蒼碧の旋風‐前編‐
青碧の旋風‐前編‐
1
城下町フェラド。
夕刻の陽の中、その街中を駆け抜ける少女が一人。
少女は細身の身体をしなやかに弾ませ、露天の間を器用にすり抜けていく。
そんな少女に露天商の一人が声をかける。
「セシル、そんなに走ったら危ないじゃないか、どうしたんだい?」
その声に向けられた瞳は橙色に煌めき、細身の顔を縁取る長めの髪は金色に輝いている。
「ごめんなさい!ちょっと急いでるの!」
美しい少女は挨拶もそこそこに駆け去っていく。
それを笑って見送り、露天商たちは店じまいにとりかかった。
一日の立ち仕事で疲れているだろうにそんな様子は微塵も感じさせず、笑いあいながら片付けていく。
そんな中、話は先ほどの少女のことに及んだ。
最近よく見かけるようになった少女は、明るく活発で、誰にでも優しかったので露天街の皆の人気者であった。当然、彼ら露天商たちとも顔なじみである。
ひとしきり話に花が咲いた後、誰かが思い出したようにつぶやいた。
「そういやぁ、あの子、どこに住んでるんだろうね?」
その問いに答えられる者はなかった。
2
「税を下げるわけにはいかぬ」
その声に宰相は顔を上げた。思わず声の主を真正面から見てしまいあわてて目を伏せる。
「しかし…」
「やつらはまだ金を隠し持っておる。我らが奴らを守ってやっているというのに、奴らは私腹を肥やすことしか考えておらぬ」
伏せられた宰相の視線に対し、言い放つ男の目は鋭い。
グランディウス公国の首都フェラドの北側に、街と同じ名を持つ城がある。
彼らはその中央部―謁見室―にいた。その広い部屋の奥は何段分も高くなっており、その真ん中に据付けられている豪奢な椅子に座れば部屋全体が一望できる。
そこにはグランディウス公国の公王のみが座ることを許される。
男はその椅子にゆったりと腰を下ろし、続けた。
「やつらに下手に力を持たせておくとつけあがるであろう?最近は解放組織などと称すものどもも出てきているそうではないか」
言って見下ろす。その先には宰相しかいない。
「金など残しておいたら何に使うやらわからん。取り上げておけば良いのだ」
確かに下のものに過分な力は必要ない。それは彼らの驕りもしくは自信となり、上への不満を増生させ、結果、反抗分子の頼みとなるか、自らが反乱分子となる。宰相は今までにそのようにして反旗を翻し散っていったものも、逆に下の力を侮りすぎて返り討ちにあったものも数多く見てきた。だからこそその論理が間違っていないことはわかっている。
現在、国内は安定しているとは言いがたい。
王の言うように反乱組織も暗躍している。
彼らに力をつけさせるようなことはしてはならない。それは徒に政治を混乱させるだけだ。
宰相は王を見上げた。王の目は依然鋭い。
その目に負けぬよう自分を叱咤し、宰相は口を開いた。
「国民は皆重税に苦しんでおります。王の言うような蓄えなどあるはずもございません」
論理はわかっているが、それは相手に本当に力や財力があるときの話だ。
今までの重税と労役で国民は疲弊し、不満と怒りだけが鬱積している。ここでさらに税を課そうものなら窮鼠となり猫を咬むべく立ち上がるであろう。
その光景は宰相には容易に想像できた。
「これ以上の課税は民を虐げるのみならず、逆に反乱へのきっかけを与えてしまいかね
ません」
「そのときは武力で鎮圧すればよかろう。所詮戦うことを知らぬものたちの集まりよ。せっかく食わせてやっているのだ、軍にも働いてもらわねばな。
これは公王たる我の命令である。税を上げよ。中央軍の予算が足らぬそうだからな」
「…承知いたしました」
一呼吸おいて告げられた言葉と暗く光る瞳の色に奥歯をかみ締め、一礼する。
彼は彼の王をよく理解していた。彼がそのような目をしたときは、何も覆ることなどないと解っていた。
これ以上食い下がっても無駄どころか逆効果になりかねない。機会をうかがって再度話をしたほうがよさそうだった。
己の無力さを噛み締め部屋を出た。
グランディウスの宰相である彼は他国から「魔術師」の異名で恐れられている。
彼には情熱があった。その情熱に見合うだけの才能があった。他国との交渉の際、どんなに相手が優位な舞台を作ってきてもいつの間にか相手が要求を飲まざるを得ない状況になっている。その手腕はまるで手品のようだと誰しもが言った。異名はそれゆえである。
まだ壮年の域に達したばかりであるが前王の時代からの宰相である。
その忠節は皆の折り紙つきだ。
「さて、どうしたものか…」
部屋を出た宰相は一人つぶやいた。焦りに似た何かが湧き上がってくる。
