チート・ザ・フランダースの犬
むかしむかしある所に、村のはずれでおじいさんと二人で暮らしているネロという少年がおりました。
ある日の事、ネロは草むらで捨て犬を見つけます。かわいそうと思ったネロは、犬を家へ連れて帰り『パトラッシュ』と名付けました。
パトラッシュはすぐにネロになつき、二人は兄弟のように仲良くなりました。
ネロとおじいさんは、牛乳を村から十キロ先のアントワープという町まで売りに行く仕事をしていました。
「────スミスさんのお家に4本、ライネルさんのお家に2本、タローさんのお家に9本…… ……合計169件537本。術式展開! 舞え牛乳! 人々の体と心に潤いを与えよ! 【牛乳瞬間配達】!!」
その仕事はとても多大な魔力を消費する上に、あまりお金にはなりません。
だからネロとおじいさんは一日にスープを一杯飲むのがやっとという、とても貧しい暮らしをしていました。
ネロが七歳になった時、おじいさんが病気になりました。
それからはネロとパトラッシュで重い牛乳を乗せた荷車を引いて、アントワープまで行くようになりました。
大変な道のりですが、ネロにはアントワープの町へ行くこと自体も一つの目的でした。
それというのもアントワープの町にある大きな教会には、ルーベンスという有名な人の絵がかざってあるからです。
しかし残念な事にその絵にはいつも白い布がかかっていて、お金を払わないと見る事は出来ません。
「今日もやっぱり見ることは出来ないか」
「ワンワン!」
ネロは絵を見たり描いたりするのが大好きで、大人になったら絵描きになろうと心に決めていました。
ネロが少し大きくなる頃、可愛らしくて優しいアロアという女の子と友達になりました。
ある日、ネロは自分の手でアロアの絵を描きたいと申し出ました。
アロアも喜んで了承すると、おしゃれをして出かけます。
けれどネロが持っていたのは、板きれと黒い木炭だけです。
「ネロ、絵の具で描くんじゃないの?」
「うん、僕にはこれしかないからね、じゃあ描くよ、────身長137.45センチ、体重36.53キロ、バスト65.38! ウエスト54.16! ヒップ76.59! 術式展開! 舞え墨よ! 対象に生命の息吹を宿せ! 【呪怨墨化粧】!」
ネロの言葉とともに炭は次々と舞い上がり、それらが板きれへ向かって高速で飛んでいく。
無造作に叩きつけられていくその炭の弾丸は、板切れを確実に削り取り、板切れは瞬く間に彫刻の像のように姿を変えた。
出来上がったその形は、およそ1/5サイズの炭と木で出来たアロアそっくりのお人形。
仮に色が付き、使用した板切れが等身大であったのであれば、本物と見分けのつかないアロアそのものが完成していただろう。
「わあ~! ネロ、ありがとう!」
絵を描くという話だったのに何故か完成したのは人形でしたが、アロアもとても気に入りました。
(よかった、アロアが気に入ってくれて。でも今度はちゃんとした絵の具で描いてあげたいなあ)
そんな仲の良い二人でしたが、実はアロアのお父さんは貧乏なネロが娘と友達になっている事をよく思っていません。
その日からネロはお昼ごはんを我慢して、たまったお金で紙と絵の具を買いました。
そしてパトラッシュにこう言います。
「パトラッシュ、僕はね、いつか人の心を掴む素晴らしい絵かきになるんだ。その時に僕はみんなに言うよ。『ぼくはパトラッシュに助けられて、絵かきになれました。一番大切な友だちはパトラッシュです』って」
パトラッシュは、うれしそうにネロを見上げました。
ある日、クリスマスイブの子どもの絵の展覧会の事を知ったネロは、夕ぐれ時に切りかぶにすわって一休みする木こりのおじさんの絵を一生懸命に描きました。
「────身長175センチくらい、体重70キロくらい、野郎のスリーサイズに興味はねえ! 術式展開! 舞え墨よ! いい感じに仕上がれ! 【呪怨墨化粧】!」
