7・繋いだ想い
泣きました。
宇宙空間でオリハルコンの鎖に手足を繋がれてチュニックドレスの胸元に手を添えられたところで恐怖のあまりあたしは泣いてしまった。
それはもう盛大に幼い子供の頃のように大粒の涙を零しながら泣いた。
さすがのソロモンも困ってしまったようで、オリハルコンの鎖を解いてあたしの頭をそっと撫でながら優しい言葉を掛けてくれる。けれども、さっきまでの恐怖と優しくなったソロモンへの安心感で余計に涙が止まらなくなってしまい、泣き続けてしまう。
帝都に降りた後、ソロモンが美味しいケーキをおごってくれた。
「セリカ。美味しいですか?」
優しい表情と声でソロモンがケーキを頬張るあたしに訊いてくる。
「うん」
もう泣き止みたいのだけれども、さっきまでの大人の関係を迫るソロモンへの恐怖心と、今の包み込むように対応してくれるソロモンの優しさに心が混乱して涙が止まらない。
ソロモンが苦笑しながら頬っぺたに付いた生クリームと時々零れてしまう涙をハンカチで拭き取ってくれた。
「他には何か食べたい物はありますか?」
「お肉」
「肉ですか?」
「とっても美味しい熱々のお肉が食べたい」
「分かりました。それではそのケーキを食べ終わったら美味しいステーキを提供してくれるお店を知っていますのでそこにご案内します」
「ありがと」
「どういたしまして」
肉汁がしたたる最高の食感の熱々ステーキを頂き、デザートに蜂蜜がけのレアチーズパルエを食べた。美味しかった。
もう、神殿に行ってジュリエットとお話しをする気力も無かったのでホテルに泊まる事にした。ソロモンは始めから別々の部屋を頼んでくれた。あたしにはホテル最高のスイートルームを取ってくれたのが嬉しかった。
広くて豪華な室内のベッドに寝転んで顔を埋める。ふかふかのベッドが気持良い。
今日は本当に心をかき乱された一日だった。二度と会う事はないと思っていたルーカスに出会い、その後のソロモンの嫉妬に翻弄され、食べ物で誤魔化され、今はこうしてスイートルームのベッドで1人寝転んでいる。
ソロモンは食べ物で釣ればあたしが大人しくなる事を知っている。
あたしの事をお子様だと思っているんだ。その通りだけれども。
柔らかいベッドの上でうとうとしていて、ふと思い出す。そういえばマーガレットさんはあれからどうしたのだろう?ソロモンの事をすぐに発見してしまう彼女の事だ。ソロモンが上手く撒いたとしてもすぐに彼の居所を見つけ出してしまうはずなのに。
気になって千里眼で彼女の姿を探す。帝都のどこにも見当たらない。探索範囲をどんどん拡大していくと見つけた。
ソロモン。貴方は何て事をするの?!
大陸の南東の果て。4人の魔王が治める共同王国・魔族連合国の地にマーガレットさんは放り込まれていた。
彼女の実力なら死ぬことはないだろうけれども、あそこからバルト帝国領まで戻って来るのにはとても困難な道程が待ち受けている。ハイオークにゴブリンキングにオーガマスター。キマイラにミノタウロスにケルベロスと強い魔物がうじゃうじゃ生息していて彼女の帰るべき道を塞いでいた。ソロモンさん、貴方はやはり鬼ですね。
嫌な予感がする。
道端の小石と思っているマーガレットさんにさえこの仕打ちだ。
ルーカスの事をソロモンは完全に敵視していた。殺意さえ持っている。
ルーカスもどこかとんでもない場所に飛ばされているかもしれない。
そう考えて彼の姿を探す。
見つけてほっと胸をなでおろした。ルーカスはちゃんと帝都の宿の中に居た。安そうな宿だったけれども部屋の中は清潔そうで安心した。汚い部屋に泊まって彼が病気にでもなったら大変だ。
元気そうな彼の姿を確認できたので千里眼を閉じようとした瞬間、見覚えのある女の子の姿がルーカスの部屋の中にいきなり出現した。
漆黒の艶やかな長い髪に、潤んだように煌めく青い瞳の女の子。
ジュリエットだ。どうしてルーカスの部屋の中に彼女が現れたの?!
