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蒼碧の旋風‐後編‐

     蒼碧の旋風‐後編‐









グラナ砦は朝からあわただしい空気が流れていた。

フェラドから東へ半月ほどの距離にあるこの砦は、国境からは遠いが公国の中心地域を守る重要な拠点である。

その砦を守るのは四騎士団の一角を担う、戦上手で知られるランディス騎士団だ。団長サイラスは勇猛果敢、副団長アルドは深謀遠慮と名高い。

そのランディス騎士団の騎士見習いが砦門前で高らかにラッパを吹く。

慌ただしかった空気が一瞬にして張りつめた。

砦門がゆっくりと開き、きらびやかな馬車が入ってくる。周りを供の騎馬が取り囲み何人たりとも近寄らせないよう警戒する中、再びラッパが鳴り響き、皆が一糸乱れぬ正確さで剣を立て敬礼する。

馬車は入ってすぐの広場でゆっくりと止まり、馬から降りた騎兵が扉を開けに走っていく。

馬車から降りてきたのは豪華な服に身を包んだ男であった。男を見て騎兵が姿勢を正した。

男は騎兵に目もくれずゆっくりとあたりを見渡した。その視線が止まる。

「グラナ砦にようこそいらっしゃいました、陛下」

視線の先から声とともに男に近づいてきたのは、まだ若い青年だった。長い髪が風に揺れ、金色に輝く。

「私はランディス騎士団長を拝命いたしております、サイラス=レンフィードと申します」

青年は王の前で一礼し後ろを振り返る。

「副官のアルドです。以後お見知りおきを」

そう紹介されたのはやはり若き騎士だった。団長と違い、短い銀髪はきちんと整えられている。

「挨拶などどうでもよい。それより疲れた、早く案内しろ」

「申し訳ございません。こちらへどうぞ、お飲み物も用意させてありますので」

王の言葉にサイラスは頭を下げ砦の中へと案内する。後にアルドと馬から降りた騎兵達が続く。

彼らの背後でもう一度、高らかにラッパが鳴った。




王のための部屋にはくつろぐための長椅子と近隣の名産の果物が山と積まれた籠が置いてあり、床には清潔そうな絨毯が敷いてあった。

豪華ではないが歓迎の心のこもった清潔な部屋だった。

しかし王は部屋に入るなり片眉を上げた。

「なんだこの粗末な部屋は」

付き人たちもあからさまに苦い顔をする。どうやら王が泊まる部屋として不適格だと言いたいらしい。

しかし部屋の奥の壁にはを金銀をふんだんに使い、王家の紋章を縫い取った旗を飾ってある。家具にしても職人が手間暇かけて作り上げたであろう細工に凝った品々ばかりである。

この部屋が戦用の砦が用意できる部屋として最大限のものであることは、少しでも砦のことを知っている人間ならすぐわかる。王のためとはいえ、備蓄食料や金を減らすわけにはいかない。それは国を守る騎士団の心得として常識である。国がなければ王もない。代々の王はこのもてなしを喜びこそすれ怒りはしなかった。

「これが我が騎士団流のもてなしであります。お気に召されなかったのであれば申し訳なく…」

サイラスが謝罪の言葉を口にする。しかしその顔は険しい。

「ご所望のものがあればこのアルドに申しつけ下さいませ」

「まぁよいわ。下がれ」

面倒くさくなったのだろう。追い立てるように手を振る。

二人して部屋を退去する。

敵が来た時に各個撃破できるよう、狭く作られた廊下を二人並んで歩く。ぎりぎり歩けるくらい狭くなってしまうが、彼らはいつもそうやって歩いた。団長が副団長の後を歩くことなど当然ないが、副団長が後に従うこともない。他の砦では見られない光景だった。

団長室に戻り、一息つく。

「あの王様、困ったもんだな。ったく騎士団をなんだと思ってるんだ。なぁアルド」

「サイラス様、お言葉に気をつけられたほうがよろしいかと」

くだけたサイラスの言葉に慌ててアルドは辺りを見る。

王がいるところに細作がいないはずがない。王の警護のために、そして情報収集のために。

最近では王の悪口を言っただけで罰を受ける。そしてそれらの情報は彼ら細作が集めてくる。しかもその対象は平民達だけでない。要職に付く者や貴族までがたった一言で投獄されるのだ。騎士団長とはいえ例外ではない。

こんな軽口で引っ張られてはたまらない。

「大丈夫だろ。文句を言われたら出てってもらえばいい」

「しかし我らは王に忠誠を誓う騎士です」

「…まぁな。…本当に、困ったもんだ…」

嘆息したその時、遠慮がちなノックとともに騎士見習いの少年が入ってきた。

少年が言うには王が副団長を呼んでおり、さらにはかなり苛立っているらしい。

仕方ないとばかりにアルドが立ち上がる。

ちょっと行ってきます、と言い置いてサイラスを残し少年と部屋を出る。

「王様はどんな様子だったんだ?」

問われた少年は困惑顔でかぶりを振った。

「自分達は陛下はここに視察のためにいらしたと聞いているのですが…」

「ああそうだ」

まだ幼いといってもよい少年は困惑顔をさらに深める。気になって話を聞いてみると、どうも王は砦を見ようとすることもなく連れて来た女達と戯れているだけだという。従者の、おそらくは近衛騎士たちも、あれが欲しいこれが欲しいと我が儘のし放題らしい。

その有様は少年の目にもおかしいと映るようだった。訝しさと不満がありありと見える。

「いかがいたしましょう?うちには王のご所望のものの蓄えは…」

「近くの町で買ってきてさしあげなさい。馬ならすぐだろう」

金がなくなるのは困りものだが。

アルドは少年には気付かれないよう嘆息した。


一方サイラスは別の見習いの少年の報告に、こちらも嘆息していた。

王の従者達が要求したという品々は高価なものばかりで、さらに言えば今どうしても必要なものとは思えない。

「親玉が親玉なら子分も子分だな…」

思わず呟いてしまう。さらに愚痴をこぼしかけたが、

さすがにまずいと思ったのでやめる。王の悪口などアルドにしか聞かせられない。

仕方がないので調達するよう指示し、近くの椅子に乱暴に腰掛けると、恐らくは同じように指示を出し戻ってくるはずのアルドを待つ。

少年が退出してしばらくして戻ってきたアルドの顔は心なしか険しかった。

何か不手際でもあったのか、それとも用意できないものを所望されたか…

「どうしたアルド、王様は何か言ってたか?」

「いえ、ちょっと入手困難なものを頼まれただけです。大丈夫、手配はしました」

にしては様子がおかしい。しかしサイラスはあえて聞かなかった。この副官は言ってはいけないこと、言わなくていいことは徹底的に隠し通すが、逆に言わなければいけないことは必ず言うと知っているからである。

