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瀬戸の波  作者: 河杜隆楽
6/8

秋風

厳島の戦いの下準備です。

 瀬戸の波 -秋風-


 〈吉田郡山城 客間〉


 少しずつ落ち葉で埋まる街道。黄金こがね色にいろられたその上を行きう人々。今や安芸の支配者となった毛利氏の城下には、その力関係の変化を敏感に感じた商人たちが集まって来ていた。山奥だというのに精力的に来る彼らの数は、その光景に驚く住人の数をもうすぐ上回りそうだった。しかしそのことに喜ぶ住人は少ない。もちろんこの賑わいは地元の住人にかなりの利益をもたらしてくる。それにも関わらず、彼らの多くはそれを一時の栄華と思い、彼らの平和な生活の終焉しゅうえんを強く予感していた。彼らはそろって不安を抱える。


(もうすぐ大内軍が攻めてくる)


 もしかしたら毛利家は生き残るかもしれないと、思う人もいた。が、自分達の主君が勝つことを予測する者はいなかった。この地にも大内家の威光は根強く残っていた。

 そんな彼らの運命をも決める張本人は、彼らの悩みなど微塵みじんも分からないような笑顔を浮かべて、ある客人を迎えていた。


「元就様、一介の薬師くすしである私をこんな立派な所にお呼ばれ頂きまして、私恐縮至極に存じます」


 深々と頭を下げる薬師。やや卑屈にも見えるその姿を見つつ、元就は上機嫌にうなずき答える。


「遠路はるばる来られた者を歓待しないのは毛利家の名誉にかかわるのでのぅ。唐津からよく来てくれた」

「いえいえ、病で困る人がいれば南蛮の地まで行くのが、医者の使命にございます」

「よくぞ申された。そなたこそ医者の鏡」


 高笑いで薬師を褒め称える元就は、改めて患者の病状を聞いた。


「広良の病状は如何だろうか?」

「実は難しい病気でして、広良さまもお年ですから全快は……。後は渡した薬を飲んで様子を見るしか術はないかと」


 申し訳ございませんと、謝る薬師の報告を聞いて、元就は仕方ないというように唇を少し噛んで頷いた。話は薬師の出身地である唐津の事に移った。


「…ほう!唐津はそれほどまで賑わっているのか。うらやましいのぅ」

「しかしながらこの城下は唐津に勝るぐらいの賑わいを見せておりますな。初めて来ましたが、とても驚きました」

「賑わってきたのは最近のことでな。折敷畑おしきばたで陶の軍勢を打ち破ってからじゃ」

「ああ、あの戦いでございますか。唐津まで聞こえております。いやぁ、見事なご勝利でしたそうで」

「そうか、唐津にまで聞こえておるか!儂も長年戦ってきたが、あれほどの勝利は久方ぶりじゃ」


 大きく口を開けて笑う元就。薬師はその上機嫌ぶりに戸惑いさえ感じていた。


「この調子ですと元就様がこの地方を支配するのも間もなくですな」

「これこれ、おだてるではない。……まあ、そうなって欲しいが」


 先ほどとは異なり少し弱気な発言をする元就は、薬師に気付かれぬように素早く話を変えた。


「ところで道中は大丈夫だったか?」

「は、はい。船旅でしたが晴天に恵まれました。…途中で見た宮島の風景は見事でしな」


 「宮島」と聞いた時、元就の顔色が少し変わる。(おや)と、元就の様子を不思議がる薬師は、もう少し聞いてみることにした。


「宮島と言えば何やら海岸沿いに人夫が多く見受けられましたが、神宮でも建立なされるのですか?」

「……いや、宮尾に城を築いておる。城と言っても瀬戸の海上交易の拠点じゃ。大したものではない」

「しかし瀬戸内海をおさえるとなれば、陶様が怒るでしょうに」

「………」


 このことについてこれ以上は話さないと、口をつぐむ元就。話が不自然に途切れたので、また話を変えた。


「そうじゃそうじゃ、聞きたいことがあった。晴賢は兵を動かす様子はあるかな?」

「…いえ、私が見たところではそのような様子は」

「そ、そうかそうか」


