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13.大誤解



「軟膏と、飲み薬を貰ってきた」

 戻って来たジャレドはテーブルの上に薬を並べ始めた。

 早く誤解を解くべきと分かってはいたが、夜遅くに薬種屋まで彼を走らせたことを思うと、今更間違いだとも言い出し辛い。恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになっていると、プリシラの様子を目にしたジャレドが言う。

「恥じる必要はないと、言っただろう。まあ、あんたは女だし、場所が場所だからな。だが羞恥から周りに言い出せず、治療が遅れて悪化させる奴が多いんだぜ。早めに言ってくれたのなら助かったよ……それで薬の説明なんだが、いいか」

「は、はい……」

 ジャレドがあまりに真剣な表情で薬と自分を見比べるので、プリシラは真実を告げるタイミングをますます失ってしまった。

「こっちが飲み薬だ。腫れや痛みが気になるようだったら飲めという話だった」

 そう言って彼はいくつかの小さな包みを示した。それから小さな瓶を手に持ち、プリシラに握らせた。

「この小瓶に軟膏が入ってる。これは、排便後に患部に塗るものだが……あんた、自分のそこがどうなってるか、まだ確かめてないんだよな」

 また憐れむような視線をプリシラに向ける。

「塗る時にどうしても触れる事になるが、いいか? そこにイボ……妙な感触があったとしても、卒倒したりするなよ。気をしっかり持て。大丈夫だ、必ず治る」

「は、はぃ……」

 何も恥ずかしいことではない、だから大丈夫だ、と繰り返しながら力強く頷いてみせるジャレドに、プリシラも頷くしかなかった。


「仕事中はどうにもならんだろうが、それ以外はケツを労われよ」

 彼はそんな言葉を残してジュリーの店へと戻っていった。

 はじめはジャレドを少し怖そうだと思った。だがとても親切で、優しい人だ。彼を知れば知るほど、プリシラはその性質に惹かれていくのだ。が、その優しさがこのような形で自分に向けられたのだと思うと、穴を掘ってその中に隠れたくなる。


 二人で使った食器と、彼が買ってきてくれた薬を前にプリシラは考えた。

 彼の人生は大きく変わろうとしている……かもしれないのだ。それを知るのはヘレン・ハーヴェイと自分、もしかしたらオースティン・ハーヴェイも。

 ジャレドは自分の本当の身元を知りたいと思うだろうか。

 彼は自分が貴族だったと知ってもあまり喜ばないような気がするが、それはプリシラの判断する事ではない。

 プリシラはジャレドのほくろの有無を確かめたらヘレンに連絡を取る約束をしたが、ジャレドは自分に何が起こっているか知らされないまま周囲だけが動く、というのも気に入らないのではないだろうか。




 翌日の仕事帰り、プリシラがジュリーの店を訪ねると、彼女は尻を振りながらプリシラの元まで早歩きでやって来て、肩に手を置いた。

「ちょっとプリシラ……あんた、大丈夫?」

 そしてプリシラの顔をまじまじと見つめる。


 確かに今の自分は考え事でいっぱいいっぱいだが、そんなに分かりやすかっただろうか。ひょっとして考え過ぎてやつれて見えるとか、そんな感じなのだろうか。

 ジュリーに話してみようか。だがジャレドの本来の身元が判明した所で、養親としてそれは喜ばしい事なのだろうか。やはり、まずはジャレドに話すべきだろう。ほくろの有無を確かめるよりも、ヘレンが自分を訪ねてきたところから。そう、それが一番だ。プリシラがそんな事を考えていると、ジュリーはますます心配そうな顔をする。

「ねえ、あんた……もしかしてジャレドに何かされた?」

「何か、とは……?」

「酷いことよ! あんたが望まないような、乱暴なこと!」

 ジャレドがプリシラに乱暴など働く訳はない。彼はいつもプリシラを気遣ってくれる。

「そんな……ジャレドさまが、乱暴だなんて」

「本当? あんた、嫌って言えなくてジャレドの言いなりになってるんじゃないでしょうね?」

「あの、本当に……ジャレドさまは、私の嫌がる事なんて絶対にいたしません」

 ジュリーが何のことを言っているのか分からない。だがジャレドに乱暴者の疑いが掛けられているようだ。ここは何としても彼を擁護しないと。プリシラはそう思った。

「そお? じゃ、あんたの嗜好……ってことは、ないわよねえ……ちょっと待ってよ……」

 ジュリーは首を捻りながらプリシラの周りをうろうろくねくねと歩き回り、唐突に言った。

「そもそも、あんたとジャレドって、どこまでいってるのよ」

「一緒に、お買い物に行った事ならありますが。そのお店は……」

「そうじゃなくて! あんた、ジャレドと寝てるんでしょう?」

 ジュリーが言っているのは、二人でベッドに入ってただ一緒に眠るという意味ではないだろう。それに、ジャレドとはただ一緒に眠る事すらした覚えはない。

「ち、ちが! 違いますっ」

「えっ? あんた、ジャレドとデキてるんじゃないの?」

 その言い回しは、いつだったかジャレドも使った事があった。あれは、カミラとジョナスが愛人関係に……つまり、男女の関係にあると、彼が推測した時だ。

 自分とジャレドがそのような関係にあるなど、とんでもない。抱きかかえられて心臓が爆発しそうだったというのに、ジャレドはプリシラの尻を労わっただけだった。自分だけが邪な気持ちを抱いているようで、ジャレドに申し訳なかった。