かつて彼は彼の王に敬愛と忠誠をもって仕えた。
彼の王は、彼が膝を折るに値する人物だったからだ。
しかしその息子はどうだ。彼は思う。
当然だが主への批判など口には出さない。それは家臣としての誇りである。
けれど敬愛する彼の王の息子は新たな彼の王とはなりえなかった。
もしなりうる人物がいるとするならば…
そう考えながら廊下の角を曲がろうとした宰相は彼女に出会った。
「サリム様、こんにちは」
突然の声に顔を上げる。そこにはこの公国の公女である少女が立っていた。
女性も公位継承権を持っているこの国では、彼女は第二継承権を持つ。ちなみに第一継承権を兄アリウス、第三位継承権を弟トゥキアが持っている。
宰相―サリム―は溜息した。しかしそれは先程までの暗鬱たるものではない。
多少わざとらしいのを自覚しつつしかめ面を作る。
「セシリア様…いつも申し上げておりますが…」
「『公女ともあろうお方が、宰相ごときに様などとつけてお呼びになるのは…下に示しがつきませぬ』でしょ?わかっているわよ」
セシリアはそう言って彼のしかめ面をまね、笑った。サリムはつられて笑いそうになる。
「わかっていらっしゃるのであれば…」
「でもね、サリム、私思うのよ。」
苦笑気味のサリムの言葉にかぶせるようにセシリアは言った。もう笑ってはいない。
「身分が下だからってなぜ尊敬してはならないの?低い身分と言われる人達が頭を下げるのは、その地位にであって人柄にではないわ。
でも本当に敬われるべきは何かしら?それがわからない人は馬鹿だと思うの。
…お父様だって…」
「セシリア様」
静かに遮る宰相にセシリアは思わず言葉を失う。
「ごめんなさい」
「では、私は先を急ぎますのでこれで」
言葉の行く先を奪われ、戸惑うセシリアに軽く頭を下げその場を立ち去る。
残されたセシリアが考え込んでいるのは見えたが構ってはいられない。
急いで廊下の角を曲がり、数歩歩いたところで目を閉じ、深呼吸する。
眩暈がしそうだった。
なぜ彼女が最初に生まれて来なかったのだろう。
アリウスは武勇に優れ知略も好むが、戦いを好み過ぎる。
トゥキアは温室で育てられ、世の中を知らない。
対してセシリアのあの聡明さ、見識、正義感。
自分の王となるべき器はすぐ目の前にあるというのに…。
先ほどのつかの間のときでさえ膝を折りたくなる自分を抑えるのに必死だった。
彼女のあの言葉、遮らなければきっと自分は我知らず跪いていたに違いない。咄嗟のあの一言ですらそうすることに対する恐怖が無意識にさせたに過ぎないのだ。
そう。あの言葉はかつて彼に彼の王が言ったこと。
あの口調、あの表情。
何よりあの強い橙色の瞳。
全てが彼の王、そしてリーダーたる素質を示しているのに…。
残念でならなかった。
しかし彼はいずれ知ることとなる。
このグランディウス公国を巻き込む歴史の渦と彼女の前に立ちふさがる運命を。
3
「姉上」
どこからか声が聞こえてくる。
セシリアは声の主を探して辺りに目をやる。自分のいる廊下。そこから見える中庭。その向こうにある反対側の廊下。どこにも人影はない。
少し呆けていたらしい。考え事をするわけでもなく立ち尽くしていた自分に気づく。
サリムのせいだ。セシリアは嘆息した。
彼の異名や人柄は知っている。前王から仕えているにもかかわらずまだ壮年と呼ばれる歳にさしかかったばかりであるという事実が彼の並ならぬ手腕を表していることも。
その彼が、自分の発言を制止したしなめるのは当然のことと思う。
自分が同じ立場ならばそうしたであろうと思うとサリムを無駄に困らせてしまったような気がして申し訳なくなる。
でも…
彼の瞳の奥に一瞬見えた怯えと、そして期待の色を見てしまったから。
彼も現状に満足はしていないのだと見抜いてしまったから。
だからこそ立ち尽くしてしまったのだ。
この国への疑問を宰相ですら抱いているということがとてつもなく悲しかった。
「姉上!」
再び呼ぶ声にはっと気づく。今度こそ本当に考え込んでいた。
深呼吸し顔を上げる。
中庭を横切るように走っている渡り廊下の上のテラスから見慣れた人影が大きく手を振っている。
「トゥキア、そんなところで何をしているの?」
「ただの散歩ですよ。姉上こそそんなところでどうなさったんです?」
手を振り返したセシリアに、トゥキアと呼ばれた青年は人懐っこい微笑を浮かべた。
第3継承権を持つ彼はセシリアの弟だが、母は異なる。その証拠にセシリアは金髪橙眼だが、彼は黒髪黒目である。母が東国人だったらしい。
