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紅緋の闘争-前編-

     紅緋の闘争‐前編‐








その日、グラナ砦は人でごった返していた。

いや、砦だけではない。砦の外、堀を渡る跳ね橋の手前では人々が列を作っていた。

「これ、どこへ持って行けばいいんだ?」

「塔のほうに持ってってくれ!ああ、そっちのあんたのはここでいい」

そう指示を出しているのは商人のスキャット。

隣では若い騎士が同じように指示を出している。

人々はそれに従い、砦と、そして砦から少し離れたところにある塔へと流れていく。


フォルトゥーナが発足して二十日ほど経ったこの日、組織の大々的な引越しが行われていた。

いつまでも藪の中にはいられない。火をかけられたら逃げ場がない、食料や武器の調達に不便、など理由は様々あったが、純粋に人数が多くなりすぎて住む場所が足りなくなったというのが最大の理由だった。

騎士団はそのままグラナ砦に駐留していたからよいのだが、各地から志願してくる者達がもはや入りきらなくなっていたのだ。

都合の良いことに砦から歩いて三十分ほどのところに巨大な塔があるということで、そちらへの引越しと相成ったのであった。

「にしてもでかいな」

キルゼは口をぽかんと開けて塔を見上げた。

隣で塔の外壁を触って確かめていたアルドが説明する。

「この塔は、どうやって出来たのか謎なんですよ」

「謎?」

聞き返すキルゼにアルドは説明を続ける。

「これだけの高さ、どうやって建てたのか。我々にはこんなもの建てられません。せいぜいこの半分くらいが限度です」

「砦が四階建てだろ?それと比べると…大体…」

「三十階建てです。先日昇って確かめました」

「…うそだろ…」

さらりと言うアルドの言葉にキルゼは目を丸くする。そのアルドが外壁に右手を置き、振り返ってもう片方の手でキルゼを呼ぶ。

「ほら、触ってみてください」

言われるままキルゼも壁に手を置いてみる。

しばらく感触を確かめ、首をかしげてまた確かめる。

「何だこの石は…」

「わからないんです」

コンコンと壁を叩きながら続ける。

「こんな石はこの国どころかこの大陸でも採れません」

一つ息をつく。

「この高さにしてもそうですが、それを支える基部の大きさにしても我々の理解の範疇を超えています」

「どれだけの時間をかければこんなのが出来るんだか」

揃って嘆息する二人に左手から突然声がかかった。

「どうして?」

今更ながらに存在を知って驚く二人に構わず、先ほどからずっとそこにいたらしいライアは、彼には珍しくゆっくりと話し始めた。

「どうして騎士団はここを使わなかったの?

ここはとても便利なのに」

「確かに。攻め難く守りやすい…いやなんと言うか・・・」

「なんと言うか?」

あごをなでつつ首を捻るキルゼにアルドが聞き返す。

「造ったのは塔だけではない・・・ような・・・都合が良すぎて・・・」

キルゼに言われ、アルドはあらためて周囲を見渡した。

塔を囲むようにそびえ立つ絶壁、唯一の侵入路である正面の曲がりくねった上りの一本道・・・。

敵は隊列を細長くせねばならず、必然的に一度に戦える人数は少数になる。道を塞ぎ退路を断っての兵糧攻めにしても、大きく絶壁で囲まれたその中には地下水が湧き出し、十分自給自足ができるくらいの土地がある。

