白の刀 ―― 獅凰
左……。
一歩下がって飛び掛かって来る狼を待ち受ける。
その動きを迎える様に刃を滑らせる。
そして、あっさりと、何の手応えも無く飛び掛かって来たモンスターを粒子に変える。
「ふう……」
終わりだな。
気を緩めると同時に世界に色が戻る。
一回街に戻ろう……。
◆
赤須百々がヘクトとしてゲームをやり直して二日目。
彼女は既に自らの現状に大いなる不満を抱いていた。
一つ目。ステータスの低さ。
前回PKを繰り返し、短期間で敏捷値を飛躍的に向上させた彼女にとって、初期レベルの敏捷値の低さはストレスでしか無かった。
しかも、地道にモンスターを狩って経験値を稼いでいるが、それは一度のPKに比べ途方も無い労力になっていた。
二つ目。刀の切れ味。
雪白。
切れ味と言う点に於いてはゲーム内で屈指の性能を持つ刀。
それ故、ゲーム開始直後のモンスターなど、容易く切り裂く事が出来る。まるで手応えの無いままに。
それが、却って彼女に相手を倒したと言う事を実感させにくくしているのである。
三つ目。アバター。
ハルシュに対抗し男性のアバターを選んだのだが、その結果、彼女は自分の股間の異物感に悩まされている。
◆
取り敢えず、武器屋かな……。
この綺麗な刀はどうもしっくり来ない。
お上品過ぎる。
いや、殺傷能力の高い事に上品と言う表現は可笑しいか。
それに大小の二本差しだけど、二刀は使わないし。
更に言えば、このまま刀で白刃のスタイルを貫き通しても空を飛ぶ槍使いには当分勝てそうに無い。
私の手の内は全て知られている。
アイツを狙うならば、スタイルを変える必要がある。
とは言ったものの、どうしようかな……。
武器屋に並ぶ獲物を見ながら途方に暮れる。
大剣で潰す様に斬る。
斧で薙ぎ払う。
どっちも刀の延長に思える。
槍は論外。
「これかなー」
金属で出来たその無骨なデザインの武器を手に取り二度三度振り下ろす。
メイス。
所謂鈍器。
先端が重くなっているからだろう。
振り下ろすと、想像以上に勢いが付く。
ちょっと楽しいかも。
しかし、可愛く無いか?
……いや、私、今は男だし。
可愛さは重要じゃない。
よね?
目を閉じ思い描く。
眼前より迫る槍を半身で躱す。
体が入れ替わる瞬間にガラ空きの脇腹へ全力の一撃。
砕ける肋骨。
破裂する内臓。
驚愕に見開かれた目。
そして、吐血……。
そのまま、私に枝垂れかかってくるアイツ……。
有りだな!
「本気で振り回すなら買って外でやってくんないかな」
「あ、ごめんなさい」
思わず体も動いていたのか……。
武器屋の親父さんの苦々しい顔と何人かのプレイヤーの引き攣った顔。
耳まで真っ赤になりながらそっとメイスを置いて逃げる様に店を後にした。
◆
しかし、可愛くは無いよね……。
いや、可愛さは要らない、かなぁ……。
そんな事を考えながら酒場のカウンター。
少し背の高い椅子を引いて腰を下ろす。
そして、足を組み……。
「!!」
全身を走り抜ける激痛に声を出せずに悶絶。
股間を抑え、カウンターに突っ伏す。
足で股にぶら下がる物を……挟み込んだ……。
痛いやら、みっともないやら、恥ずかしいやら………。
潤んだ目を拭い、二、三度深呼吸をしてからビールを頼む。
これで何度目だ?
シニタイ。
何でこんなものぶら下げてて平気なんだろう。
いや、本当どうなってるの?
昨日の今日だから目で見て確認はしてない。
そして、なんとなくその一線は超えて行けない様な気がする。
乙女として!
