ジム〜息抜き短編集〜
俺にはちょっと運動が得意なだけで他には特に取り柄がなかった。だからジムのトレーナーの仕事につき皆に器具の説明をし、そして軽い補助をしてあげる。そんな簡単なお仕事のはずだった。
だけど、だけど!もう辞めたい!最近毎日そんな事思うようになった。なんでうちのお客様はこんな人ばかりなのだろう。俺は今日も重い体を引きづり出勤すると早速いつものお客さんを見つける。
「うう、ん。あっはぁん!うう、ん。あっはぁん!」
声だけ聴いているとセクシーなのだが、ダンベルを持ち上げ色っぽい声を出している彼女は40代半ばのおっさんだ。何故俺は彼女と呼んでいるかというと、以前彼女に「おじさん」と言ったら120kgのダンベルを片手で持ち上げながら「お姉さんでしょ?そう呼ばないとうっかりこれ貴方の頭の上に落としちゃうかも」と言われた。
うっかりダンベルをトレーナーの頭に落とすわけがないし、実際やったら殺人事件になるが被害者にはなりたくないので俺は彼女の事を彼女と呼んでいる。
「うう、ん。あっはぁん!あらお兄さんおはよう。今日の私も美しい?」
「ええ、とても」
「あらぁ、やだぁ!!そんなこと言われたら食べたくなっちゃう!!」
何を食べるの?とは聞かない。そして美しいと言わなければ待つのは死だけだ。誰が何と言おうとも彼女は美しい。例えマッチョで髪の毛がピンク色で口紅を付けたオジサンであっても彼女は美しい。そう答えとけば世界は平和だ。
「あらぁ?彼らも来たのね」
彼女が入り口の方を指さすとまた俺の嫌いなお客さん集団が入ってきた。彼らは漁師らしく朝が早い仕事なので、昼過ぎのこの時間に毎日来る。因みに彼女も夜のお仕事をしているらしいのでこの時間には大体いる。
「よしお前ら!今日もマッスルするぞ!」
「「「イエス!マッスル!」」」
早速言っていることが意味不明だ。ぴちぴちのタンクトップを着てあからさまに筋肉を見せびらかせている彼らは兎に角うるさいのだ。
「船長!今日はどれからマッスルします!?」
「そうだな!?ダンベル、は使ってるみたいだからランニングマシーンからマッスルするか!?」
「「「イエス!マッスル!」
ランニングマシーンはマッスルするものじゃない。走るものだ。彼らはきっと熱い太陽の元で漁をしすぎて頭がイカれたのだろう。極めつけはこれだ。
「じゃあ行くぞテメェら!今日の漁は大量だ!皆で筋肉マッスルすれば!マッスルするぜ!筋肉マッスル!」
「「「筋肉マッスル!船長マッスル!俺達マッスル!イエス!マッスル!」」」
最早意味が分からない。そして煩い。マッスルが一体どうしたってんだ。
「ふふ。今日も彼らマッスルしてるわね。美しいわ。ねえお兄さんもそう思うでしょう?」
「ええ、とても」
彼女が美しいと言えばこの世界は全て美しいのだ。これが自然の摂理だと俺は思う。
俺は彼女から離れ器具の掃除をし始めた。「マッスル!」「あっはぁん!」「マッスル!」「あっはぁん!」「マッスル!」「あっはぁん!」と耳障りなマーチをできるだけ聞こえないように隅から始める。
「おいケンジ!俺最近マジ筋肉やばくない!?」
「確かにやべぇな!でも俺の大胸筋見てみろよ!マジやべぇから!」
「うお!やべぇな!俺達も負けてられねぇな!」
「うん。頑張ろう」
お馬鹿な大学生4人組がやってきてしまった。これで俺が嫌いなお客様勢ぞろいだ。彼らはチャラい恰好をしているが女性恐怖症という病気を持っている。何故そんなこと知っているかって?それは見ていればわかる。
「うぉ!ケンジ見ろ!セクシーな女の人が腹筋してるぞ!」
「マジかよ……。俺生まれ変わったらあんな事付き合うんだ。グハッ!?」
「ケンジが女性を見ただけで倒れた!?また病気が重くなってやがる!?」
「メディッーック!!メディッーック!!」
どうやらケンジ君は女性を見ただけで鼻血を出して倒れたようだ。彼はどうやってここまで来たのだろう。というか床を汚さないでほしい。
「しかしセクシーだな。俺もあんな女性と付き合いたいぜ」
「だな。来世では俺達幸せになろうな」
「出来るかな?この前「あんた芋虫みたいな顔してるね」って女子に言われた俺でも言出来るかな?」
「俺なんか「このゴミ捨てといてゴミ君」って言われたよ?」
最後の奴頑張れ!お前はゴミじゃないぞ!ゴミみたいな人間なんか存在しない!