「誰かが山を刳り貫いて、中に塔を置いたみたい」

ライアののんびりとしたその言葉は妙に真実味に溢れている。

都合が良すぎるのだ。この塔では鉄壁の守りも食料も水も、全てが手に入る。

「騎士団がここを使わなかったのは、ここでは役目を果たせないからですよ」

アルドが話を戻す。

「私が敵ならこの塔は迷わず素通りするでしょう。道は一本道。そこだけ見張りながら進めばよいのですから」

そう、ランディス騎士団という集団を守るだけならば、この塔は最高の条件を備えている。

しかし国を守るためには全く適さない。

高すぎるそれは遠くからでもその存在を知ることができ、さらには撃って出られる経路が一つしかないのも一目見ればすぐわかる。

あとはアルドの言うとおり注意して素通りすればよい。

「なるほど・・・」

ライアがうなづき、いつもの沈黙を再開する。

キルゼは塔を見上げて日の光に目を細めた。

「よくもまぁこんなもんが残っててくれたよ」

外敵から国を守るには適さないこの塔は、皮肉にも公王から民を守る戦いには最適だったのである。








「手伝わなくていいのか?」

「何を?」

「引越しに決まっているだろう?」

喧騒を縫って聞こえてきたアリステアの声に

「こっちはこっちでやることがあるのよ」

露店が並ぶ街中を急ぎ足で通り過ぎながらセシルは言った。

砦から程近い街ルベラ。ここは公国第二の露店街がある街である。当然ながら第一はフェラドだ。

だからだろうか、街中を歩いているとあちらこちらで懐かしいと感じるものがある。それは露天商の大声であったり、おいしそうな料理の匂いだったり、様々だ。

自分が暮らしていたのは城であって、街中ではない。しかし確かに自分の心はあの街中にあった。今だからこそそれがわかる。

自然と笑みがこぼれた。

「人を理由も言わずに引っ張ってきておいて説明もなしか」

不機嫌そうな口調に、出かける時面倒くさがって説明をしなかったことを思い出す。

「あー、うん、そうね、説明ね…」

振り返る。呆れ顔のアリステアにどう説明したものかと頭をかく。

知らぬ間に露店街は終わり、郊外へ続く道に入ろうかという所まで来ていた。

「…」

「話せないような用事なのか?」

「いえ…そういうわけじゃないん…だけど…」

嘆息する。

「あなた、見るからに現実主義者よねぇ…」

「当たり前だ」

間髪入れない返答に、セシルがもう一度嘆息する。しかし彼の言葉には続きがあった。

「世に言う奇跡や超常現象とやらを信じたりはしない。が、それが目の前で、現実に起こったことならば信じる。それが現実主義者というものだ」

そう言って、弾かれたように自分の顔を見上げるセシルに苦笑する。

「つまりお前は今からそういう類を扱う所へ行くんだな?」

どうやって信じないものの所に一緒に行ってもらうか、だいぶ悩んだのだろう、彼女はあっさりとした口調に逆に困惑しているようだった。

ほんの少し、視線を泳がせてからセシルが口を開く。

「…ファロゥって知ってる?」

「…ああ」

それは伝説の村だった。

かつてこの地に栄えたと言われている古代王国の民の末裔が隠れ住むといわれている。

彼らは今の公国の民の祖先ではない。自分達の祖先は王国滅亡の後に他大陸から移住してきた人間だ。

伝説によるとその王国は一夜の内に滅亡したらしい。

王国の民は公国の民にはない能力を持っていたと伝えられている。

それが魔術である。

それがどんなものなのか正確なことはわかっていない。なぜならば公国の民がこの地に辿り着いた時には、生き残った魔術師達はすでに隠れ住むことを決めていたからだ。

「それこそ伝説、というより眉唾物の話だな」

路肩の石に座り込み、セシルは苦笑顔のアリステアを自信たっぷりに見上げた。

「それがね、そうでもないのよ」

面白いことを見つけたと言わんばかりの楽しそうな目に、続きを聞いてやろうかという気になった。

「どういうことだ?」

続きを促され、彼女は得意げに話し始めた。

「少し前に、書庫で……城の書庫で本を見つけたの」

一瞬の躊躇(ためら)いには気付かないふりをする。

「ご先祖様たちとは一度も会っていないはずの彼らの存在がなぜ知られているか。それは彼らが残した書物があったからよ」

「ああ、一度読んだことがある」

城の司書を半ば脅すようにして見せてもらったその本には、彼らを封印するモノについて書かれていた。

「私が見つけた本には彼らが隠れ住んだ所について書かれていたわ」

アリステアが片眉を上げる。

「それはおかしいだろう?隠れているのにその場所を記してどうする」

「それがね、その本は彼らが書いたんじゃないの」

「…誰かが入り込むことに成功したとでも言うのか?魔術で封印された彼の場所に?」

一度だけ読んだ書物の内容を思い出しながらアリステアは言った。

「そんなことができるのか?彼らの封印魔術はここから空間ごと切り離すようなものなんだろう?」

「どうも…その本を読む限りでは、たまに空間が捻じ曲がっちゃってこっちと繋がってしまうことがあるみたい」

そうか、と頷きかけて止まる。アリステアはセシルの目を凝視して、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「まさかとは思うが、お前、その『たまに』目当てでその場所に行こうとでも言うのか?」

見つめられたセシルはくすぐったそうに笑って

「そうよ」

と言った。



「その本の著者はファロウの民に会って話を聞いたらしいんだけど、どうもたまにそういう体質…というしかない何かを持った人がいるらしいの」

表情ひとつ変えずに自分を見つめ続けるアリステアには構わず、セシルは続ける。

「普通の人と何が違うのかはわからないけど、何かが違うんだって。封印自体は生き残りの魔術師がいつ逃げ込んできてもいいようにって魔術師だけは入れるように作ってあるらしいから、少しでも魔力があれば入れるらしいんだけど…」

