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10.ハーヴェイ侯爵邸



 ある時プリシラは仕事帰りに、ジュリーの店に立ち寄った。何かあった時は頼る様にとジャレドに言われてはいたが、緊急時だけ都合よく頼ると言うのも気が引ける。普段から顔を見せておこうと思ったのだ。

 午後の遅い時間で客はまだ入っておらず、ジュリーはキッチンで料理の下ごしらえをしているところだった。

「あらあ! プリシラじゃない。どうしたの? 何か飲んでいく? それともおなか減ってる?」

 彼……いや、彼女は身体をくねくねとさせながらプリシラの前にやって来て、何かと世話を焼こうとする。

「いいえ、あの。お店の準備で何か手伝うことがあったら、と思いまして」

 プリシラは今までに何度もジュリーの手料理で腹を満たしている。せめて開店前の掃除でも手伝うことができればと思っていたのだ。


「わぁたし~あなたに~一目ぼれぇ~」

 プリシラが野菜を洗い、ジュリーがそれを切っていく。彼女は歌を口ずさみながら手際よく包丁を扱っていた。

 ジャレドさまの、おかあさま。プリシラはジュリーと一緒に作業しながら思った。彼女の身体は女性のものではないが、世話焼きで細かいことにもよく気付き、まるで本当のお母さんのようだ、と。残念ながら養父のダグラスは亡くなっているようだが、ジャレドは愛情いっぱいの家庭で育てられたのではないだろうか。

「あの、ジュリー様。ジャレドさまは、いつから今のお仕事をなさっているのですか」

「あら! ま!」

 ジュリーは口元に手を当てながら「気になるの?」とにやにや笑う。

「ジャ、ジャレドさまにはお世話になっているので……」

 プリシラは慌てながら全く答えになっていない返事をした。

「あの子はねえ、ほんと、真面目な子なのよねえ」


 ジュリーとダグラスは、貧民街のダカークで一緒に暮らしていた。

 盗みや密輸、詐欺まがいのことをして日銭を稼いでいたという。ダカークではそんな暮らしをしている者が大勢いたから、悪事を働いているという意識は殆ど無かった。

 二人はジャレドを拾って育て、彼が大きくなってくると今度は家族三人で仕事をするようになった。詐欺や密輸においては読み書きや計算はもちろん、暗号の解読まで必要となる。二人はジャレドに教育──悪事のための──を施した。

 だが、ジャレドが十四か十五になって身体が大きくなってくると、彼はこそこそ悪事を働くのは自分には向いていないと思い始めたようだった。そこで堂々と悪人を捕まえられる賞金稼ぎの仕事に興味を持ったのだ。

 賞金稼ぎとして生きる事にしたジャレドを見ているうちに、ジュリーとダグラスも、親が犯罪者では拙いと心を入れ替え、給金は安いが真っ当な仕事に就いた。そしてダカークの街を出て二人で店を持とうとした時、ダグラスは病に倒れてしまった。

「ほんとはねえ、このお店もあの人と二人で切り盛りする筈だったんだけれどねえ……」

「そうだったのですか」

「でも、お店を出すにあたってジャレドも援助してくれたのよォ。おかげで、思ったより早くダカークを出ることが出来たの」




 その時、ドアベルがちりんと鳴って、ジャレドが入ってきた。プリシラの姿を目にして、少し意外そうな表情を見せる。

「来てたのか」

「そうよォ! 今、二人でお料理の準備をしていたの! ンねぇー!」

 ジュリーがこちらを見て首を傾げながら身体をくねっと曲げたので、思わずつられてプリシラもそうしてしまう。ジャレドは片眉を上げてその様子を見ていたが、こちらへ歩いてきてプリシラの近くに立った。

「明日、仕事に出るんだが」

「また、しばらく街を空けるのですか」

「いや」

 ジャレドは首を振る。今回は賞金稼ぎの仕事ではなく、日雇いの肉体労働らしい。彼は、目ぼしい賞金首が現れない時にはそうしているのだと言った。金に困っている訳ではなく、カンを鈍らせない為、体力を衰えさせぬ為に身体を動かすのだと。

