リドワール 2
本日2話目です。
聖女の眼差しを見た瞬間、「またか」という想いで込み上げてきた怒りを吐息で逃がす。
リドワールは、自分を取り巻く理不尽に心底嫌気が差していた。二つ名も迷惑でしかなく、それでも元来の生真面目な性格が邪魔をし、望まれる役どころを降りることができなかった。
理想の貴公子。無欲の王族。有能な騎士団の副長。
その与えられた役をこなし続けることに疲れていた。仕事に没頭していることが、何より気が楽だった。任務をこなしていれば、自分に向けられる様々な欲望や打算、誹謗から逃れられる気がしたから。
穏やかならざる心中を隠し、任務に戻ろうとしたが、ふとどこからか害意を感じた。リドワールは、幼い頃からの経験から、人の悪意に敏感だった。近衛騎士には打ってつけの能力だが、人の悪意を感じるなど、決して有難い能力ではなかった。
左手を剣帯に掛け、そっと有事に備える。五感を駆使して、害意の出所を探っていると、それが一人の王族の辺りから発せられているのが分かった。
第二王子のエルマーが、聖女と話しながらもこちらを意識していたのだ。
エルマーは第二夫人である現王妃の子で、ユリウスの今の妻の一族の長であるヴェルトルー公爵の孫であった。ヴェルトルー公爵派は、他種族の血が王家に入ることを最後まで反対していた一派だ。エルフ領の取り込みも、ユリウスの実母のアンガーミュラー侯爵家の台頭を疎んで、強硬的に反対をしていた。そういった経緯もあり、エルマーは事あるごとにリドワールを疎んじてきた。
最近、王族の中で特に聖女と懇意にしているのも彼で、八歳年下の聖女に入れあげていると言われていた。どうやらそれは真実のようで、聖女を袖にしたリドワールを射殺しそうな眼差しで見ており、周囲の高位の神官と耳打ちするように話していたのだ。
嫌な雰囲気を察してはいたが、警護で持ち場を離れる訳にはいかない以上、リドワールには回避する術がなかった。
エルマーは、耳打ちしていた神官と共に忍び寄るよう近付いてきて、不意に持っていた飾り杖でリドワールの長靴の甲を押さえつけた。固い革靴であるが、体重を乗せられれば多少は痛い。
「従兄殿、貴様は自分の立場を分かっていないらしいな。聖女様のご質問に答えるどころか、返答を拒否したとか。身の程を弁えろ」
整った顔立ちだけに、その言葉とリドワールに向けられる表情は、醜悪さが増幅して感じられた。その王族の仕打ちに、一緒にいる神官が同調した。
「これが噂の混血殿ですか。聖女様に対する礼儀も知らぬらしいから、どこの蛮族かと思ったら、他種族の血が入った方でしたか。他種族には異教の者もいるらしいので、女神の客人たる聖女様を敬わない輩もいるのでしょう」
怒るのも馬鹿馬鹿しいほどの言いがかりに、リドワールは決して激することはしなかった。
「エルマー殿下。私は御父上の国王陛下の近衛騎士としてここにおります。聖女様もそれをご理解くださいました。神官殿、女神信仰はいつから一神教になったのですか?」
痛烈な言葉だった。エルマーは、父のみならず、リドワールの言葉に従った聖女の顔にも泥を塗った形になることに気付いた。神官は、女神信仰はその従属神も精霊信仰も許容している教義の間違いを指摘されるという、聖職者にはこの上ない恥を突き付けられた。リドワールも少し大人げないと思ったが、これぐらいの意趣返しは許されるはずだとも思う。
「この……っ!」
怒りにエルマーと神官が声を荒げると、そのエルマーの肩に、トンと何者かの手が置かれた。リドワールからは良く見えているが、二人には真後ろにあたり、誰か分からないまま相手を怒鳴ろうとした。
「無礼者!私を誰と……」
「誰に向かっての無礼か。申してみよ、エルマー」
背後には、国王であるウィルフレームが立っていた。ウィルフレームはリドワールよりも背は低いが、その威圧感は彼を何倍も大きく見せている。エルマーは自分が取り返しのつかない無礼をしたことに気付き、青ざめて言葉を失った。父の情など、この際無いに等しいことを十分に知っていたからだ。
「神官殿の声も聞こえてきたが、我が弟とエルフの姫の婚姻は、大神殿の祝福の下に行われたが、そなたはその行為を誤りと申すか」
リドワールよりも更に痛烈な言葉だった。
「聖女殿が知らぬこととはいえ、職務を乱す行為を諌めた者をあげつらうなど、それこそそなたらの立場を弁えよ。聖女殿を笠に着て、それを己が権力と履き違えるな。美辞麗句だけでなく、本人とって辛いことでも、正しいことを教えることが、本当の忠臣であろう」
「陛下。もう、それくらいで」
人の目があります。と、リドワールは小さく言う。リドワールは、一応気を使って小声で二人に指摘したのだが、王はそれにはお構いなく、周囲に聞こえるように二人を叱責したのだ。見ると、王は青い目に「もういいのか?」と書いて、リドワールを面白そうに見やる。リドワールが絡まれているのを見て、わざとこの場に踏み入って来たことは明白だった。
神官の上層部がこんなのであるお陰で、王が今般苦労しているので、ここぞとばかりに小言に混ぜて神官たちに釘を刺したのだ。「聖女を笠に着て」とは、王が最も言いたいことだったのだ。決してリドワールを庇ってのことだけではないのだが、リドワールは悪い気はしなかった。