その母はトゥキアを産んですぐ亡くなった。
「またどこかに出かけていらしたのですか?」
テラスから飛び降りて(そんなことをする高さではないのだが)近づいてくる彼はどこか心配そうだった。
「え、えぇ…。でも今日はそんなに遠くへは…」
言いかけたがトゥキアの鋭い視線に口ごもってしまう。
「そうよ、トゥキアも一回一緒に行ってみない?ここでは見られないものがたくさん見られてよい勉強になるとおもうわ」
「私はいいです。姉上もあまり外になど行かないほうがいいと思いますよ。いい加減父上も気付いていると思いますから」
「トゥキア、黙っていてくれるって言わなかったかしら?」
城を出ようとしたところをトゥキアに見つかり、誰にも言わないよう約束させたのはもうだいぶ前である。
「もちろん約束どおり黙っていますよ。でも…」
一瞬ためらって続ける。
「でも姉上のそれを認めているわけではありませんよ。俺には市民に混じって何が楽しいのかわかりません」
「それはあなたが直接見ていないからよ。行けばわかるって言っているのに…実際彼らの生活はひどいものよ。」
「民など、軍が守ってやらねば生きていけぬ連中ではないですか?その見返りに軍と公家に見返りをよこすのでしょう?」
その言葉にセシリアは寂しげに眉を寄せる。
この弟が聡明なことは姉の自分が一番よく知っている。
だからこそ城の中での恣意的な教育による知識では知ることのできない、広い世界を見せてやりたかった。見ればこの弟はわかってくれるはずだ。そう信じている。
「あなたは知らないだけなのよ…」
つぶやいたその言葉は風に流れて消えた。
簡単な別れの挨拶をして背を向ける姉に手を伸ばしかけてやめる。
もしその理由を聞かれてしまったなら答えられないことが解っていたからだ。
あなたがどこかへ行ってしまいそうだったから、なんて言えるわけがない。
あなたが変わってしまったような気がして怖いのですなんてなおさらだ。
王である父に反発を持っている、ただそれだけならば年頃の少女には普通のことだ。しかし最近は城を脱走し、城下へ出かけることが多くなった。そこで見聞きしているであろうことは父への疑問をさらに助長させている。
それが何を意味しているのかはわからない。しかしそれが自分にとって良いことではない、それだけは確かだと確信できる。
家族に会うときですら取次ぎを経ねばならない父や兄や他の王族・貴族とは違い、セシリアとトゥキアは自由に会い、自由に話した。先ほどのように通りすがりに話すこともしょっちゅうだ。だからというわけではないがお互いのことはよくわかっているつもりだった。
いや、わかりたかった。
「トゥキア様、そろそろお客様のお見えになる頃合いかと」
侍従が呼びに来た。その声に我に返る。自分は相変わらず女々しい男だ。
「あなたは知らないだけなのよ…か…」
空を仰ぐ。
不安でたまらなかった。
グランディウス公国。
ラグルス大陸の中央にあるこの国はかつて遊牧民の国であった。数ある有力民族の一つであるグランディウス族がそれらを統一したのが今から二百年ほど前である。現在の王ルブラムで四代目となるこの国は他国に比して新しい。白亜の城は優美と堅牢を誇り、城下の中心街は様々な店が立ち並ぶ。
しかし元々遊牧するしかなかった土壌は、当然農耕に向いておらず国内の自給率は低い。
また、その食料のほとんどは公族や貴族のため中心街に集められていた。その結果、街を離れれば、いや街の中でも一歩横道に入ると、日々の糧に飢えた人々が肩を寄せ合って生きている光景に出くわすことになる。
その貧富の差はルブラム王の執拗な税の取立てによって一層顕著になっていた。
草原と遊牧の自由の国グランディウスは、時と共にその羽をもがれた哀れな国に成り下がっていっていたのである。
4
喧騒があたりを埋め尽くしていた。
街中の一軒家の地下は大人数が入るには手狭であった。とはいえ少し掘り広げてあるので七・八十人程度は入れる。演説するためであろうか、奥が一段高くなっており、その脇にはちょうど舞台の袖に通じるかのように扉がある。
特徴など何もないただの地下室だった。
その空間にひしめき合う人々は、車座になり、あるいは向かい合い、互いに議論を交わしている。話の内容を聞くに、国を憂えるものたちの集団らしい。
実際、ここは今の王政に不満を持つものや公国そのものへの改革を求める者たちの組織の集会所のひとつであった。国民の解放を合言葉に、日々賛同者を増やしている。
当然それに伴い弾圧も日々強まっている。ここもいつ摘発されるかわからない。それでも彼らは徐々に仲間を増やし、力をつけていた。