言わないなら自分には必要ないことなのであろう。

「なぁアルド、あの王様は視察に来る気、あったと思うか?」

話しを変えたサイラスのその言葉に、先ほどの少年の言葉を思い出しながらアルドは話の主に目を向けた。それだけで続きを促す。

「俺達には興味なし、って感じだったからな。挨拶どころか見もしなかった」

この分だとこの砦の名も騎士団の名も知らない、いや、覚えていないに違いない。

ここは防国の要の一つだ、その重要性は明らかで、だからこそ王の視察も毎年行われる。

つまり王は毎年ここに来て、彼らの挨拶を聞き、同じような部屋に通されているのだ。

しかし全く記憶に留まることはない。忘れっぽいのではなく、端から留めようとしていない。興味がないのだ。

そう。心の片隅にも残らないのだろう。

騎士団長たちが、毎年毎年わざと初対面の挨拶をし、同じような部屋を用意していることにも気付かないほどに。

先ほどアルドに不満を訴えた少年は今年入ったばかりなのでそれを知らなかったのだ。

むなしいよな、と天井を仰ぐ。

騎士は王に仕える者である。

なのにその王は自分達を覚えてすらいない。一介の兵士ではない騎士団長と副長をすら、だ。

「でも、あいつは覚えててくれたな」

誰にともなくぽつりとつぶやき、サイラスは眼を閉じた。例年と同じならばこれから夜通しで宴会が行われる。

それまでに少しでも休んでおかなければならなかった。












「私に考えがあるの」

テーブルを囲む仲間達を見渡してセシルは立ち上がった。

森の奥深くにある山小屋の一室に大きめのテーブルを置いただけの簡素な部屋。そこに全部で五人がいた。少し手狭だがきついというほどではないその部屋は組織の会議室のようなものだった。

あの脱出劇から三ヶ月余り経った。この隠れ家もだいぶ住みやすく改良されてきている。

最初は住む家すら足りなかったのが、今や多くの丸太小屋が建ち、このような会議室までできた。散り散りになった人々も合流し始め、大所帯になりつつある。

それに伴って問題となってきたのが、見つからないように隠れ続けることの困難さである。

組織に賛同するものが多いことはいい。しかし数が多くなれば自然とその存在は公になり、脅威となる。このままでは見つかるのは時間の問題だ。以前のように追われる羽目になる。

彼らを守れる力が必要だった。

しかし今の彼らにはその力はない。

隣に座るキルゼに発言の許可をもらい、続ける。

「私の知り合いが騎士団にいるの。話せばきっとわかってくれるわ」

「騎士団?何言ってんだセシル」

向かいに座っていた男が声を上げる。

「騎士団なんて体制側もいいとこじゃないか、無理無理。それどころかとっ捕まっちまう」

その隣の男も賛同する。

「スキャット、ラスティー、お前達の意見はもっともだ。どうなんだセシル」

キルゼが間に入る。スキャットと呼ばれた男が聞いた。

「そもそもその知り合いって何だ?騎士団員と知り合いのヤツなんて滅多にいねーぞ。少なくともオレの情報網の中にはいない」

「お前の情報網なんてクソみたいなもんじゃないか。威張るなよ」

ラスティーが切り返す。

猫みたいな身のこなしが売りのスキャットは元は街の情報屋だった。それゆえに公国の実情を知りすぎてしまったのだろうか、彼は組織設立時からのメンバーだった。どこからか仕入れてくる情報は、手入れの日時という重要なものから隣村の美女が村長の妾になったなどというどうでもいいものまで様々だが恐ろしく正確だ。

ラスティーは元は公族御用達の商家の番頭だったが、自分の商いで貧富の差が生まれることに抵抗を感じ組織への道を選んだという。組織内の連絡、資材や資金の調達は彼の担当だ。

二人ともバラバラになってしまった組織の人々がこの地で合流できるよう働いている。

「彼らならとは思うけど…そうよね…やっぱり危険よね…」

たぶんや恐らくで組織の命運はかけられない。

仕方ないと諦める。彼らならとてつもなく強力な戦力になってくれると思うが、確かにしばらく会っていない。その間に変わってしまっているかもしれないし、あるいはスキャットとラスティーが言うように体制側の立場が邪魔をするかもしれない。

「その騎士に会う手はずはつけられるか?」

その声に三人は驚いて声の主を見た。

「俺が行こう」

キルゼは静かに言って皆の返事を待った。しかし皆展開についていけない。

「いや、キルゼ、だってよ…」

よほどびっくりしたのかスキャットがどもる。ラスティーも同様にしてキルゼの説得にかかる。まず何よりリーダーたる彼をそんな危険なところに行かせるわけにはいかない。なぜこんなことを言い出したのか。わけがわからなかった。

しかしキルゼは彼らの説得には応じなかった。鋭い眼でセシルを見る。

「どうなんだ?」

「え、だ、大丈夫だと思う。いつもこっそり会っていたから。今回も同じ方法を使うわ。でもキルゼ、何もあなたがくる必要は…」

「ないのか?」

本当は来てもらった方がいい。彼らを仲間にするには自分に対する信用ではなく組織に対する信用を得なければいけないからだ。それにはリーダーと話してもらうのが一番だ。

しかしそこまで自分を信用されても困る。他の二人の警戒が真っ当な反応であり、それは組織を率いるものの慎重さに繋がる。彼らのリーダーはそんな慎重さを充分持った人間だと思っていたのに。

「俺にも考えがある。確かめたいこともな…」

「確かめたいこと?」

「ああ。ライア、ということだ、しばらく留守にする。後は任せた」

部屋の隅に眼をやり、言って立ち上がる。

そこには人がもう一人いた。今まで全く発言していなかったのだが誰も気に留めていなかった。

いつものことだからだ。

細身の青年はキルゼを見ることなくうなづく。

「ラジャー、だそうだよ。ったくライア、ちょっとくらい喋ってくれよな」

スキャットがぼやく。

彼はいつもそうだった。ほとんど話さないから仕方なく長い付き合いのスキャットが通訳をするはめになる。しかし恐ろしく腕は立つし判断は的確だ。苦労するのはスキャットだけなので皆はあまり気にしていない。

「…気をつけて…」

めずらしく声を発したライアを背にキルゼは小屋を出る。後をセシルが追った。

「キルゼ」

「いつ会えるんだ」

呼びかけるセシルの言葉にかぶせるように問う。

「まず連絡を取らないと。今の時期は演習もないから今日出せば明後日くらいには返事が来るはずよ」

「会えるのは五日後くらいってとこか。頼んだぞ」

去ろうとするキルゼにセシルが追いすがる。

「なぜ?」

「なぜって、そいつらは信用できる上に騎士団の戦力を動かせる人間なんだろう?」

「でも、上手くいくとは限らないのよ?」

「お前ならできるんだろ?」

妙に強い口調で言い、踵を返す。

その後姿は、何らかの確信を得ているように見えた。

様子がおかしい。セシルは眉を寄せた。何か考えがあるのはわかる。それにしても自分を見る目が少し変だ。何かこう心の奥を見透かそうとするかのような…

とはいえここで考えていても始まらない。今日中に手紙を出してしまわなくては。

久しく見ぬ友を懐かしく思い出す。

公女セシリアには幼馴染が二人いた。セシリア自身の乳母の子とトゥキアの乳母の子である。二人ともセシリアよりすこし年上だ。

三人で城中を遊びまわり、悪戯をしてよく叱られたものだった。

そんな彼らも今ではランディス騎士団の団長と副団長である。異例の若さでの抜擢だった。

騎士団に入ってからの彼らとは自由に会えなくなっていたが、セシリアが砦に忍び込んでこっそりと会っていた。今考えても危ないまねをしていたものだが、そのことはまだ誰にもばれていないはずだ。

