整備場(哲也の場合)
・リンク率→機体と、脳や神経の、接続の割合。
・同調率→機体と人体の、感覚器官(五感)の共有の割合。
「陸、コクピットのハッチは、このまま開けておいて下さい。最終調整で動作確認はしませんから、リンクも始動状態を維持して下さい。今回は調整を大幅に変えてますから、気分が悪くなったり異変を感じたら、すぐにリンクを切って下さい」
いけますか?
コクピットに座った生駒に、ハッチに手をかけた哲也が、覗き込むように訊いた。
「了解、いける。ついでに、シートベルトもしとく?」
「動かしませんから必要ないですが、お好きにどうぞ」
嬉しそうに答える生駒に、哲也は、手元の端末を操作しながら苦笑を返す。
ガーゴイルに乗るの、好きなんだな。
感心しながら手元の端末を弄る間にも、生駒は手慣れた作業で準備を始める。
「準備OK」
「では、リンクを開始して下さい」
哲也が合図すると、生駒は頷いて、機体とのリンクを始めた。
機体の接続機から接続糸が伸びて、生駒の手足の皮膚の内側に潜り込む。
哲也は、生駒の様子を見ながら端末のバイタルを確認したが、異常は無い。脳波も正常だ。神経接続には問題が無いようだ。
生駒が深呼吸を一つして、目を閉じた。本格的なリンクが始まった。
哲也は、端末にデータを呼び出した。
生駒の脳波が、緩やかに変化する。波形リンクに若干の誤差があるが、これは正常範囲内だ。しかし、リンク率の上昇が異様に速い。10秒そこらで90%を超えている。
引き摺られるように、同調率にもブレが出ている。バイタルと脳波を確認してみたが、こちらに異常は見られない。
生駒の潜在能力が、予想以上に高い証拠だ。
リミッター、掛けた方が良いかな?
哲也は、眉を顰めて考える。
ふと、生駒が驚いたように目を開けた。
「…陸? 大丈夫ですか?」
心配になって哲也が問い掛けたが、生駒は返事もせずに、瞬きを繰り返す。
バイタルに異常はない。他の計測値も、若干の誤差はあるが、リンク率以外は正常範囲に収まっている。でも、データに出ない部分で異常が無いとは言い切れない。
不安になって、哲也はコクピットの中を覗き込んだ。
「…陸?」
もう一度、呼ぶと。
「…大丈夫、あんまりにもリンクがスムーズだったから、びっくりしただけ」
生駒は、照れ笑いを浮かべて、返した。無理をしていない自然な笑顔だったので、哲也はほっと息を吐く。
最終調整は順調に進んだ。生駒に、気になるところや要望があるか聞いてみたが、今の調整が気に入ったのか、特にないと返された。
「…うわ、これ、早く動かしてみたい」
目をキラキラさせる生駒に、苦笑する。
「また今度。今は駄目です」
余程、ガーゴイルが好きなんだ、と思いながら、哲也はデータと生駒の様子を見比べる。
分かってる、と返事する生駒は、特に変調は無いようだが、端末のデータの数値が推移し始めた。本人は哲也の言付けを守るつもりのようだが、機体に引き摺られて、リンク率と同調率が大きくブレてきている。
哲也は急いで調整を終えると、
「終了です。リンクを切って降りてきて下さい。問題が発生しました」
言い残して、先に下に降りる。
「…えっ、えっ?」
動揺気味の生駒が、あたふたしているのが、視界の端に見えた。
哲也が下に降りると、仏頂面の三郷が待ち構えていた。これでも、生駒を心配しているのだ。
「どうだ?」
「一応、データ上は正常範囲内です」
データを整理しながら告げると、三郷がほっと胸を撫で下ろす。
ですが、と哲也は続けた。途端に、三郷の顔が強張った。
「リンク率の上昇が、異様に速い。引き摺られて、同調率にもブレが出ています」
「…おまえと全く一緒か…」
苦虫を噛み潰したように、顔を顰て三郷が唸る。こればかりは、哲也からは苦笑しか出てこない。
顔を見合わせて溜め息を吐いた時、生駒がコクピットから降りてきた。
「てっさん、問題って?」