千里眼の焦点を絞り、口の動きから言葉も読めるようにした。
突然目の前に現れたジュリエットにルーカスは驚いた様子も見せない。椅子に座ったまま、冷静に彼女の事を眺めている。ジュリエットがルーカスの目の前で恭しく頭を垂れて跪く。そして口を開いたその時、ジュリエットがこちらの視線に気づき睨んできた。千里眼を弾かれる。
「痛っ!」
特異技能カウンターだ。五大元素魔術の最上級魔法の一つで魔法や特異技能によるスパイ行為に対して発見及び自動追尾の攻撃を行う。
両目を潰された。ソフィの時と合わせてこれで2度目だ。
痛覚を切り離して眼球の修復をしながら思う。
あれはどういう事なの?
ジュリエットがルーカスに頭を垂れて跪き、恭順の意を示していた。
そして彼女が呟いた言葉。
「我が君」
確かにジュリエットはそう言っていた。あのルーカスに向かって。
我が君。
それは尊敬と憧れを込めて自分の主に使う最大級の敬愛の言葉。
ジュリエットにとって、ルーカスはそれほどの存在という事だ。
ジュリエットは怨呪と創造神教をつなぐ鍵。
怨呪は江梨花やベステトを殺した2体の悪魔の力の源であり悪魔を生み出した源泉でもある。凶と禍。この2体の悪魔のどちらも姿さえ見せてはいない。
まさか。
いえ、あり得ない。
ルーカスが凶や禍であるはずがない。
これは何かの間違い。きっと違う。
あんなに優しかった人が。
あたしを救ってくれたルーカスが悪魔であるはずがない。
「セリカ、おはようございます。昨夜は良く眠れましたか?」
スイートルームを出てホテルのロビーに着くと、いつもの穏やかな表情で声をかけてくるソロモンがいた。待ち合わせの時間よりも早く来てあたしを待っていてくれたんだ。こういうソロモンのさりげない気配りを感じる度に胸の奥が温かくなる。
「うん、ごめんね。待たせちゃって」
ソロモンは口には出さず、にっこりと微笑みで答えてくれた。
その微笑みを見た瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。いつもあたしの事を大切にしてくれて、自分の事よりもあたしの事を一番に考えてくれる人。これほどまでに想ってくれる人なんてきっと他にはいない。
甘えている。
何もかも受け入れてくれるソロモンの優しさにあたしはきっと甘えすぎている。
でもソロモンだって人間だ。焦りもするし、やきもちだって焼く。まして彼の心は危ういほどに純粋で真剣なもの。それなのに、そんな氷細工のような彼の心に甘えて寄りかかって。彼にばかり負担を押し付けている。
嫌だ。こんなに良くしてくれるソロモンにばかり負担を掛けて、彼にばかり大変な思いをさせて。そんな事はもう嫌だ。あたしだってソロモンの力になりたい。彼が大変な思いをしている時は支えてあげたい。
それなのにできない。彼に求められると怖くて逃げてしまう。
意気地の無い自分が嫌になる。
ホテルを出てソロモンと2人、帝都の道を並んで歩く。
ちらりとあたしの左側を歩くソロモンのお顔を覗く。いつもは丁寧で穏やかな人。でもその本性は危険すぎるほどに純粋な人。そして純粋すぎるがゆえに冷酷で残虐な人。
この人を受け入れるのは並大抵の覚悟じゃ済まない。きっと、たくさん怖い思いをする事になる。苦しい思いもいっぱいするかもしれない。でも、こんなに純粋な想いをぶつけてきてくれる人になら良い。
「セリカ?」
ソロモンが少しだけ驚いた表情を見せた。あたしがソロモンの右手を握ったから。
昨日からソロモンに甘えつつも、体が触れ合うのを怖がってしまうあたしの気持ちを察知して、彼はずっと体が触れ合わない距離を置いて接してくれていた。
ソロモンの手を握る自分の手に力を込める。
傷つけられても良い。この人に傷つけられるのならあたしはそれでも良い。
ソロモンの穏やかなお顔のその瞳の奥は、いつも不敵な自信で溢れていた。その自信があたしを襲おうとした後はすっかり鳴りを潜めていたのだけれどもソロモンの手をあたしが握ったら、その瞳の奥に不敵な自信が再び湧き上がってきた。
ソロモンのその様子を見て、思わず彼を可愛いと思ってしまった。
純粋で可愛い人。けれどもこの人と添い遂げるのは命懸けになるかもしれない。
男の人とのお付き合いが怖いほどの命懸けって。
自分に苦笑してしまう。
「着きましたね」
巨大な塔を見上げながらソロモンが呟く。
「着いちゃったね」
