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04.ヴィレット子爵家の内情



「ジョナス・ケイン……」

 馬を引くジャレドの隣をトボトボと歩いていたプリシラが呟き、ぱっと顔を上げた。


「思い出しました! あの方は……カミラ様の、ハープの先生だったお方です」

「子爵夫人の習い事の教師? それが今は執事をやっているのか」

「は、はい。わたくしのいない間に、何があったのでしょう……」

 そりゃあ、夫人の愛人だから取り立ててもらったんじゃないのか? プリシラは首を捻っているがジャレドには容易に想像がついた。それに、屋敷の前でのやり取りと、昨晩ジャレドが見た光景を繋ぎ合わせれば、どんどん答えが見えてくる。

「あんた、現実を受け止める覚悟はあるか」

「は、はい……? 現実、とは」

「俺はあんたに話していない事がある。昨晩の事故のことだ」

 ジャレドはヴィレット邸のある方を振り返った。それからあたりに人の気配が無いかを確認し、立ち止まった。


「御者は意図的に馬車を岩場にぶつけて、自分は飛び降りた。狙いとしては、馬車ごと崖下に転落させたかったのだろう」

 群青の瞳がジャレドを見上げ、大きく瞬きする。

「狙いは外れ、馬車は道路側に横転した。そこで御者……ヘクター・マッコイという罪人だ。あんたを亡き者にするために雇われたんだろう。ヘクターは気絶しているあんたの身体を馬車から引きずり出して、崖下に投げ捨てようとしていた」

「そこを、ジャレドさまが助けて下さったという事ですか」

「結果的に、そうなるな」

 本当はヘクターを捕まえたかっただけなのだが、逃がしてしまった挙句、今はこうして厄介ごとを抱え込んでいる。

「だ、誰が……わたくしを」

「あんたの継母に決まってるだろ。ヴィレット家を乗っ取るつもりだ」

「ですが、わたくしが死んだところで、カミラ様が手にするものは何も変わりません。せいぜい、わたくしと二度と顔を合わせずに済むくらいでしょうか」

 普通であれば、そうだ。カミラが何かを受取るとすれば、夫であるバーナード・ヴィレット子爵が亡くなった時の遺産である。プリシラからカミラに渡るものは何もない。

「だが、おそらく……あの執事と夫人はできてる」

「でき、てる……?」

「あの感じの悪い執事とあんたの継母は、愛人関係だということだ」

 プリシラは口元を押さえた。

「そんな……! カミラ様は、わたくしの父と結婚しているのに」

「よくある事だろ」

「よく……ある事なのですか?」

 父を哀れと思っているのだろうか、それとも世の中にはそんな関係があると想像もつかないのだろうか。プリシラは悲しそうに声を震わせている。そもそもそんな事に心を痛めている場合なのか? めでたい娘だなとジャレドは思う。

「話を戻すぞ。それで、夫人に息子が生まれたらどうなる? 実際はジョナスの子供なのだろうが、表向きには子爵の息子で、ヴィレット家の跡取りとなる子供だ」

 ようやくプリシラにも事態が飲みこめたらしい。彼女は白い顔をますます白くした。表情は強張っている。

「子爵の息子を産めば、夫人はこの先も屋敷に居座ることが出来る。あんたが死んで、あんたの父親もいなくなれば夫人の天下だ」

「ち、父はそれを、黙って見ているのですか」

「そこなんだよな」

 分からないのはヴィレット子爵の動向──というよりも安否──だ。亡くなったとすればさすがにプリシラにも伝わるはずだし、後々子爵を葬る予定なのだとしても、カミラ夫人が息子を生むまでは生きていて貰わねば困るだろう。子供を子爵の後継ぎとしたいのならば、彼が死んだ後に妊娠する訳にはいかないのだから。

 それに、子爵は娘が亡くなったという話をどう受け止めているのだろう。まさか、とっくに葬られていて、その死をひた隠しにされているのではあるまいな、とジャレドは考えたがさすがにこの意見をプリシラに告げる事は出来なかった。