 安心したように笑みをこぼす。元就はそのことを聞き終わると、用があると言って客間を離れた。薬師はまた深く平伏し、自己の任務をやり遂げたことに安心した。


 〈山口 陶家屋敷〉


「そうか、元就はそんなことを…」

「はい。宮島の名を出した途端、口数が少なくなられまして。どうも触れてほしくない様子で」

「うむ、分かった。ご苦労であった」


 隆正の言葉を聞いて、薬師は晴賢の自室から退出した。退出の際の少しの間、開けられた襖からこぼれ出る冷気に、晴賢は冬の到来を感じた。早めに置かれた火鉢に手をかざす隆正。隆正の他には、宮川房長の死後、側近達をまとめるようになった三浦房清がいた。その房清が意見する。


「やはりなにかありますな。普通なら唐津出身の薬師相手に『瀬戸内海をおさえた』とはっきり印象付けるでしょう」

「私も同意見です。九州にまで毛利家の名をとどろかす機会を元就が逃す筈がない。元澄が言っていたように、失策を隠そうとしているのでは」

「………」


 陶陣営もただ無為に過ごしていた訳では無い。毛利家内に桂元澄という内通者をつくることに成功した。桂家は坂家の分家で、また坂家は毛利家の分家、つまり桂家は遠戚ながら一応毛利家の親族筋にあたる。

 しかし元就が毛利家を継いでから、坂家一族と毛利本家との関係が怪しくなった。彼らもまた元就の才能に恐れを抱いたのだ。毛利本家が強大化する前にと、坂家は元就の弟である相合元綱を擁し、尼子家の後ろ盾を得て反乱を起こした。結局反乱は失敗に終わり、坂家本家は没落した。その際桂家は反乱に加わってなかったが、反乱を見過ごした責任を取って元澄の父、広澄は自害した。これはもう数十年も前の話である。しかし元澄はまだその恨みを忘れてはいなかった。そして今回、晴賢と打倒元就という思惑が合致し、内通の指令を受け入れた。毛利家一族内の内通者の登場に晴賢らは狂喜した。


「元澄の報告では、元就は『厳島神社に信仰深い晴賢が厳島の支配を許すはずがない。あんな砦もどきで陶家の軍勢を抑えられる筈がない』と日々愚痴を言っていると」

「確かに厳島神社は瀬戸内海の守り神を祭っております。そこを取られてはいよいよ大内家の海上貿易が衰えるでしょう」

「ふむ…」


 やるべきことは分かっているが、まだ踏ん切りがつかないといった顔を晴賢はしていた。

 その時、廊下から小姓が来客の意を告げた。


「弘中隆兼様、ご来訪です」

「隆兼?」


 久々に聞いた名を不思議そうに繰り返す晴賢。その隣では、側近二人が激昂していた。


「裏切者め!今更何しに来た!」

「晴賢様、追い返しましょう」


 江良房栄を殺したにも関わらず、晴賢の彼に対する信頼は失墜した(その原因の一つに側近達の讒言があるのだが)。その結果、周囲の状況への失望と房栄を殺した罪悪感に苦しみ、暗殺事件以来、隆兼は自己の所領にこもってしまった。山口に来るのも久方ぶりだった。


「……いや、ここに呼べ」

「晴賢様!」


 晴賢はこの状況に及んで、褒めるか肯定するかしない自分の側近以外の意見を聞きたくなった。不満げな側近達。少しして隆兼が部屋に入ってきた。側近達の目線が鋭くなる。


「…晴賢様、お久し振りでございます」

「隆兼、少しせたか」


 病後の患者の様にやつれてしまった隆兼の姿に晴賢は驚く。大内軍の一翼を担ったかつての姿はもう無かった。


「隆兼様、何用で参られましたか」


 一方で房清はその姿に微塵も同情せず、(早く帰れ)とばかりにきつい口調で言う。隆兼はそんな彼らを無視して、晴賢の方だけをじっと見て答える。


「晴賢様自らが元就を攻める、と聞きました」

「む、もう噂が立っていたか」


 噂が立つこと自体、別段に不自然なことではなかった。吉見家が屈服した今、陶家の当面の敵は毛利家である。可愛がっていた宮川房長の仇討ちは必ずするだろう、と大方は見ており、大内家の中には早くも戦準備を始める重臣もいた。