「と、とんでもないっ……とんでもないです」

 プリシラが顔を真っ赤にしてとんでもない、と繰り返していると、


「ずいぶん騒がしいな……あんた、来てたのか」

 今日の仕事を終えたらしいジャレドが店に入ってきた。彼は喉が渇いていたようで、何か貰うぞと言ってカウンターに入って飲み物を作ろうとしていたが、ジュリーが彼の前に立ちはだかる。

「ちょっと! ジャレド! 話があるわっ」

「え、おい」

「いいから、こっちに来なさいっ」

「おい、なんだよ」

 ジュリーはジャレドの腕を掴むと、隣の部屋へと引き摺って行ってしまった。




「あんた、ノンケじゃなかったのォ!?」

 扉越しだが、ジュリーの悲鳴に近い声はプリシラの元まで良く聞こえてくる。


「……あ?」

「どういうことっ。どういうことよっ。説明しなさいっ」

「待てよ。こっちこそ説明して欲しいぜ。一体何のことを言っているんだ」

「昨晩遅く、薬種屋のレノが店に来たのよっ。レノったらニヤニヤしながらあたしに『新しい恋人ができたんだろう』っていう訳! なんの事かと思ったら、ジャレド、あんたが薬種屋にお尻の薬を買いに来たっていうじゃない! あたしには今でもダグラスだけよっ。それに、あたしが息子にそんな事頼むわけないでしょ! キィィッ!」

「ちょっと待てジュリー、落ち着け。落ち着けって」

「だからあたしは、あんたがあの娘……プリシラのお尻に妙な事をしたんじゃないかって、そう思ったのよ!」

「待てよ。薬は……俺のだ」

「そうなのよっ。あたしはてっきりあんたとプリシラがデキてると思ってたんだけど、あの娘も違うっていうし……じゃあ、あんたが使うってことは、あんたは……! ああ! もちろん、あんたの性指向を否定はしないわよ。でも、でもォ……あたし、あんたにはあたし達みたいな苦労をして欲しくなくってェ……」

「おいおい。硬いクソをした時に切れただけだと、なんで普通に考えられないんだ」

「ええー? でもォ……」


 彼らの会話は筒抜けで、プリシラは真っ青になってぷるぷると震えていた。

 自分がジャレドにきちんと説明しなかったせいで、誤解を解かぬままにしておいたせいで、何より薬種屋の店主の口が軽すぎるせいで、話はとんでもない事になっているようだ。

 しかも、妙な疑いがジャレドにかかっている。そして彼は「誰にも言わない」とプリシラに約束した通り、ジュリーにさえ自分の薬だと説明した。

「ま、待って……!」

 ジャレドの優しさ誠実さに涙が出そうになる。その優しさが何に無駄遣いされたのかを思うと、別の意味でも泣きたくなった。プリシラは二人のいる部屋の扉を開けた。

「待ってください、違うんです! 説明を、させてください」




「俺が、先代侯爵にそっくりだと?」

「はい。ヘレン様はそのように仰っておりました」

「気を失うほどなんだから、よっぽど似てたのねえ。ちょっと先代侯爵の肖像画、見てみたいわあ」

 プリシラは、ヘレンが訊ねてきたところからを二人に話して聞かせた。まずは彼女がジャレドを見て、驚きすぎるほどに驚いた理由を。

 その次にヘレンがずっと胸に抱いてきた疑念を。

「じゃ、そのマヤって女が自分の息子と本物のオースティンを入れ替えたってわけ?」

「胸糞悪い話だな」

「それで、本物のオースティンはどこへ行ったっていうのよ……」

 ジュリーはそう呟きながらも、隣にいるジャレドをちらと見る。ジャレドも、ジュリーと目を合わせた後はプリシラに向き直った。だがヘレンがジャレドを見て何を思ったのか、二人とももう分かっているのだろう。


「はい。それで、先代のアレクス・ハーヴェイ侯爵が最後に書いた手紙には……」

 アレクスの埋葬が終わってから、遅れて届いた手紙。ヘレンはすぐに開封することが出来なくて、綴られた内容を知るのはずっと先の事となった。マヤという女性にオースティンを託した事。マヤはオースティンと同じような乳飲み子を抱えていた事。そして。

「本物のオースティン・ハーヴェイ侯爵は、そ、その……右側の、お、お、お尻に……小さなほくろが三つ、並んでいるそうです」

 そこで、ジャレドとジュリーは再び顔を見合わせた。

 ジャレドは首を傾げながら自分の腰の辺りに手をやっている。自ら鏡に映してみるか、他人に指摘されなくては気づく事もない場所だ。本人が把握していなくても無理はない。すると、

「あるわよ! あったわよ!」

 ジュリーが立ち上がり叫んだ。

「三つ並んだやつでしょう? あたし、見た事あるわよォ!」

 ジュリーはそう言いながら、ジャレドのベルトに手を掛ける。彼女は自分の記憶を確かめようとしているらしい。

「脱いで! ほらジャレド、脱いで! 見せてごらんなさい!」

「お、おい。勘弁してくれ」

 ジュリーの勢いにジャレドは及び腰になり、周囲をきょろきょろと見渡し手鏡を見つけて掴むと、自ら確認する為に部屋から出て行った。




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