内勤の天使は今日も羽ばたく
ある市街地、築27年の少し煤けたマンションの屋上。白い翼を畳み煙草をふかす一人の天使がいる。彼女は絶賛仕事をサボっている。
「ほんとダルいわ、やってらんない…………」
紫煙と共に愚痴を吐いている。かれこれ1時間近くだらだらと過ごしているがいつものことである。気分が乗らないと仕事をしない。でも気分が乗れば効率よく成果を出すタイプなので成績は割といい方だ。
「また仕事サボってるの?」
彼女は突然後ろから声が聞こえ思わずビクッとなりそうになる。しかしなんとかそれを堪える。声をかけてきたのが誰かわかっているからだ。
「あんたさ、声をかけるのはいいけどもうちょっと配慮とかできないわけ?だから悪魔のくせに誰にも相手にされないんだよ?」
「あ、悪魔だからなかなか相手にされないんだよ。なんでそんな酷いこと言うかなあ」
三白眼のヒョロ男が黒い蝙蝠のようなでかい翼を畳みながら横に並ぶ。
天使と悪魔、世間一般的には仲が悪いと思われているが実際はそうではない。組織は違えど、上からの無理難題に振り回される現場が抱える不満はどこも同じだ。上層部はさておき天使も悪魔も現場同士は比較的仲がいい。
「あ、そうそう、私そろそろ内勤に異動希望出そうと思うんだ」
「え、天使ちゃん本気?内勤になっちゃうの?こんなにガサツでサボりなのに……痛いっ!痛いって!ちょっと殴らないでよ」
「ガサツは余計なんだよ。あんたは黙って私の話を聞いとけばいいんだよ」
「そう言わないでよ。ところで天使の内勤ってどんな仕事するの?」
「あんたなにも知らないんだね」
「そりゃオレは悪魔だから……って痛いって!なんで殴るの?」
「なんとなく腹が立ったから。私はもともと内勤だったから内勤の仕事もできるんだよ。あんたになんか心配されたくないんだ、よっ」
「わかった、わかったから殴るのやめて。じゃあ天使の内勤ってどんな感じか教えてよ。今後の参考にさ。ね?」
「今後の参考ってあんたまさか天使に転職する気があるの?…………まあそんなに言うなら教えてやってもいいけど。私が内勤だったのは5年ぐらい前だから今はどうか知らないけど、その時の話をしてあげるよ」
ふーっと煙を吐く天使はどこか遠い目をしている。
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真っ白の広いオフィス。高い天井。整然と並ぶデスク。スーツを着た天使たちが皆忙しそうに事務処理をしている。外回り部隊の日報をデータ化したり業務割り振りを管理したりするのが内勤の天使の仕事だ。言ってしまえば営業事務のような仕事と言えるだろう。デスクの数はざっと500。かなりの人数がここで働いている。
因みに外回り部隊の仕事が何かと言うと、一人一人が担当エリアを持っており、日々エリア内の人間に対して祝福や囁きを行う。祝福は言ってしまえば「お誕生日おめでとう」と赤ちゃんの誕生を祝うこと。囁きは「そんなことやっちゃいけないよ」と止めたり、「これはいいことだからやってみなよ」と勧めることと思ってくれればいい。
内勤、外回り共に1日8時間、完全週休2日のシフト制で働いている。基本的に残業はなく、とてもホワイトな労働環境である。
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「…………ねえ、……ねえってば。天使ちゃんさ、どうしたの?かなり固い話し方してさ。説明口調って言うのかな。あ、何かスイッチ入っちゃった?へー天使ちゃんにもそんな面があるんだ。あっ痛い、痛いって!」
「…………懐かしいなと思って気持ちよく話してるんだから茶々入れんじゃないよ。この悪魔が」
「痛い痛い。ごめんねって殴らないで」
「あんたが聞きたいって言ったくせに」
「ごめん、ごめんて。続き、ね?ね?続き行こう続き」
「ったく…………どこまで話したかわからなくなるだろうが。次邪魔したら本気で殴るから……」
「もう殴ってるじゃん……」
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内勤の天使たちは今日も働く。地味な仕事と思われがちだが全員誇りを持って働いている。何故かって?それは自分たちの仕事が現世のバランス維持に欠かせないと信じているからだ。
「外回りの奴らはわかってないよ本当。オレらが仕事の割り振り連携してやらなきゃ何もできないことが分かってないんだ。哀れなやつらだよ……」
その昔事務所の端の喫煙室で大きな声で愚痴を溢した天使がいた。その声は何の悪戯かオフィス全体に響いた。するとオフィスのそここから「そうだそうだ!」と声が上がりちょっとした騒ぎになったそうだ。
その時たまたまオフィスを通りがかった外回り部隊の部長は、彼らの不満の大きさに驚き、騒ぎを鎮めることなく逃げ帰ったんだとか。その部長が後日仕事でミスを犯して降格したのは有名な話だ。