「造園業をやっている知り合いを手伝うんだ。貴族の屋敷の庭に石や土砂を運ぶんだが、その場所が……」

 彼はそこでいったん言葉を切り、プリシラを見下ろした。

「ラガリエにある、ハーヴェイ侯爵邸だ」

 ラガリエは、ここグラウツの街からそれほど離れてはいないハーヴェイ家の領地だ。遠い昔、父に連れられて一度か二度遊びにいった事がある。その時にオースティン・ハーヴェイと顔を合わせていた筈だが、二人ともまだ子供で、婚約の話もそれほどはっきりとはしていなかった。

 だがオースティンには品の良い祖母がいた事を思い出した。彼女はまだ元気なのだろうか。

「あの感じの悪い侯爵に、恨み言の一つでも言ってきてやろうか」

「い、いえ……とんでもない!」

 プリシラは後ずさりながら首を振った。ジャレドもプリシラの答えなど分かりきっていたのであろう、ただ肩を竦めて見せただけだった。



*



 ハーヴェイ侯爵邸は石造りの、まるで砦のような荘厳な建物であった。だが庭では様々な花や草木が咲き誇り生い茂っていて、屋敷の雰囲気を柔らかく見せている。

 今日はこの屋敷の女主人、ヘレン・ハーヴェイ前々侯爵未亡人の注文で、新しく花壇を作るのだ。

「じゃ、あっちの方に土を運んどいてくれや」

 ダカークの街にいた頃からダグラスと仲良くしていたエイダンは、今はグラウツの街で造園業を営んでいる。ジャレドは賞金稼ぎの仕事が暇な時期に、こうしてエイダンを手伝うことが時折あった。

 屋敷の門の外で、大きな荷車から小さな荷車に土や砂利を移し、それを庭の中へと運んでいく。

 しばらく無心で作業を続けていたが、ジャレドは汗を拭くために身体を起こした。ちょうど、屋敷の二階の露台が目に入る。今日はオースティン・ハーヴェイ侯爵は在宅なのだろうかとふと思った。

 プリシラに起こった醜聞を利用し、プリシラを捨てて条件の良い相手に乗り換えた卑怯で狡猾な男。

 ひょっとしたら、プリシラの誘拐自体、彼が企てたのではないだろうかとジャレドは思っている。そうなのだとしたら、オースティン・ハーヴェイは相当な悪人だ。

 誘拐の事は推測にすぎないし、女を乗り換える事は罪という訳でもない。オースティンを裁けない以上、プリシラの代わりに厭味の一つでも言ってやりたいが、彼女はそれを望まないだろう。


 それにしても、昨日ジュリーの店にプリシラがいたのは驚いた。二人並んで料理の下ごしらえをしていたようだ。

 扉を開けて二人の姿が目に入った瞬間、ジャレドの中に妙な感情が湧き起こったのだった。扉を開けるとプリシラがキッチンに立っている……憧憬のような、郷愁のような、複雑な感情だった。だが、切ないだけではなく、暗闇に小さな炎がぽっと灯るような。

 自分は家庭が欲しいとでも思っているのだろうか。そんなのは考えた事も無かったし、考えるとしてもまだまだ先だと思っていた。なぜプリシラを見てそんな気持ちになったのかもよく分からない。

 今までジャレドと付き合いのあった女といえば、己の言いたい事ははっきり言うし、腹を立てればグラスの水をぶっかけてきたり、平手打ちをお見舞いしてくるような、気の強いタイプばかりだった。こちらもそれほど気を使う必要はなく、ある意味では楽な相手でもあった。

 それでもやはり、彼女たちはジャレドの仕事に耐えられないようだった。数日で戻る筈だと宣言して家を出ても、十日以上帰れない事はざらだ。酷い時にはひと月以上戻らないこともある。仕事を終えて部屋に戻ると、女の荷物が消えていることが何度もあった。女のいなくなった部屋を目にしても、これといって失望はなく、やっぱりなとため息をついたものだ。

 だがプリシラは、涙目になってジャレドに飛びついてきた。彼女はジャレドの女では無い筈だが、どうも、調子が狂う。


「みなさん、休憩にしてはどうかしら。冷たいお茶を用意したのよ」

 品の良い声が庭に響く。

 振り返れば、ヘレン・ハーヴェイらしき女性と屋敷の使用人がウッドデッキにあるテーブルに、お茶を並べているところだった。まさか女主人自らがこちらに声をかけるとは思っていなかった。感じの悪い孫とは違って、気さくな女性のようだ。

