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03.門前払い



 ジャレドの住まいは大通りからいくつも角を曲がった、おそらくはグラウツの街の端っこにある場所だ。古い柵に囲まれた横長の建物には扉が四つ連なっており、いわゆる集合住宅というものらしい。

 ジャレドはその中の左端の扉を開けてプリシラを中に招き入れた。


 プリシラの家はグラウツの街を出て馬車で少し行ったところに建っている。プリシラがヴィレット邸の住所を伝えると、彼は「ちょっと遠いな」と顔を顰め、「まずはひと眠りさせてくれ。それで良かったら送ってやる」と言った。

 彼はここ二日、まともに眠っていなかったらしい。家に帰還の連絡が遅れてしまうのは気になったが、何よりもプリシラは一人で屋敷まで帰りつける自信が無かった。

 修道院に身を寄せる前は多くの時を屋敷と、その周辺のみで過ごしていた。時折グラウツの街に出る事はあったが、必ず使用人が傍についていた。何をどうすれば無事に屋敷まで帰れるのか、見当もつかなかったのだ。


「昼まで眠る。それから、何か食って出立だ。あんたは適当に寛いでいてくれ」

 ジャレドは荷物を部屋の床に下ろすと、着替えもせずにベッドへ向かった。頭の後ろで腕を組み、仰向けになった後で一度起き上がり、

「ああ。知らない男と二人でいるのが怖いなら、俺が寝ている間に出て行って貰っても構わないが」

「ジャレドさまは、知らない方ではありません」

「よく知らない男には違いないだろ。何なら、俺が起きるまで外で時間を潰していてもいい」

 一人でさっきの『辻馬車の通り』とやらまで戻れる自信はなかった。外に出ても、通りを一つ間違えたらこの家に戻ってくることも出来なくなるような気がする。プリシラは黙ってぶるぶると首を振った。

「そうか」

 ジャレドはそれだけ言うと再び仰向けになり、そして部屋は静かになった。


 プリシラは辺りを見回した。

 狭い部屋の筈だが、家具が殆どないせいか広く見える。扉から入ったところに小さなキッチン、それから食事用のテーブルと粗末なスツールが一つ。床には木箱が二つほど転がっていて、奥には暖炉とベッドがあるだけだ。

 ここへ向かう途中、彼は賞金稼ぎの仕事をしていると教えてくれた。グラウツの街を拠点としてはいるが、仕事で家を空けることが多いと。かといって壁や床からは、長い間人の手が入っていないような、寂れて痛んだ感じは窺えない。

 一つだけあるスツールに腰掛けて、暫く窓の外を眺めていたプリシラだったが、いくらか時間が過ぎた頃にそっと立ち上がった。その途端ジャレドが身を起こす。

「どうした」

「あの、何か、飲み物を……」

「勝手に飲んでいいぞ」

 彼が示したキッチンの方を見ると、酒壜が三つほど並べられていた。

「いえ、お酒ではなく」

「裏に共用の井戸がある」

 それだけ言って、再び寝入ってしまった。起こしてしまい申し訳ないと思いつつも、彼の眠りが浅いのは仕事柄だろうかと推測する。ここ二日ほど眠っていないというのも、仕事だったのだろう。ということは、自分を助けてくれたのは仕事の帰りなのだろうか。捕えた罪人を連れてはいなかったようだが、他の街で役人に引き渡してきた後だったのかもしれない。


 そんな事を考えながら井戸で水をくみ、キッチンの前にやって来たプリシラであったが、かまどは使い込んでいるような形跡がなかった。簡単に掃除をしてから火を入れ、一つだけ見つけた片手鍋で湯を沸かす。

 身の回りの掃除は修道院で覚えた。はじめのうちは、こんな事まで自分でしなくてはならないのかと途方に暮れたものだが、朝夕の祈りと、読書と勉強の時間以外はこれといってする事もない。自分の居室と共用の場所を清潔に保ったり、繕いものやシスターの手伝いをするのも、そのうち苦ではなくなった。