早速手紙をしたためる。返信先はここではなく、近くの村にしてもらおう。さすがに直接居場所を教えるのは危険すぎる。

近くの子供に頼み、飛脚のところへ走ってもらう。

これで明日には届くはずだ。彼らのいるグラナ砦はここからさほど遠くないところにある。

「おばさんに頼んでおかなきゃ」

手紙が届くはずの組織の協力者の家に、手紙が来たら知らせてもらうよう言わねばならない。気分転換にもちょうどいいので今から行くことにした。

のんびり歩く。あたりの景色を眺めつつ時間をかけて村へとたどり着く。当然だが尾行されていないかは確認済みだ。

村に着いて手紙のことを頼み、帰路につく。

ただ帰るのももったいないので別の道を通って帰ろうと小道に入った。

そこは考え事に向いた散策路に見えた。いつの間にか芽吹いた新緑がそよそよと揺れ、時折吹き抜ける風がそれを散らしていく。

あれはどういう意味だったのだろうか。

セシルは考え込む。

確かめたいこと、とキルゼは言っていた。

騎士団に行くことで何が確かめられるのだろうか。

自分が確実に騎士団を味方につけられるとなぜ信じられるのかも気になる。

しばらく歩いて立ち止まる。恐らく考えても答えは出ないだろう。かといって彼に聞いたところで教えてくれるかどうかもわからない。いや、教えてくれないに違いない。

ならば自分は自分のやるべきことをするだけだ。

そう結論付ける。

瞬間、気配がした。

人がいる。

俯いていた顔を跳ね上げるようにして前を向く。

顔をあげた瞬間向こうもこちらに気付いたようだった。

二人して立ち尽くす。

二人の間を風が吹き抜けていった。



気になる噂があった。

公女セシリアが行方不明になったというものだ。

公には出ていないその話は例によってスキャットが持ってきたものである。彼は王家には付き物のスキャンダルの一つとして話しただけだったが、キルゼはそれをただのゴシップとは考えなかった。

彼はずっと気になっていた。

あの日、なぜ彼を追う兵が消えたのか。彼を追ってこなかった以上突破できなかっただろうあの囲みを彼女はどうやって抜けてきたのか。

あの状況で自分を追ってこないことなど考えられないし、近衛兵が仕事半ばにして命令なしに引くなどありえない。よしんば囲みを突破したところであれほど無傷ではいられない。自分ですらたぶん無理だ。

消えた公女セシリア。そして集会の時、どこからともなく現われてはいつの間にかいなくなっていた素性不明のセシル。

まさか、という思いがあった。

王家が王家を倒す組織に加担するなんてそんな馬鹿なことがあるわけがない。

あるとすれば…

そこまで考えてキルゼは大きく息をついた。

部屋のベッドに座り窓の外を見るがまぶしくてすぐに目を逸らしてしまう。溜息が出る。

仲間を疑うことはしたくなかった。

確かめるしかない。今回はその良い機会であると思われた。




「こ、こんにちは」

我ながら間抜けな顔をしている。

こんなところに人がいるなんて思わなかったから

びっくりしたのだ。こちらからは大体十歩ほど離れている。

しかし声をかけたのにもかかわらず相手は何も言わない。

長い銀髪の、セシルよりやや年上に見える青年だった。

青年がこちらを見る。やはり何も言わない。セシルも沈黙する。先程は普通に出てきた言葉が今は出そうと思っても出ない。

原因は彼の目だった。紺色のその目は何か見るものを拒むような深さがあった。その目を見るだけで彼の邪魔をしているような気がしてくる。これ以上話しかけるなといわれているような気がした。

再び風が吹き抜ける。その強い風に一瞬目をつぶってしまう。

目を開けると青年の後姿が見えた。戸惑っている間にどんどん遠ざかっていってしまう。

青年が角を曲がり、その姿が消えたところで我に返る。急いで追いかけ、セシルも角を曲がる。

が、青年の姿はどこにもなかった。

あたりを探してみたが見つからない。

諦めてもと来た道をとぼとぼと戻る。

なぜだかとても寂しかった。











それから四日後、グラナ砦の近くの森で四人は顔を合わせた。

「よう」

「久しぶり」

サイラスが笑顔で歩み寄りアルドが微笑む。

セシルは確信した。彼らは変わってはいない。今までも、これからも、彼女が公女であると知った上で、言葉を取り繕わず話してくれるのは彼らだけだ。と。

しかし二人はセシルの後ろに佇むキルゼの姿を認めると表情を硬くした。手紙には彼が行くことを記していなかったのだから当然の反応ではある。

「セ…この方は?」

アルドが訊ねる。名を呼ぼうとしてやめたところはさすが副団長の地位を預かる者であろう。見知らぬその男がセシリアをセシリアだと知っているかわからない以上迂闊に名を呼ぶことは危険だと判断したのだ。

「彼はキルゼ、この国を解放しようとしている人よ。キルゼ、こっちがランディス騎士団長のサイラス、こっちが副団長のアルドよ」

予想外の紹介に空気が凍った。キルゼも驚く。さすがにそこまで簡単に正体を明らかにしていいものではない。自分も、彼らも。

騎士団の二人もあまりの急展開に、思考回路が付いていかないのか黙り込む。

最初に我に返ったのはサイラスだった。

「まさか反乱…ちょ、ちょっと待て」

「言われなくても待ってるわよ」

その満足そうな顔を見るに、確信犯のようだ。

彼女は騎士団のトップと反乱組織のトップを引き合わせ、何をしようとしているのか。

そういえば風の噂に聞いた眉唾だと思った話が…

「お前行方不明だって…本当だったのか」

アルドの顔が厳しくなる。つまり彼らの幼馴染は自分の家に喧嘩を売っているわけだ。公になったらスキャンダルではすまない。

一方キルゼの顔は引きつっていた。思うように表情が作れない。

行方不明…これは恐らくスキャットから聞いたあれのことだ。つまりセシルは公女セシリアであり、その公女は無断で城を出て解放組織の一員となっている。

眩暈がした。戯曲の中でショックを受けた婦人などが失神する場面があるが、今の自分はそんな風に見えるのだろうなと妙に冷静に考える。あんなことが本当に起こるものとは思っていなかった。

「さてと、こんなところで突っ立ってるのも何だし、どこかに座らない?」

彼らの驚きと逡巡をよそに、ハイキングに来たかのような気軽な声でそう提案した少女に男三人は揃って冷たい目を向けた。




アルドは目を開けた。考え事をしている間にいつの間にか閉じてしまっていたらしい。

特に何かを見ようとするわけでなく視線を巡らす。

その視線が砦の外塀で止まる。

そこには穴が開いている。彼らの幼馴染はよくそこを通り抜けこっそりと彼らに会いに来た。高貴な身分のくせに全くそれに頓着しないどころか、普通の人でもやらないようなことまでする。毎回毎回、無茶をするなと叱っていた覚えがあるが全く聞こうとしなかった。まぁ、そこに穴があることを知ってなお埋めようとしない彼らも彼らだが。

しかしその無茶もここに極まったな、と思わず苦笑する。

数日前、彼ら ーというか彼女だがー は組織に協力してくれるよう頼みに来たと言った。しかし交渉は始まりさえしなかった。当たり前だ、国家に仕える騎士団が反乱組織に加担できるわけがない。彼らがどう名乗ろうと反乱組織は反乱組織だ。

彼女には会わなかったことにする、これが最大限の譲歩だった。わかったわと言って二人は帰っていったが、あの目は諦めていない。きっとまた来るだろう。その時は何とかして組織から抜けてもらわなければならない。彼女のために。

国のためというほど国や公王に何か思い入れがあるわけではない。恐らくサイラスもそうだ。自分達には自分達の大切なものがある。

アルドが忠誠を誓うのはそのサイラスだけだ。かつては共に遊んだ友人だったが、副団長になってからは敬語で通している。幼馴染なのだから敬語はやめてくれと何度も言われたし、お前は地位などに惑わされるのかと叱り付けられたこともある。が、彼が騎士団長で自分がその部下だからそうしているのではない。