この部屋の熱気がそれを物語っている。
熱気の原因である人々は、議論の傍ら時折奥の扉をちらりと見る。
そこから現れる者による演説を待っているのだ。
しかし誰かがそこから現れる気配はない。
「キルゼ、どうしたの?行かないの?」
傍らの人物に問われ、キルゼは頭を掻いた。
目の前の扉は演説台につながっている。扉の向こうからは白熱する議論が聞こえてきていた。
「いや、そろそろ行こうかと思ってたんだが…」
うーんと唸り、隣の少女を見る。
「セシル、今日はお前が話してみないか?」
「ちょっと、リーダーが演説しないでどうするのよ。私が行ったって、結局最後はあなたが出て行かなくちゃいけないことには変わりないのよ?」
「まぁ、そうなんだろうけどな…」
再び頭をかく。
彼はこの解放組織のリーダーである。
この解放組織をここまで大きくしたのは彼のおかげであると皆に言わしめるリーダーは、強面の偉丈夫である。刈り上げられた黒い髪とその体格で相手に威圧感を与えるが、その黒い瞳は優しい。
「セシル、お前は今や皆が認めるリーダー格の一人だ。行って歓迎されないはずがない」
そう言い切る言葉には自信があった。
彼は知っていたからだ。
この組織に参加している期間こそ短いが、その短い間に彼女はずいぶん多くの賛同者を得た。その性格と頭の良さ、主張の明快さと正当さはキルゼが瞠目するほどである。
あっという間に組織の幹部クラスになったのも頷づける。
ただ、ひとつ気になるのはその素性だった。確かにさまざまな事情で過去を語りたがらない者は多い。このような組織ではなおのことだ。そういうものは詮索しないに限るというのは世間の暗黙の了解だと知っているし今まではそうしてきた。
が、彼女のような少女の素性が不明というのはあまり聞かない話だ。
今までとても苦労してきましたといった感じもない、暗い過去を全く感じさせない明るさは眩しいが訝しい。
「なぁセシル」
「何?」
セシルがこちらを見る。
「お前は…」
言いかけた瞬間、背筋に悪寒が走る。
咄嗟に目を戻した扉を叫び声が貫いた。
トゥキアは読んでいた本から目を離した。
何があったというわけでもないのに一瞬心臓が跳ね上がったような気がしたのだ。
(何だ?)
気のせいかとも思ったがどうしても気になる。
本の続きなど読む気がしなくなり、傍にある窓を開ける。
窓から見えるあたりは夜の闇が支配し、灯りといえば手元の燭台の炎が手元を照らしているのみである。この辺りは王族のための敷地なので夜会等ないかぎり滅多に人は来ないが、しかし街のほうでは仕事を終えた大勢の人々がくつろぐ華やかな時間である。
同じ場内でも少し歩けばば警備のため塀の周りや門などに煌々と灯りが灯されているのであろうが、ここからは見えない。
(姉上…)
なぜか姉の事が思い出された。
(くそっ、またか…)
数日前に姉と会ったときに感じた不安感。それが再度襲ってくる。
それも耐え切れぬほどに大きくなって。
「明日の姉上の予定を調べてくれ」
鳴らした呼び鈴に応えて現われた執事にそう告げ、窓を閉めてから寝台に横になる。
眠れるわけではないが、本の続きを読む気にもなれない。
天井を見つめる。どうにかなるものなのかはわからないが、とにかく会いに行ってみようと思った。
「逃げろ!」
怒号と悲鳴の交錯する中、炎に揺られキルゼは言った。
「でも、まだみんなが…」
「ここはもうだめだ。この間決めた場所で落ち合おう」
何か言いかけるセシルを押しのけて前に出る。遠くに人の気配がする。恐らく味方ではないだろう。残念だが。
「キルゼは?」
「俺はもう少し粘ってから逃げるさ。…大丈夫だ無理はしない」
「なら私も」
「わがままを言うな」
同じように前に出ようとするセシルにキルゼは苛立ちの声を上げる。
炎と彼らを捕まえようとする兵士たちはすぐそこまで来ていた。すでに抜いてある剣を振り、感触を確かめる。
「兵士たちがわんさかいるんだ。戦えなきゃ話にならん」
「大丈夫よ」
「大丈夫なわけ…」
振り返ったキルゼの言葉はしかしそこで途切れた。セシルの持つ細身の剣が炎に煌めく。
「お前そんなものどこに」
「背中に隠しておいたの。ちょっと歩きにくかったけど」
「ちょっと待てその剣…」
「話は終わり。来たわ」
その言葉通り間近に鎧の立てる音と怒鳴り声が聞こえ、兵士が三人姿を現した。
キルゼは慌てて剣を構えなおす。
「しょうがねえ。死ぬんじゃないぞ」
「当たり前よ」
キルゼが飛び出す。
「うわっ!」
「まだいたぞ!」
