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05 リョウオモイ


 昨夜の結果がどうなったのかは伏せて、ドロテア様にお礼を言いました。


 恋愛事には、まだご興味が無いと思っていましたが、ドロテア様は実に満足そうにされていました。


 そして私は、日常に戻ります。


 ドロテア様のお世話をして、ほどよく日程が合ったら、仕事終わりの面会に向かう。

 そんな日々に、何事もなかったかのように戻りました。


 「思ったんだけど、実はもう、呪いは解けてたりして」


 ある日のこと、フォルテ様がそんな事を言いだしました。


 ダニエル様は所用で遅れるということで、不本意ながらもフォルテ様と二人でダニエル様の到着を待っていた時でした。


 「ダニエルのことだからさ、そうと気付かずに過ごしてる可能性とかあると思わない?」


 「…………」


 「ねえ、侍女どの。呪いが解けた後も、ダニエルが貴女に惚れていたらどうする?」


 フォルテ様はそう言って、思わせぶりに笑います。


 今日はお茶請けは大好きなフルーツパイで、とても楽しみにしていたのに、おかげで水を差されてしまいました。


 「……そうですね。ダニエル様のことですから、呪いが解けた後でもそういう“勘違い”をされる可能性はあり得そうですね」


 「えー、手厳しいな」


 苦笑しながらも、フォルテ様の目は笑っておらず、こちらを探るように見てきます。

 どうしたら私の本心を引きずり出せるのか、考えを巡らせている目です。


 そんな彼に、あえて言い添えました。


 「もし仮に、フォルテ様の言う通りになったとしても、私の方が駄目だと思いますよ」


 その言葉がよほど意外だったのか、彼は不可解そうに片眉を上げました。


 「……へーえ? おかしいな。俺の目算だと、侍女どのもダニエルのことを憎からず思ってるはずなんだけど?」


 「まあ。そう見えていたのなら、フォルテ様の目も存外フシアナですね」


 ふふふ。と口元に手を添えて笑ってやります。


 彼は、好戦的に目を細めましたが、すぐに思い直したように視線を流しました。


 後ろ頭を掻き、テーブルに頬杖をつくと、お手上げだと言いたげな溜め息をつきます。


 「あのさ、あまり言いたくなかったんだけど、この間の舞踏会でのこと見てたんだよね。任務だから。ダンスくらい減るもんじゃないだろうにって、俺は思うんだけど……実際問題、ダニエルの何が駄目なの?」


 打って変わって、ずいぶんとストレートな言い回しになりました。


 どうやらフォルテ様も色々と追い込まれているようで、少しだけ溜飲が下がります。

 ですから、その分の“少しだけ”を教えてあげることにしました。


 「ダニエル様は、素敵な方ですよ。実直すぎるところが、やや心許ないですけれど。上辺を飾り立てるばかりの貴族にも、ああいう方がおられるのだと思うと、何やら心が安まる思いがします。…………ただ」


 「ただ?」


 先を促すように反芻したフォルテ様に、私は意味ありげな沈黙を挟みます。

 そうして充分に勿体つけてから、艶やかに微笑んでみせました。


 「フォルテ様には教えません」







 それから間もなくのことでした。

 魔女様と連絡が取れるかもしれないという、吉報がもたらされたのです。 


 聞けば、魔女様の元恋人様が見付かって、その方を通して連絡を取っていただける可能性が高いとか。


 元恋人様というのは、例の失恋相手の方でしょうか?


