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17.愛しい人



 役人に引き渡されたオースティンはさすがに観念したようで、マヤの亡骸のある場所を自白した。彼の言った通り、古井戸からは白骨が引き上げられたのだった。

 少しして、ハーヴェイ家に王宮から書簡を持った役人たちがやって来る。それは、ジャレドを本物のオースティン・ハーヴェイと認める、と記されたもので、国王の印章も押してあった。

 偽物のオースティン・ハーヴェイは十三代目のハーヴェイ家当主であったが、ジャレドを何代目と数えるべきかの話し合いも王宮で行われていたらしい。


 しかし、偽物のオースティンには実母の殺害の他に、まだ罪があったのだ。三年前のプリシラ・ヴィレットの誘拐である。

 ならず者による身代金目的の犯行とされていたが、首謀者はプリシラとの婚約を反故にしたいと考えたオースティンであったのだ。

 この時誘拐を実行した三人の男たちは、報酬を受け取った後もオースティンを脅迫した。真実を公表されたくなかったら、金を払えと脅したのだ。

 すでにマヤの殺害を済ませ、良心の呵責も覚える事なく過ごしていたオースティンである。彼らを始末することに何ら躊躇いはなかった。邪魔物は、消してしまえと。

 そこで金を用意したと言って彼らを例の小屋に呼びつけ、毒を混ぜた酒をふるまい、殺害した。小屋の裏手からは頭蓋骨が三つ掘り起こされたという。

 侯爵家の当主とされていた人間は、偽物だったうえにいくつもの殺人を犯していた……これでは拙い。こうして偽物の記録は抹消された。

 アレクス・ハーヴェイ十二代侯爵の次の当主は──ジャレドが養親からもらった名を捨てたくないと希望し、それが受け入れられた結果──オースティン・ジャレド・ハーヴェイ十三代侯爵となったのである。


 プリシラの手首は回復に向かっている。怪我を負った当初は痛みで二日ほど仕事を休んでしまったが、現在はそれほど支障がない程度になった。もちろん、製品を仕上げる速度は少し遅い状態ではあるが。

 ジャレドは王宮からの書簡が届いて以来、住まいをハーヴェイ侯爵邸に移す事となった。世間へのお披露目はまだだが、さすがに酒場の二階に寝泊まりする侯爵はいない。当たり前の事だった。

 そして彼は、お披露目パーティーに向けて猛特訓を受けているようだった。カトラリーの使い方を始め、社交界のマナーやダンスも覚えなくてはならない。

 ラガリエの外れにある小屋で、彼と口づけた夜から二人きりで会う機会はやってこなかったので、この情報はジュリーが教えてくれたのである。あの子がダンスなんてね、と。




 そしてジャレドがプリシラの前に現れたのは、小屋での出来事から十日ほど経った時のことだった。

 プリシラが仕事を終えて部屋に戻ると、ジャレドが待っていたのだ。

 彼はプリシラの手首の様子を知りたがった。毎日薬を塗っているか、快方に向かっているのかを訊ねる。

 プリシラは彼のためにお茶を淹れようとしたが、火傷を気遣ったジャレドが代わりにやってくれた。小さなテーブルを囲んで互いの近況を語り合う。

 偽物のオースティンを縛り上げた後、ジャレドはこの部屋にプリシラを送り届けてくれた。プリシラが火傷を井戸水で冷やしている間にジャレドは薬を買いに走ってくれたわけだが、彼はジュリーから『どうして火傷の薬なんて必要だったのよォ! あんたたち何やってる訳ェ!?』と、再び糾弾されたらしい。

 ジャレドは薬種屋の口が軽すぎることに、そしてジュリーの発想に「どうして普通に考えられないんだ」と嘆息したが、プリシラには普通に負う火傷の他に何があるのか分からず、だが、詳しく聞くのも恐ろしいような気がして曖昧に頷くしかできなかった。


「それからヘレン夫人……祖母が、あんたの部屋を用意した。ハーヴェイの屋敷に移る気はないか」

「わ、わたくしの、お部屋ですか?」

「俺のお披露目パーティーとやらで、祖母はあんたを俺の女……じゃない、婚約者として紹介する気満々らしい」

「えっ? えええっ?」

「俺も、あんたがここに一人で暮らしているよりは、そっちの方が安心なんだが。厭か?」

 プリシラは俯き、ドレスをもじもじと弄った。ジャレドとはあの時……口づけを交わして以来である。彼はプリシラの事を「惚れた女」だと言ってくれた……の、ですよね? 時間が経っている上にジャレドはハーヴェイ家の事で忙しくしていて、二人でゆっくり話す機会も無かったのだから、次第にあれは夢だったのではないかと自信が無くなってきていたところだ。