「逆賊が!」
兵士が声をあげ、剣を振ろうとする。が、その時にはすでにキルゼの姿はない。
「なに…っ!」
「ぐ…」
懐にもぐりこみ突き上げた剣が兵士達を吹き飛ばす。倒れ込み動かなくなるのを確かめもせず振り返る。しかしいるのはセシルだけだ。
「これ、鞘が邪魔で動きづらいわ。ちょっと考えないと」
背中に手をやり困ったように言う。三人目の兵士はその足元に転がっていた。見たところ死んではいないようだ。
「峰打ち…なわけないな。両刃だよな、それ」
「柄で、ね」
あっさりというセシルの横顔を盗み見て嘆息し、キルゼは天井を仰ぎ見る。
物騒な世の中だが女性が武器を軽々と扱うなどさすがにそうは聞かない。
さらにおそらくキルゼと同じ方法で兵士を倒したとなると…
「お前一体…」
「剣?ちょっと習ってただけよ」
軽く言うセシルをしばらく見つめ、キルゼは嘆息する。
婦人の護身用にちょっと習ったくらいではそこまでのレベルにはならないことくらい解る。それを知っていての発言であることは彼女の眼をみればわかった。
「さ、行くぞ。まだ逃げ遅れた同志がいるかも知れん」
追求したいところだが今はそんなことをしている場合ではない。諦めて嘆息しキルゼは歩き出した。後からセシルがついてくる。
角から飛び出してきた兵士を柄で跳ねのけ昏倒させ、後ろでセシルが兵士の剣をはじいているのを見てその懐に入り込む。
鳩尾を突かれた兵士が崩れ落ちる。その向こうに炎が見えた。
熱風を肌に感じながら踵を返す。もうこの辺りには人の気配はない。
「これ以上は無駄か」
「そうね」
「となれば早々に脱出だ」
「ええ」
そう言って出口に向かって歩き始めた二人の前に兵士が次々と現われる。が、出会い頭のキルゼの一閃で皆悶絶していく。
「強いのね」
「ん?」
セシルの言葉に思わず振り返る。
「強いのね、って」
歩みは止めずにセシルが言う。
「お前だって」
「あなたには敵わないわ」
セシルが苦笑する。
「あの剣捌き、ちょっと習っただけじゃないな?まさか、同じ剣士を騙せるなんて思っちゃいないだろ?」
「…」
出口が見えた。外は逃げ出してきた人間を見落とさぬためであろうか、篝火が盛大に焚かれていてひどく明るそうだった。その光を細めた目で見つめ、目を慣らしながら躊躇いがちにセシルが切り出す。その間も歩は止めない。
「キルゼ」
「何だ?」
「実は私…」
最後の扉を一歩出る。
そこには先ほどと違う格好をした兵士たちがいた。あちらが鎧ならこちらは折り目正しい制服である。
「近衛兵!」
キルゼに言いかけた言葉が喉元で止まり、驚愕の叫びに代わる。
「なぜ近衛がここに!街の争いには関与しないはずだろう!」
キルゼもまた叫んでいた。先ほどまでの下級兵士とは違い、近衛兵団は城を守る兵である。
彼らは更なる訓練を積んだエリート達だ。下級兵士たちが行う市中見回りなど行うはずがない。
「一.二.三・・・全部で五十ちょっとか・・・うそだろう?」
「なぜ近衛が・・・」
ずらりと並ぶ兵達の前に立つ、隊長と思しき男が口元を歪ませ、呟きに答えた。
「お前たちは公王のお怒りを買ったのさ。足元でちょろちょろとうっとおしいからと我らに討伐を命ぜられたのだ。…もう少しおとなしくしておけばよかったものを」
「お父様が…」
「何か言ったか」
「…」
「まぁ本来なら我らの仕事ではないが、公王じきじきのご命令を受けられるのは我らだけだからな」
セシルに向かい嘲りの声を上げる。小隊長の証である赤い外套が夜風にはためく。
その話を聞き流しながらキルゼがそっとささやいた。
「セシル、何人いける?」
「…十人くらい」
「俺が頑張って三十くらいとして…足りないか…」
「…頑張ればきっと何とかなるわ。生き延びて例の場所で落ち合いましょう」
とはいえ二人の顔は暗い。さすがにこれだけの近衛兵を相手にするのは荷が重過ぎる。簡単に逃げ延びることができるなどとは思っていない。
キルゼが剣を構えなおす。こうなれば自分の剣の腕と運にかけるしかない。
「かかれ!」
近衛兵が一斉に剣を構え、隊長の号令で飛びかかってくる。最初は背を合わせ互いに守りあいながら戦っていた二人は、彼らにあっという間に分断されてしまう。
「セシル!」
囲まれ、見えなくなった少女を助ける手立てはない。
生き延びてくれ。そう念じながらキルゼは剣を振り抜き、兵が避けた隙間を縫って走り出した。
セシルの視界の端に駆け出すキルゼの姿が見えた。素早い数名が後を追う。
自分を逃がすため囮になろうとしたことは明白だった。そうとわかっていても皆、女の自分より屈強な戦士のキルゼのほうを追いかけるであろう。