乙女……として……。
はあ。
運ばれて来たビールを一口。
何やってんだろ。私は……。
これ飲んだら現実に戻ろう。
そうやって酔いもしないビールをラムステーキを肴にちびちびとやっていると、ふと、視線を感じ横を向く。
いつから居たのだろうか。
ショートカットの女の子が、一つ椅子を挟んだ向こうに座っている。
しかし、その女の子は私が顔を向けると同時にテーブルに視線を落とす。
いや、バレバレよ?
一旦気づかないふりをして横目で様子を伺う。
……やっぱ私の事見てるね。
何だろう。
何かを企んでるって感じでは無さそうかな。
僅かに首を、そちらに。
目が合い、そして、微かに口を動かし、それを止めて再びテーブルに視線を落とす。
その仕草に、昔の自分が重なる。
「何かご用?」
私は彼女に、そう声を掛けていた。
彼女は、一度私を見て、そして、再びテーブルを見て、もう一度顔を上げて私と目を合わさずに、小さく口を開く。
でも、そこから声は出てこない。
「個室の方が良い?」
このゲーム、酒場、食事処は大抵個室がついているらしい。
外からは想像も出来ない程大きな宴会場も。
「こう見えて女だから大丈夫」
小さくそう付け加える。
それで彼女は少し安心したのか、小さく頷いた。
ビールの追加をお願いして、彼女と二人個室に移る。
さて、何の用だろうか。
彼女が自分から語るのを待つ。
ビールをゆっくり飲みながら。
「刀……」
どれくらい経っただろう。小さな声で彼女が口を開く。
相変わらずテーブルに目を落としながら。
刀?
「これ?」
腰に差した雪白を指差す。
コクリと彼女が頷く。
「どこで……買った……の?」
おー、そういう事か。
「あ、私が買ったんじゃ無いから分からないの。ごめんね」
私の答えに露骨に残念そうな顔をする。
刀が欲しかったのか。
「余り良く知らないんだけど、刀って珍しいの?」
ここと、隣の島には置いてなかった。
コクリと頷く彼女。
そうか。
珍しいのか。
「……売って」
彼女が頑張って自分の願いを伝える。
売ってって言われても……。
貰い物だしな……。
「五千……万」
え。
「全……財産」
え。
ちょっと。
すごい大金なんじゃ無い?
ダメ?
と言わんばかりに彼女が私を見る。
「えっと、私はヘクト。貴女名前は?」
取引に必要なのは信用だ。
そして、この取引、悪く無いかも知れない。
「……シオウ」
「シオウ。よろしく」
彼女へ手を差し出す。
一瞬、戸惑った後にそっと手を握り返して来る。
そして私はテーブルの上に刀を二本乗せる。
「条件付きでその話、乗ってあげる」
その言葉に彼女が嬉しそうな顔をして、私を見る。
初めて目が合ったな。
「これから私はアバターを作り直して来る。
お金はその後に受け取る。どう?」
私の提案にシオウは大きく首を縦に振った。
うん。
信じていい。
この子は。
信じられない人間ばかりの中で培った観察眼がそう言っている!
……そんな事、自慢にもなりはしないのよ。
そんなシオウに微笑みを返す。
恥ずかしそうにテーブルに目を落とす彼女。
ちょっと考えていた事。
アバターの作り直し。
ゲームデータの初期化。
だって、なんか、邪魔なんだもの。
股間のアレが。
動く時にいちいち気になるし、ぶつけると痛い。
それに、このままだと……誘惑に負けかねない……。
その……自分で……弄ってしまいそう……。
それは!
乙女として踏み越えては行けない一線!
だから!
「よし! 契約成立!」
もう一度女の子に!
何となく踏ん切りがつかなかったのはあいつに貰った刀の所為。
それも、こうして他人の手に渡る事になった。
そうと決まれば善は急げ。
他に預かってもらう様なレアアイテムも無いし。
……。
しまった……。
立ち上がろうとして、私は動きを止める。
そしてアイテムも一つ取り出す。
……通信機。
『フレンドだったらいつでも連絡可能』
つまり、フレンドじゃなきゃ連絡出来ない。
データをリセットしたらアイツとフレンドじゃ無くなる……。
突然動きを止めた私に怪訝そうな表情を向けるシオウ。
「フレンド、消えちゃうのか」
半ば諦めた口調で私は言う。
もう、売ると約束しちゃったし。
「……ID」
「ん?」
シオウが、必死に何かを言おうとして、そして、仮装ウインドウを展開する。
<ポーン>
システム音。
<獅凰からフレンド申請があります。受理しますか>
<YES / NO>
獅凰。シオウってこう書くのか。
しかし、何で突然?