 さておき、そうした旨を、ダニエル様の口から聞かせていただきました。


 「良かった。これでやっと、以前通りの生活に戻れますね」


 「……ああ」


 複雑そうに呟いた、ダニエル様の顔色はあまり冴えません。

 彼は、あの舞踏会以来ずっと、そうした調子です。


 仕事終わりの面会を欠かしたことはありません。


 ただ、よそよそしい態度や、ぎこちない笑顔。会話も途切れ途切れで続かない。

 あまり表には出されませんが、どことなく憔悴した様子もうかがえます。


 私たちは今、これ以上ないくらい、ぎくしゃくした関係になっているでしょう。


 もう限界だろうと思っていたからこそ、今回は吉報は本当に願ったり適ったりでした。


 「フォルテ、少しだけ席を外してくれないか。できれば部屋の外に出て欲しい」


 不意に、ダニエル様が切り出しました、


 私たちの空気がどれだけ軋んでいようとも、必ず同席していたフォルテ様は、いつになく神妙な顔をダニエル様に向けます。


 フォルテ様はダニエル様の監視役でここにいますから、二つ返事で頷けることではなかったのでしょう。


 それでも小さく息をつくと、やがて立ち上がりました。


 「……扉の前にいる」


 「恩に着る」


 席を立ってからは、躊躇いのない歩調で部屋を横切っていくフォルテ様は、ひとつしかない扉から出て行かれ、静かに扉を閉めました。


 ほぼ密室の状態で二人きりとなり、ダニエル様が居住まいを正されます。


 「……セシル殿。貴女に話がある」


 「はい」


 特にうろたえることもなく、私は答えます。

 一方で、ダニエル様の口調は固く緊張していました。


 「まず、礼を言わせて欲しい。少し早いかもしれないが、今まで本当に有り難う」


 「いいえ。勿体ないお言葉です」


 私の他人行儀な言葉に、ダニエル様はどこか物悲しそうにされましたが、私より身分が上なのですから、これは当然の返しです。


 「……それで話というのは、もちろん魔女殿にかけられた呪いについてだ。知っての通り、それは強制的に恋慕を抱かせるもので、貴女にとっては不運なことに、あの場に居合わせたセシル殿がその相手に選ばれてしまった」


 「はい」


 「……それからは貴女の温情に甘え、こうして時間まで作ってもらい、こちらの都合に付き合ってもらっている。そして、かなりの日数が経ったと思う」


 「……ええ」


 「あの日の事が起こるまで、俺は貴女のことをほとんど知らなかった。だが、この数ヶ月で少しはセシル殿のことを知れたと思う。控えめで大人しい女性だと思っていたが、実は、爵位も歳も上の俺に説教をくれるほど豪毅な一面があるところとか、人目をはばかる状況を強いられたうえに、日頃から特定の視線を感じる生活にも、泣き言ひとつ言わずに付き合ってくれたこととか。それに関しては、本当に感謝してもしきれない」


 「……いえ」


 「ただ時々、どうにも捉え所のない振る舞いには、なかなか困らされたが……あ、いや、違うんだ。そういう食えない部分はフォルテで慣れているし、むしろ、まだ年若い姫君を任される侍女には、必要な才能だと思っている」


 遠回しにフォルテ様に似ていると言われた気がしましたが、それよりも、ダニエル様が言わんとしていることが段々と見えてきました。


 「それに……俺と、共通したところもあると思う。勝手な憶測だが、ルシアン殿下やドロテア姫殿下にかなりよわ――いや、王家の方々を敬愛しているところや、私生活よりも勤めを優先しがちなところ。あと、貴女から聞き出した趣味などの点においても」


 「…………」


 「それで、つまり何が言いたいのかというと……その、俺は、呪いの件が無くても、貴女のことを好ましく思っていたと思う。それで……」


 ずっと緊張気味だったダニエル様の声が、さらなる緊張感を帯びます。


 「それで、もし……魔女殿の呪いが解けたとしても、セシル殿への気持ちが変わらずにあったのなら、貴女にもう一度、ダンスを申し込んでもいいだろうか?」


 一瞬にして、あの夜の情景が浮かび上がりました。


 どうやらこれは、ダニエル様なりの、誤ってしまった筋道の正し方のようです。


 いいえ、好意を抱いた女性に対するアプローチの仕方としては、まさしく正しい方法だと思います。


 でも、それが通用するのは、普通の出会い方をした人たちに限った場合だけでしょう。


 到底、普通とは言えない私たちの出会いに無性に可笑しさが込み上げてきて、ふふ、と声を上げていました。


 今は笑うタイミングではないと、分かっていましたから、すぐに「すみません」と言葉を添えます。


 「実はこの間、フォルテ様にも同じ事を言われました」


 「……え」


 「ダンスのことではありませんよ。ダニエル様の呪いについてです。フォルテ様が言うには、ダニエル様の呪いはもうとっくに解けていて、でも、貴方はそれに気付いていないんじゃないかと言われました。そして、呪いが解けた後も、ダニエル様が私に好意を抱いていたらどうするかと、問われました」


 私を見返すダニエル様は、まるで知らされていないという顔でした。

 やはりあれは、フォルテ様の独断だったようです。


 「ですから私は、こう答えました。ダニエル様のことですから、そういう“勘違い”をされていることもあるだろうと。“好ましい”と“恋しい”を履き違えて、そう思い込んでしまうかもしれないと」