他の人が彼を追いかけ始める前に何とかしなくては。
「待ちなさい!」
セシルは制止の声を上げた。その場にそぐわない凛とした声に思わず兵たちの足が止まる。
「なんだ、おとなしく捕まる気になったか?」
さっと手で合図し、セシルを捕らえさせようとした男の手がこちらも途中で止まる。
その視線はセシルのかざした手元に吸い寄せられていた。
それはペンダントだった。手にかけられ、かざされている。
「ま、まさか」
誰かがうめく。
「下がりなさい。近衛ごときが私を捕まえようなどというのですか」
街灯の炎に照らされ、彼らの国を示す鷹の紋章が紅い光を放つ。
その紋章を持つことが許されるのがこの国でほんの数名であることを彼らが知らないわけがなかった。
「セシリア様…」
小隊長のつぶやきに兵たちが凍りつく。
「我が名はセシリア=グランディウス。先ほどの男は私の従者である。それを知った上でのこの狼藉ではあるまいな?」
「滅相もございません!」
多少蒼ざめた顔で言う。しかし膝は折らない。まだ信用していないことは明白だった。
それはそうだろう。公王に逆らう組織のアジトから公女が出てくるなどと、簡単に信用してしまうような近衛隊長はいない。
「あなた方の疑念はもっとも。私は今夜は忍び。皆が入っていくという家に何があるのかと戯れに入ってみたのだが…」
「遊びにもほどがある…と思われますが?」
「そうだな、私もそう思う。まさかこんなところだったとは…」
苦々しい顔をする。それを見て男は力を抜いた。どうやら本当に公女のようだ。前々から公女のおてんばぶりは噂に聞いていたがここまでとは思わなかった。しかし公女は公女である。そのような組織があることなど知らず、純粋な興味で紛れ込んだに違いない。
これだから箱入りは困る。何をしでかすかわからない。
「そうと知っていればこのような手荒な事、いたしませんでした。ご無礼をどうかお許し下さい」
言いながら膝を折る。部下たちもそれに倣った。
「許す。城まで警護せよ」
「はっ」
男達が立ち上がる。
「時にセシリア様、先ほどの従者はいかがいたしましょう」
問う隊長に彼女はまたもや苦々しい顔をする。
「放っておけ。私を置いて逃げるなど言語道断の所業。手のものに捕らえさせこちらで処罰を与えるゆえ」
「承知いたしました」
歩き出した公女に皆付き従う。一部は道に溢れている野次馬達を追い払い、城までの道を作るため走り出した。
作戦終了の合図は出ていないが、組織の残党など街の兵だけで十分だ。
彼らはすっかり忘れていた。今夜現われるはずの組織のリーダー達がまだ捕まっていないことを。
「おかしいな」
キルゼは振り返った。先ほどまで追ってきていた兵士達が消えている。そもそもの追っ手の数も少なかった。
「セシル…」
大丈夫だろうか?心配は募る。
親子ほど歳の離れたセシルは彼にとって娘のようなものだった。
実際に娘がいるわけではないし、それどころか結婚もしていないのだが、それでもそのような気分にさせられた。
街を出る。門には見張りがいたが皆一撃で昏倒させる。
これで交代の兵達が来るまでは誰にも気付かれないだろう。わずかな時間だが、キルゼが逃げおおせるには十分な時間だ。
近衛兵相手ではこうはいかない。
一般兵は徴兵制だが、近衛の兵士は近衛兵学校があり、入学するだけでもかなりの知力・体力が要求される。あの制服を着るまでになるのはその中でも僅か、王を守る近衛に相応しいと認められた者のみだ。とはいえ先ほどの兵達の中にキルゼに敵うほどの者はいなかった。恐らくは新人の教育がてらの任務だったのだろう。
だとしたら街を抜け出し、あらかじめ示し合わせてある場所で落ち合うことぐらい、セシルにもできるはずだ。先ほど垣間見た彼女の実力ならば…自分が囮になれていれば…
しかし…
「無事でいてくれよ」
つぶやいて辺りを窺い、キルゼは走り出した。
約束の場所はもうすぐそこだった。
5
「止まれ!」
藪の中からの声にセシルは立ち止まった。
「誰だ!」
「私はセシル。同志キルゼに賛同するものよ」
誰何に応えて言う。しばらくして藪が鳴り若い男が姿を現した。
「セシル様ですね。失礼いたしました。こちらへどうぞ」
軽く頭を下げ、言って藪の中を指し示す。どうやらこの奥が目指す場所らしい。
あの日から数日が経過していた。連絡もなく安否もわからない自分をみな、心配しているはずだ。
木の合間に目を凝らすが建物らしきものはまだ見えない。焦っているのだろう、覚えず早足になる。
