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12.誤解



 いったい、なんという頼みごとをされてしまったのだろう。

 プリシラは部屋の中をうろうろと歩き続けていた。

 ヘレンが孫──ではないかもしれないが──のオースティンに聞けないのならば、プリシラがジャレドに訊ねることなどますます出来ないではないか。

 いや、何も見せてもらう必要なはいのだ。お尻にほくろがあるか聞けばよいだけ……だが、自分の背中やお尻のほくろなど、把握できているものなのだろうか。小さなころに家族に指摘されていたなら分かるかもしれないが……そうだ、ならばジュリーに訊いて……だめだめ! ますます無理。義理の息子の尻にほくろがあるかどうか訊ねる女を、ジュリーはどう思う事やら。


「俺だ」

「キャアアアッ」

 その時ノックと同時にジャレドの声が響いて、プリシラは悲鳴を上げて飛び上がった。

「おい、あんた。大丈夫か?」

「……あ、ジャ、ジャレドさまっ?」

「何かあったのか」

「いえっ、いえっ……なにも……今、開けますからっ」

 扉を開けると、ジャレドは可愛らしいバスケットを抱えていた。

「ジュリーが菓子を焼いたと言っていた。あんたに持って行けと」

「あ、ありがとうございます。あのっ……お茶を淹れますから、どうか、その……休んで行ってください……」

「あ、ああ……あんた、本当に大丈夫か?」

 尋常ではないプリシラの様子に、ジャレドは眉を顰める。

 お湯を沸かしている間も、プリシラは落ち着かなくてキッチンを行ったり来たりしていた。


 ヘレンは、オースティンがジャレドに「二度とハーヴェイの屋敷に来るな」と告げた事を知っているのだろうか。ジャレドは庭での作業が出来なくなった代わりに、ここ数日は賭博場で用心棒の仕事を受けていた。

 そこでふと気づく。オースティンは何故ジャレドを追い出そうとしたのだろう。彼はジャレドが、アレクスにそっくりだと思ったからではないだろうか。オースティンは父親の顔を覚えてはいないだろうが、肖像画でならば知っているはずだ。

「……。」

 アレクスにそっくりなジャレドを屋敷に入れたくない……ということは、オースティンは自分が本物のオースティン・ハーヴェイではないと分かっているのでは……?


「おい」

「ひえっ?」

「お湯。沸いてないか」

「あ……は、はい。その通りですっ、沸いてますっ」

 お茶を淹れ、ジュリーの作ったアップルパイを切り分けている間も、ジャレドはプリシラを怪訝そうに見つめていた。

「あんた、本当に大丈夫なのか? さっきから、様子がおかしい」

「いえ、そのような事は……」

 スツールにかけ、ジャレドと向かい合うとますます落ち着かなくなった。自分でも気づかぬうちに身体を揺らしていた。今、プリシラの目の前にいるのは、本物のオースティン・ハーヴェイ侯爵かもしれないのだ。マヤという女性が自分の子供と入れ替え、彼を、貧民街の近くに捨てた、のかもしれない……。

 それにしてもジャレドがまだ二十二だったとは。彼は老けて見える訳ではないが、やけに落ち着いているため、もっと年上かと思っていたのだ。だが貧民街で育ち、早い年齢から養親の行う詐欺や密輸に加担し、そして賞金稼ぎとなったのだ。苦労は多かっただろう。大人びてしまうのも分かる気がする。いや、今はジャレドの過去に思いを馳せる時間ではない。そう、訊ねてみなくては。彼のお尻にほくろがあるかどうかを。だがどうやって。

「おい、本当に平気か? 調子が悪そうだぞ」

「いえ、あの……わたくし、ジャレドさまにお訊ねしたいことが」

「……なんだ」

「あの……お、お、おし……お、」

「……お?」

 ジャレドはテーブルの上で指をトントンとさせながら、プリシラに続きを促す。

「おし、お、おしりっ……おしりにっ」

「ケツが、なんだって?」

「はい、あのう、お、おしり、おしりの事なのですけどっ……」

 ジャレドさまのお尻には三つのほくろがありますか。

 たったこれだけなのに、文末までが異様に遠い。ようやく冒頭の部分が言えた。さあ、次は小さなほくろが三つあるかを訊ねなくては。自分を叱咤しながらぱっと顔を上げると、ジャレドと目が合った。

