15.真贋のハーヴェイ侯爵 1
査問会に、オースティン・ハーヴェイは現れなかった。ヘレンが王都に向かわねばならない理由を彼に話した直後、姿を消したのだという。集まっていた役人たちはこれを問題視した。
それから、ヘレンの持ってきていた肖像画に皆が目を剥いた。彼女は息子だけでなく、祖先の肖像画も持ってきていて、ジャレドはハーヴェイ家の特徴を色濃く継いでいる顔立ちだという事を証明した。
ジャレドが辟易したのは、身体検査である。つまり、役人たちにほくろを見せなくてはいけなかったのだ。
重要なことなのでこの検査は必須なのだが、役人たち──しかも全員男──に、裸の尻をじろじろと見られたあげく、染料や刺青ではないと確かめてもらうために、尻を触られたり擦られたり摘まれたりもした。これは、賞金首を追うためにドブ川に飛び込んだ時よりも、冷たい雨に打たれながら寝食せずに二晩張り込んだ時よりも、精神的にきつかった。
だが、オースティン・ハーヴェイ不在のまま結論を下す訳にもいかない。査問会はもう一度開かれる事となり、その日までにオースティンの居場所を突き止めなくてはと、役人たちが動き出した。
ジャレドは王宮から乗って来た馬車を、ジュリーの店の前で彼女と一緒に降りた。そして一人、プリシラの家へ向かった。陽が暮れ始めているから、彼女の仕事も終わっているはずだ。
プリシラの顔を見たら、まずは何を言ってやろうか。彼女の事だ、ジャレドの姿を目に入れた瞬間どこかに隠れてしまうのではないか。彼女をとっつかまえて抱き寄せるのも楽しそうだが、その前に扉を開けてもらえるのだろうか。
窓の外から見る限り、部屋に明かりは灯っていない。だが扉が少しだけ開いていて、それが僅かに揺れている。しかも、鍵穴に鍵が挿しこまれたままだ。
「おい、プリシラ?」
異常を察知したジャレドはプリシラの部屋に飛び込んで辺りを見回した。
中に、人の気配はない。部屋が荒らされている様子も窺えなかった。
戸締りを忘れて出かけたのだろうか。鍵を挿したまま? まさか。そう思ってふと振り返り、ジャレドはぎくりと姿勢を正した。
扉の内側に、紙が貼られていたのだ。
『女を無事に返して欲しければ、ジャレド氏一人で来ること。他人に話せば女の命はない』
紙の下部には、簡単な地図が描かれていた。
一瞬、カミラとジョナスがプリシラを連れ去ったのだと思った。だが、彼らがプリシラを攫ってジャレドをおびき寄せる訳がない。これは、オースティン・ハーヴェイの仕業なのではないだろうか。
「クソッ」
ジャレドは紙を破り取ると、ジュリーの店の二階に戻って装備を整え、指定された場所へと向かった。
*
ここは暗くてかび臭い。
木造の建物の、壊れた壁の隙間から月明かりが差し込んでいた。
そして自分はこのにおいと風景を知っている。
十五の時に、誘拐されて閉じ込められていた場所と同じだった。
「気がついたかい」
「……!」
プリシラは身体を起こそうとしたが、手首と両の足が縛められていて、ただ身体をうねらせただけに終わってしまう。すると、目の前にぽっと明かりが灯る。床に置かれた燭台に、火がつけられたのだ。
顔を上に向ければ、薄暗い中に見覚えのある人物が立って、こちらを見下ろしていた。
「オースティン様……」
自分を攫ったのはオースティンだった。
口を塞がれた時に何かの薬を嗅がされて、プリシラは気を失ってしまった。どこに連れてこられたのかは分からない。だが、あの時と同じ場所なのは分かっている。
ジャレドの読み通り、プリシラの誘拐にはオースティンが絡んでいたのだ。自分が悪者になることなく、条件の良い相手に乗り換えるために。
「ここは、あの時の」
「ああ、ばれちゃった? そうだよ。三年前、君が閉じ込められた場所だ。ラガリエの外れにある使われていない小屋だよ」
「わたくしの誘拐は、貴方が」
「だって、仕方ないだろう? 君と婚約していながら、僕はヴァージニアに出会ってしまった……そうするしかなかったんだよ」
彼の勝手な物言いに、プリシラは顔を顰めた。それに三年前と言えばヴァージニア・ベニントンはまだ十二歳なのではないか。そこに彼女の意思が絡んでいたとは思えなかった。
本当に、彼はただ婚約を破棄したいと、プリシラに告げれば良かっただけなのに。ならばプリシラは失意も悲しみも感じる事なく、黙って頷いていただろう。