セシルは先に立ち案内する青年の背中を無心で追い、森の中へと分け入っていった。
「ここまででよい」
「いえしかし…」
城の門をくぐった所で振り返ってそう言い、立去ろうとするセシルに隊長が慌てて追いすがった。
「お一人では危険です」
「ここはそんなに危険なところなのか、貴公らが警備するこの城が?」
冷たく言い放つセシルに言い返せず、隊長が言葉に詰まる。
その隙にさっさと歩き出してしまう。なおも追ってこようとした隊長を手で制し、ひとりになる。
城の周りにはぐるりと高い塀が二つ同心円状にそびえている。それぞれの塀には門が一つずつあり、外側から一の門、二の門と名付けられている。
貴族達の屋敷は一の門の内側に、城と公族の屋敷は二の門の内側に作られていた。
その二の門を見張りの兵の最敬礼に答えながらくぐり、自分の屋敷へと向かう。
屋敷に着くと入り口に公王の侍従がいるのが見えた。嘆息しながら近づく。向こうもこちらに気付いたようで深々と礼をする。
「何かしらこんな遅くに」
問うセシルに再び深々と礼をし、侍従は何かを読み上げるような口調で話し始めた。
「夜分遅くに申し訳ありませんが、陛下がセシリア様をお呼びになっております。急ぎ謁見室までとのことです」
この狙いすましたかのようなタイミングは偶然ではないだろう。恐らく近衛兵と共に帰ってきたセシルを見たお節介な誰かが、注進に走ったに違いない。その誰かは恐らくはそれまでの事の次第まで聞き込んで行ったのだろう。
「わかりました」
仕方がない、行かなくては。
帰っていく侍従を見送ることなく屋敷に入り、出迎えた召使い達がその格好に驚くのを無視して進む。普段から動きやすい服装を好むセシルは男装を
することが多かったが、それらは上等な布地で仕立てられた貴族の子弟のそれであった。
さすがに街に行くような服装など見せたら一瞬で噂が広まってしまうのでこっそりと着替えていた。そんなこととは知らない召使いたちが驚くのは当然である。が、もう気にもならない。
我に返り着替えを手伝おうとするのを断って部屋に入り、
休むことなく着替えて屋敷を出る。疲れは感じなかった。
謁見室の入り口で文官に来訪を告げ、中に入り、取次ぎを経て王が来るまでしばらく待つ。
が、慣れているのでどうということもない。
背後で扉の開く音がした。振り返ると、先ほど入ってきた扉から誰かが入ってくる。しかし薄暗いので誰かわからない。
王ではない、王は一段高いところにある別の扉から入ってくるからだ。
その人物はこちらへと歩いてくる。謁見室は広いのでまだ少し距離があったが、近づくに従い顔が見えるようになる。
「お兄様」
「街中は楽しかったか?セシリア」
セシルより頭二つ分ほど高い兄はいつも近くまで来て見下ろすようにして話す。見上げて話すと首が疲れるので、セシルは大抵兄の胸の辺りを見るようにしていた。今もそうしているが何か落ち着かない。体が緊張しているのがわかる。
それはいつものことだった。兄からうける理由なき圧迫感は年とともに増していた。顔を見ないで話すのもあながち疲れるからという理由だけではないことを今のセシルは知っていた。
「庶民の暮らしはどうだ?」
今も優しく言葉をかけてくれているのだが、なぜだかそうは思えない。そう、まるで愚かな妹を哀れんでいるような…暗い…
「陛下がいらっしゃいます!」
声にはっとする。と同時に膝が崩れそうになった。自分がどれだけ緊張していたのかがわかる。
震えそうな膝を何とか動かして左膝をつく。左をつくのは右をつくより前に―王の下へ―飛び出す力が弱くなるからだ。隣で兄が同じようにするのが見えた。
奥の扉が開き王が入ってくる。二人は頭を垂れた。
「セシリア、話は聞いたぞ」
こちらが挨拶をする前に話を切り出される。
豪奢な椅子にゆったりと座り、肘掛に腕を乗せて、王は呆れたように言った。
「お前は自分を何と心得ておるのか。平民どもに交じるなど、公位継承者のすることとは思えぬ」
その言葉に思わず顔を上げてしまい慌てて下を向く。親子といえども臣下である。
「恐れながら父上、市井の者の暮らしを知ることの何がいけないのでしょう」
「民は優しくすればつけ上がるのだ。お前が何を知りたいのかは知らぬが、それを奴等が知ったなら、必ず利用しようとするだろう」
「でも民の暮らしを知らなければ政など行えません」
セシルの言葉に王の口の端が上がる。ふん、と鼻で笑って王は組んでいた足を組み替えた。
「強ければいいのだ。力があれば国は大きく、豊かになり、一つにまとまる。そのための資金は民から集めれば良い。恩恵を受けるのもまた民なのだからな。どうだ、これ以上の政があろうか」