「なら話は簡単だ。生き残りの魔術師とやらがこちらの世界に残ってたってことだろう。魔力は遺伝すると聞いたことがある」

心なしかほっとしたような声でアリステアが応えた。

「その反応…あなた、私があても無いのに入れるかどうかもわからないものに突っ込んでいって、挙句、入れるまで粘る、とか思ってたわね!」

むっ、とこちらを睨むセシルに苦笑する。

「理解力豊かで助かる」

「私、そんなことするように見える?」

怒っていたセシルが一転、顔を曇らせた。

「いや…冗談だ…とは間違っても言えないが、八割がたはしないと思っていた」

セシルの表情がまたむっとしたものに変わる。今度は少し頬を膨らませている。それが妙に子供っぽい。

「百面相だな」

「う、うるさいわね…」

「ところで、理由は」

少し赤くなった顔を見ながら話を切り替える。

これ以上からかうと後が面倒だろうから。

「えっ?」

「その村に行く理由だ」

あっさりと話を元に戻すアリステアについていけず、セシルがあたふたする。

「あ、えっと、理由はね、輸送路確保のため」

「輸送路・・・まさか・・・アーヴィンガルズの道か!」

それに思い至りアリステアは目を細めた。

「そう、物質転位装置。彼らの最高傑作とも言える魔術装置。さすが軍師様ね」

「世辞などいらん」

眉を顰め…ることもなく淡々と言い返す。

「つまらないわね。まぁいいわ、とにかくその道が使えれば役に立つどころじゃないわ」

「使えれば…な。たとえ村に入れたとしても、そんなものそう簡単に教えてくれるわけがない」

「そこはダメで元々よ」

きっぱりと言い切ったセシルに、アリステアは再び無言で返す。

そうしてしばらくの後、嘆息して言った。

「お前が計画的な人間なのか、それともただの無鉄砲なのか判断に苦しむのは俺だけでないだろうな。

…まぁいい、付き合ってやろう。今から塔に戻って、あげくお前の分まで責められながら荷物を運ぶのはいささか面倒だからな」








星がひとつ瞬いた。

「来る」

目を閉じたまま彼女は小さく呟いた。

「何が来るのですか?」

傍らに控える男が尋ねる。

「さぁな、さて…鬼が出るか蛇が出るか…」

「楽しそうですね」

少し驚いたように男が言う。

実際彼は驚いていた。こんなにも楽しそうな彼女の表情など見たことがなかったからだ。

今目の前にいる彼らの長は滅多に感情を表さない。

いや、彼女だけではない。彼ら魔術師は皆感情を表に出さぬよう自らを戒めている。

かつて彼らの祖先の国が滅びたあの時から。

その愚かな感情ゆえ、皆が暴走したあの時から。

今男が表した驚きの感情も、傍から見ればそう驚いているようには見えないだろう。とはいえ、うかつにも心を動かしてしまったのは失敗だった。そう自分に反省を課し、改めて長を見る。

彼らの長は髪飾りの金細工に負けぬくらいの煌めくような金の髪を流し、ローブのようなゆったりとしたドレスを着て深くソファに腰掛けていた。

彼女は彼の憧れだった。彼女が長となるもっとずっと昔から。その彼女に仕えられる事がこの上もなく嬉しい。

「楽しい…か。そうかも知れぬ。久方ぶりの来客だからな、浮かれもしよう」

物思いに耽っていた男がはっと顔を上げた。

「客?外からですか?」

彼女はそれには答えず男に何事か耳打ちした。

命を受け男が走り出すその後姿を追うともなく追う。

「さてはて、私の手に負える代物だといいが…」

そうして彼女は、口の端を上げ、妖艶に笑った。

楽しそうに。嬉しそうに。









「ところでだ」

汗を手で拭いながらキルゼは後ろを振り返った。

そこには先ほどから一緒のアルドとライアに加え、合流したサイラスもいた。

皆同じように汗をかいている。

まだ本格的に暑くなるには程遠い季節だが、今日は日差しが強い。立っているだけならそうでもないが少し動くとすぐ汗が流れた。

「ところで、何です?」

アルドが首をかしげる。

「セシルはどこ行った」

「そういやぁいねぇな」

サイラスがあたりを見渡して頭を掻く。

「ま、そのうちどっかからか現われるって。あいつはそういうやつさ、見かけによらず…」

「おてんば、ですか?」

「そう、おてんばなのさ」

うんうんと頷くサイラス。

相変わらずライアは黙したままである。キルゼは苦笑した。

「おてんば、ねぇ。一体どう育てたらああいうのになるんだか。顔がいいだけにもったいない」

「そんなこと思っていないだろう?」

「まぁな。しかし親の顔は見てみたい。幼馴染のお二人さんは会ったことあるだろう、当然」

「…」

二人の目線が鋭くなる。

しかし気付かれぬよう一瞬でそれを消し去り、軽い口調で返す。

この辺りははさすがである。

「私たちも会ったことはないんです」

「ま、あいつのあの性格は絶対親譲りじゃないと思うけどな」

キルゼもそれに笑って返した。

「あいつはいい性格をしているよ、良い意味でな。ただ…あいつはどうも危なっかしい」

「どうしてそう思うんです?」

アルドが真っ直ぐにキルゼの目を見て聞いてくる。その真剣な、真剣すぎる眼差しに気おされそうになるのを押さえて答える。

「なんていうか…よくわからんが無鉄砲すぎるというか…自分に無頓着というか…」

「…」

再び二人が黙る。

自分の言葉がもたらした思いもかけぬ反応にキルゼは驚いた。今まで彼が見てきた中での感想を述べたに過ぎないその一言に、彼女の昔馴染み達が何を見出したのかわからなかった。