彼が彼の団長を大切に思うからこその言葉遣いなのだ。しかし未だにわかってくれない。

セシリアも同じだ。公女だという特別な目で見たことはない。何と言っても三人泥だらけになって遊んだ仲である。今更無理だ。

その彼女の力になってやりたいのは山々だが、いかんせん問題が問題だ。今まで気にもしていなかった立場や身分が邪魔をする。

「失礼します。アルド様、お休みでしょうか?」

扉がノックされ自分を呼ぶ声が聞こえる。

極秘で部屋に来るようにとの王の命令だった。

サイラスに言ってからいこうかと思ったが、眠っているのをわざわざ起こすのは気が引ける。

帰って報告だけすればいいかとひとつ頷き、彼は部屋を後にした。












サイラスが目を覚ましたのはもう陽が沈もうかという頃だった。

寝ている間に王はきっと宴会をしたいと言い出し、そしてアルドが手際よく用意をしていてくれているだろう。毎年のことなのでサイラスが寝ていても滞りなく進んでいるはずだ。

しかしそれにしては静かだ。事前に用意できないような物を際限なく言い連ねる王とお付きのバカどものために皆が砦中駆け回る羽目になるのが常だと言うのに。

それとももう用意は終わったのだろうか。

部屋の外に立つ騎士にアルドを呼んでもらう。命じられた騎士はしばらくして戻ってくるとアルドの不在を告げた。どこに行ったかはわからないと言う。

珍しいことだった。彼はどこへ行くか必ず言い置いていくのが常で、彼の部屋の前に立つ騎士に最初に言ったところを聞けばあとは芋づる式に辿っていけば探し出せるものだった。しかし今回は最初に告げていった所にすら顔を出していないと言う。

先程の騎士に引き続き探すように指示し部屋を出る。アルドの行方は気になるが、とりあえず宴会の方がどうなっているか確認せねばならない。

厨房に行く。騎士たちの夕飯を作り始めていた料理長は宴会用の食事など頼まれていないと言った。毎年用意することはわかっていたので不審には思ったようだが指示がないのだから今年はやらないのだろうと思ったらしい。

王の部屋の様子を見に行けば何かわかるかもしれないが、下手に聞くとじゃあ宴会をという羽目になりかねない。うまいこと覗くには…

考えながら歩いていたその足がふと止まる。少し先の廊下の隅に何かが落ちていた。これが目に留まったようだ。

それは皮のベルトだった。剣帯の役目をしているものだ。

「これは…」

それは見覚えのあるものだった。彼と彼の幼馴染が叙勲された時、揃いであつらえた物だった。

思わず奥歯を噛み締める。こんなもの普通にしていて落とすはずがない。少なくとも剣を離さなくては。

しかし彼らは騎士だ。そんなことはありえない。争った形跡はないから無理やりではなさそうだし、そもそも彼に勝てる人間など自分しかいない。

つまりこの砦の中で命令を受けて自分ではずしたことになる。そんなことができるのは…

サイラスは王の部屋へ走り出した。



そのころ、外壁の穴を潜り抜ける人影があった。言うまでもなくセシルである。彼女と砦の二人以外この穴の存在を知るものはいない。きちんと草木で隠されているその穴は、それと知った上で見てもわからない。

その草木を掻き分けて侵入する。この時間、この辺りに巡回が来ないことは調査済み、というよりあの頃から変わっていない。よしんば見られたとしても今のセシルは従者の格好をしているのでそう疑われることもないはずだ。騎士団にはまだ声変わり前の少年従者もたくさんいる。子供のころから下積みを重ね、将来は厨房方を始めとした砦の裏方になるもの、騎士見習いになるものなど色々だが、重要な騎士団の担い手となる。

よって万が一誰何されたとしても答える声ではばれないはずだった。

開き直って堂々と進む。

もう一度、今度は三人で話をしなければならなかった。いきなりキルゼを会わせたのは失敗だったと思う。彼らの騎士の心や責任感を軽く見ていたわけではないが、そうだと言われても否定できない。

しかしセシルは嬉しかった。幼馴染達が変わっていないことが、だ。あの時話を聞いてくれ、仲間になってくれればそれはそれで嬉しかっただろう。しかし断られた今となっては、その程度で自らの責任を放り出すような人に仲間になってもらっても嬉しくないと思う。彼らにそんな人間に成り下がってもらいたくはなかった。我ながら現金だとは思うが。

勝手口から砦の中へ入る。出入りの商人たちが品物を置きに来るそこは倉庫のようになっている。しばらく使われなさそうな兵糧の影に身を隠し、もう少し暗くなるまで待つことにする。侵入は少し暗くなって見にくいが、まだ見張りの少なめな夕方に、会いに行くのは身を隠せる夜に、が彼女の基本である。毎回そうやって会いに行っていたのだ。勝手知ったるなんとやら、である。

座り込む。もちろん周囲への警戒は怠らない。

そうやって辺りが暗くなるまで待ち、外に出る。巡回の兵が通り過ぎるのを待って、セシルは友の下へ走り出した。









10




「くそっ」

何度言ったか分からない悪態をついてサイラスは頭を抱えた。

アルドがいなくなってすでに数時間が経っていた。彼がこれほど留守にすることは通常はない。どこかで急病で倒れているか、どこかに閉じ込められているか、誘拐されてしまったか…そんなことのできる人間はいないだろうが。

いやこれは誘拐だ、サイラスは心の中で訂正した。

権力という名の力でアルドをねじ伏せて攫っていったのだ。

いつの間にか唇を噛み締めていることに気付く。

力をゆっくりと抜き、嘆息する。

がたん。

どこかで音がした。剣に手を掛け音の出所を探す。

窓から手が見えた。その手がひらひらと揺れる。

じっと見ているとその手はがっかりしたように窓の縁に捕まった。

「セシル、いいから出て来い」

こめかみを押さえて呻く。その声が聞こえたのかどうか分からないがすぐに手の持ち主が姿を現す。

「はぁい」

「はぁい、じゃない。何でこんなところにいるんだお前は」

「そんな怒らないでよ」

口ではそう言っているがサイラスが怒っていないことはわかっている。愛称で呼んでいる間は大丈夫だ。

入室の許可を取り窓枠から降りる。何やら感心したような顔で部屋を見渡すのを見て苦笑する。

「なにをそんなに感心してるんだ?お前の部屋なんてこんなもんじゃないだろ」

「何ていうか、出世したんだなって思って」

嬉しそうに笑うその顔がふと曇った。

「そういえばアルドは?」

思わず顔が強張る。表情を取り繕う間もなく看破される。

「何があったの?」

天井を仰ぎ見る。助けが欲しいのは確かだ。そして砦内の人に頼めないのもまた事実だ。しかし…

しばし黙考する。その間もう一人の幼馴染は何も聞かずじっと待っていてくれた。

昔からそうだった。サイラスが静かにして欲しい時に彼女は決して話しかけたりしなかった。そうしてくれと頼んだわけではない。それでも彼女がその判断を間違えた試しはない。そばに座って彼が考え終わるまでじっと待つ。その空気が彼はとても好きだった。

