愛玩シビトと愛の巣を
「その身体、必要がないなら、私に下さいませんか?」
女性がいた。僕の目の前に。
立っているという表現は全く似つかわしくない。なぜなら足が無いから。体があるはずの場所は半透明どころか、消えかけた煙のように形さえ曖昧だ。かろうじて、顔の右目から上だけがはっきりと見えている程度。形さえ曖昧なそれを、それでも確かに女性だと感じ取れた。声が高いとか、かろうじて見える髪が長いとか、決してそんなことではなく、唯々感じたのだ。直観だ。
そんな白い白い何かを前にして、僕はと言えば、アスファルトの固い地面の上に胡坐をかいて座っているところだった。目から上しかはっきり見えない何某が指さした、ピクリとも動かない女性の体をしっかりと抱いて。涙を流しながら、呆然と道路のど真ん中に座っていた。出来ることなら車が来ないだろうか、そしてこのまま引いてはくれないだろうかと、祈りながら座っていた。愛しいこの人と、終ぞ愛し合うことのできなかったこの人と、ぐちゃぐちゃの肉片となって、交ざり合うことができたらどんなに幸福だろうかと。そんな歪なことを思いながら、自分の終わりを待っているところだった。
そんな感傷に浸りたい場面だったのだ。自分が愛しているのはこの人なのだ。他人に渡すことなどできない、できるはずがない。そんな思いを込めて睨むと、宙に浮かぶそれはつぶやいた。
「もし、その方の身体をお渡し頂けるなら、私はあなたの望むその方となりましょう」
と。
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大学の授業、一回の授業にかかる授業料はどのくらいなのかと、友人とそんな話題で退屈を紛らわす。私立大学は基本的には国立大学よりも高いお金を払っている。なぜ高いのかという根本的な話は話題に上らない。わからないしどうでもいいから。どこぞのお偉い方々の調査では、私立文系の平均授業料は年間74万ほどらしい。その他、施設整備費とか、実験実習料なんかを合わせると大体90万に行くか行かないか。それをなんだかんだと計算式に当てはめると、授業一回につき4000円ほどになるそうだ。つまり、そんな文系私立大学の授業に出ていながら、机の下でのうのうとスマートフォンでゲームをしている僕は、将来奨学金として僕の財布から出ていく4000円をドブに捨てている真っ最中ということだ。
「……どうでもいいわぁ」
「お前が言い出したんだろうが!」
呆れた声を出す僕に、そんな計算を授業中に地道にやってくれた友人が甲高い声で怒鳴り散らす。授業中だというのに怒鳴り散らすもんだから、教授含め講義室にいる全員の視線を一身に受けてしまった。大丈夫ですよ、ちゃんと聞いてますよ、なんてジェスチャーは今更無意味らしかったので、ならばと友人と二人で堂々と講義室から出ていく。出席数は全日程の5日ほどまでは休めるので問題はない。これですでに3日目になるが。まぁ、あの教授の授業は前年度も受講していたし、レポートもそれなりな評価をもらっていた。今回も問題ないだろう。
大学は授業を受けるところである、なんてことはない。いや、正しくはなんてことはあるのだが、正確に言えば授業がない時間でも暇をつぶす口実は存在するということ。サークルに入っていたりすれば、専用の部室に同じく授業のない人が入り浸り雑談などができるだろう。だがしかし、僕と友人はサークルには入っていない。友人関係もお互いだけである。寂しい人生だこと。
「最近ホント物騒だよなぁ」
「物騒って、何が?」
「何がって、行方不明者とかいっぱい出てんじゃねぇか」
「ああ、そんなこともあったな。そういえば」
そんなことを言いながら、とりあえず食堂にある椅子に腰かける。食堂が食堂として機能しだすのは午前10時から。今は午前9時30分、飯さえ食えないこの状況でどうやって暇をつぶそうかと考えていたところ、テーブルの対面に座っていた友人がにやりと笑いだす。またどこぞの顔見知りから噂話でも聞いてきのだろう。話し始めは必ずこうだ。
「なぁ、しってるか?」
「なぁ、知ってるか?」
お互いの声が重なり友人が目を見開く。僕がにやりとしたのを見てしてやられたと思ったのか、顔を真っ赤にして小突いてきた。女性のくせに普段からこんな口調だから性別を感じることはほとんどないんだけれど、こういう面は素直にかわいいと思う。櫛を通した様子のないぼさぼさに伸びた髪、大学生にもなって化粧っ気の無い顔、服は上下ともに黒のジャージ一式である。造形は整っているんだから、ほんのちょっと身なりに気を遣えば、道を歩く男の一人や二人簡単に捕まえられるだろうに。そんなことを知り合ったばかりのころに口にしたら、これまた顔を真っ赤にしてポカポカと叩かれた。恥ずかしいのだそうだ。