 彼はプリシラを険しい顔で見つめていた。

「あのっ」

「わかった」

 そしてプリシラの言葉の続きを手で制する。

「あんたの様子がおかしかった理由がわかった」

「え……」

「さぞ、言い出し辛かっただろう」

 あれだけで分かってしまうとは。ジャレドは勘が良すぎるのではないだろうか。本当に、彼はいつもプリシラを助けてくれる。自分が鈍くさいだけかもしれないが、それでも。なんだか胸がいっぱいになってジャレドを見つめると、彼は身を乗り出し、声をひそめた。


「あんたは、ケツに問題を抱えているんだな」

「え?」

「……で、出血はあるのか?」

「は、はい?」

「だから、ク……じゃない、排便時に、出血はあるかと聞いている。恥ずかしがらんでもいい。俺は誰にも言わない」

 彼が何を言っているのかわからない。だが、それはプリシラの聞きたかった答えではないという事だけははっきりしていた。


 ジャレドは目を細め、とてもとても可哀想なものを見るような目つきでプリシラを見ている。これほど同情心溢れる彼の表情は初めてだ。

「え? あの……」

「普段から痛むか? それとも痒い感じか? それと、イボはあるのか?」

「へっ、い、イボ……!?」

「ああ、あんたは自分のそんな部分に触れたりしないんだろうな。まあ、いい。事情は分かった」

 ジャレドはプリシラの返事も聞かずに何かを一人合点し、立ち上がった。

「この時間でも開いている店を知っている。薬を買ってきてやる」

「く、薬、ですか?」

 彼は上着を着込みながらも、憐みの視線をプリシラに向け続けている。

「それから、そのスツールには座らない方がいい。固くてケツに良くなさそうだぞ。さっきから身体を揺すったり、うろうろ歩き回ったりして、辛いんだろう?」

「え、あの、わたくし……きゃ、」

 なかなか彼の言葉の意味を飲み込めずにいたプリシラを、ジャレドはひょいと抱え上げ、寝台に向かって歩き出した。

 いま、自分はジャレドに抱えられ、寝台に運ばれようとしている。思いもよらぬ事態にプリシラの心臓は早鐘を打ち始めた。が、彼は寝台の前に立つと、プリシラをうつ伏せに転がした。

「ケツは上にしておけ。その方が楽だろう。薬を買ってきてやるから、そのまま待ってろ」

 ジャレドはそれだけ言うと、音もなく扉を開けて部屋を出て行ってしまった。


「は……」

 ジャレドに抱きかかえられたことで、びっくりして頭が真っ白になっていたプリシラは、顔が思い切り赤くなっていたのではないかと頬を押さえる。それから胸に手をやって、どれほどどきどきしていたかを確かめた。

 しかし、ジャレドのお尻にほくろがあるかを訊ねる事は出来なかった。そしてなぜか彼は薬を買いに行ってしまった。

「ん……? イボ……?」

 彼が言っていた言葉を思い出しながら、なぜこんな事になっているのかを考えていると、プリシラの中で唐突にパズルのピースがぴたりと嵌まった。

「あっ……ああああ! ち、ちがうっ! 違うんですっ!」

 がばりと起き上がってジャレドを追いかけようと、扉へ向かって走る。


 ようやく思い当たったのだ。フォートナー女子修道院に身を置いている時、そこのシスターたちは薬草を調合して薬を作ったりしていた。わざわざ、遠くの村から薬を貰いに来る女性がいた。

『うちの旦那が、悪化させちゃって。痛いやら痒いやらで辛そうなのよねえ』

 一度患うと慢性化することもあるようで、その女性は何度も修道院に足を運んでいた。ある時プリシラと同じように行儀見習いに来ている娘が呟いた。

『あの人、旦那さんのせいにしてるけど、本当は自分が患ってるんじゃない?』

 後ろめたいことがあるから、わざわざ遠くからやってくるのよ、と。それを聞いたシスターは、そういうことは自分の心の中だけに留めておきなさいと彼女を諌めていた。

 ジャレドはプリシラにその症状が出たと思ってしまったのでは。

 彼は本物のオースティン・ハーヴェイ侯爵なのではないか……自分の質問と、彼の答えによっては、今後の事態は大きく変わることとなるだろう。思い切って質問することが出来なかったせいで、事もあろうに「お尻」という単語だけを繰り返し、その後を言いよどんでしまった。彼が誤解するのも無理はない。


「待ってください、ジャレドさまっ」

 殆ど叫びながら扉を開けたが彼の姿は既に無く、夜の闇だけが広がっている。

「ち、違うんです……」

 プリシラの呟きが虚しく響いた。




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