 プリシラと同じように行儀見習いに来ている娘の中には、侍女を引き連れて修道院へやって来て、身の回りの世話をさせている者もいた。寄付金をたくさん払っているのだからと、何もせずに過ごす者もいた。

 プリシラには侍女もいなかったし、自分が身を寄せるにあたってどれほどの寄付金が支払われたのかも知らない。なにより、侍女がいても莫大な寄付金を支払っていたとしても、修道院でふんぞり返って過ごすような度胸をプリシラは持ち合わせてはいなかった。


 お湯が沸いたところで、プリシラは自分の段取りの悪さを心の中で罵っていた。どうしてお湯が沸く前に茶葉やティーポット、そしてカップを用意しなかったのだろうと。だが、どれだけ探してもティーポットや茶葉と思しきものは見当たらなかった。

 ジャレドは本当に必要最低限のものしか所持していないのだ。キッチンにはマグカップが一つと、平皿、スープ用のボウルが一つずつあるだけだった。この家で食事を取ることは殆どないのだろう。

 仕方がないので真鍮製のマグカップにお湯だけを注ぎ、スツールに戻る。

 テーブルには本が数冊乗っていて、開いてみればそれは周辺の土地の気候や風土を記したものだった。罪人を追いかけて色んな土地を巡るのだから頷ける話だ。

 それにしても難しい表現の多い本だ。賞金稼ぎは貼り紙に書いてある、手配犯の情報が読めなくては仕事にならない。だからもちろんジャレドは文字が読めるのだろうが、これほど難しい本まで読めるなんて。プリシラは手元の本と、寝入ったままぴくりとも動かないジャレドを見比べた。




「おい」

「は、はいっ」

 肩を揺すられ、プリシラはがばりと身を起こした。どうやら眠り込んでいたようだ。

「三回、声をかけたぞ。男の家で眠りこけるとは、大した度胸だな」

「す、すみません」

 夕べは馬車の中でうとうとしていただけだったから、ジャレド程ではないだろうがプリシラもだいぶ疲れていたのだ。涎を垂らしてしまっていないだろうか。プリシラは口元をごしごしと擦りながら窓の外を見る。すっかり日は高くなっていた。

「飯を買ってきた。それを食ったら出かけるぞ」

 ジャレドはそう言って手にしていたバスケットの中身をテーブルに並べた。パンと惣菜がいくつか。彼はプリシラの分を皿に盛ってくれたが、自分は部屋に転がっていた木箱を引っ張って来て座り、バスケットの中から直接食べるようだ。一つしかないスツールと食器を奪ってしまった形になって申し訳なく思う。

「すみません」

「いい。普段からこうして食う事が多い。洗うのが面倒だからな」

「いつも、お食事は買ってくるのですか」

「知り合いの店で済ませるか、そこで買ってくる。この飯もそこで作ってもらった。子爵令嬢の口に合うかどうかはわからんが、俺は美味いと思う」

「とても美味しいです」

「そうか」

 彼は貴族ならばもっと豪勢な食事をしているに違いないと思っているようだ。生家にいた頃は確かにそうであった。晩餐用の長い長いテーブルに、父と継母と、プリシラが据わる。会話はなく、時折食器の音だけが響く。

 修道院では質素な食事であった。不味いわけではなかったが、食事中は私語厳禁なのでプリシラは黙って味の薄い、殆ど冷めかけた食事を取っていた。このようにして小さなテーブルで、一つの皿に猥雑に盛られた料理を食べるのは初めてだった。




 食事を終えるとジャレドの馬に乗せてもらい、ヴィレット邸へ向かった。小麦畑が続く街道を進むと、ようやく懐かしい屋敷が見えてくる。

「あの白い壁の屋敷です」

「あれ、あんたの家だったのか」

 移動の多い生活をしているジャレドは建物の存在を把握してはいたが、子爵家の屋敷だとまでは知らなかったようだ。

「屋敷に戻るのは三年ぶりです」

「あんた、一度も里帰りはしてなかったのか」

「はい……」

 行儀見習いで修道院に来ていた他の娘たちは、年に一度か二度、生家へ戻っていたがプリシラはそうはしなかった。里帰りしてはどうかと父のバーナードは手紙に何度か書いてくれたが、継母のカミラはプリシラの顔を見れば顔を顰めるだろう。あるいは存在を無視される。プリシラは継母と上手くいっていなかったのだ。