俺は兎に角彼らから離れた所で掃除や器具の点検を続ける。できるだけ彼らから声をかけられないように。だがそんな俺の考えはいつもすぐに終わる。
「ねぇねぇお兄さん。このブラどう思う?私的には可愛いなって思うんだけど」
「ええ、とても素敵だと思います」
彼女は身に着けていたブラについて質問してくる。何故彼女は筋トレをしながらブラをしているのだろうか?大胸筋強制サポーターかと思ってた。完全に変態だなこの人。
彼女はそれだけ言うと「ふふ。ありがと」といって再びダンベルを持ち上げ始める。一体何のための質問だったのだろうか。
「よしお前ら!今日マッスルしたことを言いながら走ろう!俺は今日海沿いの階段をマッスルしたぜ!」
「おお!流石船長!俺は魚を釣り上げるふりをしながらマッスルしてました!」
「俺は浜辺で重りを漬けながらマッスルしてました!」
「俺は彼女とマッスルしてました!」
「よし!いいぞ!中々いいマッスルしてんな!」
「「「イエス!マッスル!」」」
意味が分からないし最後の完全に下ネタじゃねぇか。聞いてて頭が痛くなりそうだ。
BGMの様に流れる「マッスル!」と「あっはぁん!」を聞き流しながら仕事をしていると今度は大学生たちの声が聞こえだした。
「おい!ケンジやめろ!死ぬ気か!?あの女性に声をかけるなんて!無謀過ぎる!」
「いいんだ。俺はあんな彼女を作るために生まれてきたんだ!それで死ぬなら本望グハッ!?」
「ケンジーー!ばかな!?まだ8m以上離れているぞ!?メディッーック!?メディッーック!?」
「あ、彼女がこっち向いて目があたった気がする。俺もう死んでもいいや。もういいや」
煩いしここでナンパしようとするな。そして最後の奴頑張れ!まだお前には未来があるはずだ!
そんなことを思っていると再び彼女がよってくる。勘弁してくれ……。
「んねぇお兄さん。私のこのパンツどう思う?」
「ええ、とても素敵です」
「ふふ、ありがとう」
彼女はそう言って戻っていく。一体何がしたいのだろうか。そして何故下着だけで筋トレをしているのか?本来なら注意しなければいけないのだが彼女には話しかけたくない。40過ぎのおっさんが女性用下着だけで120kgのダンベルを片手で持ち上げている光景はまさにホラーだ。関わりたくない。
「うう、ん。あっはぁん!うう、ん。あっはぁん!」
「おいお前ら!昨日マッスルしたことを言うんだ!」
「俺は船の上で隠れながらマッスルしてました!」
「俺は家の裏の坂でマッスルしてました!」
「俺は寝室でマッスルしてました!」
「「「「イエス!マッスル!」」」」
「うう、ん。あっはぁん!まあっするぅ!うう、ん。あっはぁん!」
「一言だけ!彼女に好きと伝えに行くだけなんグハッ!?」
「ケンジ!!メディッーック!!メディッーック!!」
「俺だって彼女に話しかけたいよ!でも先日女子に「あんた近寄んないで!臭いから」って」
「俺も話しかけたけど昨日女子に「あんたの存在ってその辺に落ちてる石ころと同じよね」って」
「うう、ん。メディッーック。あっはぁん!うう、ん。メディッーック。あっはぁん!」
ああ、もううんざりだ。こんな仕事。絶対やめてやる。