大きく息を吸う。この変わらない友に縋るのを恥と思うことそれ自体が恥なのだと思った。意を決し話し出す。

「アルドが攫われた」

「誰、いいえどんな人たちに?」

驚いた顔をしはするが余計なことは聞かない、そんな彼女らしい返答に安堵する。

「いや、相手は一人だ」

「あのアルドが?そんなに強い人、あなた以外にいるの」

「王だ」

会話が止まる。しかしそれも束の間、少女は続ける。

「なぜ?自国の騎士を誘拐してなんの意味があるの?」

「王は騎士を呼んだんじゃない、あいつを呼んだんだ」

再び沈黙が訪れる。

「あいつがいつまでたっても帰ってこないから王のところへ行った。王は、いや実際はお付きの何とかって野郎が言ったんだが、行方は知らないが帰ってこなければ新しい副官を任命してやるから好きに選んでおけとよ」

怒りがこみ上げてくる。王がアルドを返すつもりがないことは明白だった。

「そこに彼がいるという確証は?」

「部屋の中にあいつの剣が見えた」

そう、騎士は剣を手放したりしない。団長か王の命令がない限りは。

最後に彼を見たとき、彼は剣を持っていた。

そう、とうなづいて少女が考え込む。

「父上はとうとう男にまで手を出すと仰っているのね」

「まぁ仰ってはいないが…恐らくは…」

「名誉ある騎士団の副団長よ、正気の沙汰じゃないわ」

「…言いたくはないが俺も同感だ」

二人してソファーに座り込む。

男色そのものはそう珍しいことではない。それこそ騎士団などでは従者と稚児とを兼ねているものが多くいると聞く。

しかしよりによって娘の幼馴染の、それも騎士団の副官を、上司である団長に断りもせず侍らそうとするなど聞いたことがない。

「きっと、来ないと俺や騎士団に何かすると脅されたんだろうな」

自分のために彼は黙って行ったのだ。

なんとしても助けなければならなかった。彼のため、そして自分のために。

サイラスは立ち上がり頭を下げた。

「あいつを助けたい。手伝ってくれないか」

頭を下げる相手が反乱組織の一員であることも、手を組んだことが知れたらここを追われるということも解っていたがどうでもよかった。

顔を上げ、少女と目を合わせ、にやりと笑う。

返事など要らない。

二人は踵を返し、颯爽と部屋を出て行った。









11




部屋を出た二人はまずアルドがどこにいるのかを調べ始めたが、これはあっさりと判明した。王の従者に命令され、離れの部屋を用意したとの証言が出たのだ。その騎士見習いは王の部屋に届け物をしたついでに命ぜられたらしく、その際王の部屋にアルドはいなかったと言った。そして今、王は部屋にいると。さらに調べたところ、従者達の中に所在のわからないものが四人いた。恐らくは離れの見張りをしているに違いない。

「一つ問題がある」

騎士団長が廊下を闊歩しながら口を開く。少年従者はそれに付き従うように斜め後方につき、俯くようにして歩いている。

「何が問題?」

顔を見られないように隠しながらセシルが問いかける。さすがにこんなに煌々と光の照っているところで顔を見られたらひとたまりもない。

「あの離れに行くには一つ門をくぐらなければならないんだがそこには当然警備がいる」

「団長権限で通ればいいじゃない」

「そうは行かないんだ」

苦い顔をする。口の中に虫がいたら粉々になっているだろう、くらい噛み締める。

「四人いないって言うんなら、その門と離れの塔の入り口に二人ずつだろう。奴らが門を守ってるのなら、俺だからこそ通れないだろうな。あ、倒していくってのは無しだ。うちの門は特製で、見張りが立つ位置が決まっている。そこから少しでもずれると仕掛けが作動して警報が鳴り響くって寸法だ。

そう…確実に王の腰巾着に届くくらいでっかくな。門から離れまではだいぶあるから、そこで気付かれるわけにはいかないんだが…」

早口で説明する。もう夜も遅い。王がいつアルドの所へ行こうとするかわからないのだ。あまり時間はなかった。

とはいえ門を通る方法を考えなくてはいけないので、門の見えるところまで行き、角度的にこちらからは見えるが向こうからは見えないようなところを選んで座り込む。確かこの区画は巡回はまだ先のはずだ。

「さて、どうするか…」

「あいつらの足元の石みたいなのから足が外れたらいけないってこと?」

門を窺いながらセシルが囁く。その視線は兵士が踏んでいる小さな石に向けられていた。

「そういうことだ。要はあの石が押された状態になっていればいい」

どうやら門の左右にある石がからくりに繋がっていて、見張りが踏んでいることで止まっているということらしい。曲者や敵が来たならば足を離すだけでいいし、最悪殺されて突破されてもやはり踏んでいられないので警報が鳴る。倒れた体で押してしまっても左右同時にそうなることはまずない。そもそも倒れるその前に一度足が離れてしまう。

肝心の警報はというと門の上の銅鑼である。門の高さは優に二階以上ある。これはこれで何とかできるものではない。

顔を見合わせ、門を見上げる。

夜は確実に更けつつあった。



「こんな所で何をしているんだ」

その声は突然だった。考え込んでいた二人は咄嗟に剣を取り振り返る。こんなところまで接近を許すなど許されるものではない。

「誰だ」

誰何の声には答えずその人物は一歩前に出る。暗がりで見えなかった顔がその一歩で炎に照らされるようになる。

「まったく、無茶にもほどがある…」

そう溜息交じりにつぶやいたのは、あの小路で出会った銀髪の青年であった。

セシルが息を呑む。

青年はこのような砦では見かけない黒いゆったりとした服を着ていた。階級章をつけていないところを見ると騎士団の関係者ではないようだ。

「あなた…あの時の…」

「…」

「なんだお前ら知り合いなのか」

セシルの言葉にサイラスが驚いたように言い、二人を交互に見る。青年は軽く首を振ってみせた。

「いや…」

「知り合いってわけじゃぁ…」

続けたセシルに、なんだそりゃ、と呆れたように言ってから、自分が立ち上がっていることに気付き、慌てて座り込む。

ついでに青年の腕も摑んで座らせる。セシルもそれに倣った。

「こいつはアリステア、近くの村の医者だ」

「お医者さん…ですか」

騎士団にも専属の軍医がいるはずだがどうしたのだろうか。

「あぁ、じいさんは今近所でお産中でな」

「じいさんがお産?」

「…本気で言ってないと信じてるぜ。で、こいつがセシルっていって俺の幼馴染だ」

ああ、と気のない返事をしてまだサイラスに摑まれたままの自分の腕を見る。

「あのなアリステア」

しばしの沈黙の後、青年―アリステア―の腕を離し、

「見なかったことにしてくれないか」

「別に何も言いやしないが現地で、というよりこんな見つかるかもしれない所でのんびり作戦会議をしてて、見逃してくれるのは俺くらいなものじゃないのか?…特に言い訳が効かない人」

突然顔を向けられ、セシルがびくっと体を動かす。

「えっと…」

「あなたは自分の立場をもう少し理解すべきだ。不法侵入者だ、ということ以外にも」

その言葉にさらに驚く。

サイラスもアリステアを凝視している。

「お前…何を」

知っているのか、と続けようとするのを遮られる。

「先程から副団長が見当たらず、団長が探しているという話を聞いた。その団長はこんな所でこそこそ門を見つめている。つまり副団長がいないのには悪い意味での事情があって、あの門の内側に副団長もしくは彼に繋がる何かがあるということになる。それも団長に敵対する何かが…ということでしょう?」

