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14.どんなあなたでも



 ジャレドは服を元に戻すと、尻の右側をさすりながら二人の所へ戻った。

「今まで知らなかった」

 こんな場所に、ほくろがあるとはな。


 右側の、だがかなり中心よりの方に、小さなほくろが三つ並んでいたのだ。場所が場所なので、鏡に映すのも苦労したくらいだ。

「でしょォ!? あたし、おむつを替える時に見た事あるもの! その時のあんたったら、こーんなに小っちゃくってさあ!」

 ジュリーは自分の手で赤子だった頃のジャレドの寸法を示し、くすくすと笑う。

「……で、侯爵未亡人に話すのか。俺の尻にほくろがあったと」

「わたくし……ジャレドさまは、ジャレドさまはどうなさりたいですか。ヘレン様は、ジャレドさまがご自分の孫なのではないかと、ほぼ確信しているようでした。ですが、オースティン様のこともありますし……何より侯爵家でのことです。ハーヴェイ家だけで解決する訳にはいかないのではないでしょうか」


 おそらくは王宮で査問会が開かれる。ヘレンとジャレド、オースティンはもちろん、ジュリーも呼ばれ、役人たちにあれこれと訊かれるに違いない。プリシラはジャレドが貴族のお家騒動に巻き込まれると、それを心配してくれていたのだ。プリシラ本人がそういった目に遭って苦労しているのだから。

 ジャレド個人はどのように人目を引こうと構わないし、好奇の視線に晒されても修道院へ逃げ込むつもりはないが、今回は自分だけの話ではない。侯爵家が関わっているし、それに、とジュリーを見やる。

「あんた、あたしに妙な気は使わないでよね」

「いや、しかし」

 自分が本物のオースティン・ハーヴェイだったとしても、ジュリーとの絆が切れることはないだろう。だがジュリーは養子が実は貴族だったと知っても手放しで喜ぶタイプではないし、むしろ世間の注目を浴びるのは、彼女は避けたいはずなのだ。

「あんたを捨てたマヤって女も腹が立つけど、あたしが一番腹立たしいのは、その、いけ好かない男が侯爵に居座ってるってところよ! あんたの顔を見て怒り出したって事は、そいつ、自分が本物じゃないって知ってる筈だわ!」

「ジュリー……」

「あたしの事はいいから、あんたの気の済むようになさいな」


 ジャレドはジュリーの性質を認めているし、受け入れてもいる。彼女は自分の親であるとも思っている。母さんやおふくろと呼ぶのはさすがになんだかちょっと違うような気がするので、名前でしか呼んだことはないが。

 十五になった頃から賞金稼ぎの仕事を始め、それ以来金銭的にジュリーやダグラスを頼ったことは皆無だし、独り立ちしたつもりでいたが、充分に心配され、守られているのだなと感じた。


 何しろ関わっているのは侯爵家だ。自分が本物のオースティン・ハーヴェイだったとしても進んで侯爵の地位を取り戻したいとは思えない。

 だが、ジュリーの言うように、あの感じの悪い男が侯爵家に居座っているというのは確かに腹立たしい。何も知らずにいるのならばまだしも、ジャレドを目にした時の様子からして、あいつは絶対に自分の本当の素性を知っている。ひょっとしてマヤという女──おそらくは実母──とまだ連絡を取っているのだろうか。


 それから、プリシラ。彼女を見ると、群青の瞳に気遣うような色が浮かんでいる。放っておけないと世話を焼いてきたつもりだが、気持ちの上では、自分は彼女にも充分に守られていた。

 ジャレドが本来の身分を取り戻せば、ヴィレット家にも近づけるのではないだろうか。自らの力で手にした地位でないものに頼るのは些か不本意であるが、くだらないプライドに拘っている場合でもない。

 そこで、ジャレドは黙って頷いた。




 その後で、プリシラはヘレンに手紙をしたためた。差出人はクレイス・ディアとしていたが、これはプリシラの実母の名前らしい。ハーヴェイ家に届いた手紙は使用人が目を通し振り分けるはずだが、何かの間違いでオースティンの目に入ってしまっても疑われる事が無いようにと、ヘレンと事前に取り決めを交わしていたようだ。