「ああ。まずは、あんたと話をつける約束だったな」

「ひっ……」

 ジャレドは立ち上がり、プリシラの前までやって来た。

 やはり、言いたい事だけ言ってジャレドを閉め出した事に腹を立てているのだろうか。けれど、彼は口づけてくれたし……。それから、プリシラをジャレドの婚約者として紹介するというヘレンの考えを、ジャレド自身はどう思っているのだろう。

「あんたは俺を好きだと言った」

「は、はい……」

「俺もあんたに惚れていると言った」

「はい……」

「何か問題でもあるのか」

「あ、あの、そこで婚約の運びとなるのは、」

「惚れてもいない者同士が婚約することだってあるんだろ? あんたと元婚約者が良い例じゃないか。それに比べたら、俺とあんたが一緒になる約束をするのは甚く健全に思えるが」

 婚約、というのはやがて結婚するという事である。プリシラには、ジャレドが身を固める様子が思い浮かばなかったのだ。彼は賞金稼ぎとして自由に生きてきた人だ。一人の女に縛られたりするのは、好まないのではないかと。


「もともと俺は、一緒に暮らさないかと、あんたに訊ねようと思っていた」

「え……」

「あれは、まだハーヴェイ家でのことを知らずに、あんたの尻の薬を買いに、夜の街を走った時だった。それまで俺はあんたを放っておけなくて世話を焼いているつもりだったが、この先ずっとあんたの面倒を見てやりたいと思っている自分に気が付いた。それから、あんたを他の男には任せたくないとも思った」

 プリシラの尻の事は誤解だったので、結局はジャレドに無駄足を踏ませる事となったのだが、あの時、ジャレドはそんな風に考えていてくれたのだ。尻を労われと言ってプリシラを寝台に運んだ。そして、恥じる事はないのだとすごく真剣に励ましてくれた。

「だが、一緒に暮らさないかと持ちかけるのは、その日は止める事にした。俺からすれば、あんたは尻の悩みでいっぱいいっぱいに見えたからな」

 当時の様子を思い出したのか、ジャレドはにやにやとしながら言った。


 それから、ふと真顔になる。

「プリシラ。あんたは俺に言ってくれた。俺がハーヴェイ侯爵であろうと、貧民街出身のただのジャレドであろうと、あんたは構わないと」

「は、はい。気持ちは、今でも変わっておりません」

「俺も、あんたが子爵家のプリシラ・ヴィレットであろうと、ただの針子のプリシラであろうと構わない」

「ジャレドさま……わ、わたくし……ご迷惑ばかりおかけして、ジャレドさまは呆れているのではないかと……」

「俺はあんたの面倒をみてやりたいと、言っただろう」

「は、はい……でも、わたくしもジャレドさまのお世話をしたいのです。お部屋に戻って来たジャレドさまに、温かいお茶を淹れて差し上げたい。眠る前に、ジャレドさまの黒い髪をくしけずって差し上げたい……」

「だったら、喜んで世話になる」

「はい……」

 ジャレドはプリシラの目線まで屈みこむと、プリシラの涙を拭った。

「なにも泣く事はないだろ」

「でもっ、と、止まりません……」

 ジャレドの指はプリシラの頬を辿っていたが、やがて彼の顔が近づいてきて、唇が触れ合った。一度顔を離し、角度を変えてもう一度口づける。

 いつの間にか涙は止まり、ジャレドの唇に合わせてプリシラも自分のそれを動かすことに夢中になっていた。

「ん、ふっ……」

 息が上がって、頭がくらくらとしてくる。スツールに座っているはずなのに身体が傾ぎ、倒れそうになって、思わずジャレドの胸に身を寄せた。彼はプリシラと舌を絡めながらも、その背中にぎゅっと腕を回す。

「プリシラ」

「ん、ジャレドさま……」

「このままだと俺は、あんたの着ているものを剥ぎ取ってしまう」

 剥ぎ取って、どうなるのだろう。ジャレドとくっつくのに、服が邪魔だという気がしていたから、それでも構わない。

「あんたを俺のものにしたい」

「わ、わたくしが……ジャレドさまのものに、」

 自分が、ジャレドのものになる。その甘い響きに、プリシラの頭の奥がじんと痺れた。

 唇が触れただけで、これほどうっとりする気分になれるのだ。ジャレドと直に肌を合わせたら、どれほど気持ちが良いのだろう。

「おい。この後どうなるか、分かってるんだろうな。やめるなら、今だぞ」

「や、やめたく……やめたく、ないです」

 ジャレドの胸にしがみ付きながらそう答えると、ふわりと身体が浮いた。


「まさか、これを脱がせることになるとはな」

 プリシラが身に着けている、足首までを覆う野暮ったいデザインの下穿きを見たジャレドが複雑そうに呟いたのをなんとなく覚えている。

 その後は、二人で夢のような時間を共有した。




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