「その前に、陸に質問があるんですが」
開口一番に訊いてくる生駒に、哲也は質問を返す。生駒は、きょとんとして頷いた。
「リンク率の上昇速度に関する調整は、した事がありますか?」
「ないよ」
「では、リンク開始から始動状態にするまで、どれくらい時間が掛かりますか?」
生駒は、首を捻って考え込む。
「…んー、平均で20秒前後、最速で16秒」
どこか自慢気に胸を張っている。
これも、ほぼ僕と一緒、か…。
哲也は小さく溜め息を吐いた。
確かに、速度が速いほど能力が高い証拠になるが、思わぬ落とし穴があるのだ。
哲也は端末のデータを確認しながら、淡々と告げた。
「では、最速記録更新ですね。今回は12秒でした」
やった、と小さくガッツポーズを取る生駒に、水を差すように哲也は続けた。
「それが問題、なんですが」
言った途端、生駒の目が点になる。ぽかんと口を開けて、しばらく動きが止まった。
これが『お客さん』相手なら、今頃、罵声を浴びせられるか、延々と嫌味を言われ続けるか、どちらかだ。
生駒は、ようやっと言葉の意味を飲み込んだように、
「…そ、なんだ…」
力なく呟いた。じっと哲也を見る目が、説明を求めている。
哲也は申し訳なさそうに笑うと、手元の端末を、生駒に見えるように差し出した。
「順を追って説明しますね。まずはリンク率の上昇値ですが、開始10秒で90%を超えてます。その秒数なら20%台が基準なので、速すぎです」
数値の一ヶ所を指差すと、生駒は真面目な顔で覗き込む。
「リンク開始から始動状態まで、どれくらいの時間が理想なの?」
「40秒前後です」
哲也の説明に、生駒は、なるほど、と納得している。続きを促されたので、哲也は説明を再開した。
「で、つられて同調率にもブレが出ています。これはリンク終了まで続いてますし、時間が経つほど酷くなってます」
哲也は、手元の端末に、基本数値のグラフと生駒の数値のグラフを呼び出した。二つを重ね合わせて、指で追いながら説明を続ける。
「リンク率の上昇速度にも、始動状態の維持数値にも、一応、基準があるんです。リンク率、同調率共に、平均100%にプラマイ5%の誤差範囲が基準値ですが、陸の場合、平均110%にプラマイ20%の誤差が出てる」
手元に示したグラフは、確かにブレが酷かった。生駒は、目をまん丸にしてグラフに見入ったあと、哲也に視線を向けた。
「これ、よくないんだよね?」
「はい。どちらもグラフ化せずに数値だけ見れば、能力値の高さの証明になりますから、気にする人も少ないですが、意外に知られていない弊害があるんです。始動時のリンク率や同調率が高く、ブレが大きいと、機体と同調し過ぎになる。一見、いい事に思えますが、機体コントロールが難しくなる欠点があります」
哲也は一旦、言葉を止めると、生駒を見据えた。
「そして、急激なリンク率の上昇は、脳に掛かる負荷が大きい。こちらの方が、深刻です」
生駒は、黙って末端のデータと哲也の顔を見比べていたが、
「何となく危険、は分かったけど、具体的には?」
と聞いてきた。
「同調し過ぎて機体に引きずられると、コントロールに余計な圧力が掛かって、負荷が跳ね上がります。これは、主に身体に負荷が掛かるので、発見が早く回復もしやすい。逆に、急激なリンク率の上昇は、脳に余計な圧力が掛かって負荷が跳ね上がるので、発見が遅れて回復も難しくなります」
哲也の具体的な答えに、やや首を傾けて、生駒は曖昧な表情をする。隣で黙っていた三郷が、やっぱりバカだ、とぼそっと呟いた。
生駒は三郷を、恨めしそうに上目遣いに睨んでいたが、三郷は素知らぬ顔でそっぽを向いている。
哲也は、2人の間に割って入って宥めてから、
「どこが分からないですか?」
と、生駒に訊いてみた。生駒は、うーん、と唸る。
「…急激なリンク率の上昇で負荷が跳ね上がる、理屈?」
どうやら、生駒は、理屈がいまいち飲み込めてないので、曖昧にしか分からない、と言いたいようだ。
