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16.真贋のハーヴェイ侯爵 2



「あんたは、自分が本物ではないと、とっくの昔から知っていたんだろう」

「うるさい、うるさいうるさい!」

「いてっ」

 ジャレドはオースティンからなるべく多くの話を引き出したいようだった。オースティンの悲鳴にも似た叫びと、鞭の音が響き渡る。


「本物のハーヴェイ侯爵は僕に決まっているだろう! あの女……マヤとかいう女が、でたらめを言って僕を不安にしたんだ! それだけだ!」

「マヤ? マヤという女を知っているのか」

「……僕が王都の寄宿学校にいる時、みすぼらしい女が訪ねてきたんだ。なんとその女は僕の母親だと言う! 気のふれた女の相手なんかしていられないからな! 守衛を呼んでつまみ出そうとしたんだ。だがその女は古い手紙を僕に見せた……」

 アレクス・ハーヴェイ前侯爵はマヤに息子を託した際、ヘレンに見せるようにと彼女にも手紙を持たせていた。

 マヤは文字が読めなかったが、アレクスは手紙の内容を簡単に話して聞かせていた。『息子の特徴と、それから母のヘレンに、君たち母子をよろしくと書いておいたよ』と。マヤはこれを、髪の色の事だと思い込んだようだ。アレクスの息子は黒髪で、自分の息子は金に近い茶色だった。

 成長とともに髪の色が変化する者もいるが、さすがに短期間で黒髪が薄茶になる事はないだろう。マヤはこの手紙をヘレンには見せず、ずっと自分で持っておいたのだ。おそらくは、成長した息子に接触する時のために。

「あの女は、きっとおばあ様にもでたらめを吹き込んだんだ……! 休暇でラガリエに戻るたびに、今までになかった視線で僕を見るようになったのだから! くそっ、あの女……!」

 ヘレンはあれ以来マヤを見る事はなかったと言っていたから、マヤがオースティンに接触を試みたのと、ヘレンが疑問を抱き始めたのは同じ頃だったようだ。


「それで? マヤという女はどうなったんだ」

 ジャレドは話の続きを促している。

 プリシラは蝋燭の炎を見て大きく深呼吸したのち、そこに背中を向けて手を翳した。

「……っ!!! ……っっ!」

 ジジッ……っとロープ──もしくは服の袖──が焼ける音がする。肉が焦げるようなにおいすらした。熱いし、それに痛い。目に涙が滲んだ。炎がどこに当たっているのか確かめる事はできないが、プリシラは痛みに飛び上がりそうになりながらも、ロープを焼き切ることに専念した。


「あの女……! 次に僕の前に現れた時は、フードを取って僕にそっくりな髪の色を見せびらかすようにしやがった! だが僕はその手には乗らない。薄茶の髪なんてよくあるし、あの女は侯爵家に集りたいがために、染めていたに違いないんだ! この僕に、金をせびったんだからな!」

 残念ながら、マヤの目的は金品だったようだ。彼女はオースティンの実母を名乗り、オースティンが今のような良い暮らしをしていられるのは、自分が機転を利かせたためだと主張した。

 本物のオースティンを自ら手にかける度胸がなかったマヤは、貧民街の近くの街道にその子を置いてきたのだとも言った。だから本物は運が悪ければそのまま亡くなり、運が良ければ貧民として育っている、いずれにしても侯爵家とは縁もゆかりもない人間となっているはずだと。

 オースティンはこれを信用せず煙たがった。

「だがあの女は、僕の後頭部には痣がある筈だと言い出した……」

 なんと、オースティンにも、他人に指摘されなければ気づかないような身体的特徴があったようだ。

「僕はその夜、髪の毛をかき分けて、合わせ鏡で確かめた……そんな筈はない! なんであの女が知っているんだ! そんな筈はないんだ!」

 興奮したオースティンの振り上げた鞭が、ジャレドを直撃し、ビシッと重たげな音が響き渡った。

 同時に、プリシラの両の手が自由になった。急いで手首を前に持ってくると、小さくめらめらと袖が燃えている。

「……っ、」

 物音をたてる訳にはいかないので、プリシラは手首のその部分をすばやくぎゅっと握ることで炎を消した。薄暗い中でも皮膚が焼けただれているのが分かる。あまりの痛みにぼろぼろと涙をこぼしながら、だが火を消した後は急いでポケットの中を探った。