確かに彼女の危なっかしさは気にかかっていることであったが…。

しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはアルドだった。

「キルゼ殿、あなたは何のために戦っていますか?」

突然の質問に、しかしキルゼは即座に答えた。

「家族や仲間のためさ。このままでは俺達の未来は閉ざされてしまう。俺も、俺の親父やお袋も、友や仲間も苦しむだけだ。それを変えてやりたい。

…と、まぁ偉そうなこと言ったが、最初はほんの少しの義理返しのつもりだったな」

「ではライアあなたは?」

寡黙な剣士にも尋ねる。

「…妹」

ほんの少し、わからない程度に首を傾げてから彼は呟いた。

「妹だぁ?お前、妹がいたのか?」

キルゼは目を見開く。ここの仲間の中では彼は付き合いの長い方だが、そんな話は聞いたことがなかった。が、ここはそういう所だ。

「病気なのに食料も金もみんな持っていかれる。でも持っていかれなければきっと治るから…」

全て言い終えたのだろう、ライアは口を閉じた。

「そうですか…」

アルドが頷く。沈黙を守っていたサイラスがそれに続けた。

「つまりよ、あんたらは皆誰かの為に戦ってるんだ。そうだろ?」

「ああ、聞いたことはないが、恐らく皆そうだ」

当然だ。国を変えたいと思うほどの強い思いは誰かのためにこそ存在しうる。自分のためだけならば見切りをつけ国外へ出るという選択肢があるのだから。

「俺達は、自分の誇りのためと、そしてあいつのためさ。俺達だって誰かのために戦ってるってことになるな」

「すまない、話が見えないのだが」

「つまりサイラスはこういいたいのですよ。セシルは…彼女は誰かの為に戦っているのではないと」

意味を測りかねた。キルゼはしばし考え込んだ。

「自分の為だけに戦ってるってことか?そんなヤツじゃないことくらい俺にだってわかるぞ」

そう、彼女はいつだって自分以外のために働いてきた。少なくとも組織の一員として行動を共にしてからの彼女はそうだった。

「違う」

さらに言い募ろうとしたキルゼをサイラスが遮る。その鋭い一言に彼が怒っていることがわかった。そしてその怒りの矛先が自分ではないことも。

「違う。あいつは誰かの為、自分の為、そんなもので戦っているんじゃない。あいつは…」

苦しげに唇を噛む。

「あいつはこの国、この民の為に戦ってるんだ。国だぞ国!そんな形でしかないもののためにあいつは戦ってるんだ!」

その苦しげな叫びにキルゼは驚き立ち尽くした。

思いもよらないサイラスの強い感情が、そのやり切れなさを強く伝えていた。

「それは…セシルの…過去ゆえか?」

「それはお答えしかねます。しかし、彼女はそれゆえに強く、弱い」

『民』、それは『誰か』という特定される何かではない。人のために戦っている、と言う点では同じだ。しかし彼女は自分をこの闘争の力の一部としかみなしていない。自分がいなくなっても皆が代わりに戦ってくれると思っている。

「だからあいつは自分を大切にしないんだ」

苦々しい顔でサイラスが言う。

「だから無茶も…無謀もできる」

そこまで言って黙ってしまったサイラスに代わってアルドが続けた。

「しかしそれでは駄目なんです」

キルゼが傍らの石にどっかりと座りながら、溜息と共に言う。

「誰か、そう誰か。あいつが自分で守りたいと思うヤツが必要ってことだな」

「しかし私達にはその役割は回ってこない。それだけはずっと昔から解っていました。…私も、サイラス様も、ほんの子供だったというのになぜでしょうね…」

アルドが自嘲めいた笑いを口の端に乗せて、空を見上げた。

キルゼには見えない、遠くの何かを見つめるように。



「ところで…だ」

湿っぽくなった空気を追いやるかのように手を振りキルゼがにやりと笑った。

その顔に何か面白いネタを察知したのだろう、どこからともなくスキャットが現れ、

「お、何だ何だ?情報ならオレに任せてくださいよ!」

と、小声で器用に主張する。

騎士二人の表情が苦笑に変わる。

「おぅ、スキャット、あの二人、どこ行った?」

「…知らねぇ」

「何だ、結局当てにならねぇじゃねーか」

呆れたように言うキルゼに、向きになってスキャットが突っかかる。

「バカか、男と女が二人っきりでどっか行くんだぞ、“どこ行くか”なんかどうでもいいんだよ“どこまで行くか”が問題だろうが」

言ってから傍らの騎士に気づき、青くなる。

「あ、あの二人に限って、そのような浮ついたこと…」

少し頬を染め、珍しくどもるアルドを鼻で笑ってサイラスが言う。

「さぁ、どうだかな?あいつら、似合いだと思わねぇか?なぁアルド」

「…しかし…」

「はっはっは、よしスキャット、お前に依頼だ」

「おっ、いいねぇ、何です?」

キルゼが、張り切るスキャットを手招きで呼び寄せ、皆で額を寄せ合う。そうして辺りを憚るようにしてにやりと囁いた。

「あいつらがどこまで行ったか、調べてこい。

これは正式な依頼だ、何してもいいぜ」

「”どこ行くか”なんかどうでもいいんだよ。

“どこまで行くか”が問題なんだ」

と、サイラスが続け、

「報酬は弾みますから。ただし我々以外に話したらただじゃおきませんからね」

最後にアルドが締める。

ライアは相変わらず黙したまま、である。

スキャットが二つ返事でこの依頼を引き受けたのは言うまでもない。慌てて駈け出して行く。

それを見送って、キルゼがあたりを見渡す。

「さてと、そろそろ終いか?」

話し込んでいる間に引っ越しは終わろうとしていた。皆が働いている中、上はサボっていたわけだが、傍から見たら皆で大事な会議をし、スキャットを呼び寄せて何事か命じたとしか見えない。