これから立ち向かう事になる相手の手強さが思いやられる。
ソロモンと2人。創造神教の総本山を前にしてお互いの顔を見合わせる。ちょっとだけ怖いけれども、ソロモンとしっかり手を握り合っているから気持ちは落ち着いていた。彼と一緒ならどんな所でも勇気を持って飛び込んで行ける。
「行きますよ。セリカ」
「はい」
毎日、数万から十万人以上もの信者達がお祈りに訪れるという創造神教の総本山。全高380mの巨大な石造りの塔。
目を潰されるのを覚悟で千里眼を発動した。
居る。塔の頂上からジュリエットも千里眼でこちらを見つめていた。
「いらっしゃい」
彼女が手招きをしながら呟やく。
音速で飛翔し、瞬時にあたしとソロモンは塔の頂上に立った。
「聞きたい事があるのだけれども、訊いても良いかな?」
ジュリエットに尋ねてみた。
「私から何を聞きたいの?」
口もとに笑みを浮かべてジュリエットが言った。
「怨呪と創造神教の関係。それと貴女の狙いが何なのか」
「あら。それは白亜の城の大広間で答えた時と一緒よ」
「あの時と一緒?もしかしたら貴女って、あの晩餐会の夜に神殺の剣を持って戦っていた時のお人形さんなの?」
「そうよ。あの時は助けてくれてありがとう。おかげでまたこうして戦える」
ジュリエットのお人形にお礼を言われて、あたしはソロモンに謝った。
「ごめんなさい」
「セリカがどうして私に謝るのですか?」
「あの時、ソロモンの言う通りにしてあの子を虚空に飛ばしておけば、今こうして戦わなくても済んだのに」
「そんな事ですか。たかが人形の1体くらい減らしても何の意味もありませんでしたよ。どうせジュリエットはこのような人形を数え切れないほど持っているはずですからね」
「それでは余興の第二幕を始めましょうか」
ジュリエットが両腕を広げて胸を反らすと彼女の朱のドレスを光が包み込んだ。目も眩むほどの光の中でジュリエットはドレスの上に白い軽装甲の鎧を纏う。伝説をモチーフにした絵画に出てくる姫騎士の姿とそっくりな彼女は戦の女神様のようだった。
<ソロモン。彼女の装備に気をつけて>
<はい。分かっていますよ>
思念波でソロモンと戦闘前の情報と意思疎通のやり取りをする。
千里眼に鑑定と看破の特異技能を組み合わせ、さらに五大魔術万能の総力を挙げて組み上げた分析魔法のクアドラプルサーチで見てもジュリエットが身に纏っている白亜の鎧の性能が分からない。全く未知の技術で作られた鎧だ。あんな謎の鎧まで出してくるなんて。
<全叡智は言霊と同じくらい危険だと言った事があるけれども訂正するよ。全叡智は言霊が可愛く見えてくるほど、とてつもなく危険な無双特異技能だよ>
<同感です>
「まずは前回と同じく、ソロモンにダンスのお相手をお願いしようかしら」
ジュリエットがアイテムボックスから2本の剣を取り出す。あたしはソロモンからコピーした能力奪取でジュリエットの能力を根こそぎ奪い取ろうとした。晩餐会の時とは違う。今回はあたしも傍観せず始めから戦いに参加すると決めていた。
その時、あたしの持つ無双特異技能の能力奪取が破壊された。
これは特異技能カウンターなんかじゃない。レムリアにあるどんな高度な魔法でも特異技能そのものを破壊できる力は無いのだから。それができるとすれば唯一、能力書き換えを持っていたプーさんだけ。でもそのプーさんも今はいない。
「驚いているようね。御自分の無双特異技能が壊された気分はどう?私のこの鎧は装着者を狙って発動してきた特異技能や魔法の発生源を元から破壊してしまう力があるの。これで私の能力は奪われることも無く、余興を存分に楽しめるわ」
ジュリエットが超加速をしながら左手に持つ剣でソロモンの胴体に斬りつけて来た。ソロモンは素早く神殺の剣で受け止める。
しかし、ジュリエットの剣は神殺の剣ごとソロモンの腹部を切り裂いた。大量の鮮血と腸が裂かれたソロモンのお腹から飛び出す。
「ソロモンの神殺の剣が折られた?!」
「世界一の頑強さを誇る神殺の剣を折るとはどういう事でしょうか?」
驚愕に震えたあたしとソロモンの声が被る。
「世界一?」
ジュリエットがくすくすと笑いながら言葉を続けた。
「何を勘違いしているの?神殺の剣なんて、ちっとも世界一なんかじゃないわ。神殺の剣は惑星レムリアで一番頑丈というだけのお話。世界(宇宙)は広いのよ。こんなちっぽけな星の中だけしか見ていないからそんなオモチャの剣を世界一だと勘違いしてしまうのよ」