「おおい!」

 道の向こうから誰かがやって来る。彼はこちらに向かって手を振りながら、走って近づいてきた。

「やっぱりお嬢様だ! 帰ってきなすったんですか、プリシラお嬢様!」

「まあ、ハザンさん?」

「懐かしいですなあ! 二年ぶり? 三年ぶり? そのくらいですか!」

 農夫と思しき中年の男は、ニコニコとしながらプリシラの手を取る。彼はこの辺りの小麦畑で仕事をしているのだが、小用を済ませるために街へ行って来たところらしい。

「いやあ、街の教会の前に貼り紙がしてありましてね。わしは字が読めないもんだから、何が書いてあるかわからなかったんですがね。でも、貼り紙を読んだ人がプリシラお嬢様の葬儀の日程がどうとか言ってるんですよ。まったく、失礼しちゃいますよね。あれは、お嬢様が屋敷に帰ってくるって、そういう報せだったんでしょう?」


 そこで、ジャレドとプリシラは顔を見合わせた。

 字が読めるのならば葬儀と帰還を読み間違えるとは考えられないし、そもそも子爵令嬢の帰還の日程など教会の前には貼り出されない。

「ハザンさん、それが……どうもわたくしは、死んだことになっているようなのです。屋敷にも、入れてもらえませんでした」

 プリシラが先ほどのことを語ると、ハザンは顔を真っ赤にして拳を振り上げる。

「わしは、どうもあの執事は好かんのです! ほんとに! 感じの悪い、なよっとした男で! マーカス殿とはえらい違いですな!」


 ハザンの話によると、プリシラがヴィレット家を離れた後に古くからの使用人が解雇されていき、ここ一年程で屋敷の使用人はすべて入れ替わってしまったようだ。

「旦那様は、ここ半年ほどお見かけしませんなあ……。いったい、屋敷の中で何が起こってるんだか」

 カミラとジョナスのヴィレット家乗っ取り計画は着々と進んでいるように思える。

「しかしお嬢様が帰ってきたとなれば安心ですな!」

「ですが、屋敷に入れてもらえない事には、どうにもなりません」

「なあに! 役人相手でも王様相手でも、わしらがお嬢様は本物だって、しっかり証言できまさあ!」

 この辺の農夫たちが集まって証言してやると、ハザンはどんと胸を叩いた。プリシラは「よいのですか」と顔を輝かせたが、

「いや、止めておいた方がいい」

 ジャレドは首を振った。

 まず大抵において、貴族の言葉は重視され、平民の言葉は軽視される。カミラが「農民たちの言いがかりに迷惑している」と一言発するだけでハザンたちを悪者にすることが出来るのだ。それにカミラはどうしてもプリシラを死んだことにしたいらしい。プリシラが生きているという主張する者は邪魔なのである。

「これ以上騒ぐと、あんたは本当に殺されかねない。今は身をひそめて、時機を窺った方がいいんじゃないか」

 プリシラにはもっと力のある──発言力のある──仲間が必要だ。




「あの、思うのですが」

 ハザンと別れた後、プリシラが俯きながら言った。それから両の腕で身体をさする。

「わたくしの棺に入っているのは、いったい誰なのでしょう」

「いくつか考えられるな」

 プリシラの暗殺に失敗したヘクターは、小柄で銀髪の娘の死体を、顔を潰した状態で用意したのかもしれない。ヘクターが雇い主のカミラを騙したという形になる。

 だがプリシラに対し、頑なにジョナスは門前払いをしようとし、カミラも顔を出さなかったのだから、二人はヘクターの失敗を知っていたのではないだろうか。つまり棺には誰の亡骸も入っていない。プリシラが生きている事を知っていながら、彼女を閉め出し、力技で無理やり死んだことにした──。


「それでは、ちょっと……杜撰過ぎませんか?」

 確かに一人の人間の存在を抹消するには雑すぎるやり方だ。しかし。

 ジャレドはちらとプリシラを見下ろした。彼女は不思議そうにジャレドを見返す。柔らかそうな髪が細い肩にかかり、頼りなく揺れている。

 プリシラは弱すぎる。おそらくカミラたちはプリシラには何もできないと思っているのだ。実際、世間知らずで一人では街も歩けないような娘だ。帰る場所を失くしてしまえば、この少女は生きていくことが出来ないと思われているのだろう。その辺でのたれ死ぬか、人攫いに捕まった挙句、娼館に売られるかして、どちらにしろ自分たちとは縁遠い存在になると。そしてプリシラならば自分の運命に抗う事なく、流されるままに生きるか死ぬかするのだろうと。

