雪解け 2
少しずつ、少しずつ、リドワールが変わってきてます。
昼食の席で、アレンが騎士団からの伝言をリドワールに話した。
「昨日の夜に王都から連絡があり、これをあなたへ渡してほしいと」
そう言って、白い封筒をリドワールに渡した。封印は王の御璽を公文書の封蝋用に作った特別なものだった。リドワールは少し眉をしかめてそれを見る。
気付くと、ユーリがペーパーナイフを差し出した。騎士団の小姓よりも余程気が利く。リドワールはそれを受け取ると手紙の封を開けた。
中には紙が一枚入っており、そこには何も書かれていなかった。リドワールは、嵌めていた指輪に魔力を込めてその紙に翳した。すると、消えていた文字が紙面に浮かび上がってきたのである。
この指輪は、巡視官の身分を示すものであるが、同時にこうした王からの密書の魔法で施された仕掛けを解除する働きもする。
ユーリが物珍しそうに見る姿が面白かったので、少し緊張がほぐれるが、紙面を読んで再び眉を引き絞った。
手紙には迷惑この上ないことが書いてあった。
この町から遠くない離宮に、メアリー・アンが滞在する予定で王都を発ったというのだ。メアリー・アンはリドワールが巡視官の任に就き、南方へ来ることは知っているが、リドワールが怪我で離脱している現状を知らないらしい。
そのため、離宮を訪れるのを機に、砦の兵を労うために夜会を開催したいとのこと。その際にリドワールも招待したいとの話なので、できればこのままこの付近に滞在してほしいという話だった。ついでに、メアリー・アンはアレンのことも気に入っていたので、面会の算段を付けろという。ついでのついでに、メアリー・アンが来るまでは休養していて良いとのこと。
こちらは瀕死の重傷を負っていると報告しているのに、そちらをついで扱いだった。人使いの荒い王の言葉に、その手紙を危うく握りつぶしそうになって、リドワールはアレンとユーリがギョッとするほどのため息をついた。
「これはアレンにも関係することだ。読んでくれ」
そう言って手紙を渡すと、アレンが受け取ってサッと目を通した。そして、リドワールと同じく、ハアとため息をついた。
「これは、第三王女殿下とは、メアリー・アン様のことですよね」
「私がここにいる間に陛下の隠し子でも出てこない限りはそうだな」
不敬な冗談だが、そうでも言っていないと、王へ愚痴が出そうだった。決して嫌いではないのだが、病み上がりに相手するには、メアリー・アンは少々気力がいる相手だ。聖女の件でも借りがある。
一人訳の分かっていないユーリだけが、きょとんとアレンを見た。
「ああ、メアリー・アン様というのは、第三王女殿下で、リドワール様の従妹君に当たられる。今年一七歳になられたはずだ」
「はい」
「それで、だ。何というか、メアリー・アン様は、とても聡明な方ではあるんだが、天真爛漫でいらっしゃる。それで、リドワール様の熱烈な信者、というか。その、積極的というか……」
「……ああ」
アレンの何とか衣に包もうとして失敗している言葉を聞いて、ユーリがリドワールを見ると、変な同情を含んだ目を向けられて、納得という響きの言葉を吐いた。
「……その生温い目を向けるのはやめろ」
辟易してユーリを睨みながら文句を言うと、いつもの平坦な声音に戻って「申し訳ありません」とだけ言った。それでも残念な眼差しは変わる気配は無い。
「それに、アレンだって気に入られているのは同じだろう」
「あなたと私とでは、まったく意味合いは違いますよ」
アレンもやんわりと否定する。憎らしい親子だ。
ユーリの視線はさておき、とにかく命令は反古できないだろうから、身体が動かせるようになったので、今後は街の騎士団へ身を寄せるようになるだろう。
休養の言質をもらったが、恐らく王は、娘の我儘に付き合わせるだけでリドワールを送るわけではないだろう。何らかの意図があり、それを指示されるまでこの辺りで滞在するしかない。