セシルは呆然とその言葉を聞いていた。今までも父のやり方に疑問を持つことは多かった。が、どう考えてそれを行っていたのかを聞いたことはなかった。しかしそれは…
「他国への侵略も辞さないということでしょうか」
問う。
百年ほど前からこの大陸には国間の戦争は起こっていない。むしろ互いに協力して繁栄していこうとする傾向にある。
その要因となった先の大戦後の大陸の荒廃は、各国の会議において大陸を捨てての移住が議題となったほどであった。自分達の愚かさを反省した国々は、各国代表による統一議会が国間の争いを調停することとなった。以来他国侵略などは起こっていないし、起こそうものなら統一議会が制裁を行うことになっている。
「強い国とはそういうものだ」
しかしグランディウス公国の王はそう言い放った。
セシルが蒼ざめた顔で隣の兄を見る。
兄は静かに控えている。父への疑問など抱いている様子もない。むしろ嬉々とした表情を浮かべている気がするのは気のせいだろうか。
「申し訳…ありませんでした…」
頭を下げる。顔を上げるのにかなりのエネルギーを要した。退出すべく立ち上がり踵を返す。
視界の端に兄が映る。その顔は、
仄暗い楽しみに満ちた笑みを浮かべていた。
足が縺れ転びそうになるのを必死で堪え、セシルは必死で足を動かし、よろめきながらも走り出した。少しでもここから離れたかった。
気付くと部屋の真ん中に座り込み震えていた。
灯り無しに屋敷までどうやって戻ったのか、召使い達を何と言ってやり過ごし、部屋に入ったのか、全く覚えていない。
深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとする。成功したとはいえないが思考能力が少し戻ってきた。
ここにはもういられない。
彼らと同じにはなりたくなかった。
国を統治すべき義務を負う者が民を虐げ、他国侵略と言う禁忌を犯そうとしている。
止めねばならない、他のことなど何も考えられないほど、脅迫観念めいた考えが頭の中を占める。
迷うことなく荷造りを始める。
見つかったら最後、二度と外には出られないだろう。いや、最悪幽閉されることもありうる。
召使い達に気付かれないように、予め用意してあった鞄を隠し場所から出してくる。いつも城下に出る時に持っていっていたものだ。それに更に備蓄してあった食料を詰める。
同じ所から縄梯子を取り出し窓にかける。これもいつも使っていたものだった。
梯子をつたって屋敷を抜け出す。鞄の持ち手を肩にかけ背負い、手には愛用の剣を持ち、セシルは夜の闇に紛れ走り出した。
目指すは裏の山。ここを超えれば見つからずにこの城を、街を、出ることができる…
そして今彼女は藪の中にいる。
険しい山を数日がかりで越え、山を越えてからは、合流地であるこの森に辿り着くことだけを考えて走りに走った。
まだ見えないが、この先に彼女の仲間が待っているはずだ。
木々を見上げ、もう一度自らに問い返す。
今ならまだ戻れる。もっと違うやり方があるのではないか。
いや、ない。と否定する。どんな場合を考えてみてもどこかに無理が生じた。自分にはこの道しかない。心はすでに決まっていた。
たとえそれが父や兄と闘う道であろうとも…
「トゥキア…」
ただ、残してきた異母弟のことだけが気がかりだった。何も言わずにいなくなった姉を恨むだろうか。ましてや自分達を倒すためにと知ったら…
「セシル様、こちらを真っ直ぐ行けばキルゼ様がいらっしゃいます」
ここまで案内してくれた青年が奥を指し示す。いつの間にか木々の間に小屋のようなものが見えていた。
「ありがとう」
そう言って数歩歩いたところで止まる。セシルは振り返り言った。
「私に“様”なんてつけなくっていいのよ、同志なんだから」
「ありがとうございます。でも俺はあなたを尊敬していますから、そう呼ばせてください」
嬉しそうに言う彼に、宰相との会話を思い出した。
そう、最初から与えられた地位など無意味だ。
彼の言葉がとても嬉しかった。
「わかったわ。じゃあ私もそれに恥じないように生きなくてはね」
息を吸って道の奥に向き直る。
そうして、
セシルは彼女の進むべき道へと一歩を踏み出した。
〜 後編へ続く 〜
ハッキリ言って大雑把な流れしか考えずに書いているので、この先どうなるかはわかりません(おい)
良ければ、この波乱万丈な作者とセシルにお付き合いくださると嬉しいです。
反省&励みになるので、感想・評価等お待ちしてます!