YESにふれる。
<ポーン>
再びシステム音。
<獅凰からメッセージが届いています>
メッセ?
展開。
『フレンドの通信機IDをメモしておけば
また連絡出来るよ!
╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !』
「え!? 本当?」
頷く獅凰。
「どうやって?」
『フレンドリストの通信を長押し!
٩(๑❛ᴗ❛๑)۶』
仮想ウインドウを開いて言われた通りにやって見る。
そこに8桁の数字が現れる。
「8桁の数字。これ?」
頷く獅凰。
これをメモ……。
テーブルに置いてあった紙ナプキンに慌ててアイツの番号をメモする。
「ありがとう!」
礼を言うと獅凰が手を差し出す。
あ、そっか。
「じゃ、これ、預けます」
通信機とメモをした紙ナプキンを獅凰に渡す。
『開始地点で待ってるね!
( ̄^ ̄)ゞ』
「うん。すぐ戻る」
◆
『ようこそ。コンステレーション クエスト オンラインの世界へ。
ヘクト様、プレイデータを初期化すると今のゲーム内でのデータ全てが消去されますが、宜しいですか?』
宇宙空間の中にオペレータの声が響く。
「うん。大丈夫。急いで」
発光しながら浮遊するオペレータを急かす。
獅凰を信じると言ったものの……やっぱり少し逃げられるかもと疑ってしまう。
『はい。初期登録内容は前回と同一で宜しいですか?』
「アバターを女にして! アレだけ取りたい!」
『はい。承りました。性別の変更のみで宜しいですか?』
「うん。あ、それとスキルと装備を剣じゃ無くてメイスに」
『変更点は以上で宜しいですか?』
「うん!」
『それでは、空を駆ける冒険の世界。コンステレーション クエスト オンラインをごゆっくりお楽しみ下さい。
どうか、星々の導きのあらん事を』
◆
景色が切り替わる。
白亜の街並み。
三度目の旅立ち。
これは、幸運の女神の導きなのだろうか。
階段に腰を掛けている女の子。獅凰。
股間に手を当て、女である事を確認。
それから彼女に声をかける。
「お待たせ!」
そう言いながら早速獅凰へフレンド申請。
<ポーン>
システム音。
<獅凰がフレンド申請を受理しました>
『おかえり!
(๑˃̵ᴗ˂̵)p』
「ただいま!」
メッセに笑顔で返す私に獅凰が、通信機と紙ナプキンを渡して来る。
それを受け取り、そして、更に獅凰からトレードの申請。
彼女から刀の代金、五千万が送られる。
レベル1で持って居て良い金額では無い……。
バレたらヤバイな。
急に押し寄せる不安。
そんな私の様子を獅凰が察したのだろう。
『獅子座まで行ったら強い武器とスキルが買えるよ!
一緒に行こう!
(「`・д・)「ガオオォ』
ぷっ。
これ、ライオン?
思わず眉尻が下がる。
そして彼女に問いかける。
「良いの?」
少しだけ笑みを浮かべ頷く獅凰。
じゃ、甘えちゃおう。
「ありがと!」
親指を立て返して来る。
そして、港に向け歩き出す。
「ねえ、獅凰」
歩き出したその背に声をかける。
振り返り、小さく首をかしげる。
「その刀……大事にしてくれると嬉しいな」
再び笑顔で頷く獅凰。そんな彼女に並んで私も歩いて行く。
いざ! 獅子座!
◆
アバターの設定を性別しか変更しなかった為、胸が残念な事に気付くのは彼女が船に乗ってからである。
顔も体付きも男性とも女性とも判別がつかない程度に中性的になっているのは、幸運の女神のいたずらか、オペレーターAIの気まぐれか。