「儂自ら仇を取ってやらなければ房長も成仏できまい。厳島を攻めるつもりじゃ」

「厳島ですと!」


 全く予想だにしなかった名前を聞いて、隆兼は驚いた。


「な、なぜそんな場所を」

「隆兼様ともあろうお人が知らないとは。元就は厳島に城を築いており、さらにその城主には、我々の仇である坪井元政が就任するはずです」


 嘲笑する隆正に、隆兼は一喝する。


「そんなことは知っておるわい!………晴賢様、何故そこを…?」

「厳島は瀬戸内海の海上交易において重要な拠点じゃ。お主とて分かっておるだろう」

「分かっております。しかし!しかしですね、晴賢様。厳島の対岸側を攻め取ってしまえば、厳島内の拠点など立ち枯れるのみ」

「隆兼様。理論上ではそうでしょうが、今重要なのは“どれぐらい厳島の支配を空け渡していたか”です。その期間が長ければ長いほど、瀬戸内海における大内家の交易に響きます」

「左様。また、厳島神社を信仰する者は多く、すぐさま攻めなければこの地方における大内家の信頼が崩れます」


 隆兼の必死の提言を一蹴する晴賢主従。それでも隆兼は食い下がった。


「では、せめて、せめて晴賢様以外に任せては!」

「くどい!大内家の全力でもって打ち破るのじゃ!」

「………今、なんと?」


 かつて大内家一の智将と呼ばれた隆兼は、初めてのことに戸惑う子供の顔をしていた。そんな様子に晴賢達の方も訳が分からないといった表情になる。


「晴賢様がご出陣なさるのです。全軍を率いるのは当然かと…」

「…晴賢様。晴賢様は厳島がどのようなところかご存知ですか?」


 上から教えられる物言いに晴賢はムッとする。


「何度も行ったことがあるわい!お主よりは詳しいはずじゃ」


 晴賢の怒号とは対照的に、どこか哀愁あいしゅうじみた声音で話し出す隆兼。


「厳島は神がお住まいになるだけの小さな島、奪うだけの食料もありません。大内軍全軍はおろか、一万の兵士さえろくに展開することは適いません。行ったことがおありなら、どうしてそのようなことを…」

「うるさいぞ、隆兼!儂を馬鹿にしおって!」


 急に立ち上がり、斬りかかろうかというぐらいに隆兼に詰め寄る晴賢を止めつつも、それとは裏腹に側近達は隆兼をののしる。


「隆兼様、しばらくお見えにならないうちにお考えが浅くなりましたかな?お教えしますが、ここらで我らの全力を見せつけることで晴賢様の御威光を世にとどろかすことができるのです。恐れをなした安芸の諸将は晴賢様に従うはず」

