管制小会議室
整備場に出向いたあと、居住区に戻ろうとして、磯城は、管制小会議室に呼び出された。戻って来たものの、呼び出しの張本人の名前を見れば、嫌な内容の話をされるのは想像がついたので、出来ればこのまま引き返したい。
小会議室の前で、磯城の口から、重い溜め息が漏れた。
パスコードを入力してIDカードを通すと、扉は軽い音を立てて開く。
まだ誰も来ていないと思ったら、窓辺に管制士が1人、立っていた。幼馴染の葛城彼方だ。
「…何だ、ずいぶん早いな」
室内に入って声を掛けると、
「俺は残業だ。おまえこそ、ずいぶん早かったな。居住区に帰ってたんじゃないのか?」
彼は、磯城の側に歩み寄る。まぁな、と磯城が答えると、葛城はニヤリと笑った。
「整備場に行ってたんだって?」
「…どこで、それを…」
「噂になってたぞ。管制士が、わざわざ整備士にケンカを売りに行ってたって」
葛城の言い分に、磯城は顔を顰める。大いなる誤解、とは言わないが、事実じゃない。
「別に、ケンカは売っていない。ちょっと個人的に、話をしてきただけだ」
反論する磯城の声は、苦々しい。葛城は楽しそうに笑い声を立てて、どうだった、と肩を叩く。
「俺の自慢の子だ。おまえのお眼鏡に適ったか?」
言われて、整備場で会った整備技師を思い出す。
初見では、年齢相応の、あどけなさの残る少年で、大人しそうに見えた。だが、こちらが彼を試していると気付くと、静かに用心深くこちらを伺い、逆に試された。とんだ食わせ者かと思ったが、こちらが切実に心情を訴えれば、途端に表情が和らいだ。
本来の彼は、温和で優しい性格なのだろう。おっとりした笑顔と口調が、印象的だった。
「ああ。なかなか手強い。試すつもりが、こちらが試された。食わせ者だが良い子だ、おまえと違ってな」
最後の一言に軽く嫌味を込めたが、葛城には通じなかった。逆に、嬉しそうに顔を輝かせる。
「だろう? だから可愛いんだ」
こいつ、親バカだ。
磯城も、自分で大概だと思っているが、絶対、葛城ほどではないはずだ。
思ったことが、無意識に声に出ていたのだろう。葛城が渋い顔をする。
「おまえ、人の事、言えると思うなよ、衡平」
「おまえほどじゃない、彼方」
言い合って、互いに睨み合う。
その時、会議室の扉が開いた。
「何だ、おまえたち、また養い子自慢で張り合ってたのか?」
身も蓋もない言葉と共に、管制士が1人、入って来た。こちらも幼馴染の、久度奏志郎だ。
「遅い、奏志郎。呼び出しの張本人のくせに」
「悪いな衡平。整備士にケンカを売りに行けるほど、暇じゃないんだ、俺は」
辛辣に言い返され、磯城は顔を顰める。隣で葛城が爆笑した。
「養い子がケンカに勝ったからといって、笑ってる場合じゃないぞ、彼方。最近、顔を見せにも来ないそうだな。愛想を尽かされたんじゃないのか?」
容赦ない言い様に、葛城の爆笑がぴたりと止まる。
「…おまえ、本当にイヤな奴だな…」
葛城と磯城が、声を揃えて抗議する。久度は、それはすまない、としれっと返した。
磯城は眉根を寄せて、
「おまえだって、人の事は言えないだろう。手が掛かるだの言って、本当は、養い子2人を可愛いがっているんじゃないか?」
そう言うと、久度も言い返す。
「俺は、恋人自慢を惚気た事はあるが、親バカを自慢した事はない。あれは……じゃじゃ馬だ……」
最後に付け加えられた呟きに、久度の苦労が滲み出ていた。
「…そんなに、か…?」
「…おまえが手を焼いているのか?」
磯城と葛城が、同時に喋る。久度は、返事もせずに顔を逸らした。
「…疾矢には懐いてるし、櫟本の言う事は訊くが、チビ共、俺には未だに近寄らん…」
どこか虚ろな目線が、憐れだった。
本当は、久度も養い子に懐かれたいのだろう。口ではああ言うが、やはり可愛いのだ。
磯城が、反抗期だと思えばいい、と慰めの助言をすると、久度に思い切り睨まれた。
「で、お互いの養い子自慢をするために、ここに呼び出した訳じゃないだろう? 奏志郎に、そんな余裕は無いはずだ」
葛城が、腕組みしながら壁に寄りかかる。眼差しが、真剣味を帯びていた。
久度は軽く頷くと、苦々しい表情を浮かべる。この顔をする時は、大抵、嬉しくない話題が飛び出す。
「カブテックと篠亜重工が、動き出した」
久度の、要点も概要もすっ飛ばした結論に、2人は顔を見合わせる。
「…どういう事だ?」
磯城が、訳が分からないと訴えると、久度は、顔を顰めたまま、
「ハイブリッドの情報が漏れた」
と、付け加えた。
「ちょっと待て、何で漏れるんだ。ハイブリッドの事は一切、表立った会話はしてないだろう」
狼狽える葛城を、落ち着け、と磯城が諌める。
久度が、結論だけで会話を終わらせようとするのは、いつもの事だ。
「奏志郎も、順を追って説明してくれ。状況が飲み込めん」
頭を抱えて頼むと、久度は素直に、悪かった、と呟いた。
「今回、立ち上げたプロジェクトに、ハイブリッドが投入される事を、何処かで嗅ぎつけたようだ。俺たちの間で使っていた隠語がバレた」
「それを知ってるのは、一部の管制士だけだろう? だったら、ここの会話も筒抜けじゃないのか?」
