尾行と接触 ―― ノゾミ①
朝六時。
寒い!
ベッドから出たくない。
いや、ダメだ。
ちゃんと着替えないと。
ダイブ中に私の肉体に異変があると、VRギアから緊急通報が発信される。
場合によってはそのまま病院に搬送される。
そんな事態、容易に起こるわけは無いのだけれど、万が一のその時に部屋着スッピン姿を晒すわけには行かないのだ。
乙女として!
……あと何年使えるのだろう。この乙女という言葉。
顔を洗って買って置いた朝ごはんを食べながら今日の予定を再確認。
8時から12時、ダイブ。
12時から14時、部屋の掃除、お昼ごはん。
14時-18時、ダイブ。
18時から20時、洗濯物を取り込んで、晩ごはん。
20時-24時、ダイブ。
よし! 完璧だ!
寝食を忘れ架空世界へ入り浸ることを強制的に禁止する利用時間制限。
連続利用最大五時間。
遡って八時間の内、六時間以上利用禁止。
遡って二十四時間の内、十五時間以上利用禁止。
それを考慮に入れたタイムスケジュール。
昔はもっと緩かったんだけどなぁ。
でも、こうやって休日に少しでもプレイしてアイツに追いつきたい。
さ、洗濯機を回そう。
◆
昨日泊まった宿屋にログイン。
さてと、取り敢えずはレベル上げかな。
何となくわかった事。
高ランクの討伐依頼程、敵が強い。
当たり前か。
その分、得られる経験値も多い。
獅凰のお陰で多少、所持金に余裕が有るのでお金目的でギルドの仕事をする必要は無いのだけれど、他に強い敵がいる所の心当たりが無いので仕方ない。
降臨イベントて言うのも開催中らしいけど、それはまだやめておこう。
まだまだ余裕があるとは言え、限られた命だから。
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい。今日は何をお探しぃ?」
少し艶っぽいギルドの受付嬢。
巨乳だなぁ。
昨日から何度か顔を出しているから覚えられたか。
「今日も討伐依頼」
そう言って、壁に貼られた依頼を眺める。
ど・れ・に・し・よ・う・か・な。
よし。
「これ、請けるね」
洞窟に住み着いたゴブリンの討伐依頼。
数は二十。
「一人で行くの?
危ないわよ?」
「ゴブリンは昨日も倒してるから」
「他のモンスターもいるわよ?
誰か傭兵連れて行きなさいよ」
何故かこの人、毎回傭兵斡旋して来る。
「必要無い」
駄目なら逃げる。
そう決めておけば、逃げる事は負けじゃ無い。
ただの選択肢の一つ。
そう、アイツに教わった。
物は言い様だな、とその時は鼻で笑ったけれど。
「そう。気をつけてね。
星々の導きのあらんことを」
お決まりの台詞を背に受け、ギルドを後にする。
◆
ヘクトは一人近くの洞窟へと歩みを進める。
迫るモンスターを鈍器で叩き潰しながら。
その様子を後ろから眺める者が居るのだが、スキルで気配を殺しているためヘクトはそれに気付く事は無かった。
◆
ゴブリン。
手に棍棒やら小さな斧やら鉈やらを持って現れる、少し小柄な変な顔のモンスター。
粗末な鎧を身に付けているが、単独ではそれ程脅威では無い。
一直線に飛び掛かって来るそいつを体を捻り避けながら脳天から槌矛を振り下ろす。
多分、人間に同じ事したら頭蓋骨骨折どころじゃ無いだろうな、と言う勢いで振り下ろしてるのだけれど、私の槌矛はゴブリンの頭骨に跳ね返される。
非力。
ステータスを敏捷にしか振ってないからな……。
しかし、その一撃で脳震盪を起こしたのか、動きの止まったのゴブリンの顔へ再度槌矛を振るう。
その頬を殴り飛ばすように。
そうやって一方的に何度か殴り、やがて、そいつは膝を折り地に倒れこむ。
そして、粒子になり消えて行く。
あと、14体。
午前中には終わりそう。
何となく、槌矛の扱いもわかって来た。
そして、今まで培った戦い方に合わない事も……。
一本道の洞窟を進む。
そして、少し開けた空間に出て私は自分の目立ての甘さを実感。
向かいの壁一面にズラリとゴブリンの群れ。
三十体程だろう。
それが、教室程の空間、その一面に並んでいる。
半数程がこちらに弓を向け。
そうやって、群れて連携する脳が有ったのか。
すぐさま無数の矢が私に向かい来る。
槌矛を振るいながらそれを払い落とし、或いは避け、前に進む。
避けれない事は無い。
昔は私に迫り来る銃弾を切った事だって有るんだ!