哲也は、小首を傾げて少し考えたあと、例えば、と切り出す。
「三郷さんが、陸に飲み物を持ってきてくれたとします。三郷さんは、ドリンクボトルを投げて寄越す癖がありますよね。それが、間違って陸の額に当たったとして、緩やかに投げられるのと、全力で投げられるの、どちらが痛いですか?」
奇妙な例え話をする哲也に、三郷が、嫌な例えしやがる、と苦い顔をしていたが、あえて無視する。
生駒は、首を傾げながらも即答する。
「そりゃ、全力……あ、そういうことか」
「はい、そういうことです」
ぽん、と手を打った生駒に、哲也はおっとり笑った。
「解決策は?」
哲也が提案する前に、生駒から質問された。驚いて瞬きする哲也に、生駒は、あるでしょ、と目で訴えてくる。
「…リミッターを掛ける方法が。リミッターでリンク率の上昇速度を抑えれば、多分、同調率のブレも治まります。若干、機体の反応が鈍く感じられますが、一番負荷の少ない、安全な方法です。あとは、機体自体に制御を入れる方法もありますが、調整次第で、逆に負荷が大きくなります」
「自力でコントロールって、できない?」
「可能ですが、習得までにかなりの時間と労力が要ります。その間は、搭乗許可を出せなくなりますが…」
申し訳なさそうに哲也が言うと、生駒は真剣に悩み出した。
固唾を飲んで見守っていると、生駒が、ふと哲也に視線を合わせる。
「現場は維持したい。でも、それ、危険なんだよね?」
「…はい…」
「てっさんならどうする? 整備士としてどうしたい? オペレーターとして同じ事言われたら、どう選ぶ?」
生駒が、あまりにも真剣に問い質すものだから、哲也は一瞬、目を背けそうになった。すぐに思い直して、彼の目を見つめ返す。
「…僕なら、リミッターを掛ける事を選びます。整備士としても、オペレーターとしても、答えは変わりません」
はっきり言い切ると、生駒は嬉しそうに顔を綻ばせた。そして、ごめん、と謝る。
「ちょっと試すような事した。てっさんの答え、分かってたけど、どうしてもてっさんの口から聞いてみたくて」
生駒は、もう一度、ごめん、と謝る。
三郷が、口を開閉させてから、小さく唸る。
「…おまえ、なぁ…」
漏れ出た低い呟きは、盛大な呆れと、ちょっとだけ怒りが混じっていた。
状況が上手く理解できない哲也は、瞬きを繰り返して生駒を凝視する。生駒は、満足そうに哲也の顔を覗き込むと、
「いいよ、てっさんの思う通りにして」
当たり前のように、さらっと言った。
「…いい、んですか…?」
答えた哲也の声は、震えて上手く言葉にならない。困って三郷を見上げると、彼は、ぽん、と哲也の頭を撫でる。
「それって、テツを全面的に信頼するって事か? それとも…」
「そういう事です」
三郷の言葉を途中で遮って、生駒は肯定した。
嬉しい、と思う。でも、それ以上に、戸惑ってしまう。
動揺を隠せなくなって、視線を泳がせる哲也に、生駒は人懐こく笑いかける。
「俺、てっさんに丸投げしたい訳じゃないんだ。納得いかなかったら、口出すと思う。けど、てっさんは、俺にも機体にも、為にならない事はしないって信頼できるから、任せようと思った。だから、いちいち俺に許可取らなくていいよ。てっさんの思う通りにして」
ただし、ちゃんと説明はしてね。
生駒は付け加えて、満足そうに笑う。
本当に、嬉しかった。
人に無条件に信頼されるのが、こんなに暖かくて重いとは、思ってもみなかった。
生駒に返事をしないと、と思うのに、声が出てこない。涙が零れそうになって、哲也は俯いてしまった。小さく頷くので精一杯だ。
三郷の、筋金入りのバカだ、の呟きが聞こえたが、その声音は、いつもよりずっと優しかった。
◇リンク率・同調率の『基準値』と『正常値』について。
・正常値→機体を動かすのに、支障の出ない数値。
・基準値→機体を動かすのに、最適な数値。