造形が整っているのは当然生まれた時からなわけで、小学生の頃はずいぶんと男子連中から好奇の眼差しに晒されていたらしい。男子たちからすれば可愛いから声をかけたい一心だったのだろうが、当時から異性に対して恥ずかしいの一点張りだった友人は、異性への対応を練習するのではなく、異性を近づかせない方向へと歩みを進めてしまった。
「たく、話の腰を折るんじゃねぇよ……。せっかく面白い話してやろうと思ったのによ。」
その結果がこれである。ああ、なんともまぁ勿体ないことだ。宝の持ち腐れとはこの女のことを指すのだ。女性の容姿が整っていることは奇跡であり神秘であるというのに。
と、話を聞くことに乗り気でない僕を見て、友人が頬を膨らましている。その顔を見ているだけで数分は時間がつぶせるのだけど、こいつに機嫌を損ねられると後が面倒だ。素直に聞いてみるとしよう。
「で、何を知ってるって?」
「……別にいいよ。どうせ聞く気ないんだろ?」
「うん」
「!?」
何その顔可愛いなおい。
「冗談だよ。ちゃんと聞くって」
「……」
「拗ねんなって。後で飯おごってやるから」
「!!、……ラーメン」
「はいはい、ラーメンね。了解。で、何を知ってるって?」
「ふふっ」
ようやく笑った。そうしている方がずっといい。噂話に付き合うのとラーメンいっぱいでこの顔が見られるなら安いものだ。常日頃からこんな顔をしてくれていれば、余計な出費を払わなくてもいいのというのに、友人はいつだってむすっとしているかゲスいニヤニヤ笑いをしてるだけだから、こうでもしないと嬉しそうな顔など見せてくれない。一度下げて、一気に上げる。これが鉄則。
グダグダとやり取りをしながらも、食堂に着いてすでに30分が経過した。時間は午前10時。食堂が開く時間だ。とりあえず代償のラーメンを注文しに行こうと席を立とうとして、
「お前の好きな女の事なんだけどな」
と、友人は脈絡なく核心だけを貫いてきた。
好きな女の話を、友人とはいえ女性に対して言っていいものなのかどうか迷った、なんてことはまったくない。大学内でその女性に会い、好きになった次の日には、友人に好きな人が出来たと嬉々として話していた。『お前に好かれるなんて、そのお相手さんの人生も終わったなぁ』なんて友人には言われたのを覚えている。友人はエスパーか何かなのかな。まさか未来予知ができるとは思いもしなかったよ。
「僕の好きな女?」
「何を、誰のこと言ってるかわからないみたいな顔してんだよ。あの子だよあの子。お前が大学内でいつもストーカーしてた子だよ。この面食い野郎」
「冗談だよ。それであの子の事って?」
「……お前って、逐一冗談を交えないとまともに話しできないわけ?」
まったく、とため息をつきながら話を進めようとする友人。聞きたくない話題を逸らそうとして冗談をはさむのは僕の悪い癖だ。なるべくほかの人には聞かれたくはない。少し早まったかもしれない。
「そんなことはないと思うけど」
「まぁいいや。で、その子の事なんだけど、行方不明になってるじゃん?」
「そうだな」
知ってる。
あの子は今から一週間前に、あの子の親から警察に捜索願が出されて、行方不明扱いになった。容姿が良く、男女ともに友人の多い子だった。性格は決して好きにはなれなかったけれど、ああいうタイプの奴だからこそ集まる奴らもいるらしい。僕には理解できないし、するつもりもない。
「でさ、一週間たった今でも全然行方が掴めないらしくて」
「そうだな」
知ってる。
わざわざ人通りの少ない場所に来てもらったのだから。民家に設置してある監視カメラ、ドライブレコーダなんかも気にしてあの薄暗い場所を選んだのだから、そうでなければ困る。まぁ、こんな状態になるとは、呼び出した当初は露程も思っていなかったけれど。
「なんて言ってたのが昨日までの話」
「……昨日まで?」
「そう、見たんだってよ。本人を。うちの大学の奴がさ」
……それは初耳だ。いつ見るようなタイミングがあったのか。あれには家からは出るなときつく言っていたはずだけど。
「……てか、見たんならそれで終わりじゃね? 行方不明じゃねぇじゃん」
「や、それがよ、あの子らしからぬ感じだったから、見たやつも本人かどうか判断できなくてほっといたんだと」
「なんだそりゃ」