この家を出ることを告げると、アレンはユーリに視線を送る。ユーリはその視線を受けると、小さく頷いた。
「リドワール様がお嫌でなかったら、こちらへ滞在なさいませんか?」
アレンの突然の申し出に、リドワールは少し驚いた。確かに王の手紙にはこの付近にいるよう指示があったが、迷惑ではないのか、と。
「ここは、街からも離れております。ですからお客人は嬉しいものです」
リドワールの心中を慮ったのか、とても穏やかに言う。
「それではお前たちに迷惑がかかる」
リドワールは、自分の身分や地位が扱いづらいことを分かっている。それをアレンは事も無げに否定してみせた。
「いいえ。私たちもリドワール様がいらしてくださってから、少し心の隙間が埋まった気がしたのですよ」
それは、レティアの不在を言っているのだと分かった。世話を掛けているのは間違いないのだが、アレンはそれをありがたいと言ってくれたのだ。
ユーリを見ると、彼女も「はい」と言って控えめに頷いた。二人に二心が無いのは、人の悪感情の機微に聡いから分かる。それにここにいる間、精霊たちが楽しそうにしているのが、リドワールを疎んじていない何よりの証拠だった。
リドワールは、これまでの巡視でそうしてきたように、街の騎士団か砦の騎士団に身を寄せるという選択肢しか考えていなかった。
だが、不思議とこの家にいるのだという選択肢を、とても捨てがたく思ったのだ。
「いいのか?」と問うと、親子はとても似ている笑みを浮かべて頷いた。
「では、まだしばらく世話になる」
こうして、ユーフォルト家への滞在が決まったのだが、一度王へ返答を出さなければならない。
それを言うと、アレンは何かを思いついたようだった。
「ユーリ。そういえば、行商人のユザが、あと数日で帰ってくるらしい。おそらくお前が言っていた香辛料やハーブを仕入れてきたんだろう。一緒に街へ行って、お前がリドワール様を騎士団へ案内しなさい」
妙案だとばかりにアレンが言うと、ユーリは何のこだわりも無いように頷いた。勝手に話しが進んでいるが、街へ買い物を兼ねて行くとなると、ここからでは荷物持ちに馬を連れて行かなければならないだろう。ユーフォルト家には馬が二頭いる。ユーリが馬に乗れなければ徒歩しかないが、小柄な女性の足では時間が掛かりすぎてしまうし、まだリドワールの体力に不安があった。そうなれば、最悪一頭に相乗りだ。
もうユーリを不快に思わなくなったが、さすがに相乗りはお互いに気まずいだろう。
その不安が顔に出ていたのだろうか。アレンが苦笑しながら言う。
「リドワール様。うちの娘を普通の女の子だと思わない方がいいですよ」
「父さん」
ユーリがアレンを叱るように言うが、アレンは構っていない。
「ユーリは並みの男よりも剣や弓を巧みに使います。自警団にも入っていて、弓の腕は自警団一を誇ります。馬も馬具無しで乗れますしね」
娘を褒めちぎるアレンに、呆れというより恥ずかしいのか、少し目元を赤くしてアレンを睨んでいる。
一方、意外さを隠せないリドワールは、ユーリを凝視する。
「リドワール様。父は少し大げさですが、街への往復ならばリドワール様にご迷惑をおかけすることはないと思います。それに、もし香辛料が手に入れば、わたしの故郷の料理を幾つかご紹介できるかと」
香辛料と聞けば美味い食事を連想する。リドワールは、ユーリと共に街に行くことを了承した。いや、決して食事につられた訳ではない。
諸々のことを考慮して、街へ行くのは三日後ということになった。
アン様、名前だけの再登場。
アレンは昔、リドワールの世話役的なポジションでした。
なので、自ずとアン様とも顔見知りです。
基本、みんなアン様は好きですが、天真爛漫が過ぎるので振り回されがちです。