基本的にはオフィスは静かだ。私語は禁止されていない。ただ単純に真面目にコツコツ働くタイプが多いだけだ。真っ白なオフィスにキーボードを叩く音だけが響き渡る。内勤の職場とはそんな場所だ。
ただ、いつも静かとは限らない。イレギュラーが発生するとオフィスの雰囲気は一転する。
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突然オフィスにサイレンが鳴り響く。
『エマージェンシー!エマージェンシー!◯◯市在住の中田さん(60歳女性)がコンビニで万引きをするまで100カウント。カウント開始。カウント開始』
機械的な音声が非常事態を告げる。目を背けたくなるような真っ赤な非常ランプがオフィスの至る所で点滅し静寂とは正反対の環境になる。多くの天使は落ち着きを失い慌て出す。
「◯◯市の担当は誰だ!?」
大きな声がオフィスに響く。眼鏡七三分け、「部長」と書かれた腕章を下げ、ツーボタンのスーツを着こなした声の主がデスクから立ち上がる。彼の声が響いたと同時に非常ランプは消えアナウンスも止む。
「定年再雇用のスズキさんです!」
少し離れたデスクで事務処理をしていた女性が◯◯市の資料を片手に駆け寄ってくる。焦りからか足がもつれかかっている。
「スズキさんか、あの人なら機転が効く。きっとなんとかしてくれるだろう」
部長腕章の男の一言に周りは一安心する。この部長腕章の男、歴代最年少で部長職にたどり着いたエリートであり、性格も良く、周りからの人望も厚い。彼がそう言うのならとオフィスの天使たちは落ち着きを取り戻す。
しかし不運にも突然想定外の声が上がる。
「部長、今日はスズキさんは新入社員の引率のために△△市にいます!!」
メガネスキンヘッドの天使が叫びながら走ってくる。
「なんだって。じゃあ今日の◯◯市の担当は?」
「こないだ配属されたばかりのタナカくんです。突然のことに慌てふためいてます。このままじゃ…………え、部長どこに行くんですか!?部長!!」
シュルッ……ネクタイを緩めながら突然部長腕章の男が廊下に向かって走り出す。
「私が行く」
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「…………え、天使ちゃん?ちょっとどうして満足そうな顔をしてるの?部長は?続きは?」
「なによ、知りたいの?」
「知りたいに決まってるでしょ!なにこのいじわる」
「中田さんがコンビニでカップ麺を持ってたマイバッグに隠そうとした瞬間に「囁き」して踏みとどまらせてた」
「よかったー。お婆さんが犯罪者にならなくて本当に良かったよ」
「本当に悪魔らしくないなあ、あんた」
「そうかな?それよりさ、その部長さんすごいね。天使ちゃんのオフィスって人間界からすごく遠いのに」
「え?ああ。大丈夫。だってあの人その気になれば音速で飛べるから」
「音速って……天使にもそんな化け物クラスの人がいるんだね。因みにその部長さんは今は何をしてるの?今も内勤の部長?」
「何言ってんの?あんたもよく知ってるでしょうが」
「え?いやいや知らない知らない。そんなすごい天使と面識なんてないって」
「何言ってんの?知らない訳ないでしょ。あんたは自分の上司のこともわからないの?」
「…………は?え?いやいやいやいや、嘘でしょ?」
「音速で飛べるような猛者がこの世に何人もいる訳ないじゃん。1年前に天使辞めて悪魔に転職してたよあの人。奥さんが悪魔の中でもかなり偉い立場なんでしょ?仕事手伝って欲しいって家で説得されたって聞いたよ」
「あー!それ聞いたことある。妻が夫をヘッドハンティングするってすごいよね」
「そもそも天使と悪魔で結婚してたことにも驚いたけどね。でもまあこうして前例もある訳だし、私もそういうのもありかなって少しは思ったかな……あんた悪魔だけど……」
「…………あ、ごめんなんか言った?」
「いい。聞いてないなら」
「え、ごめん気になるじゃん」
「いいったらいいって。あ。噂をすればほらあそこ」
見上げると二人の遥か上空を飛行機雲を作りながら飛んでいく元天使がいた。
「悪魔になっても相変わらずすごいな。飛行機雲普通できないって。あの人最近どんな囁きしてるんだろう」
「えーっと、たしかダイエットを決意した女性に新商品のケーキとシュークリーム食べさせたって」
「なんだやってることあんたと一緒かよ」
「ち、違うよ。オレはテスト勉強してる学生に漫画を勧めたし……」
「変わんないよ……」
溜息を吐きながら彼女は再び飛行機雲を見た。二人の上空を飛んでいった元天使は相変わらずすごい速さで飛んでいる。彼は飛行機雲を真っ直ぐ伸ばしながら遥か彼方へ消えていった。
こちらは彩葉様の「天使の一服」の二次創作となります。
今回の投稿にあたり快諾してくださった彩葉様には心より御礼申し上げます。
彩葉様 「天使の一服」
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