 そして木製の柄から刃を取り出す。刃には厚みがあって丈夫そうに見えるが、とても小さなナイフだ。

 ジャレドのような人ならば、効率よく扱えるのだろうが、果たして自分にこれで何が出来るのだろう。そう考えながら、プリシラは両足を縛っているロープを切り始める。


「それで、あんたはマヤに何と答えたんだ」

「冗談じゃないっ。あんなみすぼらしく卑しい女にこの僕が脅迫されるなんて、冗談じゃない! 僕は金品を渡すと言って、あの女を呼びつけた……ははっ。あの女、金に釣られていそいそとやって来たよ」

 僕と貴女が頻繁に会うのはまずいよ。だから、そこの涸れ井戸の中に金や宝石の入った櫃を埋めたんだ。必要な時に取り出しに来るといい……僕も、定期的に中身を満たしておくからさ……。

「あの女、さっそく井戸の中を覗きこみやがった! 僕は、背中をちょいと押してやるだけだったよ」

「……殺したのか」

「僕を脅かす存在だ。邪魔でしかないだろう? あの女も消えて僕はホッとしたよ……夜も良く眠れるようになった。ところが、今更何だって? お前のような下賤の輩が、本物のハーヴェイ侯爵かもしれないだと? 笑わせるなよ!」

 オースティンの振るった鞭がジャレドの頭に当たり、彼のこめかみから血が流れ出る。だがジャレドの瞳は冷静にオースティンをとらえていた。

「それで、俺も殺すのか。さっきも言ったが、俺が死んだところで、あんたにかかった疑いが晴れるわけではない」

「黙れよ!」

 オースティンは鞭をもうひと振るいした後、ジャレドから没収したナイフを手に取った。が、すぐに放り出す。

「血で汚れるのは厭なんだよね……そうだ、鞭であと何回叩いたら、お前は死ぬんだろう」

「俺を殺すのは構わん。それよりプリシラを解放してやれ」

「もっと怯えてみせたらどうなんだよ? お前の態度、気に入らないな!」

 そこでオースティンはがむしゃらに鞭を振るい始める。興奮のせいか慣れていないのか、狙いが外れる事も多いようだったが、時折重たげな音が響き渡った。


「や、やめてっ。ジャレドさまに、乱暴しないで!」

 この小さなナイフで何が出来るのか考える暇もなかった。

 プリシラは両足のロープが切れるとともに走り出していた。オースティンが振り返り、プリシラが自分に向って走ってくる姿を見て、驚いた表情をした。視界の端で、縛られていた筈のジャレドが何故か立ち上がったようにも見えたが、プリシラの勢いは止まらない。

 持っていたナイフを、オースティンの尻に突き刺したのだった。

「う、うわああ! なっ何をしやがった……! あああ、血が、血が出てるぞ! 何かが刺さってる! くそっ、プリシラ……」

 オースティンは尻に手をやって慌てふためいていたが、音もなく彼の背後に立ったジャレドがその首に腕を回して締め上げると、手足をバタバタさせたのち、ぐったりと静かになった。


「ジャレドさま……あの、ロープは」

 彼は椅子に縛られていた筈ではなかったか。

「ばれないように解いた。この男に喋らせながら機会を窺っていたんだが」

 ジャレドは子供の頃、養親と一緒に盗みや密輸を行っていた。その時に縄抜けを教わったらしい。賞金稼ぎとなってからも、罪人と対峙した際にもしかしたら必要になるかもしれないと、時折練習を重ねていたようだ。

 彼は自分が縛られていたロープを使ってオースティンを縛り上げると、プリシラの手をそっと掬った。

「こいつにやられたのか」

 赤くなった皮膚が捲れ、ところどころに水ぶくれができ始めている。

「いえ……ロープを、焼き切ろうと思いまして、自分で」

「そもそも、あんたを縛ったのはこの男だろうが。早く冷やした方がいい」

「ジャレドさまも、血が……申し訳ありません。わたくしが捕まってしまったせいで、ジャレドさまをこのような目に」

 ジャレドはプリシラの手を労わるようにそっと下におろさせた。それからプリシラをじっと見つめる。

「惚れた女なら、俺は助けると言っただろう」

「ジャ、ジャレドさま……」

 次に気を失って倒れているオースティンの尻に、ナイフが突き立っている所を見て少しだけ笑った。いつだったか、彼は言ったことがある。悪い輩に出会ったら尻でも突き刺してやれと。プリシラはその通りにしたのだ。


「あんたも勇ましかった」

 彼が屈みこんだかと思うと、プリシラは熱のこもった口づけを受けたのだった。




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