 そして手紙を受け取ったヘレンは、翌日、使用人と一緒にジュリーの店を訪ねてきた。ジャレドを拾って育てた彼女も交えて話した方がいいだろうと、話し合いの場所にはジュリーの店を指定していたのだ。

「あのう……ジャレド氏……?」

 ジャレドの姿を目に入れたヘレンは、瞳に涙を溜めながら、だがおずおずと話しかけてくる。この品の良い女性が、自分の祖母なのかもしれない……どこか懐かしいような気がしてきたのは、暗示のせいなのだろうか。それとも。

「ほくろ、見ますか」

 ジャレドが右尻を叩いて見せると、ヘレンは頬を染めて首を振った。

「いえ、いいえ……私には、分かっているのよ。だって、ほら……」

 ヘレンの後ろに控えていた使用人は、抱えていた包みを解いて見せる。それは、アレクス・ハーヴェイの肖像画であった。ジャレドは驚きに目を見開く。ジュリーもハッと息をのんでいた。

 自分だ。自分が描かれているのだ。もちろん、肖像画の中の彼はジャレドが身につけた事もないような仕立ての良い服を着ているし、髪の毛もきちんと整えてあり、見るからに育ちが良さそうだ。

 だがその彼の肌を日に焼けさせて、若干の野性味を加えれば自分になる。ヘレンが気を失うのも無理はない。肖像画の中の男は、それほど自分にそっくりであった。

 正確に言えば、自分が彼にそっくりなのだ。


 ヘレンは、ジャレドさえかまわないのならば彼を侯爵家に迎える準備をしたいと言った。つまり、王宮で査問会を開いてもらうのだと。彼女はオースティンに偽物の自覚があるとは気付いていないようで、いきなり事情が変わったと追い出す訳にはいかないのだから、彼には別に屋敷や使用人を用意し、生活の水準を保ってあげたいと言っていた。

 人が良すぎるとは思うものの、何も知らないヘレンがそうしたいというのならば、ここは頷いておくしかない。

 だが、その査問会とやらで明らかになることもあるだろう。




「まさか、こんな話になるとはな」

 話し合いが終わって、ジュリーの店からプリシラを送り届けるために二人で街を歩く。ジャレドの言葉に、プリシラは縮こまった。

「も、申し訳ありません……わたくしが、初めに言っておけば……」

 そういえばそうだ。プリシラがきまり悪そうに「尻、尻」と連呼するものだから、ジャレドは彼女の尻に問題が発生したと思い込んでしまったのだ。

 ただでさえ不幸な目に遭っているのに、そんなものまで患ってしまうとはとことん哀れな娘だと早合点し、ジャレドは彼女のために薬を買いに夜の街を走った。

 しかも自分は彼女を励ますように「必ず治る、大丈夫だ」と、真面目な顔で言い聞かせ……なんだかおかしくなってきて、ジャレドは肩を揺らして笑った。

「わたくし、ジャレドさまに申し訳なくて、本当に……」

 そして薬種屋の店主の口が軽かったせいで、その話はジュリーにまで伝わり、ジャレドにあらぬ疑いがかかってしまったのだ。ジャレドを同性愛者だと疑うのは、まあ、ジュリーがそうなのだから仕方ないにしても、終いにはプリシラと倒錯的な行為に及んだのではないかとまで言われ……なぜ、性行為と切り離して普通に患ったと考えられないんだ? ジャレドはプリシラとの約束を忠実に守りつつ、自分の薬だと言い張った。

 そこまで考えると、もう我慢できなくなって、ジャレドは立ち止まり声をあげて笑った。

 プリシラが怪訝そうな顔で自分を見上げている。

「あの……ジャレドさま……?」

「いや、あんた……面白かったぞ」

 そう言うと、プリシラは首を傾げた。彼女の周りに疑問符が飛び交っているのが見えるようだった。


 二人は再び歩き出し、やがてプリシラの住まいが見えてくる。彼女は家に近づくにつれて何故か言葉少なになっていった。建物を囲う柵を抜け、扉が目の前に迫ると、プリシラは立ち止まった。