 プリシラの実母クレイスが亡くなると、父はすっかり生気を失ってしまった。当時プリシラは十歳であったが、子供が見ていても辛くなるほどに父は嘆き悲しんだ。周りの知人たちも心配し、新しい妻を娶ってはどうかと勧めた女性がカミラである。

 まだ若かったカミラは、意地悪な見方をすれば上手に父に取り入った、と、プリシラは思う。だが、彼女はプリシラに歩み寄る気はなかったようだ。

 そして父とカミラの関係は子供だったプリシラにはよく分からなかったが、仲睦まじかった実母と父のようではなかった。次第にプリシラと父とカミラ、三人の距離は開いていった。


 プリシラが修道院へ入ることになったのはやむを得ない事情があったからであるが、カミラのいる、息の詰まるような生家から離れられたのは、結果的に良かったように思えた。

 里帰りはするのかと問う父の手紙も、半年ほど前に途絶えたきりだった。


「あんたの話からすると、あまり楽しい家じゃなさそうだな」

「母が生きていた頃は、とても幸せだったと記憶しているのですが」

 それでも、父に会うのは楽しみだったし、三年の歳月を経てカミラの態度も幾分か和らいでいるかもしれない。

「ジャレドさまは、ご家族は」

「俺は捨て子だった」

 思いもしなかった返事にプリシラはぎょっとした。だがジャレドは何でもなさそうに淡々と喋る。

「ダカークの辺りに捨てられていたらしい。俺を拾った人が、育ててくれた」

「ダカーク……」

「ああ。貧民街だ。そこで育った」

「育てのご両親は、今はどうされているのですか」

「養父は数年前に病気で死んだ。養母……の方は、ダカークを出て、グラウツの街で店をやってる。さっき、あんたも食っただろう」

「まあ」

 つまり、彼が食事をすると言っていた店は、育ての母の店だったのだ。

「とても美味しかったと、お伝えください」

「そうするよ」

 屋敷の前でジャレドに馬から降ろしてもらい、プリシラは彼を振り返る。

「本当に、お礼を致しますから、どうか少しお待ちください」

 彼には世話になりっぱなしだ。街まで送ってもらい、ご飯をごちそうになり、そして今度は屋敷まで送ってもらったのだから。彼は、別に期待していない、とでも言いたそうに肩を竦めただけだったが、世話になったことを父に話せばジャレドには謝礼が支払われるだろう。




 格子の門は固く閉ざされている。プリシラは脇にあるベルの紐を引っ張って鳴らすと、執事のマーカスが応対に出てくるのを待った。

 だが屋敷の入り口から出てきたのは、プリシラの知らぬ若い男だった。ひょろりとした体躯で、どこか気怠そうな雰囲気を纏った青年だ。


 青年は門を閉ざしたまま格子の隙間からプリシラに問う。

「どちら様かな?」

「プリシラです。プリシラ・ヴィレット。この屋敷の者です」

 プリシラは彼を新しい使用人なのだと思った。だからプリシラを知らないのだろうと。

 だが彼はプリシラの名乗りにあざけるような笑みを見せる。

「そういう冗談はお止めください。悪趣味ですよ」

「わたくしは嘘など言っておりません。父に会えば確認してもらえるはずです」

「父?」

「バーナード・ヴィレット子爵です」

「貴女は、この屋敷の主……ヴィレット子爵を自分の父だと言うのですか」

「先ほどからそう言っております」

 話の分からぬ新しい使用人は、今度はため息をついて首を振った。

「本当に。悪趣味な冗談はお止めください。この屋敷のお嬢様は、お亡くなりになったばかりなのですよ」


 プリシラは瞬きもせずに固まった。

 青年の言葉を頭の中で繰り返す。自分が死んだ?

