笑顔になって通してくれた。感じのいい騎士さんだった。
部屋に入ると、大きな窓の前に、物を知らない優莉でも「高そうだなぁ」と感心する立派な机があった。その机にはこれまた立派な椅子があり、そこにこれまた立派な出で立ちのナイスミドルが座っていた。その両脇にも、何だかキラキラした人種が何名か立っている。
何故か分からないが、校長室に入るような緊張感があり、「失礼します」と言って深く頭を下げた。頭を上げると、先ほどの騎士さんのようにその場にいた人が少し驚いたような顔をしていた。
小さい頃から挨拶はきちんとするように教えられていた。ただでさえ、孤児というペナルティを背負っているのだから、人には不快感を与えないきちんとした挨拶が出来なければならない、と園長先生は言葉に出しはしなかったが、そこは厳しく躾けられた。
もしかして、この世界ではこのお辞儀は変なものだったのだろうか。
首を傾げていると、一番偉そうな人が軽く咳ばらいをして声を掛けてきた。
「ああ、すまないね。君は平民の女の子だと聞いていたから、綺麗なお辞儀に感心したのだが。ますます君のことが分からなくなってしまったようだ」
どうやらこの「お辞儀」は、騎士が公式の場でやる敬礼らしいのだ。それは、こんな小娘が騎士相手にそれをやれば、誰でも驚くだろう。ナイスミドルの騎士団長と名乗ったアイゲルさん(苗字?名前?)が教えてくれた。女性は、膝と腰を落として、目を伏せるように軽く頭を下げるように礼をするらしい。
優莉は、この後どのように自分のことを説明すればいいのか戸惑った。
盗賊たちから聞いた話では、この髪も瞳もこの国では「闇の精霊」に通じる色ということで、珍しい色らしい。髪はこの色を持つ人は珍しくもそれなりにいるのだが、瞳が黒い人間はほとんどいないらしい。それだけでも胡散臭い人間に見られるというのに、もし「わたし、異世界から来ました」と言ってしまったら、いったいどのような扱いを受けるか、考えるだけで恐ろしい。
でも、優莉は嘘や隠し事が苦手だ。ついてもどうせすぐにバレてしまう。ここは、異世界という単語を除いて、素直に話すべきだろう。
「申し訳ありません。わたしが育った所では、これが普通のあいさつだったので」
何だか入試の面接試験みたいだな、と思いながらも、聞かれたことには素直に答えていった。
「まず、君の名前を聞こう」
「はい。高里優莉といいます」
「タカサト?というのか」
「優莉が名前です。わたしの故郷では、姓を先に名乗ります」
「うむ。やはり、この辺りの生まれではないようだな」
名乗っただけでそう思われるとなると、この周辺国は地球で言う所の欧米のような生活圏なのかもしれない。騎士などというのも中世ヨーロッパの話にしか聞かない。しばらくそういった問答をしていたが、あまり圧迫感がなく紳士な対応なので、優莉はあまり怖がらずに済んだ。
「では、君は無理やりこの国に連れてこられて、途中はずっと暗い場所にいて、どこをどう通ってきたかも定かでなく、気が付いたら森に置き去りにされていたと」
「はい。意識のないうちに放り出されたので」
「では、森の中を彷徨って無事だったというのは?」
「盗賊団の人たちにも言われましたが、あの森で四日も獣に遭わないのは奇跡だと。でも、わたしが放り出された時に、とても大きな竜を見たので、気配に怯えて姿を見せなかったのでは、と言っているの聞きました」
「……、な、竜⁉」
あれ、また何かやってしまったようだ。優莉はうかつに何も喋れないと思ってしまう。
「間違いないのか?どんな竜を見たんだ!」
結構な剣幕に優莉は少し後ずさった。それを怯えと取ったのか、すまないと謝って先を促された。
「わたしが見たのは、黒い竜でした。鱗が宝石みたいに黒く輝く感じでした。遠目だったので詳しくは分かりませんが、この砦の中庭に収まるくらいの大きさでしょうか」
多分小さなビルくらいはあったと思うが、ビルを表現しようがなく、大まかな大きさを伝えた。
「黒竜。それも成体なのか」
「ドラゴニュートの可能性も」
いかにも女性が好みそうな柔和な顔立ちで、赤みの強い金髪の若い騎士がそう繋げる。聞いたことのない単語だったが、首を捻る優莉にルースと名乗った金髪の騎士が教えてくれる。ドラゴニュートとは、竜族で人身へと変化することが出来る一部の者を指すという。竜人族とも呼ばれ、通常の竜よりも魔力が強く、人身になっても竜並みの力が発揮できる種族らしい。
今は人間に干渉することはなく数も少ないが、ドラゴニュートであれば心配はないとのこと。ただし野生の竜で黒竜というのは凶兆なのだそうだ。自然に生まれないもので、邪な魔法を使って生み出されるものらしい。騎士団にとっては竜人族であれば有難いとのことだ。
魔法か。魔法もあるのか、と優莉は感慨深く思う。
「そうだな。何にしてもカルバ山に兵をやる必要があるだろう」
どれほどの重大事かはさっぱり分からないが、やはりこの世界でも竜は特別な存在らしい。その発見一つで軍隊を動かさなくてならないような。
優莉は大人しくその会話が終わるのを待っていたが、ふと一人だけその会話に参加していない人がいるのに気付いた。
他の騎士よりも簡素な服で、でも誰よりも隙が無いように見える。鋭く締まった顔をしているが、三〇代後半くらいだろうか、若くも見えるし老成しても見える。淡い茶色の髪と青い目をしているのが見えたが、その目がふと優莉を捕えた。あまりジロジロ見すぎたかなと反省して、思わず頭を下げると、不意に優しく微笑まれた。何故かとても安堵する笑みだ。笑うと随分と印象の違う人だと思った。
ブクマありがとうございます。
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ヒーロー出現までもうちょっとありますが、頑張って数話投稿するよう頑張ります!