「いや、全然」

 ジャレドもそう思う。





 結局プリシラを自分の住まいに連れ帰ったジャレドであったが、彼女はスツールにかけ、じっと窓の外を見ている。陽は沈みかけていた。

 あの娘、ひょっとして頭が弱いのか? 門のところでジョナスに自分が死んだと告げられた時はやや動揺していたようだが、家を閉め出されたというのに落ち着いたままだ。

 こういう時、大抵の若い娘は騒ぎ立てて泣き叫ぶか何かするのではないだろうか。感情を全く見せない訳ではないが、表情はどこか虚ろで生気はあまり感じられない。

「飯を買ってくる」

「あ、わたくしは……ここにいても良いのでしょうか」

「とりあえずはな」


 夕飯を持ったジャレドが戻って来た時も、プリシラはスツールに座ったままだった。

「まだ温かい」

 ジャレドはそう言って、昼間と同じようにバスケットから取り出した料理をテーブルの上に並べていく。プリシラは手をつけずにいたが、ジャレドがパンを手に取ったのを見て、彼女もそうした。

「冷めないうちに食った方がいい」

 そして自分は食べ始めたが、プリシラは丸いパンを手にしたまま食べる様子を見せない。俯いたまま動かぬ彼女を訝しんで顔を覗きこむと、プリシラは静かに涙をこぼしていた。

「お、おい」

 ものすごい時間差攻撃で来たな、とジャレドは思った。

「も、申し訳ありま……せ……」

「いや。あんたが落ち着き払っているから、逆に妙だと思っていた所だ」

 プリシラは袖で目元を拭ったが、涙は次から次へと零れてくる。

「い、いつ如何なる時も、決して取り乱してはならないと……実の母に、い、言われておりました……」

「自分が死んだことにされたんだぜ。こういう時に取り乱さなくていつ取り乱すんだ」

 ジャレドがそう言った途端、プリシラは声を上げて泣き出した。パンを持ったまま泣いているその姿は、まるで小さな子供のようだ。

 ジャレドはプリシラの手からパンを取り上げ皿に移すと、バスケットに敷いてあった布を取り出して彼女に渡す。食事用のクロスだが手ごろなものはこれしかないので仕方がない。


 プリシラが泣き止み、すっかり冷めてしまった食事をようやく終えると、ジャレドは上着を手に取り肩に引っ掛ける。

「明日の朝、また来る。出来れば使った皿は洗っておいてくれ」

「え……ジャレドさまは、どこへ行かれるのですか」

「あんたと一緒に一晩過ごす訳にはいかないだろ。知り合いの店に泊めてもらう」

「養母様のお店ですか」

「まあ、そんなところだ。あんたは今後の身の振り方でも考えるんだな」

 狭い部屋とはいえ、プリシラと一晩過ごしたところでどんな気も起りそうになかったが、そうしておいた方がいいだろう。

「ここはそれほど治安がよくない。戸締りはしっかりしろよ」

 ジャレドだけならば盗人ぐらい撃退できるし、そもそもこの部屋には金目の物がない。だが若い女がいるとなれば、事態は変わってくる。


「本当に、申し訳ありません。お、お世話になります」

「……今朝」

「はい?」

「今日の朝、俺が一休みすると言わなければ、あんたは間に合っていたかもしれない」

 ジャレドはそこに責任を感じていた。

 今朝は目の前に現れた何もできない娘に苛ついていた。ひと眠りして食べ物を腹に入れれば落ち着きを取り戻せるかと思ったのだが、体力的な意味ではもう一日くらいは寝食しなくても平気だった。

 グラウツの街に着いてすぐにこの娘を屋敷に送り届けていたら……まだ娘の死体──とされるもの──は発見されていなかったかもしれないし、教会に訃報の貼り紙がされる事も無かった筈だ。カミラとジョナスの不意を突く事が出来たかもしれないのだ。




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