その展覧会で一等になれば、二百フランという夢のようなお金がもらえるからです。
ただネロが完成させた作品はやはり絵ではなく彫刻です。
クリスマスイブの日、ネロは作品を荷車につんでパトラッシュと一緒にアントワープの展覧会の会場へ出かけました。
ほかのみんなは絵の上に上等な布をかけて、受付に渡しています。
でもネロの絵にはボロボロの布がかかっているので、ネロははずかしそうに下を向きながら受付の女性にそっと手渡しました。
そして雪のつもった町ヘ、パトラッシュと共に足を運びます。
「パトラッシュ、僕が一等になったら、お腹いっぱいあったかいスープをあげるからね」
ネロとパトラッシュは、アロアのお屋敷へ行きました。
ネロは展覧会に出品した事をアロアに話します。
「わあ、ネロならきっと、一等をとるわ!」
アロアは喜んでそう言いました。
けれど大変なことが起きました。
その夜、アロアのお屋敷が火事になったのです。
「火をつけたのは、ネロだろう!」
アロアのお父さんは、嫌いなネロが犯人だと決めつけました。
そして自身のお金の力で町に新しい牛乳屋さんを迎え入れ、強引にネロの仕事を奪ったのです。
更に不幸な事が重なり、そこから何日も立たないうちに、なんと病気のおじいさんが亡くなってしまいました。
おじいさんの弔いがすんだ夜、家主がやって来て言いました。
「明日の朝、ここを出て行け!」
朝が来ると、ネロとパトラッシュは雪の降る外へ出ました。
そしてアントワープの町へ、展覧会の発表を見に行きました。
「パトラッシュ、一等を取って二百フランもらったら僕たちの住む家を探そうね。それから薪を買って暖炉にくべて火をつけようね。その後は、お腹いっぱい食べようね」
「クゥ~ン」
しかし、そんなネロの思いも打ち砕かれてしまいました。
一等を取ったのはネロではなく、あまり上手ではないけれど色々な色の絵の具をたくさん使って描いた、海の絵だったのです。
ネロとパトラッシュは、展覧会の会場を重い足どりで出ました。
「ああ、これからどうしたらいいのだろう? もし、お金があったら……」
「ワンワン!」
そこでパトラッシュが足元の雪を掘って、何を咥えました。
「うん? どうしたの、パトラッシュ。……あっ!」
パトラッシュが咥えたものは、財布。
なんとパトラッシュが、雪の中にうもれていた財布を見つけたのです。
ネロがその財布を開けてみると、中には金貨がたくさん入っていました。
ネロはまわりを見回しましたが、誰も見ている人はいません。
「これだけあれば家をかりられるし、パンもたくさん買える。たくさんの絵の具も買う事が出来るぞ」
ネロはその財布を服の中にかくそうとしましたが、ふと、その財布に見覚えがある事に気づきました。
「これは、アロアのお父さんのお財布だ」
ネロはアロアのお屋敷へ急ぎました。
お屋敷に着くと、アロアとアロアのお母さんが出迎えてくれました。
ネロはアロアのお母さんに財布を渡すとパトラッシュを家の中に押し込んでこう言います。
「この財布を見つけたのは、パトラッシュです。ご褒美に、何かうんとおいしい物を食べさせてやってください。そして出来たら、ここで飼ってやってください」
ネロはそう言うと扉をしめて、雪の降る夜の中へかけていきました。
「ああ、待って、ネロ!」
アロアとお母さんがネロを追いかけましたが、ネロの姿はもう見えませんでした。
しばらく走ったネロでしたが、お腹がペコペコのため歩く元気もあまり残されていませんでした。
それでもその足は最後の力をふりしぼって、アントワープの教会のルーベンスの絵の前へ向かいます。
冷たい床に座り込んだネロは、ふと肩にあたたかい息を感じて振り向きました。