「こりゃ有難い! おおい、皆、ご馳走になろうぜ」

 エイダンの呼びかけに、庭での作業を行っていた者たちがウッドデッキの方へ集まっていく。ジャレドも礼を言って、お茶の入ったグラスを受取った。


 冷たいお茶を喉に流し込んでいると、誰かの視線を感じた。

 ふと見てみれば、ヘレン・ハーヴェイが目を見開いてこちらを凝視している。彼女は真っ青になって、口をぱくぱくさせた。

「あ、貴方は……あの、貴方は……」

「……はい?」

 ヘレンは喉元を押さえながらジャレドに何か訴えている。まさか具合が悪いとかじゃないだろうな。ジャレドは夫人の様子を窺った。

「貴方……おいくつなの」

「二十二、ですが」

 とは言っても、ジュリーとダグラスに拾われた日から数えたものだから、正確な生年月日は分からない。自分は生まれて間もなく捨てられたようだから、それほどずれてはいない筈だと思っている。

「そ、そうなの……それで、ご両親は?」

 しかし侯爵未亡人にしては妙な質問をする。貴人が下賤のものに興味を抱いたにしても、彼女の顔色を見れば単なる好奇心からの質問ではないような気がした。

「俺は捨て子だったんですよ。拾われて、ダカークで育ちました」

 ジャレドの答えにヘレンは息をのんだ。顔はますます青くなる。彼女は浅く激しい呼吸を繰り返しながらよろめき、テーブルの縁を掴んだ。

「それが何か」

「そ、そう……あの、あのね……」

「ご婦人!」

 彼女の身体がぐらぐらと傾ぎだしたので、ジャレドは夫人を支えた。ジャレドの声に使用人が気づき、駆け寄ってくる。

「ヘレン様! どういたしました?」

「具合が悪そうだ。持病でもあるのか?」

「いえ、こういった事は……」

「とにかく、寝台に運んでやれ」

 使用人たちは気を失ったヘレンを屋敷の中に運んで行った。それから医者を呼べと騒がしくなってくる。こちらも庭仕事どころではなくなり、今日の作業をどうしようかとエイダンと相談している時、


「うるさいなあ。何があった訳?」

「ヘレン様が、倒れたのです」

「はあ?」

 感じの悪い口調をした、感じの悪い男が屋敷の中から姿を見せた。

 オースティン・ハーヴェイ侯爵である。彼は庭師たちのためにヘレンが用意したグラスを目に入れ、ふっと唇を歪めた。

「何も、下賤な労働者たちのために、おばあ様自らがこんな事しなくたってさあ。もうトシなのに、無理するからだよ……」

 そう言って庭を見渡したオースティンと、ジャレドの視線が絡んだ。


 プリシラの事といい、今の科白といい、心底腹の立つ男だと思う。ジャレドは軽蔑の視線を向けたが、オースティンは先ほどのヘレンと同じように、驚愕に瞳を見開いた。

「お、お前……は……」

 オースティンは震える声を発しながら、やはり顔を真っ青にした。

 ジャレドは一度、グラウツの街でオースティンを見かけている。だがオースティンはこちらに気づかなかったのだから、彼がジャレドを見るのは今日が初めての筈だ。それにしても、いったいなんだと言うのだ。

 周囲を見れば、庭にいる使用人たちが自分の方をちらちらと見ながら、何か内緒話をしている。本当に、感じの悪い家だな、とジャレドが思った時だった。


 気を取り直したらしいオースティンは、持っていたステッキを振り上げて叫んだ。

「貴様、おばあ様に何をした!」

「別に、何もしちゃいないが」

 彼女の質問にいくつか答えただけである。だがオースティンはヘレンが倒れたのをジャレドのせいだと決めつけた。というか、決めつけたいようだった。

「おばあ様に何かあったら、ただじゃおかないからな! 貴様は出て行け! 二度と、この屋敷に足を踏み入れるなよ!」

 ステッキの先をぴしりと突きつけられたジャレドは、肩を竦めるしかなかった。エイダンがやって来てジャレドの肩を叩く。

「すまん。どうやら侯爵の不興を買ったらしい」

「お前のせいじゃないってわかってるさ。あの侯爵様はアタマがいかれ……じゃねえ、どうやら気分屋らしいな」

 自分の何がヘレンとオースティンをそうさせたのか分からないままであったが、二度と現れるなと言われてしまったジャレドはそうするしかない。エイダンから日当を受取り、侯爵邸を後にした。




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