「ま、明日から頑張るさ」

サイラスが伸びをする。


日が水平線に隠れようとしていた。

皆で見る夕焼けの空は、いつもより鮮やかだった。

そう、

『紅の月』と名付けられたこの季節に相応しく。







「ここよ」

日が落ちるまでには辿り着けなかったその地は、ルベラから南に三カートほど歩いた森の中心にあった。

ちなみに一カートは大体成人男性が徒歩で一時かかる距離である。

「何も感じられない…とは間違っても言えないな。どうして今までここが発見されなかったのか、その方が気になるくらいだ」

「そうね」

息苦しいとか、匂いがするとか、そういうものではないが、森の外と中では明らかに空気が違った。

もちろん、他の森とも違う。

「うまく言えないけど…空気が…硬い?」

木々を見回しながらセシルが呟く。丁度木々が途切れて広場のようになっているそこは、月の光だけで十分辺りを見ることができた。

「同感だ。壁と言うほどではないが、進むことを…そう、拒まれている感じがするな」

特に意味はないが、手近にあった木の幹に手を当ててみる。当然だが何の反応もない。

「で、どうするんだ?」

「そうね、とりあえず休みましょう。疲れちゃったわ」

「…そうだな」

くすりと笑ったセシルに仏頂面で返す。

実際二人ともそれなりに疲れていた。

思い思いに木に寄りかかる。

セシルは風を感じようと目を閉じた。

冷たい風が頬を撫でる。昼間の気温は日ごとに高くなっていっているが、夜となるとまだまだ涼しい日が多い。

先程の違和感以外、異常は感じられなかった。ここの空気にも慣れつつあったせいだろう、もしかしたらそれすらも気のせいなのではないかと思い始めたその時、

風が頬を切り裂いた。



「な…」

向かいに座っていたアリステアが声を上げるのが聞こえた。

彼らしくないな、と思いながらセシルは頬に手を当てた。血は流れていないようだ。

それは切り裂かれたと錯覚するくらいの冷たい風だった。一挙に温度を下げたその風は今も辺りに吹き続けている。

「一体…」

何が起こったのかとセシルが問うより早くそれは現れた。

音も光も空間の歪みさえも無く、忽然と。

「何者だ」

アリステアがそれを見据える。人影のようだが、顔は暗くて見えない。

「答えないのなら…」

言いながら上衣の裾を跳ね上げ、同時に腰に差していた細身の剣を抜き放つ。

刃が月光照らされ、一瞬光を放つ。

それを見たからだろうか、影は無言で一歩前に出た。光が顔を映し出す。

背の高い男だった。細身だろうその身体に纏うのは長い砂漠色の、ローブの様なざっくりとした服。髪型は判らない。全体を大きな布で覆っているからだ。右目までが隠れている。

