赤毛の商人 5
ユーリ、キレるの巻
ユーリの耳に聞き慣れない単語が出てきた。だが、その単語に更に身体が動かなくなった。分からないのに聞きたくない。
「……聖女?」
「あれ?この国にいて聞いたことないの?」
少し嘲笑するような声。先ほどまでの優しい笑みは消え、害意に似た笑いがその薄く整った唇に張り付いた。
「黒髪の乙女。救国の少女。女神の客人。異世界からの旅人」
低く魅惑的な声が列挙する単語に、ユーリの思考は支配される。その言葉一つ一つに耳が吸い寄せられた。
「俺ね。君の事、結構本気で好きになりそう。だから、本当のこと言ってほしい」
いつの間にかレオンは、ユーリと肩が触れるくらい近くに寄ってきていた。髪を掻き上げたり、優しく撫でたりしながら耳元で囁く。ハッとなって身体を離すが、すぐに腕を取られて引き戻される。
「ダメだよ。君の事教えてくれなくちゃ」
じゃないと酷い事しちゃうよ、と耳朶に唇が触れそうな距離で言う。
「ねえ。俺のものになってリンジアに来て」
そうして吐息が頬に掛かり、その唇が頬に付きそうになった。
その時、バン!と音を立てて部屋の扉が開いた。
「ユーリ‼」
聞き覚えのある声がして、部屋の中にズカズカと長靴の音を立てて誰かが乱入してきた。呆然として顔を向けるが、意識が追い付かないうちに身体が引きずられ、微妙に柔らかいものに覆われる感触がした。
「貴様!ユーリに何をした!」
「あれー、騎士様。遅い登場で。何って、ユーリを口説いてたの」
「本当に恩を仇で返すとは。五体満足で国に帰れると思うな」
「怖い怖い。それならどうするの?」
「決闘だ。剣を抜け」
「ええ、ボク足怪我して動けないんですけどー」
ガヤガヤと遠くに男たちの声が聞こえる。ぎゅうぎゅうと何かに押し付けられて息も満足にできない。リドワールが力任せに抱きしめているようだった。
ユーリの中で何かプチンと弾けた。
急にユーリが盛大なため息をついたので、リドワールもレオンもビクッとなった。リドワールの腕が緩み、その吐いた息を今度は大きく吸う。
「うるさぁーい‼」
ユーリの大音声が部屋にこだまする。
「どいつもこいつもセクハラ!」
珍しくユーリがキレた瞬間だった。両手を真上に伸ばして拘束するリドワールの腕を解くと、ガツッと硬いものが拳に当たる。その直後「ぐっ」とくぐもった声が聞こえた。ユーリはそれを無視して、ツカツカと呆然とするレオンの前に進むと、その両頬をギュッと引っ張った。
「いたた!地味に凄く痛い!」
「ほとんど初対面の女性に軽々しく触れない!」
ギッと睨むと、思わずレオンが手を挙げて「はい」と返事をする。
「何あれ!人が怪我を心配して来たのに、からかって!自分がカッコいいと思って何でも許されると思ってるんじゃないんですか⁉」
「ご、ごめんなさい」
レオンは目を逸らして謝る。
「リドさんも。自分は何でも許されると思ってる」
「え、私も?」
顎を摩りながらリドワールが仰天する。完全な流れ弾だ。いや、前科があるので自業自得だ。なにせ初代セクハラ貴公子である。
しかしユーリは、怒り心頭であるが、リドワールを本名で呼ばないだけの理性はあった。
「それに、わたしは元々この国の人間じゃないので『聖女』なんて知りません。ごめんなさい!」
「は、はい」
迫力に押されてレオンが後ずさった。
「そもそも聖女って何⁉はい、リドさん答えて」
急なご指名でリドワールはわたわたする。
「聖女とは、大神殿に現れる女神と地上の生命を結ぶ愛し子で、この国に半年前に現れた」
「そうですか。じゃ、レオンさん。なんで聖女とわたしの関係を聞くんですか」
「それは、聖女が黒髪黒瞳象牙色の肌の少女だから、お忍びの本物か、血縁か替え玉か確認しようかと」
「わたしは三年前からこの地方を出たこともないし、血縁もいません。そもそもそんな貴重な人だったら、皆から飯炊き要員だと思われてません」
目がどんどん据わっていく。
「どこに行っても、ユーリの飯が食いたいとか、今度一緒にご飯を作ってくれないかとか、作り方をこっそり教えて欲しいとか。確かにご飯作るの大好きだし、皆が美味しいって言ってくれるの嬉しいし、ご飯作る以外に得意なことないですけど、ご飯の印象しかないみたいじゃないですか」
矛先がちょっとずつズレているが、ユーリはそれに気づかない。その愚痴を聞いている男たちは、頭痛を抱えていた。
「へぼ騎士様。あれって、明らかに口説かれてるよね。うすうす感じてたけど、ユーリって鈍いの?」
「そうなんだ似非商人。騎士団や自警団の奴らの秋波にことごとく気付いていない。豊穣祭のダンスは誰と踊るのか聞かれて、相手がいないから踊らない、と面と向かって言っていた」
「それって、あんたも含まれてるでしょ?へぼ騎士様」
「……お前もな、似非商人」
互いに殺意のこもる目つきだが、敵味方を越えて、臨時的な共感を得た瞬間だった。
「そこ!こそこそ内緒話しない!」
「「はい」」
国でもそこそこ地位の有る大の男二人が、成人したばかりの女性に怒られる。その真っただ中でまた部屋の扉が開かれた。
「……なんの修羅場?」
「行くな!」
「何とかしてくれ!」
お茶の準備を終えたロランが、開けた扉を再度閉めようとするのをリドワールとレオンが止めた。
「ロランさん!」
第三者が入って来たことで、ようやくユーリの癇癪が収まってきた。が、同時にユーリは、自分の発言を思い出して泣きそうになった。主人と見知らぬ青年とユーリが発する雰囲気でロランは、この場で一番ユーリの好感度が高いと思われる自分がユーリを宥める役だと瞬時に悟る。
「ユーリ、何があったか分かりませんが、隣の部屋で少し私とお話ししましょう」
美味しいお茶とお菓子ですよー、と言っておびき寄せると、ユーリはメソメソしながらロランに付いていった。非常に出来る男である。
男二人は、その様子に大いに安堵するのだった。
「んじゃ、ちょっと真面目な話しましょうか」
レオンが口火を切る。
その後に行われたリドワールとレオンのユーリに関する会談は、本人のあずかり知らぬところで、ひっそりと開かれたのであった。
真面目な話にしようとしたんです。
途中まではうまくいってたんです。
なのに、リドワールが乱入するから。
はい、すみません。
作者がシリアスに耐えられないだけです。
というわけで、次話から少し真面目な話をします。
ああ、お話のストックが残りわずかに……。
頑張ります。