表情も変えずに言い切って立ち上がる。

「さて、俺は失礼する。あなたたちも帰った方がいい。二人じゃ無理だ」

そう言って歩き出す。

「待って」

背後から声がかかる。アリステアは振り向いた。

そんな彼をセシルがじっと見つめていた。そのまま

口を開く。

「今、二人じゃ…って言ったわよね」

「…言ったな」

しばしの沈黙の後、根負けしたといわんばかりに溜息をついてしぶしぶ話し始める。言うんじゃなかったという感じがありありと窺える。

「三人いればおそらくは。もっといれば確実だ」

「それ、教えて!」

すかさず手を握ろうとするセシルをひと睨みで撃退する。残念そうに手を引き、こちらの様子を窺うように見つめる彼女から今度は目をそらすようにして、

「俺はこんなことしたくない」

もう、と聞こえるかどうかの声で付け加える。

「もう?何故だ?」

サイラスが問う。聞こえていないと思っていた呟きが聞こえていたことに舌打ちしつつ、アリステアはそちらに向き直った。

「俺はもう巻き込まれるのは嫌なんだ」

吐き捨てるように言う。苦しそうだ、とセシルは思った。

「だからといって自分は安全なところで高みの見物?そこに困ってる人がいるのに、自分はそれを解決してあげられるのに見て見ぬふりができるの?」

声は抑えたまま早口で言う。

「私はできなかった。自分だけみんなに守られて安穏と過ごすことなんてできなかった。自分が何もしなかったことで困る人や不幸になる人がいるかもしれないのよ」

「そうやって何かすることでさらに不幸を招くかもしれない」

「なるべくそれを回避しようと努力することができる。何もしないでいたら確実に回避できないけど、努力すればできるかもしれない。その分少しはましだわ」

「そんなことができたとしても本当に僅か…」

言いかけた言葉を視線で止められる。セシルの目は今にも彼を射抜きそうな光を放っていた。

「僅か?それの何が悪いの?」

おもわず黙り込む。セシルは彼に構わず、話し続けた。

「一人死なずにすめばその家族や友人は皆喜ぶわ。一つパンがあれば何人かの子供が嬉しくなれる」

今日死なずにいられても明日死ぬかもしれない。一つパンが食べれても焼け石に水かもしれない。それでも何かしないではいられなかった。

「少なくとも今あなたの力があれば私とサイラスは心強いわ。アルドだって…」

何を恐れているのかはわからないけど、と付け加えたところで黙り込む。しばしの沈黙の後、サイラスが口を開いた。

「俺はアルドを助けたいし、そのための助けが欲しい。しかし何らかの咎があるとわかっている事に巻き込むわけにいかないのもまた事実だ」

「…」

「だから手伝ってくれとは言わない。策があればあとはこちらでやる」

「ま、三人いなくっても何とかなるでしょ」

アリステアが目を伏せ、何事か考え始める。その間、二人は無言で座っていた。考え事の邪魔をしないのは彼らの基本である。

暫くの後、アリステアが顔を上げた、

「わかった」

期待の目で見つめる二人を見つめ返しさらに言葉を重ねる。

「俺も行ってやろう。二人では危ない」

台詞は飛びついてきたセシルによって遮られた。自分を抱きしめ礼を言うセシルに、眉をしかめる。

「おいセシル、離してやれ、困ってる」

言われてようやく気付いたのか、慌ててアリステアから体を離す。

「アリステア、礼を言う」

立ち上がり頭を下げたサイラスを制して座らせ、セシルにも座るよう手を振る。二人がおとなしく座ったのを確認して自分も座る。

「まず、現状把握からだが、あの…」

門を指差す。

「仕掛けが問題だ。壊して動かなくするか兵士の代わりの重石を置くしかない。他のルートは却下だ。門以外は山を越えるしかないが、越えているうちに夜が明けてしまう」

「でも、壊すって言っても、オンの状態になり続けるように壊さなきゃいけないし、壊す瞬間にも石を抑えてなきゃダメなんでしょ?」

「そうだ。さらに言うと、兵士を力ずくでどかして別の重石を乗っけるにしても一瞬の空白ができてしまう」

門の方を窺いながら淡々と続ける。門の見張りがこちらに気付いた様子は全くない。

やはり同じように門の方を見ながらサイラスが問う。

「じゃあどうするんだ?兵士を騙すにしろ仕掛けを壊すにしろオフ状態ができるんじゃ意味がないんだろ?」

門側に気付かれることはないと踏んだのか、どっかりと座りなおし話を聞く体勢になる。セシルもそれに倣って座り込む。ただしこちらは周囲への警戒を忘れない。自然と役割分担ができるところはさすが長年の付き合いである。到底公女の役割ではないが、昔からこの役回りだったのだろう、互いに確認することもない。

「最初に言ったとおり、騙すんだ」

警戒はセシルに任せることにしたのだろう、もはや門を見ることもなくアリステアが説明を続ける。

「兵を騙すのが一番早い。当然の結論だ」

「しかしやつらは俺を知っている。恐らくはあなたもだ」

セシルを指差す。確かに王直属の兵であれば顔を見知っている可能性は高いが…

「私の顔をなぜ知ってると思うの?」

「俺はあなたを城で見ている」

「…そう」

やはり素性はばれているということか。それにしてはぞんざいな口のききかただが。

「とにかく俺もセシルも使えないってことだな。でも…」

「俺は知られていない」

サイラスの台詞に続ける。

「しかしお前一人で何をする気だ?」

「服を脱げ」

答える代わりにそう言い放って自分も上着を脱ぎだしたアリステアの顔を見て納得したのかサイラスも外套を脱ぐ。彼らはそれを交換して羽織った。

「あ…そうね、確かにそれがいいわ」

二人を眺めてセシルがうなづく。

「まぁ、うまいこと合わせてくれ、あなたはここで待機だ…やることはわかってるな」

セシルに確認する。説明するまでもないと思っているようだ。そんな態度は腹立たしいが実際わかってしまったし、それだけ自分の理解力を信用してくれているのだと思えばまぁ許せる。

「さてと…行くか」

服装を整えサイラスがアリステアに声を掛けた。上着の襟をうまいこと立てて顔が見えにくくしてある。

それにうなづいてアリステアが門へと歩き出す。茂みを抜け篝火の下を堂々と進んでいくその後ろにサイラスが影のように従う。

しかしすぐに見張りに見咎められた。

当然だ。隠れようとしていないのだから。

「誰だ」

門までまだ少しの距離まで来たところで声を掛けられる。逆光なのか、彼らは目を細めこちらを窺うようにしている。アリステアはさらに数歩進んで声を上げた。

「俺はランディス騎士団長だ。そこを通せ」

見張りは二人で顔を見合わせた。どちらの顔にも不審の色が窺える。当然だが、彼らは本物の団長の顔を知っている。

「知らないのか?貴様らの指揮系統はどうなっているんだ。前騎士団長サイラスは王に反逆して処刑された。俺は先ほど王に騎士団長に任命されたハイデンだ。この通り、団長の証のエンブレムもある」

叱責され、動揺している見張りに近づき外套のエンブレムを見せる。当たり前だが本物だ。兵士にさらに動揺が走る。

「そちらの方は?」

「医者だ。王が怪我をされた。ここで手当てをするため王も後からいらっしゃる」

「サイラス様…いやサイラスの仕業なのですか…」

「そうだ。まだ反逆者の仲間が潜んでいるやも知れぬのでこの離れで治療することになった。ここなら警備も万全だ。そうだろう?」

「もちろんです」

「先ほど見たところ王を運ぶ人手が足りぬのだ、ここは俺が見ていてやるからそちらへ回れ、この道を行けば合流できるはずだ」

振り返り、後方の道を指差す。見張りは困ったように再び顔を見合わせる

「しかしここは二人いないと…さすがに団長に重石代わりをさせるわけにはいきますまい」

「片方はこのものにさせよう。もう一方はそこらの石でもあてがっておけばよい。見張りは俺もやろう」

確かに、と二人は納得した。王の搬送が最重要事項であることは間違いない。この医者などひ弱そうで満足な人手とは言えない。それなら自分達が行ったほうがいい。

「承知しました」

医者が重そうに適当な大きさの石を持ってきた。

見張りが少し足をずらしたところに石を置き、足を離したところでずらしてしっかりと乗せる。

その後に医者ともう一方の見張りが交代する。石のときと同様に足をずらしたところに自分の足を乗せる。

「さあ行け」

見張りは駆け出した、が、それもつかの間、藪の中から飛び出してきた何かによって一瞬で倒される。昏倒した男二人に猿轡を咬ませ、縛って藪に放り込み、セシルが溜息をつく。