「パトラッシュ! 追いかけてきたのかい」
そこにいたのはパトラッシュ。ネロはパトラッシュの首をだきしめました。
「ありがとうパトラッシュ。僕たちはずっと一緒だね。ごめんよ、置いて行ったりして」
するとその時、月明かりが教会にさしこみ、辺りが明るくなりました。
雪がやんで、月が輝き出したのです。
「あっ!」
ネロは、思わずさけびました。
いつもは白い布をかぶっていたルーベンスの絵が見えるのです。
そこに描かれていたのはとても美しく芸術的な天使の絵。
そこでネロは立ち上がり、絵に向かって口を開いた。
「この日を待ちわびたぞルーベンスの絵よ。……当の昔から波動で感じ取っていた。一国の軍事力に匹敵するおじいさんが弱らせ、遂には死に至らせたのも、アロアのお父さんに僕の間違った認識をさせたのも、全ては貴様の仕業だな」
ネロの言葉に、絵であるはずの天使の口が一定のリズムで動きを見せる。
「よくぞ見抜いていたなネロよ、神に仕える私として、あんな化け物爺さんも、年端もいかない女の子のスリーサイズを調べつくしているお前も、生かしておくわけにはいかん」
「笑止、天使とはよく言ってくれる、お前は身勝手な悪魔だよ、この因縁も今日で終わりだ。────術式展開! 舞え墨よ! 目の前の悪を裁いて殺せ! 【呪怨墨弾丸】!」
ネロが手をかざすと無数の墨が天使の絵に向かって発射される。
アロアや木こりを模る為に使用した【呪怨墨化粧】とは異なり、対象の破壊のみを目的としたネロの必殺技。
その一撃一撃が天使の絵を狙い通り打ち砕き、額縁ごと木屑へと変える。
が、それと同時にどこからともなく声が響く。
「愚かな、天使たる我はその魂こそが本質。ルーベンスの絵など、魂を留める器にすぎん。……せっかくだ、次の器は────」
「ウグッ!」
ネロは一言苦痛の声を漏らすと、その身体は一度だけ痙攣を起こしネロの意志では動かせなくなる。
「────お前にしてやろう。喜べ、貴様の薄汚い魂は消えてもらうが、肉体だけはもう少しこの地で使ってやる」
そう、天使はネロの身体を乗っ取ろうとしているのだ。
しかし、そこでネロもニヤリと笑って見せた。
「……そう来ると思っていたぞ……! 僕が、僕らが長年……なんの対策もせずに……この日を迎え入れると思っていたか……!?」
そこで天使は涼し気に言葉を発した。
「ほう、私の憑依に抵抗できるほどの精神力とはな……だがそれでどうするというのだ、多少抗った所で支配までは時間の問題」
「……そう、だが、ただの絵と違い……僕ならば、お前の魂を押しとどめる事ができる……! この状態で、半分憑依している……この身体を殺せば……お前はどうなるかな……?」
ネロの言葉に天使は驚愕の声を上げる。
「なに……? ま、まさか……やめろ! やめるんだネロ!」
天使の言葉にはそれ以上耳を貸さず、ネロは力を振り絞りパトラッシュのほうへ向いた。
そして笑顔を維持したまま、パトラッシュに話しかける。
「……パトラッシュ、ぼくはもう憑かれたよ」
「ああ、わが兄弟よ、ゆっくりと眠れ……俺もすぐにいく」
覚悟を決めた目をしたパトラッシュはまっすぐ前へ走ると、その手で────ネロの身体を貫いた。
次の朝、お屋敷の中でアロアとお父さんがお話をしていました。
「お父さん本当!? 今日からネロは私たちと一緒に暮らすの!?」
「ああ、わしが間違ってた……お金もないのに財布を拾ってくれるような良い子を、なぜ疑ってしまったんだろうな。もちろん、拾ってくれたというパトラッシュも面倒を見よう」
「ありがとうお父さん! 私、ネロを探してくる! きっと遠くには行ってないはず! ネロったら黄昏たいときはいつも教会にいたから、今日もきっとそこにいるはずよ!」
アロアは元気いっぱいに屋敷を出て、教会に向かっていきました。
めでたしめでたし