もっとも一発切ったら二発目はどうやっても避けれないからあんまり意味無かったけど。
間髪入れず放たれた二射目をすり抜け、三射目に手を掛ける。
それが間に合わないと悟った連中が、手の武器を変えこちらに向かって来る。
良し。
殴り合いなら勝てる。
最も一方的に殴るだけだけど。
一撃で喉笛を切り、或いは、頭を落とす。
そう言う戦い方をして来た私に二度、三度と攻撃を与えなければならない今の武器は向いて無いかも知れない。
それに、振り抜いた刃を滑らせ次へ繋げる事も出来ない。
戦いながらそんな考えが頭を過る。
刹那、視界の端から迫る矢。
軌道を見極め避ける。
しかし、動く私を追撃するように動く矢。
しまった。
前に喰らった奴だ。
咄嗟に空いている左腕でそれを受ける。
そのまま目の前のゴブリンの顎をすくい上げる槌矛の一撃で粉砕する。
何故か減って行く私のHP。
攻撃の手が止んだ隙に間合いを取りステータスを確認。
ステータス異常、毒。
迂闊。
回復手段は無い。
となれば逃げる、か。
更に一歩下がる。
待っていれば回復するのかな?
そんな悠長に構えていられないか。
離脱で戻るべき。
わかっているのだけれど……。
こんな矢一本で、逃げなきゃならないの?
「大丈夫?」
突然、後ろから声が掛かる。
全く気配に気づかなかった。
振り返ると、黒髪の長身の女性。
「アンチドーテ」
返事をするより前に魔法をかけられる。
それで私は状態異常から回復する。
「……ありがとう」
偶然?
まさか。
尾行?
私を?
何のために?
殺すためならここで助けに出て来る意味は無い。
「来るわよ」
その言葉に一旦彼女の評価を棚上げにして、再びゴブリンの群れに向き直る。
もう、遅れは取らない。
◆
後ろの女の存在を気にしながらも、ゴブリン供を全て葬った。
予想より大分時間がかかったけれど。
それなりにレベルは上がったけれど。
そんな事は今はどうでもいい。
「で、何の用?」
その女に向き直り改めて問う。
その手に銃を握り締めている。
「勧誘。お話、聞いてくれる?」
「……毒の分の借りは返す」
「そう。じゃ、先に町で待ってるわ。離脱」
勧誘、か。
……やっぱり一人ではこの先行き詰まる。
それを打開する手段がPKでのレベリングしか思い浮かばない以上、他人の力でも利用すべきだろう。
彼女を信用するに足る根拠は無い。
それどころか町からここまでずっと気配を殺し尾行して来たのだ。
怪しさの方が上回る。
ただ、自分に好印象を持たせてから交渉に臨むのは三下の手口。
これはエリスさんの受け売りだけど。
そんな、三下にどうこうされる私では無いのだ。
「離脱」
◆
町に戻り、律儀に待っていた彼女とコーヒーショップへ。
個室でコーヒーを二つ頼む。
「私はノゾミ。のぞみんって呼んで」
「……それ、本気?」
コーヒーに口もつけずに言った彼女にジト目を送る。
アバターの見た目から年齢は窺い知れないが、その仕草から推測するにそんなぶりっ子が許される年齢では無いだろう。
「……は、ははは」
自分の想像以上にウケが悪かったのだろう。彼女は引き攣った笑みを浮かべ誤魔化す。
「私はヘクト。悪いけどコーヒーを飲む以上の時間を貴女に割くつもりは無い」
そう言ってカップに口を付ける。
さっさと本題に入れ。
これで通じないならそれまで。
彼女は小さく溜息を吐いてから、懐から名刺ケースを取り出し、中から一枚抜いてテーブルに置く。
「私はこう言う者です」
……名刺?