しかしそれでもわかるほど顔立ちは整っていた。

「短気な方だ」

男はアリステアの持つ剣をちらりと見て言った。

「それなりに使えるようですが、それは私には効きません。引いた方が無難かと」

それを聞いたアリステアは意外にもあっさりと剣を引いた。男の言葉が自分を侮ってのものではなく、力を認めた上での忠告だということがわかったからだ。

「では問う。貴公は何者か?」

「私はロノ。我が尊き方にあなたたちを案内するよう仰せつかった者です」

にこりともせず早口で言い切る。続きは無いらしい。

「誰が、ですって?」

セシルが訊ねる。素早くアリステアの隣に移動していた彼女はさらに一歩ロノと名乗る男に近づいた。

「待て」

「大丈夫よ。この人、案内人なんでしょ?」

「問題はどこに案内されるかだがな」

苦々しく呟くアリステアを一瞥し、ロノが口を開く。

「礼を知らない人間のようですね。なぜあのお方はこんな…」

「あなただってずいぶんよ。突然現われて警戒するなって方が無理だと思うけど?」

いくら口調が丁寧でも身に纏う気配が剣呑だったら誰でも警戒する。

もちろんその敵意のようなものに心当たりはない。

「これは失礼しました。そのようなつもりはなかったのですが」

「そう?」

「はい、ですので一緒にいらしていただけると助かります。あなたたちをお連れしないと私が怒られてしまうので」

すっ、と頭を下げる。上げた顔にはしかしというかやはりというか、好意のようなものは見受けられない。

「私たち、とっても嫌われてるみたいね。いいわ、行ってあげる。でも私だけでいいかしら?」

「お前、俺をこんな森の中に置いていく気か?」

アリステアは手を伸ばし、前に出ようとするセシルを押し留める。

「で、どこへ行くの?」

ちらりとアリステアを一瞥し、嘆息してからセシルはロノに訊ねた。

セシルは後悔していた。彼をここへ連れてきてしまったことを、である。こんな微妙な状況に陥るとは思っていなかった。

彼を危険な目にはあわせたくないが、どうせ言っても聞かないだろう。

ちらりと横目で見ると、同じようにこちらを見ていたアリステアと目が合う。

何も言わず、二人視線を前に戻す。

「ありがとうございます。それでは…」

ロノが手で指し示したのは森の奥だった。

「ご案内いたしましょう。我らが故郷、ファロゥへと」

その言葉に目を見張る二人を尻目に、案内人は身に纏う砂漠色を翻し、森の奥へと進んでいった。



「ここです」

そう言ってロノが立ち止まる。

そこには何もなかった。

藪と木だけ、他と全く変わりない。

「ここですって…言われても」

困った顔でセシルが辺りを見回す。

「つまりここにファロゥへの“道”があるんだな」

「そうです」

アリステアの言葉にロノが頷く。

「でも何もないわよ?」

不思議そうに訊いてくるセシルに説明する。

「お前が言っただろう?たまに空間が捩れて繋がってしまうと。つまり普段は捩れていない、普通ってことだ」

「ここには今何もない、が正解ってことね」

「そうだ」

「ご説明はよろしいでしょうか?」

さっさと終わりにしろと言わんばかりの口調に、これ以上の会話を諦める。

「いいわよ。どうぞ先に進んで」

それでは、と彼は右手を前に出し、肩の高さまで上げた。何かが起こる様子はない。

「ではどうぞ」

しかし彼はそう言うと一歩前に出た。

姿が消える。

セシルが驚きもせず嘆息する。

「…この向こうに行けってことね」

「どうする?今ならまだ戻れるが?」

「決まってるじゃない。ここまで来て私が帰れると思う?」

「…いや」

「あなたは帰っていいのよ。正直言ってこんな怪しげなことにつき合わせるつもり、なかったし」

肩をすくめる。

それに彼女の軍師は口の端を上げることで応えた。

「それこそ決まっている。お前を置いて帰ったとなれば、俺は騎士様やひげオヤジに殺されてしまうからな。行くしかないんだろうよ」

セシルはさらに肩をすくめた。

「ほんと、素直じゃないんだから」

そうして二人は彼の地へとそろって足を踏み入れた。









「よくいらした」

ファロゥの長はそう言うと二人に座るよう勧めた。

顔を見合わせ、言われたとおりに席に着く。

ここに辿り着くまでそうはかからなかった。

一歩歩を進めた先に突如広がっていた別世界。

暗い空、冷たい大気、点在する石造りの建物、

露店街のようなものも無く全体としてひどく寂れた…

感想をいくつか思い浮かべながら目の前の女性を観察する。

美しい人だった。先ほどのロノといいここの人たちは皆美形なのかと思わず訊きたくなる。

そのロノは彼女達をここに連れてくるとさっさと姿を消してしまっていた。

まぁ、いないほうが楽でいいけど、と結論付け、改めて主の方を観察しなおす。

そうしてセシルはそれに気付いた。

感情無くこちらに向けられている翠色の瞳。彼女の侍従が物騒な気配を漂わせていたのとは対照的に何も感じられない。

いや、感じられなさ過ぎる。セシル(かぶり)を振った。

いくらなんでもあれではただのガラス玉だ。

「あ…あの…お招きいただいてありがとうございます。私はセシル。こちらはアリステアと申します」

「知っておる。公女セシリアよ」

セシルが目を細める。

アリステアが同じように目つきを鋭くしながらそれでも落ち着いた声で答えた。

「なるほど、さすがは魔術師の村だ。何でもお見通しと言うことですか」

「全てと言うわけではない。我らとて世界の根本たる海には辿り着いておらぬゆえに」

「海…」

「そう、オムニウム・レールム・プリンキピア。全ての始まりの事象たる海じゃ」

そう説明すると、この話は終わりとばかりアリステアから視線を外しセシルの方に向ける。

「さて、改めてこちらも名乗ろう。我はこのファロゥの長、リリトと申す。魂人(たましいびと)セシリア、魂人アリステアよ。我らがそなたらを歓迎できるかどうかはあなた方にかかっている」