一方で、言葉で滅多打ちされた二人は、俯くようにして肩を震わせていたが、突如聞こえてきた声に顔を上げた。
「ごめんなさい。わたしが物を知らないばかりに、皆さんにご迷惑をおかけしました」
必死に可憐な様子で二人を庇う声は、もちろん聖女のものだった。二人の背中に手を当てると、首を傾げるようにして謝る。こうして謝れば許されてきたのであろうことが透けて見える。聖女のいた世界が何処かは知らないが、とても真剣に謝られている気はしない。
「聖女殿。あなたの存在は大きな力だ。だからこそ、甘言ばかりを聞くのではなく、自分を律する言葉を受け入れ、己が存在の及ぼす影響を知る努力を怠ってはなりません」
王は、遠回しに聖女に、「お前はもっと勉強しろ」と言って聞かせる。王としては、こうして言って聞かせて反省すれば儲けもの、と思っている。覿面な効果は期待していないが、もちろんそれで改善されればめでたしめでたしなのだ。
「ありがとうございます、陛下。わたしが頼りないばかりに、皆さまがわたしを過保護にしてくださっているのですね。それならば、周りにもっとわたしに厳しくしてくださる方がいらしてくだされば、これほど頼もしいことはありません」
無邪気な、としか言いようのない声で聖女が言う。
「では、しっかりとわたしを諌めてくださった騎士様に、わたしの聖騎士になっていただくというはいかがでしょう」
「聖女様!」
思わずと言った感じでエルマーが聖女を止めた。
聖騎士とは、聖女または神託の巫女と呼ばれる、女神と人とを繋ぐ女性が選ぶ自分の護衛騎士だ。いや、初代聖騎士から数代は事実そうであったのだが、いつの頃からか、俗世に関わらない名誉職となっていた。聖騎士は、実際剣を取ることはない名ばかりの騎士だった。
平たく言えば聖騎士とは、騎士団の中から選ばれる、婚姻が許されない聖女たちの実質的な夫であり、俗世での血統的な後ろ盾を得るための人選の場合が多い。王族や上位貴族は、王太子や長子などの跡取り以外は、余程病弱でない限り一度は騎士団に所属するので、家を継げない子息たちにとって聖騎士とは、身分の安泰が約束される地位なのである。身分の高い者は、実際は名誉騎士と呼ばれる飾りの騎士なので、実際に戦闘の無い聖騎士は王族貴族側、教団側双方に都合が良かった。
実際リドワールは、聖騎士としての要件は、これ以上無いほどだった。容姿、血統、実績どれを取っても聖女に箔を付けるのは、「光の貴公子」以上のものはない。表面上は、という話だが。
教団側としては、血統は最高で扱いやすいエルマーを聖騎士に、と考えていたのだろう。最近こそこそと教団と接触していたので、エルマーもそのつもりがあったのかもしれない。それなので聖女の発言に、後ろに控えていた大司教が顔色を失くした。
リドワールは、王への忠誠厚く潔癖な騎士だ。決して教団の意向に沿って動く手駒にはならない。時に王さえ諌めるような騎士など、教団には不要だった。
王としても、聖女の思い付きの言葉に驚いた様子だったが、すぐに思慮深く辺りをサッとみまわした。リドワールも聖騎士など御免被るが、ふと王の視線に気づくことがあった。ウィルフレームから離れた派閥の人間には、王のそばに控える有能なリドワールを引き剥がす口実に打ってつけであることだった。打算的に、いくつかの視線が動く。
自分を値踏みするような視線に晒され、リドワールは苦々しい気持ちが湧き上がって来た。それが噴出する寸前に、冷静な声がそれを止めた。
「聖女殿。これは、余の騎士だ。他をあたってくださるか」
思わぬ言葉にリドワールの胸が詰まった。王に仕える騎士としてこれ以上に名誉な言葉は無かったからだ。
「あら、そうですの。残念ですわ。でも、わたしも陛下のお言葉を考えてのことでしたの。お許しくださいな」
やはり無邪気に言うが、リドワールにはもうそれが言葉通りに受け止めることが出来なくなっていた。もしかするとこの聖女は、ただの好色であの発言をしたのではないのかもしれないと思えてきた。それほどに多くの人間を動かす発言を簡単にしてみせたのだ。王もそれを感じるのか、深い溜息をつく。
「聖女殿。余が言ったことは正に今のことだ。あなたはまず、自分の言葉が何をもたらすか、しっかりと学ぶことが必要だ」
聖女の発言の重み、それを言っていた。聖女とは、その一挙手一投足にも衆目があり、誤ったことをして、無邪気に「知りませんでした」では済まされない地位にいるのだ。
この意見は、大司教とも珍しく一致したらしく、この茶番めいた茶会は慌ただしく幕を閉じることになった。
何故か最後には、リドワールが場を乱したような雰囲気を教団とエルマー側は出していたが、王は取り合わずに解散させた。
この世界観でいう聖騎士って、「自称アーティスト」くらいのしょーもなさを感じています。
嬉しい人にはすごい地位なんですけどね。
聖女を守らない騎士って、ゴミを吸わない掃除機みたいなノリですよね。違う?まあ、いっか。
ゴミを吸わない掃除機になりたい王子様もいますし。
ハッ!性格の良さがつい出てしまった!
本日あと1話投稿します。