「何だその溜息は」

こちらへと歩いてくるセシルに医者のふりをやめたサイラスが聞く。先ほどまで重そうに石を運んでいたひ弱な医者には間違っても見えない。

「なんていうか…複雑よね…。昔はもう少しましなのが揃ってたはずなんだけど…」

情けない、と再び溜息をつく。

「まぁ、うまく行ったんだからいいじゃないか」

「まぁね」

「ぐずぐずしてる暇はない。行くぞ」

いつの間にか石を運んできていたアリステアに急かされる。二人はくすっと笑うと重石役を交代させるべく働き始めた。









12





アルドは黙って座っていた。目の前には夜具が一式揃えて置いてある。先程王の配下の者が持ってきたものだ。

呼ばれて王の晩餐の給仕をし、そのまま連れ帰られた部屋に入るなりそれを渡され、着替えるように言われた。それ以上何も言われなくとも自分に何が求められているのかが解る、ある意味効率のいい説明だった。

そもそも自分を呼びに来た時の目つきで何となく察しが付いていた。それでもここにきたのはサイラスに何か咎めが来ることを恐れてである。

夕食に時間がかかったのでもう夜も遅い。

黙って出てきてしまってサイラスは怒っていないだろうか。いや彼のことだから怒るより先に心配しているに違いない。好戦的な性格や言葉遣いなどで誤解されがちだが、彼はとても優しい。長年の付き合いのアルドにはわかっていた。今頃一人で暴れだしたい衝動を堪えているに違いない。助けになど来ようものなら大事になることくらい解っているだろうから。

まぁ、しょうがないか。

と夜具に手を掛けた時、

窓の割れる音が大きく響き渡り、何かが飛び込んできた。破片が大きく飛び散る。とっさに腕で顔を覆うが破片はアルドのところまでは届かない。

「やりすぎじゃない?」

「こんなもんだろ」

窓の外から声が聞こえ、程なくして声の主が現われた。言うまでもなくサイラスとセシルである。アリステアは塔近くの藪の中に待たせてある。

「サイラス…セシル…」

呆然と名を呼ぶ。そんなはずはない、サイラスは自分の部屋でなけなしの自制心を発揮していなければならないし、破天荒な公女様にいたってはここにいていい人間ではない。

「どうやってここまで…」

「まぁ、色々あってな」

「そうそう、また今度話してあげる」

「って、おい、逃げるぞアルド」

「逃げるといっても…」

どうやらかぎ縄を使って登ってきたらしいがなにぶん盛大に音を出している。降りている間に確実に見つかるだろう。

困ったアルドが窓辺に視線をやったその時、またもや人が飛び込んで来た。

「キルゼ!」

セシルが驚く。

立ち上がり、縄を引き上げるとキルゼは三人のほうを振り返り口の端を上げた。

「あなたここで何をしてるの?」

セシルが問う。それは残り二人の疑問でもあった。

「お前の後を付けてきた」

「警備はどうなってるんだ。今度きっちり叩き直してやらないといけないな」

サイラスが呆れたように手を振り、何かに気付いたのか肩を竦めた。

「まぁつけられていて気付かない俺も俺か」

「ところでこんなところでのんびり話してる暇はないんじゃないか?」

キルゼの言葉に三人ははっとする。門の方では転がしておいた二人が見つかったのだろう、早くも騒ぎになっているようだが、まだ誰かが来る気配はない。とはいえ時間はあまりなかった。塔を守る二人も未だ健在だ。

「こっそり登ってきたんだろう?なぜ飛び込む!ガラスを割る!」

「はめ殺しなんて聞いてない」

知らず昔の口調に戻っているアルドの当然の問いにそう言い捨てるサイラス。セシルが後ろでうなづく。キルゼは吹き出しそうになり慌てて口を押さえた。

さっさと部屋を出ようとするサイラスにセシルとキルゼが続く。しかしアルドはその場に立ち止まったまま動かない。

「アルド、何をしている」

「私は残る」

逃げるぞ、と言いかけた口が開いたまま止まる。

しばしの間の後、サイラスが呻くように、

「今、なんつった」

「私は行かないと言ってるんだサイラス」

目をそらしながら、しかしはっきり聞こえる声だった。何故かと聞いても答えない。

とはいえ聞かずとも理由はわかっていた。

「キルゼ殿、わざわざ来ていただいたのに申し訳ない」

「いや、まぁ俺は勝手に来たんだしいいが…」

「アルド…」

「セシル、私にも譲れないものがあるんだよ」

セシルが唇を噛む。

「お前の譲れないものとは何だ」

低い押し殺したような声に皆が振り返る。声の主はこちらに背を向けて扉の前に佇んでいた。その姿にアルドが声を失う。

怒っている。他の誰にもわからなくてもアルドにはわかった。

「お前の大切なものは何かと聞いている。騎士団か、王か、それとも地位か?」

「お前だ」

間髪入れず答える。

「ならば」

サイラスが振り向く。その目は真っ直ぐアルドを見つめ、断固とした意志を示すかのごとく鋭い。

「ならば俺の誇りを守れ。お前が守るべきは俺の名誉ではない」

「…わかった」

うなづく。自分の答えも、それに対するサイラスの言葉も、最初から決まっていたのではないかと思う。

それくらいあっさりしていた。サイラスも、自分も。

「こんな仕打ちを甘んじて受けてなお誇り高く生きることができるなどと思ったのか」

「いや…すまなかった」

素直に頭を下げたのに満足したのか扉の方に向き直りながらサイラスが獰猛な笑みを浮かべる。その斜め後ろにアルドが黙って付き従う。

「キルゼ殿」

「何でしょう」

「我らに助力をお願いいたしたいのですが」

「それは、あなた方が我が組織に与したと取られるということ、承知の上でしょうか」

「もちろん承知」

そもそもそのために来たのでしょうと返すサイラスにキルゼは持っていた剣を差し出すことで応えた。

その傍らに少女が立ち剣を重ねる。

騎士達もそれに倣った。

「セシル」

なぁにと首をかしげるセシルにこんな状況には似つかわしくない楽しさがこみ上げる。そういえば昔三人で悪戯をする前はこんな気分だった。ふと見ると恐らく同じようなことを考えていたのだろう、セシルも、アルドですら楽しそうな目をしている。

扉の向こうが騒がしい。人が集まってきたようだった。

「さてと」

四人、剣を手に提げゆっくりと歩き出す。サイラスが扉を勢いよく開け放つ。左手の廊下の端から走ってきた王の従者が剣を抜き、切りつけてきたが、身内ではないので遠慮なく切り捨てる。

「ランディス騎士団長、サイラスは本日よりこの砦と兵をもって解放組織の助太刀をする!俺についてくるかこないかは各個の判断によるものとする!騎士達よ、自ら考え自ら選び取るがいい!」