二人は顔を見合わせた。

「どのような意味でしょうか、リリト殿」

アリステアが問う。

「我も長い話は好かぬゆえ、端的に話そう」

リリトはひとつ嘆息すると椅子に背を預けた。

セシルに目を向け話し出す。

「このファロゥがそなたらの世界と壁をひとつ隔てていることは知っているな」

「ええ」

「通常はその壁は越えられぬ。しかし何事にも例外はある」

「ええ、知っています。ごくたまに空間が歪むとか…」

「何もなくて歪んだりせぬ。あれは例えるならば波立たぬ凪いだ湖面。不変の空間」

「そこに波を立てるものが現われなければ永遠に凪いだままというわけですね」

アリステアの言葉にリリトは目だけで頷いた。

「しかしそこに『風』が吹いたらどうなる?」

当然だが波が立つ。例え波紋程度であったとしても『不変』が『変化』する。

「しかしその湖には『風』など吹かないのでしょう。だとしたらそれは一体どこから吹いてくるのですか?」

「どこからだと思う、軍師よ」

アリステアが目を伏せ考え始める。

「湖面に辿り着くには『風』はその大地に吹かねばならない」

海を隔てていてもいい。ただ『風』の通れる空間が続いていればいつかは届く。

しかしこちらの世界と自分達の世界の間には『風』の越えられぬ壁がある。

「そう、壁に穴があればいい」

口に出してまたしばらく考える。

セシルも横で眉を寄せている。

そうしてしばしの後、彼は伏せていた目を上げた。

「アーヴィンガルズ」

呟いたその単語にセシルが目を剥く。

「え?どういうこと?」

「つまりはそういうことじゃ。物分かりが良いな」

リリトは静かに言った。

「アーヴィンガルズで転移させた物質はお主の言うところの『壁』に作った扉を開け、中、つまりファロゥ側を通って別の扉から出て行くのだ」

「つまり…」

「その扉が開いた瞬間、『風』が通り抜けられるわけか」

「その『風』を我らは危惧しておる」

転送機を使えば使うほど二つの世界は重なり合い、変化する。自らを隔離してきたファロゥの民にとってそれは望ましくないのだろう。そしてそれを使おうとする人間達も。

「お主たちを呼んだのは、お主たちがアーヴィンガルズを使おうとしていたからじゃ。使われては困る。それは解ったであろう?」

「しかし、なにもわざわざこのようなことをしなくても、放っておけばどうせ起動などできはしなかったでしょう」

アリステアが首をかしげる。

しかしリリトは黙して答えない。

「何かあるのですか?」

セシルがさらに問いかける。しかしファロゥの長は、その感情の読めない目を何かを考えるかのように閉じただけだった。

「我が主よ。あなたらしくない。言って差し上げればよろしいではないですか」

突然背後から声が上がる。二人は驚いて振り返った。

入ってきた入り口を背にロノが立っていた。ほんの真後ろまで気付かなかった自分達に歯噛みする。

彼は少し突っかかるような口調でさらに言った。

「なぜ言っておしまいにならないのです?我々は外の世界と関わる気はないと。土足で踏み込んでこられるのは迷惑だと」

「ロノよ」

殊更にゆっくりとリリトが名を呼ぶ。

「ファロゥの戒律を忘れたか」

「…いえ、申し訳ありませんでした。出過ぎたまねを…」

長に向かい頭を下げる。そこから先ほどまで垣間見えていた苛立ちは見出せなくなっていた。

「戒律?」

セシルが聞く。

「我らファロゥの民がなぜにこうやって外界との交流を断ったか、わかるか?」

「いいえ」

「我らは恐れたのだよ。魔術というものの…その力を…な」

どういうことかと聞き返そうとし、リリトの目に気圧された。感情よりなお強い意志の力がそこにはあった。

初めて彼女が見せた、心の揺らぎ。

しかしそれも一瞬で消え、元のガラスのような瞳に戻る。

「この話を理解するためには、なぜ私たちの王国が滅びたか、そこから話さねばなりません」

ロノが後を引き継いで話し出した。

「私たちの王国は魔術によって栄えていました。アーヴィンガルズのような魔術施設も多くありました」

神話を語る詩人のように、朗々と、語る。

先程まで見せていた苛立ちなど、そこからは欠片も見いだせない。

「その直接の原因が何だったか、今となっては定かではありません。しかし魔術を使えない人と我ら魔術師が争い始めるのにそう時間はかかりませんでした。政治を握り大多数を占めていた彼らは、我々が…ほんの少数に過ぎなかった我々が大きな力を持つことに危機感を持ったのです」

過ぎ去った昔を懐かしむように目を細める。

大昔の話をあたかも体験したかのように話している彼を見て初めて、二人は彼らが見た目通りの年齢でないことに気づいた。

「そうして我々はとある森へと追い込まれました」

先ほどまでいた森を思い出す。

「そうして我々は一世一代の賭けにでたのです」

そしてことさらゆっくりと、その言葉を口にした。

「世界を新しく作ってしまおう…と」

「世界を新しく…作る?」

セシルが聞き返す。

「そう、残った魔術師の魔力を全て集めればできないことではなかった…理論上は」

「理論上?」

「試したことはありませんでしたから。しかし我々が生き残るにはその新しい世界に逃げ込むしかなかったのです」

「それほどの魔力があるのならば、闘って勝てたのでは?」

「私たちの魔術はそのような方向には発達しなかった。魔術の実生活への応用が主でした。当然、魔力を用いた武器ならありました。しかしもはやそれもほとんど手元にはなく、その場の敵を攻撃できる魔術を持っている者はほんの僅かでした」