「それに大軍が攻め寄せたのならば、いかに元政が豪傑であろうとも、宮尾の城は数日で落ちるでしょう。元澄殿が城の見取り図を持ってくるそうですし」

「し、しかし、それでも全軍は多すぎると思います!せめて半分にしては」


 数年前とは一変した感情むき出しの様子で必死に食い下がる隆兼をもう黙らせたい隆正は、わざとアッとひらめいたふりをしてつぶやいた。


「…ひょっとして隆兼様は晴賢様が失敗することを望まれて」


 いるのではないか、という言葉に、応える言葉。房清も糾弾きゅうだんに加わった。


「なるほど。道理で様子がおかしいと思いましたが、そういうことでしたか。もしかして本当に毛利とつながっているのでは」


 房清の言葉に晴賢の顔色は赤色を通り越して青く変わった。


「隆兼!一度は許してやったものの、今度ばかりは許さぬぞ」

「房清、何をたわけたことを!晴賢様、私はそのようなことは決してしておりません。房栄殿と同じにございます」


 房栄と聞いた途端に晴賢は隆兼を蹴り倒した。


「あの裏切り者の名など二度と口にするな!二度と来るでない!」


 憤慨ふんがいしつつ部屋を出て行こうとする晴賢に、隆兼は晴賢の袖をつかみすがりつく。


「ご、ご再考を…」

「消えよ!」


 袖から手を振りほどかれ、隆兼は呆然ぼうぜんと座り込んでしまった。晴賢は去った。他の二人も軽蔑のまなざしで以って隆兼への別れの挨拶とした。二人が晴賢に追いつく。


「此度の戦から隆兼殿は外しましょう」

「…いや、隆兼は同行させる。大内家内のあやつの人望は馬鹿にはできまい。それに残して置いて妙なことをされても困る」

「それでは監視をつけておきます」

「任す」


 隆兼の反対でむしろ派兵の決意が固まった晴賢は二人に段取りを命じ、三人は各々(おのおの)自分のなすべきことをするため解散した。

 一方で晴賢の自室にはまだ隆兼が残っていた。晴賢の家の者にも忘れ去られたようで、開けられたままの襖から西日が差す。隆兼はきちんと正座しなおすも感情がこみ上げてしまい、泣いていた。


(房栄殿、すまぬ。大内家は、我らが守ってきた大内家は、これまでのようじゃ)


 陶家の屋敷から出た隆兼がとぼとぼ歩く前方の空高く、数羽の烏が飛んでいた。夕日の中、巣に帰るのであろう。彼はぼんやり考えていた。


(儂の帰る場所は、一体どこに消えてしまったのか)



 〈吉田郡山城 元就政務室〉


「元就様、元澄からふみが届きました」


 朝の政務を行っていた元就の下に就忠が訪れた。入室の許可を貰って入ってくる就忠の背に初冬の空気が貼り付き、一緒くたになって入ってきた。


「この頃になると朝は冷えるのぅ」

「はて、そうでしょうか?」

「ああ、お主は…いや、なんでもない」


 意味深な元就の言葉に、就忠はあごとの境が無くなってしまった首をひねらせた。結局分からなかったが、とりあえず本題に入った。


「これにございます」


 渡された書状を読む元就、読むにつれ段々と笑みが顔の表面に出てきた。


「元澄はなんと?」

「うん?珍しいな、お主が先に読んではいないとは」


 挙兵の会合での就忠の行動を冷やかされて、就忠は苦笑で応じた。


「あれは元就様の脚本でしょうに。そんな礼儀を欠いたこと致しませぬぞ」

「どうだかな。おっと、こちらが主題じゃったな」


 今度は就忠に書状を渡す元就。就忠はそれを読むなり飛び上がるほど驚き喜んだ。


「や、やっと、晴賢が動くと!」

「そうじゃ。これで我が策は半ば成ったな」


 元就も喜びを隠しきれなかった。彼には晴賢が彼の手の中に入ったように感じてもいた。

 桂元澄は裏切者である、というのは嘘である。お分かりかと思うが、実は元就自身が命じて彼に内通する“ふり”をさせていたのだ。元澄はむしろ桂家を存続させてくれた元就に恩義を感じていた。その恩義を返すため、彼は折敷畑の戦い以来、晴賢と連絡を取っていた。すべてはこの作戦のために。そしてやり遂げたのだった。


「元澄もなかなかの演技達者と見える」

「誠にその通りかと」


 彼の働きはその恩義を返して余りあるものだった。ちなみに桂元澄の子孫には明治維新の英雄・桂小五郎や日露戦争時の首相・桂太郎がいる。近代日本を築いた彼らにはこの策略に長けた元澄の血が流れていたと思えば、その活躍を納得できるかもしれない。ともかく元澄の活躍がなければ彼らは存在しなかったのだから、筆者としては少し感慨深く感じている。

 元就は目の前の政務のことなど放っておき、就忠に隆元を呼ぶように命じた。就忠はその大きな体を揺らしつつ、急いで部屋を出て行った。

 一人残った元就の顔にはもはや笑みはなかった。その代わりに、もうすぐ還暦とは思えない若々しく、猛々しい目がギラギラ輝いている。元就は高揚していた。彼の頭の中では能の祭囃子まつりばやしが鳴り響く。舞台はととのった。


「いよいよ“仕舞”じゃ」


皆様、大変長らくお待たせしました。次回でラスト、厳島の戦いです。

次回もお楽しみに。

今回もお読みくださりありがとうございました

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