一話
早朝近いこの時間、道に人気は無く静寂が馬車の周りを支配する。
この通りは路樹とガス灯の配置が絶妙だと言うのに、窓の外の景色は冴えない。
雲が地上に降りてきたような濃い乳白色の霧は、音も人も物もそれ以外も全てを覆い隠してしまう。
だからこそ、今日、この馬車は堂々と公道を走っているわけなのだが。
私の心中も察せず、二頭の馬は変わらないペースで飽きもせず駆ける。
それなりに大金を叩いて買った良い馬車だが、中古だからかそろそろ尻が痛い。
そして、なによりも沈黙も痛い。
馬車の中には二つの人影。
フレディーは吐きそうになった溜息を飲み込んで、目の前でかちこちに固まって身じろぎもしない少女を見る。
まず、目を引くのはその見事な赤毛。
時期外れの麦わら帽子を深めに被り、表情は分かりにくいが勝気に釣り上がった緑の瞳が伺える。
荷物は持たず、身一つでフレディーに会いに来たなかなか肝の据わったお嬢さんだ。
なかなか太っ腹と言う言葉が似合うようになってきた自分の腹を撫ぜながらフレディーは思う。
この少女にあの変わり者を紹介するのは正解なのかと。
答えは出ない。
が、他に当てがあるわけも無く。
結局のところ、選択肢なんてあるようでないのだ。
フレディーが思考に沈む間にも馬車の中に満ちるのは沈黙。
馬が石畳を蹴る音だけが、反響し室内に満ちている。
フレディーはその沈黙に少しだけ居心地の悪さを感じ、それを解消するために口を開く。
話題は…思い付かないのでとりあえず向かう先のあの変わり者の事だ。
「まぁ、悪い奴ではないんだ。
壊滅的なまでに…いや、文化的生活崩壊一歩手前程度に………めんどくさがりやなだけで。」
「……大丈夫なんですか?その人。」
…端的に特徴を表しすぎたのか、目の前の少女が不安そうな声を上げる。
これは駄目だと、慌ててアイツの良い所を上げようと思考をめぐらす。
なにか、あったか。
「悪い奴ではないんだ。……悪い奴では。
ある意味善良でもあるし、頭の回転だって悪くはない………。
人間としてダメなレベルでめんどくさがりやなだけで。」
「本当に大丈夫なんですかその人!!」
駄目だった。
あいつを説明しようとするとどうしても最初に浮かぶのはあのやる気の無さだ。
いつでもどこでも緊張感の無い様は、付き合いが長くなるとある種の感動を覚えるのだが……なにぶん、付き合いが短いと苛立ちしか与えないという欠点が……致命的だな。
「まぁ…………腕は確かな薬師だから、技術を盗めるだけ盗むといい。…そんな暇があるかは定かではないが。」
「…………騙してるんじゃないでしょうね?本当に薬師なんですか?」
「まさか!そういわれるのはとても心外だ。仲介屋の看板にかけて彼の腕の良さは誓うさ。」
あらぬ疑いに肝を冷やしながらもタイミングよく馬車が止ると扉を素早く開けて降りる。
それから恭しく少女へ手を差し出すが、少女はそれを無視して馬車を降りると目の前の建物を見上げた。
この、手はどうすればいいのだろうか。
ペンダコの出来た自分の手を見つめていると心の中まで湿気が入り込んできそうだ。
少女が見ている建物に向き直る。
レンガ造りの何処にでもありそうな二階建ての民家……だったのだろう、過去は。
今は見事なレンガの壁にびっしりと蔦が蔓延り窓すらほとんどふさいでしまっている。
雨樋は途中で折れ曲がり、入り口のドアノブもメッキが剥がれ錆びた茶色を見せている。
お世辞にも綺麗な…は、付かない建物。
というか、近所では幽霊屋敷扱いにされたまに悪ガキが肝試しに来るような家だ。
「……此処に本当に腕のいい薬師が住んでいるんですか?」
「無論だとも…少々、まっていたまえ。」
フレディは、タイを絞め直すと、扉に手をかけゆっくりと、慎重に開ける。
少女は鍵もかけていないのかと、眉に皺を寄せるのを尻目に慎重に慎重に。
手の平に嫌な汗をかいているのを自覚しながら、わずかにあいた隙間に向かって声を張る。
「ツヴァイ!!起きろ!!!」
そして、素早く閉めた。
一仕事終えたように、額の汗をぬぐいフレディは扉から離れる。
「これで、そのうち出てくるだろ。」