どちらにしろ、婚約の話は反故になった。今オースティンがプリシラを攫ったところで、何かが変わるとは思えないのだが。
「ですがそれは、もう終わったことです。なのにわたくしは何故……」
「そう、君と僕の婚約はもう終わった話だ。けれど現在、僕はちょっとした窮地に立たされているんだよ。邪魔物を追い払うために、君に協力してもらおうと思ってさあ。ほら、昔のよしみでね」
「な、なにを……」
何を今更。プリシラは腹立たしく思ったが、彼の言う邪魔物とは一体誰の事だろう。査問会に現れなかったオースティン。彼には偽物だという自覚があるのだ。では、彼が邪魔に思う人物とは……
「まさか」
床に転がされたままオースティンを見上げると、彼は薄い唇に皮肉げな笑みを浮かべた。
「プリシラ! いるのか」
ちょうどその時、小屋の外からジャレドの声が聞こえた。
「もう来たのか」
オースティンは驚いたようだった。落ち葉を踏む音がしなかったとかなんとか言いながら、プリシラを立たせ、扉の方へと引き摺って行く。
オースティンはジャレドに何をするつもりなのだろう。彼を本来の地位──ハーヴェイ侯爵──につけたくないのは明らかだ。プリシラの無事と引き換えに、この話を辞退しろとでも言うつもりだろうか。
だが仮にジャレドがそうしても、話は王宮にて動き出しているのだ。偽物かもしれない侯爵は取り調べを受けるだろう。そして疑いのかかったまま侯爵の地位にしがみ付くのは無理だろう。
扉が静かに開いて、ジャレドの姿が現れる。
「そこから動くな!」
彼はナイフを突きつけられたプリシラを見て、オースティンの言葉の通りにした。
「僕の言うとおりにしろ。まず、持っている武器を全て床に置け。ゆっくりだぞ。妙な動きをしたら、この娘を刺すからな」
オースティンはそう言いながら、プリシラを連れてじりじりと後ろに下がる。ジャレドはオースティンの手元から視線を外さぬまま、ゆっくりと腰に下げていた大きなナイフを床に置いた。反対側に下げていた鞭も。それから背中側に留めてあったナイフも。
「物騒なやつだな……」
「これで全部だ」
最後にジャレドは、ブーツに差していた短剣を抜いて、床に並べた。
「次は、壁に手をつけ」
オースティンはジャレドの身体や衣服を調べたいようだったが、プリシラを抱えたままでは思うように動けない。彼は舌打ちすると、プリシラを後方に転がした。
「きゃ、」
「プリシラ!」
「黙れ。壁に手をつけと言っているんだ」
後ろ手に縛られ、両足も縛められているプリシラは、なす術もなくお尻を床に打ちつけた。
ジャレドがブーツから短剣を取り出す様を見ていて、プリシラは彼がくれた小さな折りたたみ式ナイフの事を思い出した。御守りとしてドレスのポケットに入れてある。
オースティンはまさかプリシラがそんなものを持っているとは思わなかったのだろう。没収どころか、身体を調べられもしなかった。プリシラを無害で無力な生き物だと決めつけているようだから。
二人の様子を見てみれば、ジャレドは壁に手をつき、オースティンがナイフを突きつけながらも、彼の身体をぺたぺたと触って調べているところだった。
プリシラはどうにか身体を捩ってポケットに手を入れようとしたが、後ろ手に縛られている状態ではさすがに厳しい。ナイフを手に取れたとしても、自分の手を縛っているロープを切るのは無理だろう。
オースティンは小屋に置いてあった古びた椅子にジャレドを座らせ、そこへ縛りつけていく。それからジャレドが持っていた武器を一纏めにし、鞭を手に取って薄笑いを浮かべた。
「もう充分だろ。早く、プリシラを解放しろ」
「うるさいな」
オースティンは鞭でぴしりとジャレドを叩いた。
「言っておくが、俺が消えてもあんたは元の地位に戻れるわけじゃない」
偽物ではないかとの疑いが色濃くなるだけだ。
「うるさいと言っているんだっ」
「つっ……!」
「ハーヴェイ侯爵は、二人も要らない」
この時のオースティンの言葉に、プリシラは思った。彼はジャレドを殺してしまうつもりなのではないかと。どうにかしなくては。自分が捕まったせいでジャレドが危ない目に遭っている。
もう一度ナイフを取るのを試みようと身体を捩った時に、蝋燭が目についた。ジャレドが来る前に、オースティンが灯したものだ。ごくりと唾を飲み込んだ。あれなら、ロープを燃やせる。
プリシラは、そっと蝋燭に向かってにじり寄っていった。




