黒髪の娘 2
ごはんを食べる回です。
文字通りごはんを食べます。ついに異世界でも出せた、お米。
あと、和風調味料が無いので、何ダシにするか迷いましたが、鶏ダシです。
作者は顆粒のだったり鍋の素だったり、何でも好きです。
再びリドワールは眠りに落ちてから、身体の辛さで何度か夜中に目が覚めた。ほとんど熱でぼんやりとしていたから曖昧な記憶であるが、その都度アレンの娘が綿に含ませた水を与えてくれたような気がする。
眠りに就くと、背中や左手を温かな感覚が包んでいる気がした。そして、その眠りには悪夢はやって来なかった。
不思議なことに、次の日の昼には、前日の不調が目を瞠るほどの回復を見せていた。もちろん寝台を降りて歩き回るほどの回復ではないが、自分で起き上がり、袖机にあった水を飲むことができるくらいにはなっていたのだ。
あれほどの深手なら、あと数日は身動きが取れなくてもおかしくはなかった。
おまけに左手の感覚も戻ってきているのだ。
首を傾げるばかりだが、掌と背中の傷が攣れる以外、全身の倦怠感と細々した痛みは落ち着いていたのだ。
起き上がるとアレンがやってきて、汗を拭ったり身支度を整えたりするのを手伝ってくれた。
「リドワール様、そろそろ食事は摂れそうですか?」
アレンが尋ねてくると、そういえば空腹を感じていることに気付いた。頷くと、アレンは少し神妙な顔になって言った。
「では食事をお持ちしますが、驚かれないようお願いいたします」
「……それは、薬臭いとか、そうとう不味いとか、そういうことか?」
「いえ、味は確かなのですが、その、少し変わったものをお出しすることになるかと。ですが、身体に悪いものではないのは間違いないので」
博識で意志の強いアレンが、珍しく歯切れが悪い言い方をする。結局は身体に良く美味しいものなのだから、それで良いはずだろうと思う。
「世話になる身だ。それに大概のものは辺境の時に経験したから大丈夫だ」
「はい。では娘が給仕しますので、もう少しお待ちください」
娘と聞いて少しリドワールは身構える。アレンは良いのだが、どうしても娘には警戒を解くことができない。もちろん、世話になっていることは承知しているし、彼女が自分に危害を加えないのは頭では分かっている。が、それを覆してしまうほど、女性に対する嫌悪意識があった。
目を伏せるリドワールを見て、アレンが苦笑しながら一度部屋を出た。
それほど時間を置かずに扉が開くと、嗅いだことはないが何やら食欲をやたらそそる匂いが漂った。アレンの娘が、木の盆に素焼きの鍋と小さな深皿を乗せてやってきたのだ。娘に続いてアレンも入ってくる。簡潔に挨拶をすると、袖机にその盆を置く。そして蓋を取ると、あの匂いがフワッと強く立ち込めたのだ。無意識に喉が唾を飲み下していた。
「リドワール様。これは、ゾウスイと我々が呼んでいるものでして、とても消化に良いものです」
「ああ。これは、なんの食材をつかっているのだろうか」
取り分けられた器の中身をしげしげと見ながらリドワールは首を傾げる。白い粒がスープの中に浸っていて、一見してミルク粥のように見えるが、麦に似て違うもののようで興味深かった。
「それは、『水麦』です」
「な、水麦だというのか!」
水麦は麦に似て非なるものだ。良く南方では麦との二毛作で取れるものらしいが、身は固くてそのままでは食べられないし、粉のように引いても小麦のようにパンなどに加工することは難しいものだ。それが災いして、とにかく量は採れるので、今では家畜の飼料として広く出回っているものだった。
「……ユーフォルト家は、そこまで……」
家畜の飼料を食べるほど財産がひっ迫していたとは。かつて騎士隊の誉れとまで言われた騎士が、これほど零落してしまったことに深い悲しみを抱く。
「……お待ちください。きっと今考えていらっしゃることは間違いですから」
リドワールが思い至ったことに気が付き、アレンは苦笑しながら否定した。それを見て、娘がクスクスと控えめに笑う。笑った顔を見るのは初めてであるが、それまでの無表情に近い顔とはまったく違っていた。