「……中、入らないんですか?」
「一度入ったことがあってだな。」
扉の向こうから、何かが崩れる音や割れる音が鳴り響く。
フレディは、言い訳をするように少女から目線を反らし。
「ツヴァイ…薬師のところにたどり着く前に物に挟まって動けなくなってな…。
しかも、目の前にマンドラゴラの苗を植えた植木鉢がバランス悪く置いてあって………あれは、死ぬかと思った。」
割と本気で。
しみじみと語るフレディの視線は遠い。
それを見る少女の視線は冷たい。
「そんな所にすむんですか…私。」
「君は小柄だから大丈夫だろう?……おや、来たようだ。」
見た目通り金具も錆びているのか、軋んだ音を立てながら扉が開く。
油を挿せと何度も言うがやり方が判らないの一点張り。
開いた隙間からぬっと白い手首が覗きさらに隙間を大きくした。
何故そんなホラーな登場をするのか。
悪ガキ対策なのか。
そんなに来るのか。
「フレディ……かぁ?締切はまだまだ先だろ~?それとも、頼んでた本でも手に入ったのかぁ?」
扉から出てきたのは一人の青年だ。
しわくしゃな白いシャツをだらしなくズボンからだし、白い薄手のコートを肩に羽織っている。
ひどく眠そうに欠伸をかみ殺しながら、来客者を見渡す。
青年の瞳が少女の存在をとらえると、寝ぐせだらけの灰色の髪を手櫛で適当に整えようとして……三櫛程度であきらめた。
それから、青い瞳を細め何も考えてなさそうな笑みを浮かべる。
「また、近所のがきの間で罰ゲームにここに来るのがはやってんのかぁ?茶でも飲んでくか?」
「……貴方は本当に薬師なんですか?」
「ほら、証拠に白衣も着てんだろ?……白衣ってわかるかぁ?」
へらへらと笑う青年にしっかり者の少女が額に青筋を浮かべたのが、フレディーの視界に移る。
慌てて存在を主張するように咳払いをする。
「…あぁ?まだいたのか?」
「……ツヴァイ、今日はお前に仕事を持ってきたんだ。」
「ホムンクルスもマンドラゴラも売らないぞ?」
「何処の誰がそんな危険な物寄越せと言った。」
「えー。だっていっつも俺んとこに持ってくる話、訳ありじゃん。」
そう言いながら、ツヴァイの視線は少女へ向けられる。
不躾ともとてるような値踏みする視線を少女のつま先から頭の先まで向けて。
「…で、今回の厄介事はそれかぁ?」
「それって……私にはアルマっていう普通でなかなか気に入ってる名前があるんだけど?」
「あー、悪い悪い。アルマなアルマ、アルマジロって呼んだら怒るか?」
「切り刻みますよ?」
「あーーーーーー………お察しの通りなんだが、いきなりそんな剣呑な空気を出さないでくれるか?
アルマ嬢、怒るなと言うほうが無駄なのはわかるが……怒るとこいつは喜ぶぞ。」
「なんて、悪趣味な。」
吐き捨てるように言うアルマ嬢が言う。
私も同感だが、正直こいつの場合諦めるしかないので放っておく。
ツヴァイはその様子に満足そうに頷くと、視線をフレディへ向けた。
「で、この生意気そうな小娘をどうすりゃいいんだぁ?
流石の俺も性格変える薬なんぞ、危なっかしくて売れんぞ?」
「頼むからそんなものを作らないでくれ……。
いや、暫く………というか、長期的に預かって欲しいんだ。」
「……まじで?」
「マジでだ。報酬もそこそも出せるぞ。」
そう言ってフレディは懐から茶封筒を取り出す。
「…………ほら、おれかねならあるし。」
「工場のツケ、そろそろ支払日だろ?それともまたあのパ----。」
「ヨロコンデウケサセテイタダキマス。」
ツヴァイは頬の筋肉をひきつらせ、飄々とした笑みを崩すと直ぐに嫌なもの聞いたとばかりに頭をふった。
彼はツヴァイと違ってだいぶまともだと思うのだが……何がそんなに嫌なのか。
まぁ、何だかんだで受けるならそう嫌でもないのだろう。
「ほらじゃぁ、いつまでも玄関に突っ立ってないで、中はいれよ。
あぁ、フレディはどうせ中入んないだろ?封筒おいて帰れ。
それと、アルマ。中に入ったら絶対俺の後を着いてこいよ?」
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