眉がほんの少し寄せられる。

「皆、冷静ではなかった。自分たちをここまで追い詰めた敵を呪い怒り狂う者、絶望に泣き叫ぶ者…」

想像してセシルは身を震わせた。自分たちが今まさに滅びようとしている、その状態で一体誰が冷静でいられよう。

「私たちは新世界に賭けることにしました。世界の構築に成功すれば勝ち。敵である彼らと世界を分かち、争いなく別々に暮らせる。

一方、失敗すれば魔力を使い果たし、抵抗できぬまま蹂躙される。それは大きな、そして危険な賭けでした」

「…」

「しかし、このまま何もしなければほんの少しの抵抗の後に、我らの歴史は幕を閉じる、そう考えたのです。

そして魔術は行使されました。

空間情報をコピーし、位相をずらし、隔離して定着させる。

空間がそこにあるという情報だけを抽出するので、そうしてできた世界には何もない。

…それでも、やるしかなかった」

話し疲れたのだろう、少し間をとるように息をつく。

セシルは黙って続きを待った。

「結果は成功でした。そして…神が現れたのです」

「神?…って、なんだか私さっきから馬鹿みたいね」

相手の言葉を繰り返すだけの自分にセシルが苦笑する。

隣ではアリステアが同感だと言うように頷いている。

そういう彼もそろそろ話についていけなくなっていたのだが。

「そこからは我が話そう」

静かに、しかしはっきりとした声が割って入る。

魔術師の長は相変わらずの無表情のまま話し始めた。

「”神“というのは我らにとってそのようなものであったという、それだけのことじゃ」

「では、神ではない?」

「そもそも神などという存在は証明されてはおらぬ」

まぁそうよね、とセシルがつぶやく。ただ相槌を打った程度で、話に入ってきたというわけではなさそうだった。

まず話を理解することを優先したのだろう。賢明な判断だ。

「それはただのエネルギーだった…と我は考える」

「考える?」

リリトらしからぬ言い回しにセシルは眉を寄せた。

もうずっと寄りっぱなしの眉はしばらく元に戻ってくれそうにない。

「実際、はきとは申せぬのじゃ。世界を構築していた“何か”が、空間をゆがめたことで変化してしまったのであろう」

「その“何か”が“神”だと?」

主の背後に控えていたロノが口を挟む。

「我々…あの時その現象を調査した研究者は、歪みによって生じた膨大なエネルギーが現出したという結論に達した。しかし…私は…あれは神の怒り以外の何物でもないと思っている」

アリステアがはっと息を飲む。

「まさか、伝説の前王国の滅亡というのは」

一瞬遅れてセシルがぴくりと身じろぎした。

彼女にもわかったのだ。そこで何が起こったか。

「解き放たれた“何か”は空に浮かぶ城を撃ち落とし、山や川をも薙ぎ払い、人々を消滅させた。一瞬ののち、王国は荒野となり、生き残ったのは地上に住む最下級層の民のそれもごくわずかであった」

誰も声を発しない。その光景を思い描き、二人は茫然とした。

彼ら公国の民が遊牧民族なのは、彼らの暮す土地のほとんどが草原、つまり平地だったからだ。

川もない山もほとんどないあの土地で出来うる最良の事、それが放牧だった。

遠目にすら山を見たことがないと言う民は大勢いる。それくらいどこまでもどこまでも平地なのだ。実際、今引っ越しの最中のあの塔に来て初めて、山や土から湧き出す水を見たという者も多い。

ぞっとした。今まで普通だと思っていたそれが、途轍もなく異常であったということに気づいたからだ。

外国に行った時に山も、川も見ているのに。

その成り立ちについても十分学んだのに。

なぜ、それらの自然現象が自国で起こらないのか、考えたことがなかったのだ、二人とも。

「我々は壁一枚隔てた世界の向こう側で、なすすべもなく見つめるだけだった」

こんなはずではなかった。

どうしてこんなことに?

ただ静かに暮らせればそれで良かったのに…


良かったのに・・・・・・


「そして、その後、恐ろしい報告が入りました。あの忌まわしき日の数日後に、他国が攻め込む準備をしていたというのです」

深呼吸する。

「あと数日…あと数日耐えていれば、我らはあのような過ちを犯す必要はなかったかもしれない」

「どういうことだ?相手はあなた方に向かっている兵を使わねばならないほどの大軍だったのか?」

アリステアが問う。

「いや、兵の数は足りていました。しかし彼らの武器資源は尽きかけていたのですよ。それを察知した他国は…」

王国の武器は魔術で作った魔法弾などが用いられていたという。もちろんそれを作り出すのは魔術師の仕事だった。

「思えば彼らは我々に投降するよう言い続けていた。そう、我々を皆殺しにしてしまってはあの国は成り立たなかったのでしょう。魔術の恩恵はそこかしこにあり、そして彼らはそれを扱う術を持たなかったのだから」

ほとんど独白のようになってしまったロノの話を辛抱強く聴き続ける。

二人とも聴かずにはいられなかった。

「我らはそんな簡単なことにも気付かなかった。怒り、脅え、我を忘れた。その結果があれだ」

「その報告以来、我らは感情というものを捨てた」

割って入った声にロノがはっと我に返り一歩引く。

「だからお前は未熟だというのじゃ」

「申し訳ありません」

恥入ったように再び背後に控えるロノを一瞥しリリトは振り返った。

「我らがもっと冷静であれば、恐らくはあのようなことはせなんだろう。数日くらいならば戦えた。耐えることができたのじゃから。

しかし我らは自らの置かれた状況も把握することができず、一時の怒りや恐怖に負けた。

我らの背負った罪は、あまりに重い」

何も言えなかった。

感情を捨てるなど、そんなことは間違っていると言いたい。その時の彼らに災厄を回避する術はなかったのだと言いたい。

しかし二人の前にいる女の目はそれを許さなかった。

感情を捨てられるわけがない。

押し込められたそれは、彼女の瞳の中で狂おしいほど渦巻いていた。

「もう、二度とそちらの世界とは関わるまいと今日まで過ごしてきた。それがアーヴィンガルズの道という間接的なものであるにしても、それすら我々には恐ろしい所業…言いたいことはわかるであろう?」

頷くしかなかった。

暇の挨拶もそこそこに、元来た“道”を抜け、二人はファロゥを後にした。


                            〜後編に続く〜

グランディウスの第二章です。

今までよりも少しファンタジーテイストです。

少しずつ、セシル達が動き出してくれるようになりました。後編はもう少しお待ちください。


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