叫び走り出す、アルドを先頭に三人が続く。

砦中を走りぬけ、出会った従者達を切り伏せ、同じように叫ぶことを繰り返す。

しばらくすると砦門が開き、王の従者達が逃げ出し、あっという間に消え去った。王がどこへ消えたのかは不明である。さらにぱらぱらとランディスの騎士たちが走り出てきたがほんの数分でそれもいなくなった。

それと時を同じくして残った騎士たちが中庭に集まり始め、瞬く間にいっぱいになった。サイラスの声を聞き、集まってきたのだ。もともと広く取ってある中庭なので入りきりはするが暑苦しくなるのは避けられない。そんな中彼らは、中庭に張り出しているテラスに現われた団長と副団長の姿を認めると一斉に歓声を上げた。松明に照らされた彼らの顔に不安の色はない。彼らは自分達の団長のすることを信じているのだ。最初は間違っているのではないかと思っても、結局はそちらの方が正しい選択となるであろうと確信している。いや、今までの経験からそうだと知っているのだ。

「困ったな、今回のはだいぶ感情的な選択だというのに…」

「ほんとは最初からこうするつもりだったくせに何を言っているんですか」

困ったようにつぶやくサイラスにアルドが苦笑しながら囁く。その口調は副官のそれに戻っていたがサイラスはあえて何も言わなかった。それが彼の誇りなら何も無理に元に戻してもらわなくてもいい。


この夜、ランディス騎士団は総員一千のそのほぼ全てのの戦力を残したまま解放組織にその名を連ねることとなった。









13





ひっそりと続くその小路は前よりその緑を濃くしていた。風も今は穏やかである。

セシルは何をするともなく歩いていた。

その足がふと止まる。

「アリステア」

呼びかけにアリステアは静かに振り返った。

風になびく銀髪に始めて出会ったときの事を思い出す。

あの後、四人は彼を連れに戻ったのだが、待つように言った藪にはすでに姿はなく、その後探した塔のどこにも見つからなかった。

どこに行ったのか見当もつかなかった。ただ一つ、最初に出会ったこの小路以外は。

「…」

互いに沈黙したまま時が流れる

「何か用か?」

「あ…あの…」

静寂を破ったのはアリステアだった。言いよどむセシルを感情の見えない顔で見る。

再び沈黙が続く。諦めたようにアリステアが立ち去ろうと背を向けた。

「ほんとは医者じゃないんでしょ?」

背後からの声に、数歩進んだところで歩を止める。

「城で私を見たって言ったでしょ?」

「ああ」

「確かに顔を見たことくらいあっても不思議じゃないわね…城勤めなら」

振り返るアリステアにセシルが妙に固い顔で畳み掛ける。

「サイラスに聞いたわ、近衛軍の軍師アリステアのこと。とても優秀だと、彼にかかればどんな劣勢でも必ず勝てると…」

「軍師は辞めた。二度とやる気はない」

立ち去るべく踵を返す。が、その腕を摑まれ止められる。

「お願い、力を貸して!」

しかしアリステアはその手を払いのける。その横顔は何かを拒むようだった。

「さっきも言っただろう、俺はもう争いには関わりたくは…」

「あなたの立てる作戦はいつも被害を最小にする」

行かせはしないとばかりに被せるその言葉にアリステアの目線が鋭くなる。

驚きだった。帝王学を学ぶ公女とはいえ、それだけでは兵法にそう通じられるものではない。

城の記録を見ただけではそれがどんな戦いや作戦だったかはわかっても、どのような意図で行われたのかはわからない。

組織で勉強したのか、それとも天性のものか…

「あなたが関わった戦い、全て調べたわ。確かにすごい才能よ、みんなが褒め称えるのもわかるわ」

「そんな賞賛など…」

「そう、そんなものいらないわよね。勝利なんておまけに過ぎないもの」

言い返そうとした言葉が喉に詰まる。

「…おまけ…だと?」

セシルが真っ直ぐ向けてくる視線に耐え切れず目を背けかけ、ぎりぎり踏みとどまる。

「そう、戦の仕方なんてよくわからないけど、記録を読めばそのくらいすぐわかるわ。あなたは勝とうとしたんじゃない、戦いを終わらせようとしただけ。それもできる限り双方の被害を少なく、早く。結果的に勝っただけなのに褒められても嬉しくないのは当然よ」

セシルの顔を見つめる。あらためて見たその瞳から強い力が見えたように感じた。

「お前は…」

口から勝手に言葉が滑り出す。

「お前は俺に何を望む」

意識が分裂しているような感覚に襲われる。これから自分が言おうとしていることを止めようとする自分とそれを言おうとしている自分。

「この国の病は重くなりすぎてしまったわ。治すには、戦いは避けられない。犠牲になる人だってたくさん生まれる、そんなことわかってるわ。なら、できる限り早く終わらせるのが、私達、戦いを始めた者の使命だと思うの」

セシルが息を吸い、一瞬目をつぶって開く。

「あなたにはその手助けをして欲しい。勝ち戦のためじゃなく、この国を解放するために」

言葉が途切れる。出会った時とは違う、柔らかな風が吹き抜けていくのを肌で感じながらセシルが続きを待つ。

新緑が目の前をひらひらと舞い落ちていくのを見るともなしに視線で追いながらアリステアは口を開いた。

「約束しろ。お前の今までとこれからは多くの犠牲の上に成り立っているということを忘れないと」

彼女がどう答えるかはわかっていた。

「誓うわ。そんなこと端からわかってることだもの」

「だからこそお前はやり遂げなくてはならない。どんなことをしても。その覚悟はあるのか?」

問う。少し間が空いてセシルがぽつりと呟いた。

苦しげなそれでいて誇らしげな表情で空を仰ぐ。

「私には公女として生きる道があったわ」

「…そうだな」

アリステアは失ってしまった何かを思い出すようにして言うセシルを無言で見つめた。

歩み寄る。

近くに立つと身長差でセシルが軽く見上げる形になる。そうして見上げたセシルの顔を上から覗き込むようにして囁く。

「ならば俺はお前のその罪、共に背負ってやろう」

驚きの色を浮かべる瞳をじっと見つめる。動揺したのだろうか、その瞳が揺れた。

「…いいの?」

「いいも何もお前が手を貸せと言ったんだろう」

「でも…」

こちらを見上げたまま、信じられないといった面持ちで立ち尽くす姿に、思わず表情が緩む。

「あれ?」

「なんだ?」

突然不思議そうな顔になったセシルに眉をひそめる。そんなアリステアを尻目にセシルは素早くアリステアから距離をとり眺め始めた。

「ねぇ、あなた何歳?」

「そもそもいくつだと思っていたんだ?」

「私より十歳は上かと…でも…私と同じくらい?」

「…」

「その仏頂面やめたら?その方が若く見えるわよ?」

「…ノーコメントだ」

けらけらと笑い出した少女は村の方へ走り出し、少し離れたところでくるりと振り返る。

「さ、行きましょ、アリステア」

嘆息し、彼女の方へ歩き出しながら、アリステアは歴史が確実に動き出していくのを感じていた。




騎士団が加わり大きくなった組織は、この後広く世に知られることになる。

フォルトゥーナと名付けられたその組織は後に言う解放闘争の一角を担い、歴史の舞台を駆け抜けることとなる。


中央暦597年、蒼の月のことであった。


                     〜第一章 完〜

第2章は「紅緋の闘争」です。

騎士団が入り、本格的な組織の活動が始まります。しかし、その拠点となる塔には…

よりファンタジーテイストになりました。


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