 思ってもみなかった事を突きつけられたせいでしょう、ダニエル様からの反応は鈍いものでした。


 「――――……そんな、ことは」


 「そんなことは無い? でも、絶対に無いとは言い切れませんよね。人の心なんて不確かなものですから」


 「――その理論なら、絶対に勘違いだとも言い切れないはずだ」


 即座に切り返され、少し驚きました。

 ダニエル様も、だてにフォルテ様の側で揉まれてきてはいないようです。


 「そうですね。でも、だからこそです」


 「……?」


 「だからこそ、私の方が駄目なんです」


 「……どういう」


 「私はきっと、呪いが解けた後の方が、ダニエル様の気持ちを偽物だと疑ってしまうはずです」


 色合いの落ち着いた黒い瞳が、ゆっくりと見開かれていきました。


 「魔女様の呪いが解けたとしても、それまでの記憶は残るはずです。なら条件反射で――惰性で、感情が揺さぶられるに過ぎないと、私は必ず思ってしまうでしょう。そして、ただの残留物ですから、いずれ薄れ去ってしまうだろうとも」


 フォルテ様には教えなかった本心を、私はダニエル様に語ります。


 「人の心は見えません。ですから、ダニエル様がたとえ千の言葉を尽くしてくれたとしても、この疑念は拭い去れないと思います。だから……私の方が駄目なんです」


 やっと、私の言いたいことを理解してくれたように、ダニエル様は口元を覆いました。


 まったく、貴族のくせに上辺だけが嫌なんて、私は何を言っているのでしょうね。


 でも、自分の貴族らしさが仇になる日が来るなんて、思いもしませんでした。

 腹の内を探ることが、こんなにも苦痛になる人が現れるなんて、思いもしませんでした。


 「――待ってくれ。セシル殿の言い様は、まるで……まるで、貴女が俺のことを好いてくれているように聞こえる」


 混乱されているのか、ダニエル様が自信なさげに仰います。


 私は微笑みました。


 「ええ、そうです」


 「――っ」


 「私は、ダニエル様を一人の男性としてお慕い申し上げております」


 けっして笑みを崩さぬまま、言い切ってみせました。


 そうなんです。そんなことにはもう、とっくに気付いていたのです。

 ただ、ダニエル様よりは、少しばかり隠すのが上手かっただけで。


 「でも、勘違いなさらないでください。私が恋しく想っているのは、呪われているダニエル様なんです」


 笑顔で続けたそれに、ダニエル様はいよいよ眉根を寄せました。

 今まで見せたことのない、得体の知れないものを見る目でした。


 「私の些細な言葉や行動で、すぐに胸を痛めてしまったり、ご自分の衝動を抑えきれず、あとで後悔することを仕出かしてしまったり、ルシアン殿下への忠誠心と私への恋心で葛藤されていたり……ありもしない恋情を、一心に注いでくれた、そんな呪われた貴方が好きなんです」


 「…………」


 「だから、呪いが解けてしまったら、私はきっと以前との違いを探してしまいます。それを見付けるたび幻滅していって、私の気持ちはすぐに冷めていくでしょう」


 ただでさえ絶句しているダニエル様に、追い打ちをかけるように言いました。


 「お分かりでしょう? 私はそういう女なのです。ダニエル様が思っているほど、出来た人間ではありません。ずっと性根の卑しい人間です」


 言い終えた途端、部屋は静まりかえります。


 ダニエル様から、お言葉はありません。

 私も、もう語るべき言葉はありません。私の胸の内にあったモノは、全て吐き出してしまいましたから。


 そのくせ、この胸はちっとも楽になってくれません。


 どころか、言葉以外のモノが、口とは違う場所から出てきそうになってしまうから、奥歯を噛みしめて遣り過ごします。


 色々と吐き出したせいで、心まで揺さぶってしまったようです。


 幸い、ダニエル様は口もきけないご様子ですから、気持ちを落ち着けられる時間は充分にありました。


 声が震えないと判断できるまでになってから、私は、最後の仕上げに入ります。


 「――ダニエル様、もう、お会いするのは止めにしませんか?」


 はっ、と鞭打たれたように、ダニエル様の肩がふるえました。


 「魔女様にご連絡が付くまでの間は、お辛いかもしれませんが、どうかご寛容ください」


 「……セシル、殿?」


 「はじめの頃、ダニエル様が私と会えないことが辛かったように、今はもう、ダニエル様と会うと私が辛いんです」


 答えを待たずして、私は席を立ちました。


 「それでは、何卒お体には気を付けて」

 「セシル殿っ」


 引き留める声を振り切って、一直線に扉へと向かいます。

 開いた扉の向こうには、フォルテ様が立っていましたが、かまわず押しのけました。


 そして、廊下を走るなんてはしたないことを、王宮に来てはじめてしました。






全6話予定でしたが、1話増えました。

全7話完結になります<(_ _)>

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