そこに印字されているのたのは、『特務機関エクリプス 主任 ノゾミ』と言う文字。
私はそれを手に取りマジマジと見る。
裏面には輪が二つ重なり、外へ光が走る様なマーク。
……何から突っ込めば良いのだろう。
……私はコーヒーカップを呷り、半分程一気に喉へ流し込む。
そして、名刺をテーブルの上に置いて残りの半分を一息に飲み干す。
「じゃ」
「待ってー!!」
立ち上がりかけた私にノゾミが情けない声を上げる。
「そんな可哀想な目で見ないで!」
いや……。
「コーヒー飲んじゃったし」
「お代わり! あ、私の! 私のあげる!」
そう言って、微かにグロスの付いたカップを私に差し出す。
「いや、要らな「間接! 間接キス!」
被せ気味に言って来るノゾミ。
でもね。
「女だし」
カップを差し出したままの姿勢で固まり、引き攣った笑みを浮かべるノゾミ。
流石に少し可哀想になって来た。
溜息を吐いて椅子に座りなおす。
取り敢えず、色々気にはなるので聞くだけ聞いておこう。
「この特務機関って何?」
私が話を聞く気になったのが余程嬉しいらしい。
「NPCが元締めになっている、プレイヤー集団。私がそこの責任者の立場にあるの」
「NPCが?」
「そう。タウラウ自由騎士団って知ってる?」
「あー……」
あの巨乳と取り巻きか。
「あれ見たいなもの。バックについては今は言えないわ」
「私さ、去年末に始めたばかりでこの世界の事、全然知らないの。
あんまり興味も無いし。
そう言う集団って多いの?」
「今の所、表向きにはタウラウの自由騎士団だけ。
他に乙女座、蠍座、それから獅子座もかな。
その辺が同様の集団を組織しようとしてるみたいだけど。
私たちは表には出ない存在。
ひょっとしたら同じ様に水面下にいくつか組織が出来てるかも知れないけど、あってもそう多くは無いと思う」
ふーん。
「その組織って所属するとメリットあるの?」
「定期収入が有るのと、移動やギルドの依頼に便宜を図って貰える場合が多い。
その代わり、組織経由の仕事をしないといけない。
他にもメリット、デメリットあるでしょうけど組織によるんじゃないかしら」
「特務機関のメリットは?」
「入隊金100万。
それと幾つかのスキル。
あと、裏ギルドの紹介状。割引付き。
あと、攻略情報。私が知る事で貴女が知りたいことは全部教えるわ」
「100万って、結構な高額よね?」
「そうよ。……何でそんな涼しい顔してるの?」
「いや、お金に興味無いから」
多分、当面は困らないと思うし。
それでも破格な条件なのかな。
「デメリットは?」
「定期的な仕事。
あと、LP」
「LP?」
「そう。
契約の証。
違反があった時、もしくは抜ける時は命を一つ失う」
「一つ、か」
「高いか安いかはその人次第」
今なら十分の一。
代償として、100万は妥当?
いや、それだけじゃ無いか。
「裏ギルドって?」
「あ、知らないか。
裏、もしくは闇社会。
血生臭い仕事の斡旋とそれをする為のスキルをあつかう所。
普通にプレイしていたら縁の無いところ」
「へー。
どんなスキルが有るの?」
「潜行、暗殺、強奪、とか。ちなみに裏のスキルは表の三倍の価格。
それが半額になるわ」
潜行、か。
「私を付けてきたのはそのスキル?」
「さあ?」
ふーん。
ま、そうなんだろうな。
しかし、どんな物があるか知らないが表の三倍て事は最高で三千万。
それが半額なのだとしたらすごい。
「後は攻略情報か」
実はそれが一番欲しい。
「表には出てない情報もあるわ」
「貴女とフレンドになったら教えてくれたりしない?」
「……友達なら手伝ってよ」
ごもっとも。
「で、何で私?」
それが一番わからない。
「強いからよ」
「いや、さっきゴブリン相手に逃げ帰る所だったけど?」
私より強いプレイヤーなんて何人もいる筈だ。
「でも、まだ始めて二週間くらいなのよね?」
「まあ」
「ちゃんとゲームの知識を持ったら私より強くなると思うわ」
「え?」
私より?
と言う事は彼女は今の私に勝てるのか。
いや、まあ、それはそうか。
アイツだって、それなりに手加減して私の相手をしていたのだろうし。
それが、まあ、ムカつくのだけれど。
「後ね、こうやって話して見て、是非貴女に入って欲しいと、改めてそう思う。
貴女は、私達の組織に必要な人材だわ」
ん?
何か、気に入られたの?
「因みに何人居るの? 特務機関って」
大所帯は嫌だな。
「……四人……」
「え」
思った以上に少人数。
あれ?
この前の自由騎士団とか、百人くらいいなかったっけ?
「みんな、多分高校生……。もう無理なのよ! せめて誰かとこの苦労を分かち合いたい!」
心の……叫び……。
そして、私に助けを乞うような視線。
いや……。
「それは……」
「こうやって偶にお茶付き合ってくれれば良い!」
それ、友達って言わない?
うーん……悪い人では無さそう。
取り敢えず騙そうと言うわけでは無いだろうし。
「体験入隊は?」
私の問いに彼女は首を横に振る。
「悪いけどここまで話した以上、この場でイエスかノーのどちらかを聞かなきゃならないわ。
ノーだったら私は二度と貴女の前に現れない」
なるほど。
特務機関。
さあ、どうする?
……水が合わなければ抜ければ良いか。
裏のスキルってのも気になるし。
私は仮想ウインドウを開き、目の前のノゾミにフレンド申請を送る。
それを見て、ノゾミは嬉しそうな顔をこちらに向ける。
「ひょっとして……」
「色々教えて下さい。主任。強くなりたいので」
「もちろん!」
◆
こうしてノゾミは、組織の要注意プレイヤーであるハルシュと繋がりのあるプレイヤーを引き入れると同時に愚痴をこぼす相手を手に入れる事になる。
昨日からマーカスと接触を図るべく動いていたノゾミにとっては瓢箪から駒、もしくは、棚からぼた餅と言ったところか。