「我が家は、豪遊とまではいきませんが、娘に多少の贅沢をさせてやるくらいの蓄えはありますよ」
それならば、と怪訝そうな顔をしたので、再度娘は笑いながらゾウスイを勧めた。
「一度召し上がってみてください。お口に合わないようでしたら違うものをお持ちしますから」
そう言われ、リドワールは恐る恐るそのゾウスイに口を付けた。「熱いのでお気を付けください」と言われたので、そっと冷ましながら一口食べ、二口を食べた。気付けばあっという間に皿が空となる。
「いかがでしたか?」
皿が空になったから結果は分かっているだろうが、念のためというように娘が尋ねてくる。口当たりが蕩けるようで、腹に収まってもしっかりと熱が伝わる。血を流し過ぎた身体に負担にならず、スルスルと入っていく。
「ん。起き抜けには悪くない」
我ながら素直ではないなと思いながらも、食べ物で懐柔されたと思われたくなかったので、そっけない返事になった。そんな態度でも、娘は、「はい」と頷くとふわりと微笑んだ。明るく清潔な印象を与える笑顔だ。
「もう一杯いかがですか?」
「……ああ。いただこう」
そのやり取りを見て、アレンは小さな笑みを浮かべて部屋を辞した。
娘と二人取り残されたが、食事の間は昨夜のギスギスしたものはなかった。
しばらく無言でゾウスイを食べていると、全身に力が行き渡るような心地がする。身体が温かくなり、満たされることで心も落ち着いてきた。
そうしていると、やはり昨夜からのリドワールの態度は、娘に対して随分失礼なものだったと改めて思う。怪我の痛みや熱に浮かされていたこともあるが、何より自分の心の余裕のなさが一番の原因だった。
リドワールは、物心つく頃には周りに女性が群がって来ていた。長ずるにつれて、その自分に向けられる感情は生々しさを増していった。憧れに似た感情を向けられるだけならまだマシであったが、地位や財産や肉欲が目当ての感情はリドワールの精神をすり減らすものだった。だから女性をどこか疎ましく思うことが常態化し、そこへきて聖女の問題や刺客の女の嬌態で人間不信の一歩手前まできていたのだ。
だが、アレンの娘はただ淡々としていて、自分に対して感情を揺らすことがなかった。そっと傍に付かず離れずしているが、それは自分に何かの見返りを期待するものではなく、怪我人を看護するという行為以外に他意は見受けられなかった。
まだ、女性に対する不信感は拭えなかったが、リドワールは、これまでの娘に対する態度は改める必要があると思った。少なくとも世話になっている人間に対する態度ではないことは自覚している。
「昨日は手を上げてしまってすまなかった」
ボソッと呟くような悔悟の言葉だったが、娘はちゃんと受け取ったようだった。最初はきょとんとしていたが、何かに思い当たったかのようで、小さく頭を振ってリドワールの謝罪を受け入れた。
「最初から信頼をいただけるとは思っていません。それにリドワール様の受けられた難からすれば、普通の反応をされただけです」
あの態度をして「普通」と言い切れるのは、この娘が変わり者だからなのか。
その言葉に凝り固まった警戒心が少し解けたのだ。
「もう一度名を聞いていいか?」
とても失礼な言葉だと自覚はある。これまでこの娘を一人の人間としてではなく、アレンの付属物としてしか見ていなかった証拠であった。それでも、アレンから再度聞くのではなく、この娘から直接聞きたいと思った。
娘は、それにも怒ることはなく、リドワールが不快に思わないで済む平坦な声で言った。
「はい。ユーリと申します」
腹減った時の鶏ダシ、沁みますよね。
やっぱり美味しいものを食べると、気持ちが豊かになります。
だからかな?
リドワールの気持ちがずいぶん落ち着きました。
食いしん坊ではないですよ。
ねー。
水麦は創作です。アジア系じゃなくてカリフォルニア米的な大規模農業のイメージで作られています。現代のような効率的な農業じゃないので、とにかく面積作っとけみたいな?
テキトーですね。
本日あと1話あります。