十一話
「……そうだなぁ、やっぱ見ながら説明した方が早いよなぁ…。」
「出掛けるんですか?」
「んー…お前はまだ安静にしてて欲しいんだけどなぁ?仕方ないかぁ。」
なんて、ぶつぶつと独り言のように呟きながら師匠が部屋を出ていく。
身支度をした方が良いだろうと、ベットから立ち上がり…。
「……予想以上になまってますね。」
普段は感じることのない体の重さに脚がふらつく。
慌てて、壁に手をついて体を支える。
しばらく、そのままの姿勢でいた後ゆっくりと壁から手を離す。
軽く腕の筋を伸ばしてみたり、部屋の中を二三周してみる。
腕はまぁ怠いけれど普段通りに動かせそうだ。
脚は………怖くて屈伸もできない程度になまっている。
あまり体力を使い果たすのも得策では無いので、大人しくベッドへ腰かける。
たったこれだけの動作で疲労を訴える脚を、丁寧に揉んでいると師匠が再び部屋の中に入ってくる。
本を一冊と、紅茶のポットをもって。
……本?
「適当にこの本の好きなページ開いてくれ。」
革の表紙の本を手渡しながら、師匠が言う。
本のタイトルも書かれていない、手と同じ温度の黒い本。
それなりの分厚さがあったので、訳のわからないまま適当に真ん中辺りを開く。
木の葉の絵?それもバラバラに沢山の木の葉。
「……なんですかこれ?」
「風、だなぁ。また、四大元素引くとか…まぁ、いいや。」
そう言われれば、確かに描いてはいないけれど木の葉が舞っているのだから風があるの……かな?
風は見えないから自信がない。
「紅茶、入れ直して来たから飲んでくれ。」
「あっ、はい。」
空になったカップを師匠へ差し出す。
受けとることなく、カップに琥珀色の液体が注がれた。
口元に持っていけば、ふわりと林檎の…。
「師匠。」
「なんだ?」
「私リンゴ嫌いです。」
「おぅ、そうかぁ。」
「冷めたのでいいので、ダージリンありませんか?」
「…………ん?」
師匠が首をかしげて、ポットの蓋を開ける。
ここにまで甘酸っぱい香りが漂ってくる。
「……これ、ダージリンだぞ?」
「……え?」
師匠は首をかしげたまま、ポットの蓋を閉める。
「…食後のやつはちゃんとダージリンの香りだったかぁ?」
「はい。」
「そうかぁ………他にも、林檎の香り嗅いだことあるんだよな?どんなときだった?」
その質問で、いの一番に思い出した胸の痛みを隠して私は平静を装って言う。
「えーと…一番最初に師匠の紅茶飲んだときと、牢屋のスープ………あと、長く寝た後の起きるとき。あとは…あっ、さっきの貴族からも………ほかはないです?」
なにか、引っ掛かる気はするけど記憶にはない。
「んー……呪術にでも反応してるのか?
それとも……まぁ、いいや。
その紅茶はお薬入りだから諦めて飲め。」
「黙って何飲ませようとしてたんですか?!」
「無味無臭だし、効果を説明したってたぶんよくわかんないだろうしさ?
まぁ、修行のときにでも教えてやるよ。」
「……害は無いんですよね?」
「その分量なら問題無い、冷める前に飲め。」
分量間違えたならどうなるのだろうかと、怖い想像をしながらも息を止めて一気に紅茶を飲み干した。
…………特に何も変わらない。
「ん、カップこっちに。で、横になれ。」
「出掛けるんじゃないんですか?」
「でかける。まぁ、言う通りにしてみろって。」
紅茶を手渡しながらも、疑問はつきないけど。
出掛けたさきで説明するとはいっていたのでひとまず言う通りに横になる。
「さっきの木の葉が舞ってるページ覚えてるか?」
「あの、分かりにくい風の?」
「そうそう。あれじゃなくてもいいから、風を想像しながら目を閉じて。」
薬が効くまで一眠りでもさせるつもりなのかな?
それにしては、細かい指示だけど。
「想像したか?」
「はい。」
答えながら慌てて風をイメージする。
風、風、風。
考えていると、そっと片手が握られたのがわかる。
師匠、人の心配するまえに自分のガサガサな手。どうにかしましょうよ…。
「ほら、脇にそれない。」
注意され、慌てて思考をもとに戻す。
風、風。
ふわりと暖かい春の風。
花弁を揺らしながら香りを遠くまで運ぶ風。
柔らかい風がよく吹いた年は豊作が多い。
豊穣の風、命を運ぶ風。
豊穣の神が鳥や馬の姿で描かれるのも、風を含んだそれなのか。
豊穣の神、私の神様。
癒しの風、命を愛でる風。
慈しみ、時に人を浚う風。
いつの間にか、浮き出るイメージのなかをふわふわと浮いているような。
そんな、不安定でどこか心地よい感触が体を包む。
そのなかでも、師匠の手の感触ははっきりとしていて。
とりとめのない、思考のなか。
不意に。
風が頬を撫でて。
「ほら、ついたぞ。」
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