「馬車の事故でした。御者が操縦を誤り、岩場にぶつかって馬車は大破したのです。そしてお嬢様は……」

 青年は「おお」と大げさに嘆いて身体を震わせる。

「お嬢様の身体は馬車から投げ出され、不幸にもそのまま崖の下へ」

「な、なんですって……? わたくしは、わたくしは……」

「お嬢様の亡骸は今朝発見され、現在葬儀の準備で忙しいのです。悪戯はやめて、お引き取り下さい」

 慇懃な礼をして去ろうとする青年を呼び止めるために、プリシラは格子を掴んだ。

「お待ちください! 確かに馬車は事故に遭いました。ですが、わたくしは生きております! マーカスは……父が駄目なら、執事のマーカスに会わせてください。若しくは、カミラ様に」

「カミラ様は見知らぬ人間にはお会い致しません。それに、マーカスとはどなたですか? この屋敷の執事は私、ジョナス・ケインが務めております。ですが覚えていただかなくて結構。もう、お会いすることもないでしょうから」


 自分の知らぬうちに執事が変わっている。この屋敷に何が起こっているのだろう。自分が死んだことになっているだなんて。

「待ってください。では、亡骸を見せて」

「なんと罰当たりな……。お嬢様の亡骸は見るも無残な状態で……カミラ様が確認した後、棺は固く釘打たれました」

「その棺に入っているのは、わたくしではありません」

「そうでしょうとも。貴女ではない。うちのお嬢様ですからね」

 棺に入っているのは誰なのだろう。自分に似た女性が偶然事故現場の崖下で死んでいたのだろうか。とにかく、どうにかしてこの新しい執事ジョナス以外の人間に会わせてほしい。この際それがカミラでも構わないと思った。

「これ以上食い下がるようでしたら、お嬢様を騙る不届き者として役人を呼びますよ」

 しかしジョナスは冷たく言い放ち、プリシラに背を向けた。格子の門が開かれる事はついになかった。




「なるほど。楽しい家ではなさそうだ」

「ジャレドさま……!」

 あまりの展開にジャレドがいる事を失念していた。彼は馬に道端の草を食ませ、自分は腕を組んで木に寄り掛かっている。

「大体聞こえた」

「こ、こんな事になってしまい、申し訳ありません」

「あんた、俺に詫びてる場合なのか」

 自分は何をしたらよいのだろう。父か、カミラにさえ会えれば自分は生きていると証明できると思ったのだが、新しい執事はカミラが亡骸の確認をしたと言っていた。なんでも、遺体は見るも無残な状態だったらしい。

 ジョナスが嘘を言っているのでなければ──想像するのも恐ろしいが──プリシラだとされる亡骸は、自分と同じ体格で銀の髪だったのだろうか。顔も判別できぬ程酷い状態であれば、それくらいしか判断の基準がない。

「ひょっとしてジャレドさまも、わたくしが偽物だとお考えでしょうか」

「さあな。あんたは冗談を言うタイプには見えないが。他に、あんたを知っている人間はいないのか? あんたが偽物ではないと証明できる人間だ」

「いえ……修道院へ入る前も、あまり社交界でのお付き合いは……」


 プリシラのことを覚えている人間は少なからずいるだろう。

 だが、彼らはプリシラを白い目で見ていた人たちだ。哀れむように声をかけながらも、その実、プリシラに何が起こったのかを知りたがり、ある事ない事話を広めたがった人たち。好奇の眼差しから逃れるように、プリシラは修道院へ身を寄せた。彼らに頼りたいとは思えない。


 ジャレドはちらりと屋敷の方へ視線をやった。

「とにかく、いったんここを離れた方がいい。あの感じの悪い執事、二階の窓からこっちを見てるぞ」

 本当に役人を呼ばれてはかなわない。プリシラは頷き、ジャレドについて歩き出した。だが、これからどうしたらよいのだろう。




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