二つ目のライン ヒューム・カント・ショーペンハウエル
論理哲学論考に流れ込んでくる第二のラインは、ヒューム・カント・ショーペンハウエルという三人の哲学者の流れだ。これも解説すると膨大になるので絞り込む。
第二のラインの三人は元々、「ヒューム→カント→ショーペンハウエル」というように影響を与えている。ウィトゲンシュタインが論考を書くまでに、きちんと読んだのはショーペンハウエルだけだったらしいが、ショーペンハウエルにはカントやヒュームの影響も流れ込んでいる。第二のラインはそういうものだ。
さて、この第二のラインと前述の第一のラインはどこで結びつくのか。これも自分なりに極限的に絞ると、ヒュームの「ヒュームの法則」というのが浮かび上がる。これを中心に話す。
ヒュームの法則というのは、事実判断からは直ちに価値判断は導き出されないというものだ。つまり、事実から倫理に簡単に飛躍する事はできない。この「できない」というのは不可能という意味ではなく、「そんなに簡単にすべきではない」という戒め的な意味が強いように自分は思う。
具体的に見ていこう。例えば、「〇〇という儀式は千年間続いてきた」というのは事実に関する文である。これには真偽が出る。さて、この文に次の文が続いていると考えてみよう。「だから、この先もこの儀式を続けるべきである」。しかし、この結論部はそう簡単には言えない。(言ってはならないという事ではない) 何故なら、ここで前者の文から後者の文への飛躍は事実から倫理への飛躍であり「である」から「ねばならぬ」への飛躍だからだ。事実をいくら点検しても、そこに「ねばならぬ」を導き出せるものは見つからない。ヒュームはそう考えた。
ここまで来れば、最初に言った第一のラインとの整合性が取れてくるだろう。つまり、事実判断から価値判断は見いだせない。事実は論理学における命題によって表される。そして命題以上の事ーー美や倫理は『語りえない』事である。世界は事実の総体である以上、言語は論理として事実を語る。しかしそれ以上の事は語りえない。