「あの子いつもめっちゃ派手な感じだったろ? ガンガンに化粧して、すげぇ派手な服着てさ。それが、そいつが見た時は白いロングスカートのワンピースみたいなの来てたんだと」
だろうな。だってあの子にはそんな服が似合うじゃないか。化粧もいらない。素が美人なのだからそのままでいい。
誰に弁明するわけではないが、別にワンピースは僕の好みではない。あの子にはあの服。決まっているのだ。因みに僕の好みは個人によって違う。例えば、そうだなぁ。目の前にいるこの友人だと、マニッシュ系のパンツルックなんかどうだろうか。線が細く身長があるこいつにはよく似合うと思うんだけど。
「遠目からだからはっきりとは見えなかったらしいんだけど、顔のあたりとか腕とか、包帯みたいな白い布が巻かれてたんだってよ」
「……ほう」
ああ、巻いてたな。中に何かが入って、ちゃんと体が動いていても、腐敗が止まるわけではないらしくて、一週間も経てばやばいなぁってくらいにはなってるんだ。包帯で無理やり隠してるんだけど、匂いはやっぱりどうしようもなくて。それでも愛しいあの子がこっちを向いて微笑んでくれるから、問題なんてない。
「んで、大学内じゃあの子、もう死んでてその怨霊がそのあたりをうろついてたんじゃないかって噂になってんだよ」
「……」
……まぁ、大体あってるよ。ほぼ正解だ。本人はもうこの世にはいないし、あの体を動かしてるのは別の何かだしな。
しかし、そうか。ここまで特徴が一致するならあの子で間違いないんだろうな。まったく、何が目的で家を出ていたのだか。人に見られたらどうなるかわからないと、あれほど念を押して言っていたのに。まったく、困った人だ。どうせまた、僕においしいものを食べさせてあげたかったからとか言い出すんだろうなぁ。困った人だなぁ本当に。
「おい、人が不気味な話してる時に、何ニヤニヤしてんだキモチワルイ」
「キモチワルイとか言うな。あと、お前にニヤニヤするなとか言われたくない」
「な!?」
失敬なと言わんばかりの顔で僕を睨む友人。別におかしなことは言っていない、噂を話し始める寸前の本人の顔を撮影して見せてやりたいものだ。
しかし、そうか、見られていたか。あの身体に変えてから一週間、腐敗もかなり進み、そろそろ限界が近いみたいだしな。そろそろ次に変えるべきだろう。幸い、ここ数日は事欠かないし、あの子も喜ぶ。
と、気づくと友人が、ジトっとした目でこっちを見ながら口を開く。
「……なぁ、お前、大丈夫か?」
「大丈夫かって? 何がだよ?」
「何がだじゃねぇよ。好きな女が死んでるかもしれねぇって話してんのに、ずいぶんと落ち着いてんな」
「ああ、まぁ、ホントかどうかなんてわかんねぇだろ。話をしたこともない相手のもしかしたらに付き合うほど、暇じゃねぇよ」
「話をしたこともない相手を好きになるなよ……。ホントお前面食いだよな。中身なんてどうでもいいのかよ」
「……そんなことはないって」
ああ、ホントにそんなことはないんだ。容姿しか興味のなかった俺が初めて愛した中身なんだ。どうでもいいわけないじゃないか。とは言え、容姿に興味が無くなったのかと言えば、まったくそうではない。やはりそばに置くのなら、容姿は整っているに越したことはない。だからこそ、今回はあの子を選んだのだから。
まったく、おかしな話だ。最初に好きになった人を殺したときは、中身がどうしようもないからと諦めて泣いていたというのに。本音を言えば、ちゃんと動いてくれて、愛し合えることを望んでいたけれど、中身があまりにも汚いから、それなら外身だけでいいと殺したのに。全部諦めた後になって、自分の理想の中身に出会うことができたのだから、数奇としか言いようがない。今ではあの子がそばにいることのほうが重要なのだから、僕も変わってしまったものだ。
さて、と。無駄話は終わりにしよう。今からあたら新しい容姿を物色するのは時間がかかる。主に俺の好みに合うかどうかの問題だが。勿体ないがそのためのストックだ。有意義に使うとしよう。
「ところで、お前、今日この後の講義って出る気ある?」
「あ? ん~……。出る気しねぇなぁ」
「じゃあさぁ、僕ん家に遊びに来ないか?」
「ふぁ!!!?」
何つー声だしてんだか。顔も真っ赤だし。うん。やっぱり友人はそうしているのが一番可愛いよ。そんな言葉づかいじゃ、そんな中身じゃ勿体ない。
「……別に、……予定とかねぇし、……いいけどよ」
「そうか、なら行こうぜ」
帰りに、友人に似合う服でも、買って帰るとしよう。