「それは心配ない、彼方。どうやら、通信回線を使った会話だけらしい。どの範囲の情報が漏れたか分からんが、それらしい事を匂わされた。かなり正確に伝わっていると思った方が良い」
久度の話を聞いた途端、頭痛がしてきた。磯城は頭を抱えたまま、重い溜め息を吐く。
「…で? 向こうは何と言ってきた?」
半ば予想が付いたが、一応、磯城が訊くと、
「資材と技術、人員の提供を申し出てきた」
思った通りの答えが帰ってきた。
「一応断ったが、聞き入れなかった。何としてもプロジェクトに割り込む気だ」
元々、ハイブリッドを動かす事にしたのは、もっと深刻な危機を回避する為だ。それが、なぜ、面倒が増えるのか。
「…また、厄介な…」
溜め息混じりの磯城の横で、葛城が、興味本位で訪ねる。
「それで、何と答えた?」
「今回のプロジェクトは、非常に繊細な実験環境下で行う。完全に制御できない外的要因が、そのままプロジェクトの破綻に繋がる、と言ってやった。どうしても協力したいなら、こちらの指示する人材を連れて来い、とな」
久度の言い分を聞いた葛城は、呆れ顔だ。
久度は元々、転んでもタダでは起きない。何かしら、本人以外が得しない事を、やらかすのだ。
嫌な予感がした。
「その人材とは?」
念のため、磯城が問うと。
「高難度の操縦レベルのガーゴイルオペレーターを、各社一組。少数精鋭で人員を組んでいるから、これ以上は邪魔だ、と言っておいた」
予想通りの答えが返ってきた。
確かに、今回のプロジェクトに見合うオペレーターを、ステーションで探すのは至難の技だ。未だに、陸以外のオペレーターがいないのが、その証拠だ。だから、外部から調達、というのも頷ける。
だが、久度の提案は、別の危険を孕んでいるのだ。
気付いているのか、いないのか。
磯城の頭痛は、治まりそうにない。
「奏志郎、おまえの指示する人材だと、軍が出張ってくるぞ?」
「…ああ、あの2社、そう言えば、敵対関係の軍傘下企業だったっけ?」
呑気な葛城の発言に、磯城はイライラと言い返す。
「あのな、彼方。こちらは、戦争の火種に成りかねないモノを、みすみす渡す気は無いんだよ」
「馬鹿にするなよ、衡平。それくらい、俺だって分かる。今更ジタバタしても仕方がないんだ。上手く収める方法を、探すしかないだろう?」
「彼方の言う通りだ、衡平。だが、彼方の言うような後手に回るつもりは無い。いずれ軍が出張ってくるなら、こちらの都合の良い条件で引っ張り出した方が、良いだろう?」
ニヤリと久度が笑う。
転んでもタダでは起きない、どころではない。軍まで最大限、利用するつもりだ。
磯城と葛城は、呆然と久度を凝視した。
「だから『高難度の操縦レベルのガーゴイルオペレーター』なんだ」
「…それって、まさか…」
思い当たる節があるのか、葛城が言葉を濁す。
「その『まさか』だ。軍事利用の禁止されているガーゴイルを、軍で唯一、保有できる部隊。引っ張り出すのは、災害救助部隊だ」
そうきたか。
久度の思い通りにさせれば、最良の結果を導き出すのは、簡単だ。簡単だが…。
如何せん、良心の呵責が、半端ない。
磯城は、両手で頭を抱えたくなるのを必死で抑えて、反論を試みる。
「…本当に、彼らが出てくると思うか?」
「ああ、間違いなく。こちらの条件を満たそうと思えば、部隊の中でも熟練者が選ばれる。あの部隊の熟練者は、戦争を嫌う者の集まりだ。誘導さえ失敗しなければ、こちらの味方に付く」
「そんなに上手くいくか?」
訝し気に眉を顰める磯城の心配にも、久度は、あっさりしたものだ。当然のように、さらっと流した。
「失敗したところで問題ない。いくらハイブリッドの情報が漏れようが、あれのデータを見つけるのは不可能だ。まして、真実に辿り着くなど、あり得ない」
「…それは、そうだが…」
「あれのデータを持っているのは、ハイブリッド計画に参加した研究者たちの、一部の遺族だけだ。真実は、俺たちしか知らない」
確かに、久度の言う通りだ。今更、あの遺族たちが、口を開くとは思えない。
それでも。
「その遺族が、裏切る可能性は…?」
磯城の質問は意地の悪いものだ。自覚はしている。
「あると思うのか? 衡平」
久度に、当たり前のように返されて、磯城は首を振った。
「…いや、愚問だった。すまない」
素直に謝ると、それまで黙っていた葛城が、
「衡平は、相変わらず心配性だ」
と笑う。
「とは言え、これ以上の情報が漏れるのは、有り難くないな。どこから核心に近づくか分からない」
葛城の言葉に、久度は頷く。
「実験場は完全隔離されている。あちらに移れば、情報が漏れることは無い。それまでは大人しくしておく。彼方、念の為、それとなく情報操作はしておいてくれ」
事も無さ気に言われて、葛城が盛大に顔を顰めた。
「…また、厄介な仕事を…」
毒づきながら、それでもやるしかないのは、葛城が一番よく知っている。
文句しか出てこない葛城を横目に、磯城は久度に訊ねた。
「…私は、どうすればいい?」
久度は、ぽん、と磯城の肩を叩くと、
「とりあえずは、チビ共と遊んでおけ」
言い放った。
子守か。
しばらくは、磯城の頭痛の種は、消えそうになかった。