チート・ザ・8話
川辺が近い草原の上、二つの影が一定の距離を置いて歩いている。
一つは全身が茶色の毛で覆われた二足歩行の哺乳類。
もう一つは鎧の如き赤いボディに複数の足、鋭利なハサミを手に宿した甲殻類。
二人の胸には名札が付いており、それぞれ書いてある文字は『猿』と『カニ』。
ふてくされる様にまっすぐ前を向いて早足での歩みを続ける猿に対し、カニは複数の足を巧みに使い横歩きで猿を見ながら歩いていた。
「なぁ猿、考え直してみてくれよ」
「……」
カニの問いかけに猿は答えない。
こんな一方的な語り掛けを何度も繰り返していたのだろう。カニはうんざりしたかのように盛大な溜息を吐き、やや速度を上げて猿の前に回り込む。
進行方向を塞がれた猿は、やはり無言のまま歩みを止めた。
「いい加減にしろよ! 最初のルールを聞いただろう!? 僕たち2人が最後まで生き残ったなら、それで戦いは終わるんだ! これは大きなアドバンテージ! 協力し合わない手はないだろう!?」
カニの怒った顔を猿はジロリと見下ろし、ようやく口を開いた。
「……おいらは一度お前に殺されたのだ。手など組めるか」
「それはわかっている! でも! 僕を憎むならこの戦いの後でいいだろう!? 最初の空間にいた周りのヤツら! 尋常じゃない覇気を纏っていたじゃないか! 単独で戦っても勝ち目は薄いぞ!」
カニは力説を続ける。それに対し猿はギリリと歯ぎしりをし、怒鳴るように声を張り上げる。
「貴様はそれでいいのか!? 貴様の父を殺したのはおいらなんだぞ!? 貴様の仲間たちもなッ!!」
そう、この猿とカニは元の世界で親や他の仲間も含めた殺し合いをしていた二人。
その壮絶な戦いにより、カニ以外の全員が息絶える結果となったのだ。
そして今回、神を名乗る女に2人は召喚された。カニはそのまま、無理矢理猿は蘇生されて。
「……わかっているよ。今でも僕はお前が憎い。それはお前も同じだろう。でも、状況が状況だ。お互いわがまま言っている場合じゃないんじゃないか?」
「いいや、思わんな。これ以上無駄な問答をするくらいなら、もはやアドバンテージもなにも知った事ではない!」
返答と同時に黒いオーラを身に纏う猿。
その様子にカニは後ずさりする。
「目障りな子ガニよッ! まずは貴様からあの世に送ってくれる!」
「くっ!」
猿はカニの方へ踏み込み、徒手空拳によるラッシュを加える。
猿に対して戦う意思のないカニは防戦に、つまりは後手に周ってしまった。
「おおおおおおおおぉッ!」
単純な身体能力であれば猿はカニを上回る。
すぐにカニは押されだし、
「オラァッ!」
大振りの一撃で殴り飛ばされ、カニの身体は小川に落下した。
「……フンッ」
この攻防は、猿も殺意を持って行ったものではない。
単にカニとの問答が煩わしかったため力付くで黙らせたにすぎなかった。
カニが見えなくなった後、猿は踵を返す。
────いつの間にかそこにいたのか、振り向いた先には一つの影が立っていた。
白黒灰色が混じり合った毛むくじゃらの獣。猿と同じく二本の足でしっかりと草原に立っており、頭には禍々しく曲がりくねった二本の角。穏やかな顔の奥に見え隠れする冷酷な瞳孔。
その胸には自分たちと同じ、つまり『このサバイバルゲームの参加者』である事を意味する名札が付けられており、そこに書かれた文字は『お母さんやぎ』。
只者ではない。瞬時にそう判断した猿は攻撃に移ろうと手足に力を溜める。
────しかしその時、なんの予備動作もなくお母さんやぎが猿の眼前まで移動した。
「ちっ!」
猿は舌打ちをしながらその場を飛びのく。
が、それよりも早くお母さんやぎの掌底が猿に直撃。猿は吹き飛んだ。
「がふっ!」
飛び退く方向が掌底の衝撃と同じだったため、吹き飛ぶ勢い程のダメージは受けていない。
だが、それでも猿の口からは赤い血が流れる。
お母さんやぎは、更に掌底後のポーズはそのままに口を開いた。
「【魔炎衝撃波】」
掌底を放ったお母さんやぎの手の平から、複数の炎の弾丸が生み出され、それが猿を襲う。
「舐めるなあぁッーー!!」
猿は身体から多量のオーラを噴出する事で迫りくる【魔炎衝撃波】をかき消した。
更に猿はオーラを噴出させたままお母さんやぎに飛びかかる。
腕力、技量、速度、気迫、全てが申し分ない猿の戦闘センス。
しかし、お母さんやぎの実力は種類が違う。
猿が拳を振るう瞬間、先程お母さんやぎが予備動作なく距離を詰めた現象と同じことが起こる。お母さんやぎの身体はほんの数十センチ程、左に転移した。
「!?」
全くのノーモーションでやってのけた最小の回避。
すなわちそれは、猿とゼロ距離のまま大きな隙をとらえた事になる。
お母さんやぎは猿の腹に軽く右手を添えた。
「【風神針息吹】」
お母さんやぎの手から放出された真空の刃が猿の腹部を大きく斬り裂き、同時に生み出された突風は猿の身体そのものを大きく吹き飛ばす!