「ジャレドさま」

「どうした」

「わたくし、査問会が開かれる前に、ジャレドさまにお伝えしておきたい事が……」

「ああ、なんだ?」

 プリシラは鍵を取り出すと、静かに扉を開けた。

「わたくしは、ジャレドさまがハーヴェイ侯爵様でなくとも……ダカークで育った、ただのジャレドさまでも構わないのです。わたくしは、」

 俯いていた彼女はそこで息を吸い込み、顔を上げてこちらを振り返った。

「わたくしは、ジャレドさまをお慕いしております」


 時折やけに虚ろになるプリシラの瞳には、今ははっきりとした力が宿っている。その瞳から目が離せなくなり、だが彼女の言葉をどうにかして反芻しようとしていると、

「王宮へ向かう時は、気を付けてくださいませっ」

「え、おい」

 目の前でバタンと扉が閉められてしまった。

「おい、プリシラ」

 この時ジャレドは初めて彼女の名前を呼んだ。その名の響きに、舌に広がる心地良さを確かめるためにもう一度。

「プリシラ」

「ジャレドさま、お願いします……」

 すると、扉の向こうからは今にも死にそうな弱々しい声がした。

「わたくし、心臓が破裂しそうで……ジャレドさまのお顔を見る勇気がないのです……どうか、今しばらくは……」

 ジャレドとしては、扉をぶち破って、思い切りプリシラを抱きしめてやりたい気分だった。だが、そんな事をしたら彼女は本当に卒倒しそうでもある。今しばらく、というのはどれくらいの事なのか分からないが。

「プリシラ。査問会が終わったら、きっちり話をつけさせてもらうぞ」

 彼女が「ひっ」と息をのむ音が聞こえた。何も脅すつもりはなかったのだが、ケンカを売るような言い回しになってしまったようだ。プリシラは心臓が破裂しそうだと言っていたが、こちらだって妙に胸がざわめいているのだ。それも致し方ないだろう。



*



 王宮からの呼び出しは早かった。ヘレンが急いで手配したのだろう。ジュリーとジャレドは迎えにやって来た役人の馬車に乗せられて王都へと向かったようだ。ヘレンも息子の肖像画やら手紙やら、とにかく手がかりとなりそうなものをかき集めて王宮へ向かうとプリシラに連絡をくれた。


 気になるのは、オースティン・ハーヴェイである。彼は、行方をくらませてしまったのだ。何も知らぬ──と、ヘレンは思っている──オースティンをいきなり王都へ向かわせる訳にもいかないと、ヘレンは事前に話したのだ。実は本物のハーヴェイ侯爵が他にいるかもしれないと。もしオースティンが本物でなくとも、今までと変わり無い水準の暮らしを約束する、と。彼はその後すぐに姿を消したという。そこでヘレンも、オースティンには自覚があったのではないかと気づいたようだった。

 どちらにしろ、査問会は行われる。そこにオースティンが現れなければ、彼には後ろめたいことがあるのだと疑う役人も増えるだろう。

 このままいけば、ジャレドが本物のハーヴェイ侯爵と認められるのではないだろうか。


 ──きっちり話をつけさせてもらうぞ

 あの夜の事を思うと、今でも顔から火が出そうになる。自分の言いたい事だけ言って逃げてしまったプリシラに、ジャレドは腹を立てたのではないだろうか。

 彼が本物の侯爵だと分かってから告げてしまっては、まるでその地位に惹かれたみたいではないか。プリシラは彼の所持するものに惹かれたのではない。ただの、貧民街出身の彼に恋をしてしまったのだ。

 自分に恋心を告げる勇気など出せないと思い込んでいたが、あの日、彼が声を出して大笑いするのを見ているうちに、どうしても抑えきれなくなった。

 ジャレド達は、今日明日中に王都から戻ってくるだろう。いつまでも逃げ回っている訳にはいかない。その時に顔を合わせる事になるだろうが、彼に何を言われても──例えば、迷惑だとか、俺は好きじゃないとか──受け入れられるように、心の準備をしておかなくては。


 仕事帰りにそんなことを考えながら、プリシラは部屋の前までやって来る。

 鍵を鍵穴に差し込んで捻った時に、突然うしろから手が伸びてきて、振り返る間もなく口元を塞がれた。




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