変化 2
街歩きの続きです。
少しげっそりとしながら団長室を後にすると、ユーリを迎えに厩の方へと歩いた。
ユーリは厩の前にいてすぐに見つかったのだが、やはりというか、彼女の周りには数人の騎士が小柄な彼女を囲んでいた。ユーリは時折首を横に振って何かを拒否しているように見えたが、周りが何かを言い募っているようだ。ユーリの顔は少し緊張しているようだった。
ため息をつきながら厩の方へ歩みを進めていくと、近付くリドワールに気付いたのか、ユーリが安堵の笑みを浮かべてこちらを見た。そして、周囲に丁寧に挨拶をして馬を連れてこちらへやって来た。後ろでは非常に残念そうな顔をした男たちが見えたが、リドワールに気付くとピシッと背筋が伸びた。
「おかえりなさいませ。もう用事はよろしいのですか?」
心なしかユーリがホッとしているように見えたのだが、それはリドワールが戻ってきて嬉しいというより、やっと話から解放されるといった感じが多いように見受けられた。リドワールは気になって、馬の轡を受け取りながら尋ねてみた。
「先ほどの者たちに、何か難癖でも付けられていたのか?」
珍しくリドワールが自ら会話をしてきたので、少し驚いたように目を瞬かせ、しかしすぐに苦笑した。
「いいえ。今度の豊穣祭の時に、夜は誰と踊るのかと聞かれていました」
豊穣祭は年の中でも大事な行事の一つだ。収穫を祝い、来年の豊作を祈念する神事で、その夜には若い男女が豊穣祈祷の火を囲んで踊る風習がある。この時は、男女の重要な出会いの場であり、恋人同士がこの火の前で踊ると幸せな結婚ができると言われている。
リドワールは、先ほどの男たちの必死さの訳が分かった。
「……それで、お前は誰かと行くのか?」
話の流れでそう聞いたのだが、ちょっと考えると、ユーリの何かを探るような意図を感じる言い方だと思った。否定しておいた方がいいかとも思ったのだが、ユーリはと言えば、まったく気にした様子もないので、わざわざ強調せずとも良いだろうと結論付けた。ユーリは小さく首を振った。
「いいえ。相手もおりませんし、いつもは自警団の警備に出ていました。それに……」
一度言葉を切ると、恥じるようにそっと目を伏せた。
「わたし、人混みが苦手なのです」
聞けば、ユーリの故郷と比べて、この国の人間は背が高いそうだ。だから、そんな人間に囲まれると、少し息苦しく感じるという。先ほど騎士たちに囲まれていた時の緊張感は、やはり気のせいではなかったようだ。ユーリも、一人二人ならば普通に接することが出来るらしいが、四方を囲まれると、心理的な圧迫感を感じるらしい。
リドワールは、ユーリがこの国に来た時のことについて、アレンから聞いていたことを思い出した。その時の恐怖心から、人混みを避けているのかもしれないと思い当たり、今の話題から意識を逸らした方がいいかと考える。
「そうか。では、もうすぐ人出の多くなる時間帯になる。その前に買い物をした方がいいか?」
何気なく言ったものだったが、ユーリは少し動きを止めると、やがて何とも柔らかな笑みを浮かべた。
「はい。ありがとうございます、リドワール様」
何が嬉しいのか分からないが、そっと喜びを表すユーリに、思わずリドワールの頬だけでなく緩やかに全身の強張りが取れるのを感じた。この娘の笑顔は、人の警戒心を和らげる。
そういえば、警戒心といえば、ここはまだ騎士団の敷地内だからよいものの、街へ出れば「リドワール様」という呼び方は、不要な騒ぎを助長する元であると気付いた。せっかくの狩服も「リドワール」という、この国ではあまりない響きの名に正体が分かってしまうおそれがあった。名に母の種族の響きがあるので、分かる人間には分かってしまうのだ。
「街では私のことはその名で呼ばないでくれ。敬称も改めた方がいいな」
「では、『リドワールさん』?」
「……敬称だけ改めても意味が無いだろう」
ユーリはリドワールの注文に唸った。
「私のことは『リド』と呼べ」
これは、身分を隠したい時に使っている「エルリド・クロイツ」を名乗っている時の略名であるが、亡くなった母が使っていた愛称でもある。他に呼ぶ者はもう久しく居ないが、大事にしまい込むのを惜しく思ったのでそう要求すると、ユーリは困った顔になってしまった。
「リド様?」
「市井に交じるのに、『様』では違和感があるだろう」
呼び捨てを想定していたのだが、あくまで『様』を取らないユーリをもどかしく思い、呼び方の重要性を説く。すると、ユーリは本当に困ったような表情になって、弱々しく訴える。
「あの、リドワール様はすでに市井の方には見えないのですが……」
その言葉にカチンときて、ユーリをジロリと睨みつけた。この自然な変装のどこが市民に見えないというのか。そしてユーリが観念するまでジッと見据えると、細々とした声が聞こえてきた。
「……リド、さん?」
存外に悪くない響きだと思った。多少よそよそしさが残るし、慣れない呼び方に四苦八苦しているユーリの姿をもう少し見ていたいと思ったが、それ以上を要求すると時間がかかりそうだったので、ここら辺で許すことにした。
「先ほど、小耳に挟んだのだが」
リドワールは、思い出したことをふと口に乗せた。ユーリは何事かと首を傾げて見上げてくる。
「騎士たちが、『クッキー』というものを食べたいと言っていたのだが……」
騎士は、ユーリが差し入れてくれると言っていた。それを聞いてユーリは「ああ」と頷いて説明をする。
「クッキーはわたしの国ではとても一般的なお菓子でした」
「……菓子、か」
以前食べた「ふれんちとーすと」は甘かったが十分食事にもなったので、ユーリが菓子を作る姿が想像できなかった。だが、あの騎士たちの様子を見ると、決して不味い物ではないはずだった。
リドワールは、若干辛いものが苦手なだけで、甘い物はむしろ好きだ。貴公子が食べる印象ではないのであまり大っぴらに人前で食べなかっただけで、出されればいくらでも食べる用意はあった。
そんなリドワールの様子に気付いたのか、ユーリは小さく笑った。
「甘い物がお嫌いでなければ、今度お作りします」
否やのはずもなく、リドワールは無言で頷いた。
「では、早速仕入れに行きましょう。あれにはたくさんバターを使いますので」
ユーリが珍しくリドワールを急かすように言うので、少し面食らった。
だが、楽しそうなユーリの姿は、見ていて不快なものではなかった。
名前の呼び方は大切ですよね。
「リド」は、これまで誰にも呼ばせなかったようですけど、ユーリにはあっさり呼ばせていますね。
どういうことでしょうね(ニヤニヤ)
あと、甘いもの我慢して自分のイメージを守るリドワールが健気www
まあ、それには理由もあるんですけどね。
ブクマ、評価ありがとうございます!
書きたいことを書き連ねているだけの作品ですが、評価をいただけると「頑張るぞー!」という気力が湧いてきます。
もっと頑張りますね!
閲覧ありがとうございました。