「がはッ!!」
吹き飛んでゆく猿に右手の照準を合わせたまま、お母さんやぎは更に口を開く。
「【氷槍──」
しかしその時、小川の水が爆発し、その中から勢いよくナニかが飛び出しお母さんやぎへ襲いかかった!
「──突撃破】」
お母さんやぎは咄嗟の判断で、猿へ放とうとしていた氷の刃をそのナニかのほうへ発射する。
────川から出てきたソレは、カニ!
先程、猿に殴り飛ばされ川の底へ沈んでいたカニが、お母さんやぎを敵と見なし参戦したのだ。
しかし勇んで飛び出したカニは、真正面から飛来する【氷槍突撃破】をそのまま全てその身に浴びる。
────が、
「はああああああぁッ!!」
氷の刃を全身に受けて尚、カニの勢いは止まらない。
カニは元々水辺での生活を得意とするためか冷気には比較的強く、また甲殻類の身体が刃をロクに通さなかったのだ。
複数の氷刃を喰らってそれほどの動きが出来ると思っていなかったお母さんやぎにわずかな動揺が走る。
「【雷神──」
お母さんやぎは更に攻撃呪文を唱えようとするが、それより刹那早く、カニのハサミがお母さんやぎの手を斬り裂いた!
「──剛矢】!」
が、手を斬り裂かれつつも、お母さんやぎは電撃の魔法を展開しきった!
暴走した電撃が、カニとお母さんやぎ両方の全身を駆け巡る。
「うわあああああああぁッ!!」
「…………………………………………ッ!!」
全力で悲鳴をあげるカニ。そしてお母さんやぎもまた衝撃に対して無傷というわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおおッ!!」
電撃により動きが止まる2人の元に、先程吹き飛ばされた猿が再び迫っていた。
「喰らいやがれぇッ!!」
そしてその勢いのまま、猿はお母さんやぎを渾身の力で蹴り飛ばす。
お母さんやぎは吹き飛び、バウンドしながら草原に転がった。
「はぁ……はぁ……! 猿! 無事だったか!」
「フン……! 満身創痍なのは貴様のほうだろう」
風の魔法で腹を斬り裂かれた猿に、全身に電撃を浴びたカニ。
二人とも身体に受けたダメージは大きいが、それは相手も同じこと。
相手は強い。そして今現在まだ倒せたとも思っていない。
しかし、猿とカニには自信があった。
(恐ろしく強い相手だ……でも、2対1なら戦えない相手じゃない!)
(……コイツと手を組むのは癪だが、この場は仕方あるまい!)
猿とカニは構えをとり、相手の出方を伺う。
彼らの考えは、概ね間違ってはいないだろう。実力が足りないのであれば数で補えばいい。戦いにおいて、それは言うまでもなく常識であり定石である。
お母さんやぎは仰向けに倒れたまま表情も変えず、静かに呟いた。
「【子山羊七魔将】」
突如、お母さんやぎの周囲から複数の魔法陣が出現する。
その数、実に7つ。
そしてその一つ一つから、お母さんやぎと変わらない白黒灰色の歪な毛並みを身に纏う獣達が、潜るように姿を見せはじめた。